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217話 火兎族の里と赤い鎖6

「アーちゃん……」


 私は呆然とその名を呟いた。

 またしても鎖に阻まれ、私の手は届かなかった。

 倒壊した家屋、その隙間から僅かにアメリアの赤毛が覗いている。どうやら、アメリアはあの赤い鎖に捕らわれてしまったわけではないらしい。


 だが、その身は僅かにも動きを見せる様子がない。意識を失ってしまったのか、それとも動けないほどの大怪我なのか、それすらもわからない。

 何せ、あれほどの大質量だ。それが中空から叩きつけられたとなれば、その衝撃は計り知れないものだろう。早急な治療が必要だが、鎖の男がいる限りはそれも難しい。


「これで二人。次は貴方達の番だ」


 そう静かに口にすると、男は赤い鎖を巻き付けた両腕を上空へと向ける。

 その動きに合わせたように、無数の鎖の束が空中へと勢いよく舞い上がった。その太さは先程の者よりもずっと細く、一本一本が腕くらいのものである。

 その代わりとでも言うように、襲い来る鎖の束が倍増していた。


 最早、躱すだけでも精一杯だ。

 私とクリスティーネは空を駆け、身を翻し、剣で弾きと鎖を躱す。

 そうして時折、


「『風の刃(ヴィント・クラン)』!」


 鎖の合間を縫い、男へと風の刃を放つ。

 曲芸のように飛び回り、逆さまになった視界の中、風刃が空を切り裂き男へと迫る。だがその不可視の刃も、赤い鎖に容易く防がれる。

 少なくとも、中級魔術でなければ鎖の壁を突破することは不可能だろう。しかし、こうも四方八方から襲われていては、詠唱をする隙すら無い。


 既に、私とクリスティーネ二人での突破は困難だろう。

 後の頼みはジークハルトの助力なのだが、地上へと目線を送ってみても、未だあの黒剣を持つ男を相手に苦戦を強いられているようだ。

 どうもジークハルトの知り合いだったようだが、あの男は何者なのだろうか。少なくとも鎖の男に協力している以上は、奴隷狩り達の仲間なのだろうが。

 どちらにせよ、ジークハルトはあちらにかかりきりのようだ。


「ちょこまかとしぶとい奴らですね……では、これならどうですか?」


 男が小さく言葉を漏らし、その両腕を大きく広げる。すると深紅の鎖もその動きに合わせたように、左右へと大きく広がった。

 さらに男が腕を振れば、鎖が再び宙へと浮かび上がる。だが、今度のそれは今までのような束状のものとは異なった。


 一本一本が独立し、等間隔に無数の隙間を空けるそれは、格子状の壁となった。金属音をたてながら悠々と私達の高度を追い越し、上空から後方へと回り込まれる。

 左右も同様に囲まれてしまえば、私達は鋼鉄の網の中へと取り込まれた形だ。


「むぅ、囲まれた」


「クーちゃん、こっちなの!」


 左右へと顔を巡らせるクリスティーネへと声を掛け、私は右手へと飛翔する。このまま網を狭められてしまえば、二人纏めて捕らえられるのは必至だ。

 そうなる前に、脱出する必要がある。少しでも遅れれば、その分逃走の成功率は低くなることだろう。


 向かう先には、網目となった鎖がある。その隙間は決して大きくはなく、そのまま通り抜けようとしても確実に引っ掛かってしまう。

 だが、通り抜けられないのなら、こじ開けてしまえばいいではないか。


「『双風神剣』!」


 両手の二刀に風を纏わせ、思い切り深紅の鎖へと叩き付ける。鎖が束となっていれば効果は薄かったが、今は一本一本の鎖が網を構成する縄の役割を担っている。鎖は非常に堅く、断ち切ることは叶わないが、その衝撃に大きくその身を歪ませた。

 ただの一振りで、網には大きな穴が空いた。


「クーちゃん、空いたの!」


 私はそのままの勢いで網へと迫る。さすがに両翼を広げたほどの隙間ではないが、翼を畳めば通過は容易だ。網を潜り抜ける瞬間に翼を折りたたみ、弾丸のように通り抜ける。

 それから顎を引けば、視界の端、クリスティーネが私に続く姿が見える。


「逃がしません!」


「きゃっ!」


 後方から聞こえた悲鳴に、私はすぐさま後ろを振り向いた。そうして見えた光景に歯噛みする。

 クリスティーネの片方の足首に、細い鎖が数本絡みついていたのだ。おそらくは、鎖の男が私達を捕らえようと鎖の包囲を狭めたのだろう。何とか体に絡みつく前に抜けられたようだが、最後に足だけが逃れ損なったらしい。


 クリスティーネは抵抗するように大きく銀翼を羽ばたかせるが、緋色の鎖は固く絡みつき半龍の少女の体を逃さない。徐々に少女を手繰り寄せながら、その足へと絡みつく鎖の本数を少しずつ増やし始める。


「クーちゃん!」


 私は片方の剣を腰へと納めると、クリスティーネへと手を伸ばす。そうして応じるように伸ばされたクリスティーネの手をしっかりと握りしめた。

 そのまま白い羽毛が宙へと舞い散る勢いで、思い切り翼をはためかせる。それでもクリスティーネは鎖から抜け出すことが叶わず、その両足を、その胴を、次々と深紅の縛めに覆い尽くされていく。


「フィナちゃん、私はもういいから逃げて――」


「駄目なの!」


 このまま手を離せば私は助かるかもしれないが、クリスティーネは捕らえられてしまう。決して放すまいと強く手を握るが、引き込む鎖の力は強く、徐々に高度が下がっていく。

 やがてクリスティーネの銀翼にまで鎖が絡まり、その動きが止められる。さらに鎖は範囲を広げ、上半身を伝い私と繋いだ腕にまで及んだ。

 鎖が腕を幾重にも捕らえ、引かれる強さが増していく。


「あ――」


 ついには鎖の力に負け、繋いだ手と手が離される。その体の大部分を鎖に捕らえられたクリスティーネは、容易く男の方へと身体を引かれる。

 それでもクリスティーネは最後まで抵抗を続けていた様子だったが、その甲斐もなく、やがては全身を鎖に呑まれてしまった。


「くっ……このぉっ!」


 ついに残ったのは私一人だ。

 右腕へと絡みついた鎖を切り離さんと左の剣を叩き付けるが、鎖は堅く僅かな傷を作るばかりだ。片腕を取られた状態では逃げることも叶わず、瞬く間のうちに残った片腕が、両足が、白翼が、次々と鎖に固められていく。

 身動きを封じられ、空中で磔となった私は最早、鎖に呑み込まれるのを待つばかりだ。


 そうして遥か眼下に最愛の人の姿を認め、


「ジーくん――」


 私の視界が闇に閉ざされた。

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