197話 火兎の少女と隠れ里2
黒に染まった外界の景色を見下ろしながら、私は小さく溜息を吐く。その吐息に揺られたわけではないだろうが、闇を照らす眼下の明かりが小さく震えた。ガラス一枚隔てた向こうの世界は、私を取り巻く周囲の空気より少し肌寒いことだろう。
その様子から目を放し、私は首を動かして後方へと目を向けた。そちらでは、シャルロットを始めとした少女達が仲良く談笑に興じている。
これまでであれば、私も少女達に交じってその話に耳を傾けていただろうが、今宵はどうにもそんな気分にはなれなかった。それと言うのも、久方振りにこの町へと戻ってきたからだ。
明日には、火兎族の隠れ里へと辿り着くことだろう。ここまで戻ってくるのに、随分と日数を要してしまった。
私が最後に見た里の光景は、奴隷狩り達に襲われる同族達の姿だった。
それから私自身奴らに捕らえられ、奴隷狩り達の拠点を抜け出してから今に至るまで、里へは戻っていない。
今頃、里はどうなっているだろうか。
誰かいるだろうか。
案外、すべてが解決していて、私の帰りを待ってくれているのではないだろうか。
そんな楽観的な考えが頭に浮かぶが、即座に否定する。
我々火兎族は外部との交流は少ない。私達が奴隷狩りに捕らえられたことを知る者など一族以外にいないだろうし、仮に知ったところで私達を助けるために動いてくれるものなど皆無だ。
奴らに捕らえられた火兎族の仲間達は、未だ牢の中か、既に商品として売られてしまったか、そのどちらかだろう。せめて、里に生き残りでもいれば良いのだが。
そんなことを考えながら外界を睨んでみるが、当然のことながら私に千里眼など備わっておらず、闇夜を見通すことなどできはしない。ただ、星明りがぼんやりと裏通りを照らしていた。
「考え事か、アメリア?」
不意に投げかけられた声に心臓が跳ね上がる。
そのことを悟られないよう、ゆっくりと振り返れば、そこには思った通りの姿があった。この旅の同行者の一人である人族の男、ジークハルトである。
ジークハルトは座った私の目線の高さに合わせるよう、少し腰を屈めていた。
思わぬ顔の近さに、また心臓が一つ音を立てた。
「……ジークハルト」
「悪い、驚かせたか?」
「……別に」
苦笑するジークハルトに対し、私は目を逸らした。近頃、ジークハルトと向かい合っていると、少し落ち着かない気分になってくるのだ。何故だろうか、少し前ならこんな思いはしていなかったのだが。
そんな私には気づいた様子もなく、ジークハルトは言葉を続ける。
「火兎族の里の事を考えていたのか?」
「えぇ、そうよ」
そう言って再び窓の外へと視線を向ければ、ジークハルトも釣られたように目を向けた。
それからしばらくの間、互いに無言となる。その間、頭に思い浮かぶのは里の現状だ。
既にそこまでの距離ではなく、明日には帰り着く。早く確かめたいような、確かめるのが怖いような、もどかしい気持ちに思わず溜息が漏れる。
そんな私の様子をどう受け取ったのか、不意に頭の上に暖かな感触が置かれた。ピクリと体を震わせ振り返ってみれば、柔らかな微笑みを浮かべたジークハルトと目が合った。
「そんなに心配そうな顔をするな。きっと何とかなる。いや、何とかして見せる」
その言葉は優しげなものであったが、不思議と力強さを感じさせるものだった。この男の声を聴くだけで、不思議と気持ちが落ち着くような気がするのだ。
思わず、私は目を細めてジークハルトの顔をまじまじと見る。
本当に、どうしてこの男は人族なのだろうか。人族にしておくには少々、いや、かなり惜しい男である。
この男が人族でさえなければ、私だってもう少し素直というか、それなりの対応が出来たというのに。
「あまり思いつめるなよ。明日も早いんだ、そろそろ寝たほうがいいんじゃないか?」
「わかってるわ」
確かに、明日は夜明けと共に行動を開始するのだ。それを踏まえると、いつもより少し早めに床に就くのが良いだろう。
そんなことを考える間にも、ジークハルトの手が私の頭を優し気に撫でていた。その仕草は暖かく、何故だろうか、それだけで心が軽くなっていくような気がした。
そうしているとジークハルトの手が私の耳に触れ、思わず私は大きく耳を上下に動かす。火兎族の耳は、体の中でも敏感な部位なのだ。
しかし、こんな風に他人に頭を撫でられるのはいつぶりだろうか。
そんなことを考えたところで、私はふと気が付いた。
何故、私はこの男に大人しく頭を撫でられているのだろうか。
「なっ、なにしてるのっ!」
私はジークハルトの手を振りほどくと、男から小さく距離を取る。
そうして己の身を守るかのように自らの体を掻き抱いた。
「き、気安く触らないでよっ!」
私にとって人族とは、今も昔も変わらず憎むべき存在だ。決して心を許せるような相手ではなく、常に警戒するべき存在なのである。
そのはずだったのに。
それなのに、随分と長い間、私に触れることを許してしまった。それどころか、人族に撫でられる手の感触を、心地よいと感じてしまうなんて、あってはならないことだ。
それは、確かに、ジークハルトは他の人族とは違う、かもしれない。
私やシャルロット達、異種族に対しても決して辛辣な態度を取るようなことはなく、終始親密な態度を取ってくれている。それどころか、私達の身に危険が迫った時は、自身の身の危険を省みずに助けに駆け寄るような人である。
そう言う部分を見ていれば、正直に言うと素直に好感が持てると言っていい。
心強い、頼りになる存在だとも思う。
けれど、駄目なのだ。
この男が人族である以上、私はジークハルトとこれ以上、距離を縮めるわけにはいかない。
この男に命を助けてもらったこともあるが、それはあくまで貸し借りと言う間柄で済ませておかなければならないのだ。
「悪い悪い。つい癖でな」
そう言って、ジークハルトは頬を掻きながら苦笑を返してくる。その顔は、あまり悪びれているようには見えない。
癖と言うのは、嘘ではないのだろう。シャルロットを始めとした、少女達の頭をジークハルトが撫でている光景は、宿を始めとしてしばしば目にする光景だ。
だが、それを私にも適用されると困るのだ。
「……私は、人族は嫌いよ」
「わかってる」
「貴方……ジークハルトの事も、き……好きじゃないわ」
「それも、わかってるさ」
そう言って、ジークハルトは少し寂し気な微笑みを浮かべた。その表情を見ていると、何故だか胸の奥がチクリと痛むような気がした。
それからジークハルトはシャルロット達の方へと戻っていく。その姿を見送り、私は再び窓の外へと視線を向けた。
星の瞬きを見上げながら、私は自らの頭にそっと軽く振れる。そうして、先程撫でられた時の感触を思い出した。
確かにジークハルトは人族なのだが、彼に頭を撫でられるのは、決して悪い気分ではなかった。
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