163話 火兎族の隠れ里へ3
「さて、それじゃ始めるか。遠慮はいらないからな」
「言われなくても、手加減なんてしないわよ」
宿屋の裏手にある広い空間、三方を壁で囲まれた場所で俺はアメリアと向かい合っていた。その様子を、クリスティーネ達三人娘は仲良くベンチに座って眺めている。
今は日が昇ってしばらく、丁度朝食時といったところだろうか。まだ気温は上がり切っておらず、少し肌寒く感じる。
普段であれば、早朝訓練を行っている時間である。だが、この日はそれよりも先にやるべきことがあった。
それは、昨日の夕食時に話して決まったことである。アメリアの戦闘能力を、火兎族の隠れ里へと向かう前に確かめておく必要があった。
アメリアだけでなく、クリスティーネとフィリーネにも奴隷狩りによる赤い鎖の刻印が刻まれている。アメリアによると。火兎族の隠れ里へと向かう道中では、再び赤い鎖の襲撃が予想されるということだった。
その場合、アメリアがどの程度動けるかによって俺達の対応も変わってくる。本人は自分の身は自分で守れると言い張っているが、その言い分をそのまま信じるわけにはいかない。
その腕前によっては、俺やクリスティーネが守ってやる必要があるだろう。まぁ、その場合アメリアは俺に守られるのは屈辱だろうから、その役目はクリスティーネが担うことになるだろうが。
それも、アメリアが自らの身を守れなかった場合の話である。クリスティーネやフィリーネほどとは言わないが、せめて並のDランク冒険者程度に動けるのであれば大丈夫だろう。
そういうわけで、俺がアメリアと手合わせをすることになったのだ。
俺が訓練用の剣を構えるのに対し、アメリアは両手に刃先を潰したナイフを握っている。刃渡りは掌ほどの長さの、何の変哲もないナイフだ。今は重さを確かめるように、手の上で器用にくるくると回している。
始めは剣を貸し与えようとしたのだが、アメリアがナイフを希望したのだ。腰回りに括りつけた何本ものナイフが、アメリアの獲物であるらしい。
当然、そのリーチは剣とは比較にならないほどに短いものである。にもかかわらず、アメリアは自信満々といった様子である。余程自分の腕に自信があるのだろう。
そうして、俺とアメリアはある程度の距離を開けて向かい合った。
「それじゃ……はじめっ!」
クリスティーネの声を合図に、俺達は同時に動き始めた。俺が軽い足取りで近寄るのに対し、アメリアはその身を低くして一気に加速した。
その動きは直線的で、魔術で狙うには絶好の機会だったが、今回はあくまでアメリアの腕前を確認するだけである。そのため、互いに剣とナイフだけを使うことを前以て確認している。
アメリアが剣の間合いへと入ったところで、俺は横薙ぎに剣を振るった。高さは下を潜れないように低く、横にも躱せない範囲だ。まともに受ければ、いくら訓練用の剣とは言えども治癒術が必要になるだろう一撃だ。
何も、この一撃で勝負を決めてしまうつもりはない。これはアメリアの突進の勢いを止める、牽制の攻撃だった。これに対し、アメリアがそれなりに動けるのであれば後ろへと距離を取ることだろう。
だが、アメリアの取った行動は俺の予想に反した。
アメリアはその勢いを微塵も緩めず、軽く地を蹴った。
宙に浮いたアメリアの体が、俺の振るった剣の上を掠めてこちらへと迫る。
彼我の距離は既にナイフの間合いだ。
アメリアはその勢いのまま、俺の左側を通過する軌道を描きながら、左手に持つナイフを真っ直ぐに突き出した。一切の遠慮が感じられない、思い切りのいい刺突だ。
それは正確に俺の喉元を狙っていた。刃先は潰されているが、正面から受ければ喉が潰れるだろう。遠慮はするなとは言ったが、そこまで本気か。
とは言え、対処は容易である。こういう場合に備えて、左手は空けているのだ。
俺はナイフを避けながらアメリアの左手首を掴むと、その勢いを利用して思い切り後方へと放り投げた。小柄な体躯が、綺麗な放物線を描いて宙を舞う。
