20話 半龍族の兄妹2
俺達の前に突如として現れたのは、一人の男だった。見た限りでは俺より少しばかり年上のようだ。俺よりも拳二つ分ほど背が高く体格も良く、全体的に筋肉質で引き締まって見える。金の双眸が射貫くように俺達のことを見つめていた。
そして何よりも俺の目を引くのは、男の持つ翼と尻尾だった。銀色に輝くそれらは、隣に立つクリスティーネと同じく半龍族の特徴である。それだけで二人が知り合いなどと断定することはできないだろうが、同族であることは疑いようもない事実だろう。
男の出方が分からず、俺はその場で身構えたまま動けない。この場に下りてきたということは、俺達に何か用があるということだろうか。しかし、少なくとも俺自身には心当たりがない。あるとすれば、クリスティーネの関係者だろうかと推測することくらいだ。
横目でクリスティーネの様子を窺えば、何やら驚いているのか目を大きく見開いている。その様子では、少なくとも心当たりがあると見ていいのだろうか。
「お兄ちゃん!」
その言葉と同時にクリスティーネは降り立った男へと駆けだし、その全身で飛びついた。飛びつかれた方の男はその場でふらつくこともなく、クリスティーネの体を受け止めて見せる。
なるほど、クリスティーネの兄だったか。クリスティーネとは家族に関して話したことはなく、兄がいたとしても不思議ではない。改めて見てみれば男の銀の髪も金の目も、そして顔立ちもどことなくクリスティーネに似ているところはあった。
それなら警戒する必要もないだろうと、俺は剣を収めた。男の視線の厳しさは少々気になるものの、クリスティーネの反応を見るに仲が悪いわけではなさそうだ。とりあえず、しばらく様子を見ておこう。
「お兄ちゃん、どうしてここにいるの?」
「お前を探しに来たんだ、クリス」
クリスティーネが声に喜色を滲ませているのに対し、男は少し苛立ったように低い声で告げた。
「そうなの?」
「いきなり里を飛び出しただろう? 無事なようで何よりだが……」
男の言葉に、以前クリスティーネと交わした会話を思い出す。そう言えば、クリスティーネは変化のない日常に飽きて里を飛び出したと言っていた。それを聞けば家族の了承を取っていたとは思えず、残された方が心配するのは道理だろう。
それにしても、里の外へ妹を探しに出た上に、見つけ出すとはすごいものだ。クリスティーネが里を出てからそれほどの日数が経ってるわけでもないだろうに、よく見つけられたものだ。
「私はこの通り元気だよ! 今はね、冒険者をやってるんだ! 紹介するね、同じ冒険者でパーティを組んでるジークだよ!」
クリスティーネに紹介されたため、二人へと少し歩み寄る。相手がクリスティーネの兄ならば、出来るだけ好印象を抱いてもらう方が良いだろう。表情筋を意識的に動かし、少し笑顔を作って見せる。
「冒険者のジークハルトだ。クリスとは少し前からパーティを組んでいる」
「ジーク、こっちは私のお兄ちゃんだよ!」
「クリスの兄のヴィクトールだ。今まで妹が世話になったな」
「うん?」
クリスティーネの兄、ヴィクトールの発言に頭を捻る。妹を世話した相手を労う言葉ではあるものの、どうして過去形なのだろうか。それではまるで、クリスティーネが俺と別れることになるようではないか。
俺の疑問を他所に、ヴィクトールはまるで俺から興味を失ったかのように視線を外すと、クリスティーネへと向き直った。
「それじゃクリス、里に帰るぞ」
「もう帰っちゃうの? すぐそこに街があるから、一緒にご飯でも食べようよ!」
「何を言っている。お前も一緒に帰るんだ」
「えっ?」
どうやら予想が当たったようだ。ヴィクトールはこのまま、クリスティーネを半龍族の里へと連れ帰るつもりらしい。そのためにクリスティーネを探していたのだろう。
しかし、当のクリスティーネはと言うとまだよく理解していないらしい。小首を少し傾げつつ、不思議そうな顔をしてヴィクトールを見返していた。
「私、まだ帰らないよ? 冒険者として、世界を見て回るんだから!」
「危険だ、許可できない。お前は里にいるのが一番幸せなんだ」
ヴィクトールはそう言って、クリスティーネの腕を掴み引き寄せる。クリスティーネは若干体勢を崩し、その場でたたらを踏んだ。
実際、ヴィクトールの言葉には一理がある。少なくとも、俺がクリスティーネと出会った直後であれば同じように思っただろう。クリスティーネのような少女であれば、冒険者などにはならず、普通に暮らした方が幸せになると考えたはずだ。
しかし、クリスティーネと共に冒険者としてしばらく活動した今となっては、そんな風には考えられない。クリスティーネは十分に冒険者とやっていける素質があるし、本人もそれを望んでいる。
何を幸せに感じるかは本人次第だろう。少なくとも、一流の冒険者を目指して村を飛び出した俺自身はそう考えている。俺としては、クリスティーネの考えを尊重するつもりだ。
「なぁクリスのお兄さん、クリスはこれで結構実力もあるほうだ。冒険者としても十分にやっていけると思うんだが――」
「今は家族の話をしているんだ、邪魔をしないで貰おうか」
取りなすように話しかけたものの、それを言われると、俺としては口を噤む他にない。俺とクリスティーネは確かにパーティを組んでいるものの、ただの冒険者仲間でしかない。実の兄との繋がりとは比較にもならないだろう。
どう行動するべきかと迷う俺の前で、なおも二人は口論を続けている。クリスティーネは握られた腕を振り払うように暴れ、ヴィクトールはそれを抑えるように力を込めている。
「手を放してよ、お兄ちゃん! 私はジークと冒険者を続けるの!」
「その人族がそんなに大事か?」
「大事っていうか、なんていうか……とにかく、私は冒険者を辞めるつもりはないの!」
「その人族に何を言われたのか知らないが、冒険者など認められない。しかし……」
ヴィクトールは一度言葉を止め、再び俺へと視線を向けた。それから少しの間、何事かを考えていたようだが、しばらくして再び口を開いた。
「そちらの人族に別れを告げる時間は必要か……いいだろう、クリス、一晩時間をやる。別れを済ませて明日の朝、再びこの場に来るように」
「お兄ちゃん、待っ――」
クリスティーネの制止も意に介さず、ヴィクトールはその背の翼で大きく羽ばたくと勢いよく空へと舞い上がる。そうして、風属性の魔術でも使っているのかものすごい速度でやって来た方向へと飛び去ってしまった。
残された俺達は、ただその背を見送るばかりだ。それにしても、随分と一方的だったな。言うだけ言って去ってしまうとは。まだクリスティーネは返事もしていないというのに。
「行ってしまったな」
「う~、もう、お兄ちゃんのばか!」
クリスティーネが大声で空へと叫ぶが、当然ヴィクトールに届くことはない。その姿は空の向こうに消え、すでに影も形もなかった。
「クリス、とりあえず街に戻らないか? 少し休んで、これからのことは落ち着いて考えよう」
「うぅ、そうだね……」
目に見えて落ち込んだ様子のクリスティーネの背を軽く押し、街へと促す。
宿などでゆっくりとしたいところではあるが、ヴィクトールは明日の朝にまた来ると言っていた。あまり時間はないだろう。
クリスティーネの話を聞いてあげること以外に、俺に何かしてやれることはあるだろうか。街の入口が見えてくるころになっても、良い考えは浮かんではこなかった。




