219話 火兎の少女と立て直し
「……ん」
小さな声が耳元から聞こえ、俺はその場で足を止める。そうして横へと顔を向ければ、至近距離にアメリアの顔があった。普段は凛々しい光を宿している瞳も今は固く閉ざされ、年齢相応のあどけない寝顔を晒している。
その唇が小さく震えたと思えば、長い睫毛に彩られた緋色の瞳がゆっくりと露わになる。ぼんやりとした様子のアメリアを待つことしばらく、徐々にその焦点が合い始めた。
「アメリア、気が付いたか?」
「ジークハルト……? えぇ……」
返事は返ってきたものの、未だ意識は半覚醒状態といった様子だ。だが、それも無理のないことである。アメリアがあんな目にあってから、まだそれほどの時間が経過していないのだから。
そうしてアメリアと目を合わせていると、不意にその緋色の瞳が大きく見開かれた。
「えっ、やっ、あのっ?!」
「おっと」
アメリアは何故だか急に顔を紅潮させると、嫌がるように体を捩る。落とすわけにはいかないと、俺は背に乗せた赤毛の少女を背負い直した。
元より、不用意に触れられることを嫌がっていたアメリアだ。こんな風に担いでいれば、目覚めると同時に取り乱すことはわかっていた。だが、それ以外にアメリアを運ぶ方法がなかったのだから仕方がない。
俺はアメリアを宥める様に背中を揺する。
しばらくは動揺していた様子のアメリアも、身を捩ることに少し疲れたのか大人しくなった。
「落ち着いたか、アメリア?」
「え、えぇ、まぁ……」
「それじゃ、降ろすぞ?」
そろそろとその場に膝を折れば、アメリアはしっかりと両の足で地面へと降り立つ。その足取りは確かなもので、少なくともふらつきなどはしていない。
その様子を目に、俺は小さく安堵の息を吐いた。
アメリアは俺から少し身を離すと、片手で反対の手首を抑える。
「体調はどうだ、アメリア?」
「え? え、えぇ、特に悪くはないけれど……」
俺の問いに、アメリアは不思議そうな顔をして答える。質問の意図がわからないと言った表情は、どうやら自身の置かれた状況について、あまりよく理解していないようだ。
もしかすると、余りの衝撃に記憶が飛んでいるのかもしれない。俺は軽く膝を曲げ、アメリアと目線の高さを合わせる。
「気を失う前の事を覚えているか?」
「えっと……そうだわ! 確かあの鎖に打ち上げられて、叩きつけられたんだったかしら? ……その割には、何ともないけれど……」
そう言って、不思議そうに胸や背中を触って見せる。そのあたりは、丁度鎖の束によって強打された部位だ。
だがその体には傷はもちろん、痣一つとして残ってはいない。
「あぁ、治療は済ませておいた」
そう告げながら頷きを一つ返す。
襲撃者二人を見失った俺は、すぐさまアメリアの姿を探したのだ。倒壊した家屋の中、瓦礫の下敷きになるアメリアの姿は、割とすぐに発見できた。
それから邪魔な瓦礫を取り払い、すぐさま治療へと取り掛かったのである。
それと言うのも、見つけ出したアメリアはかなりひどい状態だったのだ。
額からは大量に血を流し、左腕と左足は叩きつけられた時の衝撃が大きかったのだろう、無残にも潰れていた。
アメリアの意識がなかったのは、却ってよかったのかもしれない。これほどの大怪我では、かなりの苦痛を伴っていたはずだ。
少し強めに治癒術を施したため、治療はすぐに終了したが、アメリアは目を覚ます気配がなかった。出来れば自然に目覚めるのを待ちたかったのだが、今は少しでも時間が惜しい。そのため軽く血を拭ってから背に担ぎ、運んでいたというわけだ。
そのことを説明すれば、アメリアは納得したような表情を見せる。
「そうだったの……ありがとう」
そう言って、僅かに表情を緩めて見せた。素直な感謝の言葉と言い、この表情と言い、アメリアから向けられるのは少し感慨深いものがあるな。