俺は素早く後方へと振り返った。
アメリアは中空でくるりと身を翻すとこちらへ向き直り、体重を感じさせない軽やかさで着地した。
なるほど、さすがは身体能力に優れた獣人族だ。こちらの想定以上の動きを目にし、すこし楽しくなってきた。
「思ったよりもやるじゃないか。悪くない動きだぞ」
俺が軽い調子で剣を構えて唇の端を持ち上げれば、再び身を低くしたアメリアが手に持つナイフを弄ぶように手の中でくるりと回して見せる。
「ふん、その余裕が、いつまで持つかしら、ね!」
言い切ると同時に、アメリアの身は一瞬のうちに最高速へと達した。
だが、先程の身のこなしを目にした俺に油断はない。
懐へと入られないよう、アメリアの進行方向に合わせて剣を振るう。
今度こそ引くかと思ったが、アメリアは右手に持つナイフで俺の剣を少し逸らすと、斜めに深く踏み込み更に俺へと迫った。
その動きに合わせて俺は半歩ほど後ろに下がると素早く剣を引き戻し、掬い上げるように剣を振り上げた。
「くっ」
さしものアメリアも、この至近距離で足捌きだけでは躱せないようで、左手に持つナイフで俺の剣を受け止める。
だが、単純な腕力では俺に軍配が上がったようだ。
ナイフで剣を受け止めたアメリアは完全に勢いを殺された。それだけでなく俺がさらに剣を押し込めば、大きくその体制を崩すこととなった。
好機とばかりに一歩踏み込み、横薙ぎに剣を素早く振るう。
狙いはアメリアの胸あたりだ。
対するアメリアは上体を後ろへと大きく逸らし、俺の攻撃を躱した。
そのまま背中を逸らし、地面へと後ろ向きに両手をついて見せる。実に柔軟な体だ。
かと思えば、強く地面を蹴り俺へと上蹴りを放ってきた。
その軌道は正確に俺の顎を狙っている。
意識外からの攻撃に少し反応が遅れたが、ギリギリのところで俺は顔を逸らした。
アメリアの足が頬を掠め、強い風が吹き抜ける。
危ないところだった。まともに受けていれば、顎の骨が折れていたかもしれない。
アメリアはそのまま後ろへと二回転しながら飛び跳ね、俺から距離を取る。
そうして俺へと向き直ったところで一瞬驚きの表情を見せ、すぐに眉根を寄せて鋭い目線を向けてきた。
「……今のを躱されるなんてね」
「これでもいろいろと経験してるから、な!」
今度はこちらから仕掛け、アメリアの対応力を計る。
それに対し、アメリアは両手にナイフを持ち迎撃の構えだ。
そこから先は本格的に斬り結ぶこととなった。
アメリアは意外なほどに高度なナイフ捌きを披露し、俺の剣を弾きながら時折体を大きく回して蹴撃を放ってくる。
それでも俺の剣に押されていき、やがては壁を背にすることとなった。
下唇を噛んだアメリアが三度目となる突撃を見せたところで、俺はアメリアの目線の高さに合わせて剣を水平に振るった。
その動きに合わせて、アメリアの体が沈み込む。剣の下を潜る腹積もりだ。
だが、その動きは読めていた。
アメリアが体勢を低くすると同時、俺は強く地を蹴っていた。
そのままアメリアの頭上を通過する過程で、アメリアの動きに迷いが出たところがわかる。剣に視線をつられ、アメリアの視界からは俺が消えたように見えただろう。
着地と同時、音に反応したアメリアが反射的に左のナイフを振り上げるが、俺はその手首を掴む。
それと同時に足を払い、怪我をさせないように注意しながら剣を持つ手でその背を抑え、地面へと組み伏せた。
それでも一瞬、アメリアは抵抗する素振りを見せたが、俺が首筋に剣を突きつけたところでピタリとその動きを止めた。
「俺の勝ちだな」
そう言って、ニヤリと唇の端を持ち上げる。
アメリアは俺に睨みつけるような視線を送っていたが、やがて諦めたように小さく息を吐いた。
「くっ……降参よ」
こうして、模擬戦は俺の勝利で幕を閉じた。
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