184話 対大鬼防衛戦1
ノルドベルクの町の外に作り上げられた防壁の一層目、最前列の壇上に両足を付け、俺は地平線の向こうへと目を凝らす。
だが、いくら前方を睨みつけたところで、何らかの変化をもたらすものではない。そこにはただ、長く伸びた街道があるだけだ。
「ジーク、もしかして緊張してる?」
俺の顔を覗き込むように首を傾げ、声を掛けてきたのは半龍族の少女、クリスティーネだ。肩から零れた銀色の長い髪が、キラキラと陽の光を反射している。
その表情は、今から決戦を控えているとは思えないほどにいつも通りのものだった。
「あぁ、少しな。そう言うクリスは、平気そうだな?」
そう言いながら、俺は左の手で反対の手首を握ってみる。特に震えるようなこともなく、右手も正常に動いてくれることだろう。
少々鼓動が早いところが気にかかるが、血の巡りが早いのであれば普段以上に動けそうなものだ。
「私は平気だよ! こんな立派な防壁があるし、冒険者もいっぱいだし……それに、ジークもいるからね!」
そう言って、普段通りの笑顔を浮かべる。その顔を見ていると、なんだか少し体が軽くなるように思えた。
そこへ、一人の少女が近寄ってきた。背に大きな白い翼を持つ、有翼族のフィリーネである。
フィリーネはクリスティーネの腕を取ると、その眠たげな赤い瞳で俺の事を見上げてきた。
「ジーくん、暇なの。クーちゃんと、偵察に行ってきてもいい?」
「フィナ、いくら何でも暇ということはないだろう」
そう言って俺は溜息を吐いた。
今にでもオーガの大群が現れ、この町を襲うかもしれないのだ。そのことに備え、周囲の冒険者達は戦闘前の精神統一をしたり、軽く体を動かしたりしているのだ。
それに引き換え、クリスティーネに輪をかけてフィリーネは自然体が過ぎる。こんなことで、いざ戦闘が始まっても大丈夫なのだろうか。
まぁ、今までの戦いっぷりを見る限りでは、それなりの信頼を置いているわけなのだが。
とは言え、フィリーネの提案には一考の価値があると言えるだろう。今でも冒険者ギルド側では魔術具による観測をしているはずだが、オーガの動向に関して情報は多いに越したことがない。
そして、異種族が極端に少ないこの町で、そんなことが可能なのは翼を持ち空を駆けることができるクリスティーネとフィリーネを除いて他にいなかった。
「そうだな、ディルクが許可してくれるならいいぞ」
そう言って、防壁の中央部を指し示す。
俺達が今いるのは、防壁の右翼に当たる場所である。冒険者ギルド側で戦力を確認した結果、俺達は右翼側に配置されることとなったのだ。右翼側には俺達のパーティと後輩にあたるテオとアルマ、それにいくらかの冒険者達が割り当てられている。
俺達が独断で動くのは不味いだろうが、全体の指揮を執るディルクが偵察を許可するのであれば構わないだろう。彼らとしても、少しでも情報が欲しいはずである。
俺の言葉に、フィリーネは唇の端を吊り上げて見せる。
「それじゃ、ちょっと聞いてくるの。クーちゃん、行こう?」
「わかった! ジーク、ちょっと行ってくるね!」
そう言い残し、二人は防壁の中央部へと飛んでいった。
俺のところからでも、中央部のディルクの姿は小さく見える。そこへ二人が近寄り、身振り手振りを交えて何かを話している様子が伺えた。その後、街道の向こうへと飛び立ったところを見るに、偵察が許可されたのだろう。
二人の姿が小さくなったところで目を放し、俺は傍らに座り込む小柄な姿を見下ろした。透き通った水色の髪を持つ氷精族の少女、シャルロットである。
シャルロットは防壁の上に座り込み、何やら恐る恐るといった様子で下の方を覗き込んでいた。
「どうした、シャル?」
「ジークさん……いえ、ちょっと、一番低い防壁でも、少し高いかなって」
「もしかして、怖いのか?」
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけですよ?」
そう言って、困ったように眉尻を下げて見せる。
二層目、三層目の防壁となると前方の防壁よりさらに高さを増すのだが、俺達の立っている一層目の防壁の高さは、精々オーガの身長の二倍から三倍ほどである。
跳躍力のないオーガにはまず不可能だが、それなりの冒険者であれば身体強化で飛び上がることも可能な高さである。少なくとも、今のシャルロットでもこの高さから落ちたところで怪我などしないだろう。
だが、本人は少し怖々とした様子である。
もしや、高いところが苦手なのだろうか。それにしては、と俺は首を捻る。
「クリスやフィナに抱えられて飛んだときは、平気そうじゃなかったか?」
以前、大河を渡るときやダンジョンに行くために山を越えた時などは、空の飛べるクリスティーネとフィリーネに抱えられ、俺とシャルロットも空を渡ったのである。
その時も、確かにシャルロットは怖々とした様子ではあったが、回数を重ねるにつれて慣れていったように思うのだが。
そんな風に考えていると、シャルロットはふるふると首を横に振って見せた。
「か、抱えられて飛ぶのとこれとじゃ違いますから……うぅ、三層目はもっと高いのに……」
