216話 火兎族の里と赤い鎖5
「シーちゃん!」
「シャルちゃん!」
私とクリスティーネの声とが重なる。
眼下、白い粒子となり消えていく氷の欠片を飲み込み、赤い鎖が小柄な少女へと殺到する。鎖は赤い津波となって氷壁を乗り越え、中心の少女を瞬く間のうちに取り囲んだ。
「ッ――!」
その状況を前に、シャルロットは果敢にも腰の剣を引き抜いた。迫る鎖の波を、剣技と足裁きで凌ぐつもりのようだ。
私の目から見ても、シャルロットは毎日とても頑張っていると思うが、その技量はジークハルトはもちろん、私やクリスティーネにも及んでいない。
その先の展開は火を見るよりも明らかなもので、私はクリスティーネと共に救出に向かうべく、自由落下を越える速度で地上を目指した。
だが、状況は私達を待ってはくれない。
赤銅の鎖は無数の束となり、小柄な少女へと縦横無尽に襲い掛かった。
初撃を剣の刀身で逸らし、右手へと躱す。
次いだ二撃目も直撃を避けたが、手に持つ剣がその小さな手を離れ、赤い波へと呑まれた。
「あ――」
宝石のような瞳が大きく見開かれ、次の瞬間には赤い津波へと覆い隠される。小さな手が何かに縋るように天へと伸ばされ、それもすぐに見えなくなった。
赤い津波は互いに擦れ合いながら後方の氷壁を破壊する。
氷の城すべてが白い粒子となって消えるのに合わせたように、波が引くように赤い鎖が男の元へと返っていく。
そうして赤い津波が去った後、家屋の残骸の上には、小柄な少女の姿はなかった。
「シー、ちゃん……」
私はただ、呆然とその様子を見下ろす。
すべてが終わるまでは、一瞬の出来事だった。
あまりにも呆気のない展開に、酷く現実感がない。
それでも目の前の光景が、肌を撫でる風が、絶えず耳に届く金属音が、私に現実を突きつける。
もっと早くに動けていれば、助けられたかもしれないのに。
中空で静止する私の、中途半端に伸ばされた手が、不意に取られる。
はっと我に返ってみてみれば、瞳に強い光を宿したクリスティーネと目が合った。
「クーちゃ……」
「フィナちゃん、諦めるのはまだ早いよ! あの人を止めれば、シャルちゃんはまだ助けられるんだから!」
そう言って、周囲に蠢く赤い鎖を操る男の方へと目線を向ける。
確かに、クリスティーネの言う通りだ。シャルロットは赤い鎖の波に呑み込まれてしまったが、決して死んでしまったわけではない。
この鎖の男が奴隷狩りなのであれば、殺すのではなく捕えて売ることを目的とするだろう。シャルロットのような可愛らしい少女ともなれば尚更だ。
シャルロットは今、あの蠢く鎖の中のどこかにはいるのだろう。だが、私の剣ではジークハルトのようにあの鎖を切り裂けない以上、そこから助け出すことは困難だ。
だとしたら、あの男自体をどうにかすればよい。
「ん、クーちゃん、ちゃちゃっと助け出すの!」
中空で再び剣を構え、どう攻め込んだものかと考える私の前で、鎖の男はゆったりとした動作で片腕を持ち上げる。
その先にあるのは、ナイフを手に姿勢を低くするアメリアの姿だ。
「まずは一人……次は貴方です」
それには言葉を返さず、ただ瞳を鋭くし、アメリアは静かに地を蹴った。
彼我の距離は見る間に縮まり、その疾走の速度に乗せてナイフが投擲される。銀の線を描きながら飛来するナイフだが、それは容易く鎖の壁に阻まれる。
さらには先程の倍ほどにもなる数の鎖の束が、四方八方からアメリアへと襲い掛かった。シャルロットへの対応が減った分、男には余力が出来たのだろう。
アメリアは身を低くし、襲い掛かる鎖の束を躱していく。その動きは、後ろに目でもついているかのようである。大きな耳が細かく動いている様子を見るに、音も頼りにしているのだろう。
身のこなしは軽く、時には鎖を足場代わりにしながら男へと迫っていく。その動きの速さに、鎖もついてはいけないようだ。
もちろん、私だってただ見ているだけではない。クリスティーネと共に、男の左右上空からしきりに攻勢を試みている。
だが、厚さを増した鎖の壁を前に、先へと進むことが出来ない。どうも男は、私とクリスティーネに対しては防御的に立ち回り、アメリアを相手にすることに集中しているようだ。
やがて、アメリアは男まで五歩余りといった距離まで肉薄した。
その至近距離から、
「ふ――」
再び銀のナイフが投擲される。
ナイフは鎖によって僅かに軌道を変え、それでも男を目掛けて飛翔する。そうして男の頬を掠め、僅かに傷をつけることに成功した。
そこで男は憎々し気に、片足を一歩後ろへと引くと、大きく片腕を下から上へと持ち上げる。
その瞬間、アメリアの目の前に鎖の壁が立ち上がった。それ以上の接近は許さないとばかりに、アメリアを拒絶する。
アメリアは中空で身を翻すと、立ち昇った鎖へと足裏を添える。そうして壁を強く蹴ると、後方へと飛び退る。一度男から距離を取ろうというのだろう。
それを目にした瞬間、鎖の隙間から見える男の口元が弧を描いた。
突如として地を割った深紅の鎖が、後方からアメリアの背を撃ち抜いた。
「か、ふ――」
力の抜けた両腕から、ナイフが零れ落ちる。
それが地面へと落ちるよりも先に、再び前方から鎖の束がアメリアの腹部を打つ。アメリアは声もなく、中空でその身を折った。
鎖にその体を運ばれ、アメリアの体が上昇していく。
地表から遠く離れたところで鎖から放り出され、その体が放物線を描いた。
「アメリアちゃん!」
クリスティーネの悲鳴のような声が響くが、アメリアは答えない。苦しげな表情を浮かべたまま、それでも腰から新たなナイフを抜いて構えた。
その身に、暗い影が差す。
私が両手を広げたほどの大きさにもなる鎖の束が、大きくその身を天へと伸ばしていた。
そのまま鞭のようにしなり、上空のアメリアの姿を真正面から打ち下ろす。
アメリアがそれを受け止めるように、ナイフを構えたのがわかった。
だが、その身は足場の存在しない中空だ。
躱すことも、ましてや受け止めることなど出来得るはずもない。
そのまま鎖の柱は赤毛の少女を巻き込み、地面へと盛大な地響きを立てて倒れ込む。
その途上にあった、半壊した三軒の家屋が完全に破壊され、無数の木片が舞い上がる。
やがてゆっくりと鎖の束が持ち上げられたが、赤毛の少女は再び立ち上がっては来なかった。
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