203話 火兎の少女と洞窟暮らし1
森の木々を掻き分けて進む俺達の前方に、銅色の壁が現れる。火兎族の隠れ里へと向かう際にも通過した洞窟のある山、その崖状となった一角である。
ひとまずここまでは無事に来られたかと、俺は小さく息を吐いた。子供達を連れて森の中を歩くことには少々の危機感を抱いていたのだが、何とか魔物達に気付かれることなく辿り着くことが出来た。
目の前の壁を見上げて胸を撫で下ろしていると、不意に後ろから小さく服が引かれる感触を覚えた。
振り返ってみれば、アメリアが鋭い視線で俺の事を見上げている。その表情は、少し怒っているようにも見えた。
「ちょっと、ジークハルト」
口元に片手を添え、小さな声で呼びかける。チラチラと後ろへ視線を向けている様子から、子供達の事を気にしているのだろう。
俺は軽く膝を曲げ、アメリアと目線の高さを合わせた。
「どうした、アメリア?」
「どうした、じゃないでしょう。まさか、このまま町に戻るつもり?」
事前にシュネーベルクの町へと戻るわけではないと伝えてはいたのだが、今朝の道程を遡っているために疑問を抱いたのだろう。
俺は安心させようとアメリアの頭に片手を乗せようとして、アメリアがピクリと反応したところで動きを止めた。そうだった、アメリアに対して不用意な接触は御法度だった。
俺は半ばまで上げた手を誤魔化すように自身の頭の後ろに回し、崖の方へと振り返った。
「いや、戻るのはここまでだ。しばらくは、ここを拠点にしようと思う」
「ふぅん……ちなみに、ここを拠点にする理由は?」
俺の言葉に、アメリアの目線が少し和らいだ。そうして問いかける内容は、この崖際を拠点とする根拠だ。
適当に野宿をするのであれば、森のど真ん中でも構わないように思えてくる。だがもちろん、俺がここを選んだのにはそれなりの理由がある。
「いくつかあるんだが、まず、火兎族の里から少し離れていることだな。ここまで来れば、手掛かりもなしに奴隷狩り達がここに辿り着くことはないだろう」
俺の説明に、アメリアが小さく顎を引いて見せる。
距離的にはそこまで離れているわけではないが、広大な森の中、火兎族の里からここまで痕跡を辿ることなく俺達を探し出すことは、実質不可能だろうと思う。
もちろん可能性はゼロと言うわけではないが、あのまま火兎族の里に留まることと比べれば、安全性は段違いだろう。
「と言うか、子供達の体力を考えたら、このくらいしか離れられないって言うのが本音だ」
「……そうね」
俺が小さく付け加えた言葉に、アメリアがチラリと後方へと目を向ける。その目線の先には、少し息を乱した子供達の姿があった。
いくら身体能力に優れた獣人族の一種とは言え、彼らはまだまだ子供だ。まだ体だって出来上がってはいないだろうし、不慣れな森の中を長距離の移動は出来ないだろう。
俺達で一人ずつ背負っていくというのも考えたが、魔物の潜む森の中、動きを阻害するのは却って危険だろう。
それに、火兎族の里から離れすぎると、奴隷狩り達のことを探ることも難しくなるという事情もある。あの場からの距離としては、ここくらいが適切だろうと思えた。
「それから、寝泊まりする場所なんだが、俺が土魔術でこの崖に洞窟を作ろうと思ってるんだ。それなら雨風も凌げるし、何よりも森の真ん中に建物を建てるよりはずっと目立たない。火を使って多少煙が出たところで、山に隠れて見えないしな」
一日程度の野宿であれば森のど真ん中で寝るという方法もとれるのだが、俺達はこれから先、奴隷狩りの件が解決するまではここに留まるのである。
元々はクリスティーネとフィリーネに施された赤い鎖を何とかするために来たのだが、今の状況を見ると例えその件が解決しても、火兎族達を放っておくわけにはいかないのだ。
そうなると、ある程度長期間過ごせるだけの拠点があった方が良いだろう。これから先、どのくらいの日数がかかるかわからないのだ。安全に寝食が出来るだけのスペースは、最低限必要である。
「あとは、最悪の事態を想定して、シュネーベルクの町へと逃げられるようにはしておきたかったんだよな」
万が一ここが奴隷狩り達に知られてしまったとしても、洞窟を抜ければシュネーベルクの町まではそう遠くない。本当に危険になった時は、俺達が奴隷狩り達を引き付けている間に、ベティーナ達に子供達を連れて町へと逃げてもらうことが出来る。
そう言う理由で、シュネーベルクの町と火兎族の隠れ里の途上であるここを拠点に選んだのだ。そもそも、この辺りの地形は実際に通ったところくらいしか把握していないという理由もあるのだが。
「と、理由としてはそんなところだ。納得したか?」
「えぇ、色々と考えているのね。そう言う事なら、私からは異論はないわ」
俺の説明に、アメリアも納得してくれたらしい。俺へと向ける目線も、先程の鋭いものからいつもの眼差しへと戻っている。出会った当初よりは、いくらか暖かさの増えた瞳だ。
そんな風にアメリアと向かい合っていると、隣からひょっこりとクリスティーネが顔を覗かせた。銀色の長い髪が、微風に吹かれてキラキラと輝く。
「それでジーク、何から始めたらいいかな?」
「そうだな……」
俺は一度言葉を切り、目の前に聳え立つ崖へと目線を向ける。今から、ここに土魔術で寝泊まりできるだけの大穴を空けるわけだ。
土魔術を使えるのは俺だけなので、一人での作業となる。その間、クリスティーネ達には何をして貰うのがいいだろうか。
穴の前にもある程度のスペースは欲しいところだ。だが幸いにも、崖の前は木々が生えておらず開けている。
多少均すなどの整備は必要であろうが、その辺りも俺の土魔術の役目だろうな。
それまで休んでいてもらおうかと思っていると、不意にぐぅという音が鳴った。反射的に、クリスティーネが両手でお腹を押さえる。
そうして俺へと上目遣いを見せ、照れたように笑って見せた。
「えへへ、お腹空いちゃった」
「そう言えば、昼がまだだったな」
火兎族の里へ辿り着いてから色々とあったため、すっかり昼食を取ることを忘れていた。言われてみれば、俺も随分と腹が減っていた。ここらで遅めの昼食を取るのが良いだろう。
「それならクリス、皆で昼食を作ってくれるか? その間、俺が寝床を作るから」
「わかった、任せてよ!」
胸を叩き、クリスティーネが笑顔で請け負ってくれる。
あまり彼女達に料理を任せたことはないが、皆で作れば妙なものはできないだろう。
そうして俺はその場から離れ、一人崖の方へと向かうのだった。
評価およびブックマークを頂きました。
ありがとうございます。
「面白い!」「続きを読みたい!」など思った方は、是非ともブックマークおよび下の評価を5つ星にしてください。
作者のモチベーションが上がります。




