191話 大鬼討伐の後始末1
ヒュッ、ヒュッ、と空気を切り裂く音が規則正しく響き渡る。俺の振るうミスリルの剣が空を切る音だ。刀身が朝日を反射してキラキラと光る様子は、何度見ても綺麗なものである。
今日はノルドベルクの町へオーガ達が進行してきた日の翌日、その早朝である。昨日はかなり多くの実戦を経験したが、それでも毎日行っている早朝訓練をさぼるわけにはいかない。
他の皆の姿は付近になく、今は宿の裏手の開けた空間に俺一人だけだ。クリスティーネ達は、部屋の中でもう少しの間、夢の世界を彷徨っていることだろう。
今日は、いつもよりも少し早くに目が覚めてしまった。皆が起きてくるまでは、もう少しばかりの時間を要することに違いない。
それまでは一人、剣の振りをいろいろと試しておこうと訓練に励んでいれば、ふと後方に気配を感じた。
振り返ってみれば宿屋の方から、側頭部から伸びる大きな耳を揺らしながら赤毛の少女、アメリアがやってくるところだった。周りに他の子の姿がないところを見るに、一人だけ目を覚ましてやって来たらしい。
「おはよう、アメリア」
「……ふんっ」
片手を上げて言葉を投げかければ、アメリアは目を逸らして鼻を鳴らした。
何とも素っ気ない対応だが、いつものことである。最早この反応にも見慣れたものだ。
「他の皆はどうした?」
「まだ寝てるわ」
やはり、クリスティーネ達はまだ熟睡中らしい。
無理もない、昨日のオーガ達との戦闘はかなりの長時間に及ぶものだった。疲労も溜まっていただろうし、寝過ごしたとしても仕方がないことだ。
それを思えば、アメリアは良く起きられたものである。
「そうか、アメリアは早起きだな。偉いぞ」
「子供扱いしないでくれる? それに、貴方の方が早起きでしょう」
アメリアが憮然とした様子で言うのに対し、俺は苦笑を返した。確かに、その通りだな。
俺は冒険者となってから二年以上、こんな感じで早朝訓練をしているからな。もうすっかりと習慣化しているというわけだ。
「もう少ししたら、クリス達も起きてくるだろうさ」
そう言葉を投げかけて、俺は再び訓練を再開した。
ミスリルの剣を上段から袈裟懸けに振り下ろし、地面の上でピタリと止める。そうして、今度は先程の軌跡をなぞるように、斜め下から振り上げた。
剣が俺の想像通りの軌道を描く様子に、小さく笑みを作る。うむ、今日の調子も上々だ。
そうして剣の訓練をする間、どうにも背後からの視線を感じる。
再度振り返ってみれば、先程の位置からアメリアが俺へと目線を向けていた。
だが視線が合ったかと思えば、ふいっと目を逸らされる。
「どうした、アメリア?」
「……いえ、別に」
どうにも歯切れの悪い様子だ。さらに、先程から目線は合わないもののチラチラと俺の方へと視線を向けてくる。何か言いたいことでもあるのだろうか。
そう言えば、と俺は昨夜の様子を思い返す。
宿の部屋の中でも、何やらアメリアはいつもと少し様子が違うようだった。何といえばいいのか、そわそわとしているというか、少し落ち着きがない様子だったのだ。何かあったのだろうか。
「……昨日は」
「うん?」
俺が昨夜のことに思いを馳せていると、アメリアが俯きながら小さく言葉を溢した。消え入りそうなほどに小さな声で、上手く聞き取れない。いつもはっきりとものを言うアメリアにしては、珍しい様子だ。
そうして少しの間の後に、アメリアが思い切ったように顔を上げた。もっとも、その視線は俺の胸あたりに固定されていたが。
「き、昨日は……あ、あり……いえ、その……」
「ん? 昨日?」
昨日というと、何があっただろうか。いや、むしろ色々とありすぎたがために、逆に何の話か分からない。
首を傾げる俺の前で、アメリアは視線を彷徨わせる。その頬には、少々の赤みが差していた。まったく、いったいどうしたというのか。
「えぇと、そう、昨日は、どうして私を助けたの?」
「助けた? ……あぁ、あの時か」