「そこは、一層目が破られないように祈ってくれ。それと、落ちないようにな」
そう言って軽く水色の髪を一撫でして、俺はもう一人の少女の方へと足を向ける。
俺達の立つ防壁の端、淵に腰掛けて防壁の外へ足をぶらぶらとさせているのは赤毛の少女、火兎族のアメリアだ。あちこちに跳ねた癖っ毛が、風に吹かれて揺れている。
「アメリア、調子はどうだ?」
「別に、普通よ」
軽い調子で聞けば、素っ気ない答えが返ってきた。
相変わらず俺に対しては冷ややかな態度だが、これでも出会った直後に比べれば普通に答えてくれるだけ打ち解けた方である。
人族を嫌っている割には俺の質問に答えるあたり、この少女も根は良い子なのだろう。
それからしばらく、互いに無言で平原の様子を眺める。以前として光景に変化はなく、飛んでいった二人の姿も今は見えない。
一際強い風が吹き、それに反応するようにアメリアの大きな耳がピクピクと動いた。それを見て、俺は小さく言葉を溢す。
「悪いな、アメリア」
俺の呟きに、アメリアは目線だけをこちらへと向ける。その視線は出会った頃に比べれば爪の先程には柔らかいものであり、「なんのこと?」と問うているようだった。
さすがに、言葉が足りなかったようだ。
「いや、今回巻き込んだことだよ。アメリアはこの町を守ることに反対だっただろう?」
オーガの群れが接近していることが明らかとなった段階で、町へと戻ることに唯一反対したのがアメリアだった。人族至上主義の町であるノルドベルクの町に良い思い出がなく、先を急いでいるというのが理由である。
結局はクリスティーネ達による説得と、先に進むことでオーガの群れに鉢合わせる危険性を理由に町へと引き返してきたわけだが、アメリアにとっては不本意なことだっただろう。
こんな風に冒険者に交ざってオーガ達と戦うことも、未だに良くは思っていないはずだ。
だが、そんな俺の思いとは裏腹に、アメリアは首をゆるゆると横に振って見せた。
「そのことなら、もういいわよ。元はと言えば、貴方達を私の事情に巻き込んだのが悪いのだし」
どうやら、未だに俺達を赤い鎖の襲撃に巻き込んだことを気にしているらしい。確かに、あれがなければ俺達がアメリアと共に行動することもなく、こんな風にオーガの群れと戦うこともなかっただろう。
俺としては、それとこれとは話が別だと思っているのだが。
そんな俺へと、アメリアは「ただし」と言いながら指を突きつける。
「私が戦うのはあくまでシャル達のためであって、貴方や町の人族のためではないということを忘れないで」
「肝に銘じておくよ」
アメリアにとっては、人族のためではないということが譲れない部分のようだ。
結果的には同じことだと思うのだが、一人でも戦力が欲しい現状で、わざわざ指摘してアメリアの期限を損ねる必要はあるまい。
「ただ、もし危なくなったら逃げてくれよ?」
これはクリスティーネ達にも言い含めてあることだ。万が一にも命の危険に晒されたのなら、脇目も振らずに逃げてくれと。
死んでしまったらすべて終わりである。俺は今回の戦いで、仲間を失うつもりは一切ないのだ。
「当たり前でしょう? こんな町のために、命を懸ける気なんてないわ」
そう言って、アメリアは唇を尖らせて見せる。この町に思い入れなどはないだろうし、その言葉通り何の躊躇もなく身を守ってくれることだろう。その方が良い。
だがアメリアはそこで言葉を途切れさせず、「それよりも」と鼻を鳴らして続けた。
「てっきり、同族のために戦ってくれと言うのかと思ったんだけどね」
「言わないさ、そんなこと」
俺は小さく息を吐く。
火兎族であるアメリアにとって同族と言うのは何よりも大切な存在なのかも知れないが、人族である俺にとって同族と言うのは、特別拘るような相手ではない。
俺にとって大切なのは、クリスティーネ達である。そして、そこに今はアメリアも加えてもいいと思っている。
「俺にとってはこの町の人族より、アメリアの方が大切だからな」
「なっ――」
俺の言葉に、アメリアが身じろぎをし、小さく息を呑む。
そうして俺から視線を逸らし、前方へと目を向けた。釣られるように水平線の方向を見てみれば、遠くからこちらへと近づく二つの姿が見えた。
どうやらクリスティーネとフィリーネが偵察から帰ってきたようだ。
その姿がどんどんと近づく中、アメリアが再び小さく呟く。
「……私は、人族は嫌いよ」
「わかってるさ。俺はアメリアのこと、嫌いじゃないけどな」
「……ふんっ」
それきり、口を閉ざしてしまう。
そうこうしているうちに、ディルクの元へと寄っていたクリスティーネとフィリーネが、俺達のところへと戻ってきた。翼をはためかせ、防壁の上へと着地する。
「どうだった、二人共?」
「変わりないよ! すごい数のオーガが、こっちに向かってる!」
「もうすぐ、ここからでも見えてくると思うの」
その言葉に街道へと目を向ければ、地平線の向こうが僅かに蠢いた。
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