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192話 火兎の少女の胸中

 私は誰にも気づかれないよう、小さく溜息を吐いた。

 そうして、そっと左手の様子を窺い見る。


 そこには、一人の人族の男がいた。名をジークハルトと言うその男は、今はシャルロットと言う氷精族の少女へと剣の指導をしていた。

 男の表情には真剣さの中に少女への気遣いが見え、指導を受ける少女の方も男への全幅の信頼が見える。少なくとも、二人の間には確かな絆があるのがわかった。


 それを羨ましいとは思わない。

 シャルロットやクリスティーネ、フィリーネといった人族以外の種族はともかく、私にとって人族とは慣れ合うような相手ではないのだ。


 確かに、このジークハルトと言う男は、悪い人ではないのだろう。

 それは、これまでの旅路での様子を見ていればわかる。シャルロット達への接し方は優しく暖かなもので、それに対するシャルロット達も実に楽しそうだった。


 ――けれど。


 そんな皆のやり取りを見ても、私の中の疑心は晴れなかった。


 人族と言うのは傲慢で、身勝手で、嘘つきで。

 私達火兎族を捕まえて、殺して、追いやって。


 ずっとそうやって教えられて生きてきた。

 それだけでなく、実際に体験までした。


 今更、人族の事を信じることはできない。

 せめて、利用されるのではなく、利用する方に回ろうと、そう思っていた。


 ――そう思っていたのに。


 目を閉じ、昨日の事を思い出す。

 オーガ達が、この町へと攻め込んできた。


 元々、気乗りはしなかった。

 何故、私がこんな町を救うことに手を貸す必要があるのかと、自分自身に何度も問いかけた。


 けれど、シャルロット達がオーガと戦うと言うから。

 それなら、彼女達を巻き込んだ私が、戦いから逃げるのは卑怯なことだと、そう思ったから。


 そうして始まった戦闘は、なかなかに苛烈なものだった。

 私はあまり魔術は得意な方ではなかったが、一応私の操る炎の魔術はオーガ達へといくらかの打撃を与えることには成功していたようだ。

 だが、それ以上にシャルロット達だ。彼女達の操る魔術は強力の一言で、次々とオーガ達を屠っていった。


 そして、ジークハルト。

 剣技だけでも私を上回るこの男は、魔術を取っても一流らしい。魔術を得意とする氷精族であるシャルロットと同等、いや、それ以上の魔術を操って見せた。

 なるほど、以前私と模擬戦をした際、魔術ありならより差が開くと言っていたが、その言葉に嘘はなかったらしい。


 オーガ達との戦闘は優位に展開していたが、突如として不測の事態が発生した。私の身へと、上方からの荷重がかかったのだ。ジークハルトによると、それは重力の魔術らしい。

 その魔術により、クリスティーネとフィリーネが中空から地面へと叩き落とされた。二人とも落下の衝撃で意識がないのか、横たわったまま身じろぎ一つ見せない。


 私は一瞬、判断に迷った。救出に向かうべきか、自らの身の安全と天秤にかけたのだ。

 だが、ジークハルトは違った。

 何の躊躇もなく防壁から飛び降りると、重力の魔術など意にも介さず二人の元へと駆け寄っていった。


 私は内心、自分の身を優先した己を恥じながら、その後を追った。

 そうしてフィリーネを肩に担ぐと、町の方へと引き返す。その私の背を護るようにジークハルトが追ってくる。

 それを心強いと、私の心は確かに感じていた。


 それから二人を救護に預け、私はジークハルトと共に再び前線へと戻った。

 重力の魔術を操るオーガをジークハルトが仕留め、オーガの残党達を接近戦で打ち倒していく。

 そんな時に、左翼側の防壁を突破されたという報告が来た。


 ジークハルトは一人で救援に向かうという。それを聞いて、シャルロットが少し心配そうな顔をしていた。

 仕方がない、私も共に向かおう。この男の事はどうでも良いが、この男に何かあれば、シャルロット達が悲しむだろう。


 そうして向かった左翼側は、既に町の外壁が破壊されオーガ達が侵入した後だった。

 私はジークハルトと共に、町中へと侵入したオーガの討伐に向かった。


 町中は既に避難命令が行き届いているようで、オーガに襲われる人族は見かけなかった。

 だが、町中のオーガを討伐している最中、彼方から悲鳴が聞こえた。どうやら人族の住むところまで、オーガの手が届いたらしい。


 そして、私はその声に気を取られていたのだろう。

 背後に迫ったオーガに、全く気が付いていなかった。


「アメリア!」


 ジークハルトの声に振り返れば、既にオーガはその剛腕を振り上げていた。

 その様子を目に、私の体は一瞬動きを止めた。

 身が竦み、息が詰まる。

 一瞬の後には、オーガの拳が私の頭を捉えるだろう。


 だが、身を固くする私の体が、柔らかい感触に包まれる。ジークハルトが私を抱き締めたのだ。自分がジークハルトに庇われたのだと、一瞬遅れて理解した。

 そうしてオーガの殴打を受け、ジークハルトの体が地面を転がる。

 私も一緒になって転がるが、ジークハルトに抱き締められているため痛みはなかった。


 立ち上がろうとするが、私を抱き締めるジークハルトの力は強く、身動きができない。

