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232話 鎖の男4

 ――浅い。


 俺の剣は確かに男に届いたが、それは胸の表面を僅かに斬りつけたに過ぎなかった。剣が届く寸前で、男がその身を反らしたためだ。

 傷つけることには成功したが、致命傷には程遠い。

 更なる追撃を試みようと、俺が一歩踏み出すよりも先に、男が動いた。


 男が片腕を掬い上げるように上へと持ち上げれば、石床を割って赤い鎖が現れる。

 無数の鎖は壁のように立ち上がり、男の姿を覆い隠した。

 止む無く俺はその場に留まり、手に持つ剣を鋭く煌めかせる。


 鎖の壁は容易く切り裂かれ、その向こうにいる男の姿を再び捉えた。

 その時には既に、男は俺から僅かに距離を取っていた。

 だがそれも、高々数歩の距離だ。少し踏み込めば、まだまだ剣の射程圏である。

 俺は足元に残った鎖を切り飛ばし、深紅の壁を越えようと一歩踏み込んだ。


 そこで再び、男が動きを見せる。

 鎖の巻きついた両手を前へと突き出せば、男の背後よりその背を越えて上方から、石床を割り砕き下方から、その体を迂回して左右から、無数の鎖が束となり現れる。

 その数は先程の倍以上にもなる。いくら鎖が切り裂けるようになったとはいえ、こちらは高々剣一本だ。俺へと手を伸ばすその先端を切り飛ばしつつも、後退を余儀なくされた。


 再び男との距離が開く。

 仕切り直しとなったものの、俺の剣とアメリアの魔術があれば、男に届くことはわかった。ならば男の魔力切れを待たずとも、地に叩き伏せることも可能だろう。

 それに、男の方にもすでに余裕はないようだ。その証拠に、肩で大きく息をしているのがわかる。


 先程は使用しなかった規模の攻勢で俺との距離を開いたのは、それだけ俺に近寄られるのを嫌ったのだろう。状況によって操る鎖の量が異なるのは、魔力の消費が関係しているに違いない。

 奴の魔力が無尽蔵であるなら、その量に任せて俺達を迎撃すればよい。そうすれば、いくら剣で鎖を切り裂けるとは言え、俺も剣が届く距離まで近寄るのは困難だろう。


 そうはせず、俺が剣の届く距離まで詰められた以上は、魔力の量に限りがあるのだ。

 そしてその限界は、既に遠くないと見える。後は油断さえしなければ、確実に勝利を収めることが出来るだろう。


 俺が内心で勝利を確信し、剣を握り直す前で、男は次なる動きを見せた。


「なるほどなるほど、大したものです。まさかここまでとは……では、これにも耐えられますか?」


 そう言うと男は軽く腰を落とし、両腕を大きく広げて見せる。

 その周りを、深紅の鎖が二重三重にも取り巻いていった。そのまま男を護る殻のように球体となった鎖の群れは、ぐるぐると男の周りを高速で回り続ける、

 触れ合う鎖の金属音が、周囲に甲高く響いた。


 さらに続けて男は口を開く。


「『我が命ずるは断罪の宣告 血肉に臓物 骨に腱 憤怒に憎悪 嘆に怨』」


 始まったのは紛れもない詠唱の声だ。

 これまで、男は鎖を操るのに詠唱をしている素振りを見せたことはなかった。ここにきて詠唱をするということは、これまでと異なる何かをしようとしているのだろう。


 何をしようとしているのかは定かではないが、黙って見ている道理はない。

 俺はすぐさま駆け出すと、男を護るように張り巡らされた鎖へと、大上段からの一撃を振り下ろし――


「――ッ!」


 ――バチンと言う音と共に、俺の剣が弾かれる。

 ここに来て、鎖の強度が上がったということではない。高速回転する鎖の群れが、回転の勢いを利用して俺の剣を弾いたのだ。

 さらに、球体となった鎖の左右からは、また別の鎖が俺目掛けて襲い掛かってくる。俺は後退しながらも、迫りくる鎖の束を切り飛ばした。


 俺が再びアメリアの傍まで下がれば、鎖はそれ以上の追撃をしてこなくなった。どうやら詠唱中は、周囲の鎖は防御に徹するようである。

 しかし、剣術が通用しないとなると、有効打がない。このままでは、男が詠唱する魔術が完成に至ってしまうだろう。


 一瞬、アメリアを連れてこの場を離脱するべきか思案した。距離さえ開けば、男が何をしたところで俺達への影響はないだろう。

 だが、俺はすぐにその考えを否定した。


 今は、片時でも男から目を離すべきではない。少し目を離したその隙にでも、男にマナポーションなどで魔力を回復されては、これまでの努力が無駄になってしまう。

 それでも俺の全属性の剣技は通用するだろが、回復した魔力に任せて物量で押し込まれては、剣一本では対抗しきれないということも考えられるのだ。


 そして何よりも、未だ所在の分からないクリスティーネとシャルロットの事がある。彼女達を人質に取られてしまえば、俺達に打つ手はない。

 俺達が今こうして鎖の男を相手に暴れられているのは、二人の状況がわからないからだ。二人の喉元に刃物でも突き付けられようものなら、俺達も剣を納めるより他にない。

 いくら奴隷狩り達が人身売買で金を得ているとはいえ、二人を殺さない保証などどこにもないのだ。


 やはり、この場にはとどまる必要がある。そうなると、男の行使する魔術が問題だ。

 鎖の男の放つ魔術は、まず間違いなく大規模なものとなるだろう。いくら全属性とは言え、剣技で対抗するのは困難なはずだ。

 かと言って、魔術で立ち向かうのも難しい。俺に使えるのは中級魔術までだ。男の詠唱からは上級魔術と同等のものを感じる。中級魔術では、力負けすること必至だ。


 ではどうすればよいか。

 一つだけ、方法がある。

 だがそれには、アメリアの協力が必要だ。


「アメリア!」


「何?!」


 ナイフを男へと投擲しながら、アメリアが俺の声に応える。アメリアは先程からナイフを投擲し、炎の獣を男へと放っているが、何れも高速回転する鎖の檻に弾かれていた。


「アメリアの力が必要だ! 俺を信じて、力を貸してくれ!」


 そう言って、アメリアへと片手を差し出す。

 内心、不安はある。

 アメリアとは普通に話せるようになったとはいえ、未だ壁のようなものはあるように感じている。アメリアの人族嫌いが治ったわけではないだろうし、俺に力を貸すことに抵抗感を覚える可能性はある。

 それでも、この場を乗り越えるにはアメリアの力が必要なのだ。


 だが、俺のそんな思いとは裏腹に、差し出した手はすぐに握り返された。


「今更何を言ってるの! ジークハルト……ジーク、私は貴方を信じてる!」

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