208話 火兎の少女と洞窟暮らし6
両手を組み、背筋を逸らして思い切り伸びをする。その動きと共に、腕に付着した水が体に沿って流れ落ちる感触がはっきりとわかった。
適切な温度に調整されたお湯は暖かく、冷えた体の芯までをじんわりと温めてくれる。やはり、お風呂と言うのは何度入ってもよいものだ。
私は空を見上げて細く長い息を吐くと、臀部から延びる尾を手元へと手繰り寄せた。夕焼けの光を受け、自慢の銀の鱗が少し赤く輝いて見える。
よし、今日の私の鱗にも傷は一つとして存在していない。いつもと変わらず、完璧だ。
そうして私が自らの尻尾を指先で撫でていると、ふと隣からの視線を感じた。首を傾げて視線を向ければ、どことなく興味深そうな瞳をした。火兎族の女の子の姿があった。
「どうしたの?」
「えっとね、すっごく綺麗だなって!」
「えへへ、ありがとう」
女の子に素直に褒められ、私は自然と笑みを浮かべていた。自慢の尻尾を褒められるのは、いつだって嬉しいことだ。
「ねぇお姉ちゃん、触ってもいい?」
「えっ」
そう言って、やんわりと手を伸ばす女の子に対し、私は思わず自らの尻尾を抱き締めていた。その反応を見てか、女の子がビクリとして伸ばしかけた手を止める。
その様子を目にし、私は少しの罪悪感を覚えたが、それでも尻尾を抱く腕を解くことはなかった。
「ごめんね、尻尾を触られるのは、ちょっと……」
半龍族の、特に女性にとって、己の尻尾と言うのは大切な部位である。男性の中には振り回して攻撃に使用するような者もいるのだが、基本的には他人に触らせるようなものではないのだ。
尻尾を触らせても構わないのはそれこそ、生涯の伴侶くらいなものである。
「なんだ、触っちゃいけないのか?」
その言葉と共に浴槽の縁を乗り越えて、ザバザバとお湯を掻き分けてこちらへと向かってくるのはベティーナだ。どうやら、体を洗い終わったらしい。
「尻尾を触らせてくれるなら、あたしの耳を触ってもいいぞ!」
そう言って、自らの片耳をちょいちょい、と触って見せる。
その言葉に、少し私の心が揺れる。今は水気を帯びてしっとりぺたんとしているが、火兎族の耳の触り心地と言うのは以前から気になっていたのだ。
アメリアとは旅を通して結構打ち解けることが出来たものの、あまり人に体を触られるのが好きではないようで、耳に触れさせてくれとは頼めていない。出来ることなら、あの素敵な耳を触らせてはもらえないだろうかと、前々から思っていたのだ。
それでも、代わりとして尻尾に触れられるのはやはり抵抗がある。何か方法はないだろうかと思案して、視界の端に銀の輝きが映った。私の背から大きく広がる、これまた自慢の銀鱗の翼だ。
そうだった、私にはもう一つ、特徴としてこれがあったのだった。翼であれば、他者に触られたところで何とも思わない。
私は軽く身を捩り、片翼をベティーナの方へと差し出した。
「ねぇねぇ、尻尾はダメだけど、翼ならいいよ」
「おっ、本当か?」
ベティーナの顔がぱっと華やぐ。それから、にんまりという言葉が似合う口元へと変化させる。
「それじゃ、遠慮なく」
そう言うと、ベティーナは両手を怪し気に動かしながら私の翼へと伸ばしてきた。その姿に、私は内心では若干の不安を覚えたものの、大人しく触られるがままとなる。アメリアの友達なら、悪いようにはしないだろう。
そうしてベティーナの指先が私の翼へと触れた。私へと振れる指の動きは先程の動きに反して優しげなもので、私への配慮が感じられる。その隣、女の子も少し遠慮がちに私の翼に触れていた。
二人に翼の表面を撫でられ、少しむず痒く感じる。決して嫌と言うわけではないが、鳥肌が立つと言うか、鱗が逆立つというか、そんな感じだ。
やがて、ひとしきり触れて満足したのか、大きく息を吐きながらベティーナが私の翼から手を離した。
「いやぁ、結構つるつるしてるんだな。てっきり、ざらついてるもんかと思ったんだが」
「ざらざらしてたら、綺麗に光らないんだもん」
これでも、結構身だしなみには気を付けているのだ。鱗の輝きが鈍ってしまわないよう、手入れは毎日念入りに行っている。とはいえ、翼の付け根あたりにはなかなか手が届かないのだが。
「そうだ、耳を触るんだっけ?」
そう言って、ベティーナが横顔を見せる。手を伸ばせば、その側頭部へと簡単に手が届く距離だ。
だが、それを目にした私はう~んと小さく唸り声をあげた。
「触らせてもらうのは、お風呂から上がった後でもいい?」
「ん? 別に構わないけど」
私の言葉に、ベティーナは軽く首を傾げて見せる。
だって、折角ならふかふかの毛並みを堪能したいではないか。今の水気を含んだ状態では、きっと手触りだって気持ちよさは半減しているだろう。