 しかも、ジークハルトは意識が朦朧としているのか、私の呼びかけに答えない。

 このままでは、この男が殺されてしまう。

 だが、例え殺されたとしても、この男は私の事を護り切るのだろうと、そう思った。


 その瞬間、背筋が冷たくなった。

 人族に護られ、その上私を護った人族を、私のせいで死なせるというのか。

 そんなことはあってはならないと、そう思うのだが、私の思いに反して振りほどくこともできない。


 そうしてオーガの足音が近づき、もう駄目だと思った時、少女の声が天から降ってきた。

 私の視界はジークハルトによって塞がれ、周囲の様子は全くわからないが、どうやらクリスティーネとフィリーネがオーガを倒してくれたらしい。

 クリスティーネの治癒術によって、ジークハルトの怪我も癒されたようだ。


 私は内心でほっと息を吐くと同時に、今自分が置かれている状況に改めて気が付いた。

 私は今、男性の腕に抱き締められているのである。

 火兎族だろうが、人族だろうが、それ以外の異種族だろうが、男性と言うことに違いはない。

 こんな風に抱き締められたことなど、火兎族の隠れ里にいたときにもなかったことだ。


 その事実に気付き、自然と顔が熱くなる。

 気が付いてしまえば、私を抱きしめる腕の強さも、顔に当たる異性らしい胸の厚さも、全てが気になってきてしまった。


「そ、そろそろ、放してほしいんだけど……」


 自分でははっきりと告げたつもりだったのだが、思いに反して口から出た言葉は随分と小さなものだった。

 幸いにも、ジークハルトはすぐに私を解放してくれた。

 私は火照った顔のまま、素早くジークハルトから距離を取った。


「アメリア、怪我はないか?」


「え、えぇ、まぁ、そうね……」


 少し混乱した頭では、そう応えるのが限界だった。

 そんな私の様子を見て、ジークハルトが首を傾げる。私は内心の動揺を悟られないよう、ゆっくりと呼吸を整えるのだった。


 幸運なことにと言うべきか、再び彼方の方向から悲鳴が聞こえた。

 そうだった、今は町中へと侵入したオーガ達を討伐する途中だった。こうしてはいられない。

 そうして私は、再びオーガ達の方へと向かうジークハルト達の後を追うのだった。


 それからオーガ達の討伐を無事に終え、宿屋の一室へと戻ってきた。

 戦いを終え、落ち着いた時間を迎えたのだが、思い出すのはオーガから庇われ、抱き締められた時の感触ばかりだ。あの時の事を思い出すと、どうしても顔が熱くなる。


 そんな事ばかり考えていたせいか、随分と早くに目が覚めてしまった。

 それでも、ジークハルトは既に起きているようだった。あの男の事だ、おそらく宿屋の裏手で訓練をしているのだろう。


 少し迷ったが、私はジークハルトの元へと行くことを決めた。

 少なくとも、昨日私がジークハルトに助けられたことは事実だ。それなら、たとえ相手が人族の男だったとしても、礼は言うべきだろう。それに、一晩経ったことで多少頭は冷えている。


 そうして向かった宿屋の裏手では、案の定ジークハルトが一人で剣術の訓練に励んでいた。

 声を掛けるべきかと悩むより先に、ジークハルトが私に気が付いた。

 そうして、異種族である私を気にした様子もなく、挨拶を告げてくる。


 それに対し、私は思わずぶっきらぼうな態度を取ってしまった。本当はもう少し、気安い態度を取っても良いと思い始めているのだが、今更気安い態度を取るのはどこか気恥ずかしいものがある。

 だが、そんな私にもジークハルトは気にした様子はなかった。


 それからぽつぽつと会話を交わし、私は思い切ってジークハルトへと聞いてみた。

 どうして昨日は私を助けたのかと。


 そもそも、私のジークハルトに対する態度は散々なものだったと、私自身自覚している。

 その上、はっきりと嫌いだとも告げているのだ。

 そんな相手をどうして助けたのか。


 それに対する答えは、ただ「危なかったから」と言うものだった。

 その答えを聞いて、理解した。


 あぁ、この男は本当に、人族や異種族といった括りに囚われていないのだろう。

 ただ、私が危なかったから、助けてくれた。

 それだけなのだ。


 それに引き換え、私はどうだろうか。

 この男の事を、しっかりと見ているだろうか。

 人族という種族に拘っている私は、異種族を厭うこの町の住人達と変わらないのではないだろうか。


 それでも、私は人族の事は好きにはなれない。

 それを否定してしまうのは、今までの私を否定することだ。


 それから私は人族を嫌いだと、貴方の事は好きではないと告げた。その言葉すら、ジークハルトは気にしていないようだった。

 なんとか礼を言う事には成功したが、もっと言いようはあったのではないだろうかと、少し後悔した。

 借りにしておくなど言って、返す当てなどないというのに。


 心の中にもやもやしたものを残したまま、気が付けばジークハルトの姿を追っている。

 この先、私はこの男とどう接したらよいのだろうか。


 人族は嫌いだと告げた。

 ジークハルトの事も、好きではないと告げた。

 それでも、面と向かって嫌いだと告げることは、既にできなくなっていた。

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