問われ、すぐに思い至った。俺がアメリアを助けたというと、町中に侵入したオーガを討伐していた時のことだろう。
確かにあの時、俺はオーガの攻撃からアメリアの身を守った。結果として俺は頭部に強い衝撃を受け、クリスティーネ達が来なければ危険な状態に陥ったのだったが。
さて、どうして助けたのかと聞かれれば、答えは一つだ。
「そりゃあ、アメリアが危なかったからな」
事実、あの時俺が助けに入らなければ、そのままアメリアがオーガの拳を受けていただろう。その場合、どうなっていただろうか。
確かに、オーガを倒すことだけを目的とするのであれば、俺が無傷でいるべきであっただろう。そうすれば、クリスティーネ達の助けを借りずともオーガを倒せていたはずだ。
だがその場合、アメリアは無事では済まなかっただろう。俺とアメリア、どちらを犠牲にするかと問われれば、俺は迷わず自分の身を選ぶ。
そう伝えれば、アメリアは呆けたような表情を見せた。
「けれど、それで貴方は大怪我を負ったんでしょう!」
「まぁな。正直、クリス達が来てくれなかったら危なかったな」
オーガに殴り倒された瞬間、俺は受けた衝撃で完全に意識が朦朧としていたのだった。こういうことがあるから、魔物というのは恐ろしい存在である。いつ何時でも油断なんかするものじゃない。
クリスティーネ達が助けに入るのが少しでも遅ければ、死んでいたかもしれないな。
「だが、それでアメリアは助かっただろう?」
「それは……そうだけど……」
アメリアのような華奢な少女がオーガの一撃を受けていれば、俺以上の被害を受けていたであろうことは想像に難くない。それこそ、一撃の下に命を落としていた可能性だってあるのだ。
それを思えば、あそこは攻撃を受けたのが俺で正解だっただろう。これでも、身体強化の練度はかなり上がっているのだ。
「……私は、人族は嫌いよ」
「知ってるさ」
そう言って笑って見せる。
アメリアの人族嫌いは、今に始まったことではない。無理して好きになることもないだろうし、今回の赤い鎖に関する騒動が終われば、また人族と関わらない生活に戻れることだろう。
「貴方の事も……好きじゃないわ」
「それも知ってる」
俺は肩を竦める。
元より、アメリアは俺に対して冷ややかな態度を取り続けているのだ。俺に対する振る舞いは、そう簡単には変わらないだろう。
俺としては、もう少し位は仲良くしたいと思っているんだけどな。だが、これまでの様子を見るにそれは望み薄だろう。俺に出来るのは、精々細かい気配りくらいである。
「貴方は――」
「ジーク、おはよう!」
突然の呼びかけに、アメリアはビクリと肩を震わせた。その様子を尻目に、俺はアメリアから宿の方へと目線を映す。
すると、クリスティーネとシャルロット、それにフィリーネが連れだってこちらへと向かってきていた。どうやら、三人とも目を覚ましたようだ。
俺は三人の方へと、軽く片手を振る。
「……ジークハルト」
「ん?」
小さな声に、目線を下げる。
見れば、アメリアがクリスティーネ達の方へと顔を向けながら、少し顔を赤くしていた。
「昨日は、助けてくれてありがとう」
「えっ?」
思わず、アメリアの顔をまじまじと見下ろしてしまう。まさか、アメリアから素直な礼を聞くことになるとは思わなかった。
俺がじろじろと見過ぎたのか、アメリアはますます顔を赤くさせる。
「昨日の事は借りにしておくわ! それだけよっ!」
そう言い残すと、アメリアはクリスティーネ達の方へと駆け出した。
その様子を見て、俺は頬を掻く。どうやら今のはアメリアなりの照れ隠しだったらしい。
そう言えば、と、俺は先程のやり取りを思い返す。
アメリアに名前を呼ばれたのは、初めての事だった。少しは歩み寄ることが出来たのだろうか。
そんなことを思いながら、俺はクリスティーネ達の方へとゆっくりと足を運んでいった。
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