ふと視線を感じて目を向ければ、フィリーネがその眠たげな赤の瞳に、少し羨まし気な色を混ぜてこちらへと視線を向けていた。
「フィナちゃん、どうかした?」
「むぅ、フィーも触らせてほしいの。代わりに、お風呂を上がってからフィーの羽も触っていいの」
「あぁ、構わないぜ! そっちの羽にも興味あったんだよな!」
フィリーネの言葉に、ベティーナは快諾して笑顔を見せた。
実際、フィリーネの翼は私の目から見ても実に見事なものである。何度か触らせてもらったことはあるが、ふかふかでとても暖かかった。
見た目の輝きはともかく、手触りと暖かさではフィリーネの翼に負けているだろう。ジークハルトだって、フィリーネに抱き着かれた際はちょっと困った顔をしているが、その翼に包まれるときは満更でもなさそうな顔をしている。
正直に言うと、ちょっと悔しい。
そんなフィリーネの翼だが、今は魔術によって隠され、人族と見分けがつかなくなっている。それと言うのも、私の鱗は簡単に剥がれるようなことはないが、フィリーネの羽はしばしば抜け落ちることがあるからだ。
抜け羽が湯殿に浮かんでは、見た目的にもよくないし掃除も大変だ。そのため、フィリーネは湯につかる際は基本、翼を出すことはない。
「ところでぇ、クリスちゃんとフィナちゃんに聞いておきたいんだけどぉ」
そう言葉を発したのは浴槽の外、未だ洗い場にいるロジーナだ。今は、最も年少の女の子の髪を洗ってあげている。
ロジーナはその手を止めないまま、こちらへと言葉だけを投げかけてきた。
「二人はぁ、ジークハルトさんと恋仲なのぉ?」
「あっ、それ、あたしも聞きたかったんだよ!」
ロジーナの言葉に乗っかり、ベティーナが期待に満ちた瞳を私達へと向けてくる。
私は思わず、フィリーネと顔を見合わせた。
「えっと……そういうわけじゃないけど」
「フィーは散々アピールしてるのに、ジーくんが振り向いてくれないの」
確かに、フィリーネはよくジークハルトに抱き着いている。まぁ、それについては私も人のことは言えないのだが。
その度、ジークハルトには軽くあしらわれているのだ。もっとも、そのフィリーネにしてもからかいが多分に含まれているように見え、どこまで本気なのかわからない。
「ふ~ん……でも、フィナは見てればわかるけど、クリスだってジークハルトのことは好きなんだろう?」
「それは、そうだけど……」
「恋仲になりたいとか思わないのか?」
「う~ん……?」
正直に言うと、よくわからない。
ジークハルトの事は、もちろん好きだ。だが、それが恋心かと問われるとどうなのだろうか。
そもそも、恋というのは何なのだろうか。恋仲になると、今と何が変わるのだろうか。
今だって十分に楽しいし幸せなのだし、別に今のままの関係性でも構わないだろう。
「ふ~ん、そんなもんか……ちなみに、シャルは? ジークハルトの事、どう思ってるんだ?」
「えっ?」
突然話を向けられたことで、動揺したようにシャルロットが小柄な体を震わせる。
それから私、次いでフィリーネへとチラリと視線を向け、次いで少し赤くなった顔を俯かせて、胸に輝く精霊石の前で両手を合わせた。
「その……お慕い、してます……」
絞り出したような小さな声だった。何故だかシャルロットは少し恥ずかしそうな様子だが、シャルロットがジークハルトの事を慕っていることは周知の事実だ。恥ずかしがることなどないだろうと、私は不思議に思い軽く首を傾げた。
それを聞き、ベティーナは少し面白くなさそうに息を吐く。
「まったく、若い男女が一緒にいて、浮いた話の一つもないのかい」
「そう言うベティーだってぇ、男の人と付き合ったことなんてないでしょぉ?」
「うるせぇっ! それはロジーだって一緒だろ!」
キリリと眉根を吊り上げるベティーナに対し、ロジーナはクスクスと笑い声を漏らす。その遠慮のない会話から、二人の仲の良さが窺えた。
まったく、と腕を組んだベティーナは、何故だかニヤリとした笑みを浮かべてアメリアへと横目を向けた。
「でも、良かったじゃないか、アミー。どうやら、まだ割って入れる余地はありそうだぞ?」
「……何の話?」
「またまた、わかってるんだろう? あたし達は応援してるから、頑張ってくれよ!」
アメリアがじろりとベティーナへ鋭い視線を向けるが、ベティーナはそれを気にした様子もなくカラカラと笑って見せている。
二人の会話の内容がよくわからない私は、ただ小さく首を捻っていた。
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