213話 火兎族の里と赤い鎖2
俺達と男との間を阻むように広がった赤い鎖の波は、建物ほどの高さまで鎌首を持ち上げると速度を増し、俺達へと降り注いできた。
赤い鎖は一本一本が独立して動いているわけではなく、俺の胴と同じくらいの太さの束となっている。必然、それらの間隔には疎と密が出来上がり、俺はその隙間を縫って前方へと駆け出した。
まず初めに、男へと接近しなければ話にならない。遠距離から魔術で攻撃しようにも、赤い鎖が行く手を阻むために射線が通らないのだ。
それでも稀に男への道が開けることもあり、
「『石の槍』!」
その隙を見逃さずに素早く魔術を行使する。
だが、俺から見えているということは、男からも見えているということだ。たちまちのうちに赤い鎖が何重にもなる壁を形成し、硬質な音を立てて魔術を弾いた。
やはり、近付かなければ攻略は難しそうだ。
「えーい!」
「邪魔、なの!」
襲い来る鎖を剣撃で弾いて後退する俺の上空、左右に展開したクリスティーネとフィリーネが、男へ迫らんと背の翼で空を駆ける。だがそれも、束となった鎖が巧みに行く手を遮り、二人を中空で押し止める。
行く手を阻まれた二人は身を翻し、天上からの落下を速度へと変えて赤い壁の突破を図るが、幾重にも折り重なる鎖の障壁は突進の勢いを完全に殺した。
否、それだけには留まらない。
赤い鎖は二人の剣を分厚く受け止めたまま、その足元から細い鎖の束を無数に伸ばした。先程までの束は胴の太さであったが、今二人へと迫る束は腕ほどの纏まりだ。
それらは二人を取り囲むように円を描いて延伸する。まるで二人を捕えんとするように、二重螺旋となった鎖が天へと伸びていった。
いや、まるで、ではないのだろう。
あの男も奴隷狩りの仲間なのだから、二人をただ殺すことより、捕えて売り捌くことを目的としているはずだ。
「これは――」
「クーちゃん、逃げるの!」
中空の二人は泡を食ったように剣を引き、背の翼で力強く空を叩き上空へと逃れる。離脱が早かったために、二人ともどうにか鎖の届かない高度まで逃れられたようだ。
「くっ、近付くことも出来ないなんて――!」
悔しそうに声を漏らしたのは、俺から少し離れた右手にいるアメリアだ。俺とは別角度から男へと近付こうと身を低く立ち回っているが、先程から左右より飛来する赤い鎖に阻まれ、一歩として近付けていない。
その身に迫る鎖は両手に握ったナイフにより辛うじて防がれているが、脚が止まると瞬く間のうちに拘束されてしまいそうだ。このままでは、アメリアが近寄るのは困難だろう。
「『連鎖する強く氷の槍』!」
鈴を転がすような声に一拍遅れ、俺の体を氷弾が追い越していった。後方にいるシャルロットが放った魔術である。
複数の氷塊はその一つ一つが小型の魔物を軽々と屠れるくらいには強靭な力を秘めているが、この赤い鎖を相手には分が悪いようだ。
何れも男へと届く前に赤い鎖が行く手を阻み、その身を強く弾かれながらも氷弾をその場へと叩き落として見せた。
俺達全員を一度に相手をしていながらもこの対応力には舌を巻くばかりだが、これが男一人が操る魔術である以上は、どこかに綻びがあるはずだ。
そこを突ければ、この赤い鎖を攻略することも不可能ではないだろう。
まず試してみたいのが、処理容量の限界だ。
俺達全員を相手に一人で相手取ることが出来ているのは、敵ながら見事なものである。だが、そのためには高い集中力が必要なはずだ。
俺達五人からなる異なる攻撃手段、別角度による攻撃を、一人で捌ききるのにも限界があるだろう。
そう考えるのには、もちろん根拠がある。それは、男が赤い鎖を束にして操っていることだ。
鎖を一本一本操ることが可能なのであれば、別々に動かした方が良い。そうすれば動きはより複雑さを増し、対処はさらに困難となるからだ。
そうしないということは、それは即ち束にしないと扱いきれないためだろう。人間の手の指だって高々十本なのだ。数百にもなる赤い鎖をすべて独立して操ることなど、人間の脳では不可能なはずである。
そこに、付け入る隙がある。
もちろん、やろうと思えば一本一本扱うことも可能だろうから油断するわけにはいかないが、男が赤い鎖を操るのに限界があるのであれば、いくらでもやりようはある。
その事を踏まえて、より俺達が優位に立つためにはどうすればよいだろうか。
