227話 鎖の男1
長く続く石壁の通路に、足音が反響する。
随分長くこの砦を探索しているように思うが、未だに終わりは見えない。今は途中にあった階段を昇り、二階を探索しているところだ。
今まで奴隷狩りの男達と出会っていたのが嘘のように、周囲は静まり返っている。
回廊を走りながら、私はチラリと後方を振り返った。篝火が薄っすらと通路を照らす中、後方の奥の方は既に闇に閉ざされている。
気になるのは、大部屋に残してきたジークハルトの事だ。後ろを振り返ったところでその姿は見えないが、彼は大丈夫なのだろうか。
どうもジークハルトは、あの妙な黒剣を持った男とは顔見知りのようだった。その関係性については気になるところだが、今は少々時間がない。全てが終わった後、空いた時間にでも聞けばよいだろう。
それにしても、と私は先程のやり取りを思い出す。
あの男は確かにそれなりの力があるようだったが、二人掛かりなら打ち倒すことは可能だっただろう。けれど、ジークハルトは私を先に行かせることを選択した。
それはもちろん、一人でも倒せるだけの自信があるからなのだろうが、彼はその事よりも、クリスティーネとシャルロットの身を案じての事だったようだ。
それほど、彼は二人の事を大事にしているということだ。その事が、少し羨ましいと感じる。
もちろん二人だけでなく、フィリーネの事も大切に思っているのだろう。それは、彼女を助け出した時のジークハルトの様子を思えば一目でわかった。
あの時のジークハルトは、その怒りを向けられていない私ですら、少し怖いと感じるほどだった。普段声を荒げることのない彼が、あのように怒気を露わにするとは。それほど、腹に据えかねたということだ。
――もしも。
もしも、奴隷狩り達に捕らえられたのが私だったら、彼は助けに来てくれただろうか。
もしも、奴隷狩り達に襲われていたのが私だったら、彼はあれほど怒ってくれただろうか。
少し考え込み、はっと我に返って首を横に振り、下らない考えを振り払った。気が付けば、前へと進む足も止まってしまっている。こんな事を考えている場合ではない、先を急がなければ。
再び前へと走り出しながら、それでも先程の事を自然と考えてしまう。
ジークハルトであれば。
彼であれば、捕らえられたのが私であっても、きっと助けに来てくれたことだろう。彼は、自分以外の誰かのために、その身を犠牲にして動ける人だ。
そんな彼が、私にクリスティーネとシャルロットを頼むと言ったのだ。その言葉は、私を信頼してのことだろう。私も、彼が勝利することを信じ、先へと急いだ。
彼の信頼に応えるためにも、何としても二人を見つけ出さなければ。
低い体勢で回廊を駆ける体は速度を増し、後には赤い軌跡を残す。昼間の戦闘での疲労も抜けきらず、砦の探索でも疲弊はしているはずだが、不思議と疲れは感じなかった。
彼が「頼む」と言ったから。
だから、私は走り続ける。
そうして幾つ目かの角を曲がったところで、不意に私は足を止めた。先程の黒剣を持っていた男がいたような、広い空間が広がっていたためだ。
部屋の広さは、先程の部屋よりもさらに広いだろう。天井を支える柱が等間隔に並んでいるところも同じだが、重さに耐えられなかったのか、柱の中には半ばから折れているものがあった。
その箇所は天井が崩れ、外の景色が見えるようになっている。崩れた石壁の隙間から、僅かに月明かりが差し込んでいるのが見えた。砦を彷徨っている間に、すっかりと陽が落ちてしまったらしい。
部屋の奥の方は魔術具の明かりが壊れているのか、闇に閉ざされていた。とは言え夜目は効く方だし、私には炎の魔術がある。鞄には携帯用の明かりの魔術具も入っているし、進むのはさほど苦労はしないだろう。
それから私はゆっくりと左右へと視線を向けながら、前方へと足を進めた。見る限り、左右にはクリスティーネとシャルロットは愚か、奴隷狩り達の姿もない。
あるのは石壁ばかりで視界を遮るようなものも石柱以外には存在せず、柱の影になっている場所に隠れているというわけでもないようだ。
そうして数歩歩いたところで私は歩みを止め、自慢の大きな耳を小さく動かした。何か、自分の足音や息遣い以外の音が聞こえた気がしたからだ。
耳を澄ましてみれば、カチャカチャと何か硬質な音が近づいてくるのがわかった。目を凝らしてみれば、暗闇の向こう、何かが蠢いているのが見える。
音が大きくなってきたと思えば、影が膨れ上がった。
魔術具の明かりに照らされたそれは、これまで幾度も目にしてきたあの赤い鎖だ。
それが一本の太い束となり、真っ直ぐに私へと迫っている。
鎖は大きく上へとその背を伸ばし、天井を掠め、その太い腕で私を潰さんと質量を叩きつけてきた。
私はそれを十分に引き付けたうえで、後方へと飛び退って回避する。
石床の上を跳ね、腰のナイフを引き抜いて次の襲撃に備えた。
だが鎖はそれ以上の追撃をせず、再び暗闇の方へと引いていく。
後には大きく抉られた石床が残された。
警戒と共に手中のナイフの感触を確かめる中、今度は前方から足音が近づいてくる。
そうして現れたのは、両腕に赤い鎖を巻き付けた男だ。
左右に赤い鎖の塊を引き連れたまま、私から少し距離を置いて制止した。
「どうやら鼠が……いえ、兎が一匹、迷い込んだようですね。そちらから来るというのであれば、捕まえて商品に加えて差し上げましょう」
「……クリスとシャルを、返してもらうわよ」
ナイフをくるりと手の中で回し、逆手に持ち直す。二人より先にこの男に出会ってしまったが、この男さえ何とか出来れば、奴隷狩り達の脅威は取り除いたも同然だ。
この男を打ち倒し、二人はそれからゆっくりと探せば良い。
決意を漲らせる私の前で、男は徐に両腕を持ち上げた。その動きに合わせるように、男の左右の鎖が鎌首を持ち上げる。
「先の半龍族と精霊族ですか。あれならば既に……いえ、それは今はいいでしょう。それよりも、早めに終わらせましょうか」
男が片腕を振れば、その動きに合わせて鎖の束が勢いよく射出される。
対する私はナイフを握り、立ち向かうように駆け出した。
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