アメリア自身も言ってから少し気恥しく感じたのか、少し頬を赤く染めて俺から目線を逸らす。
それからアメリアはふと気が付いた様子で、きょろきょろと周囲に目を向ける。
「他の皆は?」
「……連れていかれた」
「そう……」
俺の言葉に、アメリアが肩を落とす。
「ごめんなさい……私の力が及ばないばかりに……」
「いや、アメリアが悪いわけじゃないさ。それを言えば、俺にもっと力があれば良かったんだからな」
実際、アメリアはただのナイフを武器によくあれだけ戦えたものである。それも、身体能力に優れた火兎族のなせる業だろう。
それでも、あの鎖を操る男には届かなかった。そもそも、あの量の鎖を相手に剣やナイフで立ち向かうのが無謀なのだ。俺のように全属性の魔力を乗せた剣で鎖を切り裂くのでもなければ、攻略は難しいだろう。
あれを相手にするならば、こちらも同等規模の魔術をぶつけるのが手っ取り早いだろう。それも、相手に先手を取られてしまったあの場では難しかった。
それでも、打つ手がないわけではない。次にあの男と対峙した際は、そのあたりを突けば時間はかかるものの、勝利することはできるだろう。
「それで、今はどこに向かっているの?」
「あぁ、一度拠点に戻るところだ。いろいろと荷物があるからな」
そう言いながら、手に持つ背負い袋を軽く持ち上げて見せる。
囚われたクリスティーネ達の分まで鞄があるため、ちょっとした荷物だ。
未だ俺達は森の中、拠点までは道半ばと言ったところである。
「戻るの? 助けには行くのよね?」
「もちろんだ。だが、何があったのかはベティーナ達にも説明しておいた方がいいだろう?」
「……そうね」
拠点で待つベティーナ達には、遅くとも夕暮れ前には戻ると伝えてある。元々、鎖の男達と出会う予定はなく、火兎族の里で必要なものを回収したら、拠点へと戻る予定だったのだ。
このまま男達を探しに行けば、いつ戻れるのかもわからない。いつまでも俺達が戻らなければ、ベティーナ達が不安に思うだろう。
それに、折角集めた物資もあるのだ。出来ることなら、この荷物は早いところ持ち帰っておきたい。
今すぐにでもクリスティーネ達を探しに行きたい気持ちはあるが、諸々の事を考えるとこの判断が妥当なはずだ。
「もちろん、事情を説明して荷物を置いたら、すぐにクリスティーネ達を助けに行くつもりだ」
奴隷狩り達は、捕らえた者を売ることで金銭を得ている集団だ。そのため、すぐに命の危険があるわけではないだろう。
それでも、あの男達の元にいれば、一体何をされるかもわからない。少しでも早く助けに向かわなければ。
だが俺の言葉に、アメリアは少し怪訝そうな表情を見せる。
「すぐに出るの? もちろん急いだほうがいいと思うけど、貴方も少しは休んだ方が……」
「いや、問題はないさ。今はあまり時間をかけたくないんでな」
「どうして? 今からだと、日を跨ぐ可能性もあるんじゃない?」
「あの鎖にも関係することなんだが……時間が惜しいな。ついて来てくれるなら、道中で説明するが――」
「当然、ついて行くに決まっているでしょう? 放っておけるわけないじゃない」
アメリアは両手を腰に当て、少し怒ったように口にする。続けて「まさか置いていくつもり?」と問うアメリアへと、俺は苦笑を返した。
本人は気を失っていてわからなかったのかもしれないが、結構な重傷を負っていたのだ。あれほどの怪我を負えば少しは臆するものなのだが、そんな様子を微塵も感じさせない。
実際、俺一人で向かうよりは、二人で向かう方が成功率は高いのだ。俺にはアメリアの同行を拒否するような理由は何もなかった。
「いや、ついてくれた方が助かるよ。それなら、歩きながら説明しようか」
そうして俺はアメリアを隣に、拠点への道を再び歩み始めた。
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