簡単だ。
負荷を増やしてやればいい。
俺はアメリアと反対方向へ、男を回り込むように駆け出しながら、牽制のための魔術を放つ。その様子を目にし、男が赤い鎖の向こうで片眉を上げたのがわかった。
俺がアメリアの反対方向へと位置取れば、自然と男が視界に納めなければいけない範囲は広がる。視線を振る範囲が広がれば、それだけ対応にも思考を割く必要がある。
さらに俺は雑念を増やすべく、男へと言葉を投げかける。
「こんな力があるんなら、奴隷狩りなんかじゃなくてもやっていけるんじゃないか?」
この問いは、答えを期待してのものではない。男の思考を、僅かにも鈍らせられないかと考えての問いだ。
だが、
「そうは言いましても、この力は最近得たものでね。単に、商品を手に入れやすくなったというだけの話ですよ」
俺の予想に反して、男からは声が返ってきた。どうやら、まだまだ言葉を交わすだけの余裕があると見える。
その言葉に、逆に考えこむこととなったのは俺の方だ。
今の問いに、わざわざ嘘を返す必要はないだろう。とすると、男が赤い鎖を操る力を得たのは比較的最近と言うことである。
それならば、この力は魔術と言うよりも魔術具由来のものと考えたほうが良さそうだ。そして魔術具由来の力であるならば、媒介が必要となる。それはすぐに見当が付いた。
男の両腕に巻きついた赤い鎖。あれが魔術具の媒介なのだろう。
それならば、あの鎖と男とを引き離すことが出来れば、この赤い鎖を操る力も使えなくなるはずだ。
とは言え、近付かなければそれも叶わず、やることは今までと変わりがないのだが。
牽制の魔術を放ち回り込みながら、さらに俺は言葉を重ねる。
「お前、俺達が近付いてることには気付いていたんだろう? 襲撃をやめたのはどうしてだ?」
クリスティーネとフィリーネ、それにアメリアの両手首には、赤い鎖による刻印が施されているのだ。それを目印として赤い鎖をけしかけてきていたのは、アメリアを川から助け出した直後に襲われたことからも明白である。
それにもかかわらず、襲撃にあったのは後にも先にもあの一度だけだ。火兎族の里へと向かう道中、襲ってこなかったことには何か理由があるのだろうか。
俺の問いかけに、男は「ふむ」と言って一度言葉を切った。そのまま油断なく赤い鎖を操りながら、再度口を開く。
「『遠隔縛鎖』の事ですか。何、簡単なことですよ。あれを力尽くで破れる者に、何度仕掛けたところで魔力の無駄遣いですからね。こちらに近付いてきているのはわかっていましたし、何をせずとも待てばよいでしょう」
左右から同時に迫る鎖を跳躍で躱し、魔術の石弾を打ち込む。
ただの投擲よりも余程速い速度で飛翔する魔術だが、やはり男へは届かず道半ばで叩き落とされる。
それだけには終わらず、右手から鞭のようにしなった鎖の束が横薙ぎに振るわれた。
俺はそれを手に持つ剣で受け止めながら、後方へと飛び退ることで衝撃を和らげた。
「それで、今日出向いて来たってわけか。仲間も連れずに?」
「この魔術は、見ての通りのものでね。部下など、いたところで邪魔になるだけです」
そう言って、男は大袈裟に肩を竦めて見せた。
確かに男の言う通り、他の奴隷狩り達がいたところで役には立たなかっただろう。この鎖の規模では俺達も男に近づけないが、奴隷狩り達だって俺達に近寄ることは困難だっただろう。
それどころか、奴隷狩りの男達を避けるために、鎖の男が注意しなければならなくなるのだ。そうなればさらに鎖の制御が困難となり、攻略は容易となっていただろう。
そのあたりまで考えが回るあたり、この男はやはり油断できない相手だ。
突破口を探すべく、少し距離を空けて剣を構えた。
「さて、おしゃべりはこのぐらいにしましょうか。私にもそこまで余裕があるわけではありませんのでね」
その言葉と共に、赤い鎖が膨れ上がった。
全方位へと射出されるその勢いに、俺もアメリアも堪らず距離を取る。
さらに男が片腕を振れば、広がった鎖が一転へと収束する動きを見せる。
その鎖が向かう先には、水色の髪をした小柄な少女の姿があった。
評価およびブックマークを頂きました。
ありがとうございます。
「面白い!」「続きを読みたい!」など思った方は、是非ともブックマークおよび下の評価を5つ星にしてください。
作者のモチベーションが上がります。




