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156話 火兎の少女2

 パチパチと火花の爆ぜる音を聞きながら、俺は鍋をかき混ぜていた。そろそろ具材に火も通り、美味しく頂ける頃合いだろう。

 俺は一つ頷くと、手を止めて後ろを振り返った。


「どうだ、クリス。目を覚ましたか?」


「ん~ん、まだみたい」


 そう言って、クリスティーネは首を横に振って見せる。長い銀髪が動きに合わせて左右へと揺られ、陽光を反射してキラキラと輝いた。

 クリスティーネの傍ら、草に敷かれた布の上には、一人の少女が毛布に包まれ寝かされていた。少し前に、アーマークラブを探していたクリスティーネが、川の中から拾ってきた少女だ。


 クリスティーネによると、上流からこの少女が板切れに掴まった状態で流れてきたそうだ。始めは水死体にも見えたのだが、よく見れば生きているとわかった。

 生きているとわかった以上はそのまま放置するわけにもいかず、引き揚げてきたというわけだ。


 クリスティーネが連れてきた少女は意識を失っているようで、何の反応も示さなかった。しばらく待ってみたが意識を取り戻さないため、勝手ながら世話を焼くことにした。

 まず、手始めに濡れた服を脱がせた。

 弁明させてもらうが、そちらには一切俺は関与していない。すべて女性陣の手によるものだ。


 服を脱がせ、水気を拭き取った少女を毛布にくるんで焚火の傍へと寝かせた。濡れた服は紐にぶら下げ、乾くようにしてある。

 服の他には、腰のあたりに何本ものナイフを吊り下げていたそうだ。その装いからは、少々軽装ではあるが冒険者のようにも見える。


 また、服を脱がせて気付いたそうだが、背中に大きな切り傷があったそうだ。自然にできるようなものではなく、明らかに剣で斬られた跡だったという。

 その他にも、全身至る所に刀傷があったという。今はクリスティーネの治療により全て綺麗に治っているが、そのまま放っておけば溺死するより先に衰弱死していただろう。


 俺は腰を上げて横たわる少女へと近寄ると、膝を曲げてその顔を見下ろした。

 クリスティーネと同じくらい、いやそれよりも少し若いくらいの少女だろう。鮮やかな赤髪は先程までしっとりと濡れていたが、今は焚火の熱によってすっかりと乾いている。癖っ毛なのか、ぴんぴんとあちこちに向かって跳ねていた。

 両の瞼は固く閉ざされ、瞳の色は窺えない。


 全体的に整った顔立ちの少女だが、容姿よりも注目せざるを得ない身体的な特徴があった。

 それは、側頭部から斜め下へと伸びる、赤毛に覆われた大きな耳だ。そちらも助けた当初は髪と同じく水に濡れていたが、今はふわふわとしていて何とも触りたくなる様相をしている。


 また、服を脱がせた女性陣によると、掌二つ分ほどの長さになる尻尾もあったらしい。後で触らせてもらおうと、クリスティーネは何やら楽しみにしていた。

 赤毛の少女は間違いなく、獣人族の一種だろう。その中でも少女の身体的特徴から推定される種族に心当たりはあったが、それは少女が目を覚ましてから確認すればいいことだ。


 また、断じて俺は見ていないが、女性陣によると少女の両腕と両足には何やら赤い鎖が巻きついているらしい。まさかファッションと言うことはないだろう。

 クリスティーネは外してあげようとしたようだが、どうやっても外れなかったという。何か魔術的な仕組みが働いているらしい。


 ひとまず、少女が目を覚ますのを待つしかないだろう。その間に昼食を食べようかと考えていると、少女の口元が微かに動いた。

 顔を覗き込んでみれば、少女がゆっくりと瞼を持ち上げた。焦点がゆっくりと俺の瞳と合わせられ、二度、三度と瞬きをする。


「気が付いたか?」


 出来るだけ驚かせないようにと、優しく声を掛けたつもりだった。

 だが、少女は眉根を寄せ、キッと睨みつけるように目を細めた。

 その反応に「ん?」と思った瞬間だ。


「――ッ!」


「うおぉっ?!」


 少女が口から炎を吐いた。

 突然のことに俺は背筋を思い切り仰け反らせるが、少し前髪を焦がされた。

 さらに赤毛の少女は素早くその身を起こ――そうとして、毛布に包まれていたために体の自由が利かず、その場に倒れ込むこととなった。


 助け起こそうと手を差し出すが、少女はその手を払いのけ、毛布を取り去ると俺に組み付いてきた。俺は少女の勢いに圧されるまま、後方へと押し倒される。

 通常であればこのような不覚を取ることはなかったが、今は状況が悪い。


 少女が毛布を取り払ったことで、首から下が外気に晒されている。少女の服は乾かしている真っ最中なので、少女は今、何も身に付けていない。端的に言えば全裸だ。

 一瞬、その輝かんばかりの肌色の肢体が目に入った気がするが、何も見ていない。断じて何も見ていない。


「私に触れるな、人族め!」


「触らない! 触ってない!」


 俺は少女の体に触れないよう、両手を上へと持ち上げる。さらにその体を直視しないよう、顔を横へと背けた。


「とにかく、服……は、乾かしている途中だから、とりあえず毛布を着ていてくれ!」


「服を……? えっ、やっ?!」


 不意に拘束が解かれ、少女が俺の傍から離れる。

 それに入れ替わるようにして、クリスティーネとフィリーネが傍へと駆け寄ってきた。


「ジーク、見ちゃダメ!」


「ダメなの」


 クリスティーネが両手を広げて立ちはだかったと思いきや、後ろからフィリーネに抱き抱えられ、その白翼で視界を封じられる。


「見てない、俺は何も見てない」


 俺は必至で首を横に振る。少し肌色の何かは見えた気もするが、肝心な部分は断じて見ていない。

 それから少し衣擦れの音がしたかと思うと、ややあって視界の白翼が除かれた。晴れた視界の向こうでは草の上に敷かれた布の上、赤毛の少女が毛布を掻き抱くようにして腰を下ろしている。


 その頬には少々の赤みがさしており、射貫くようにこちらを睨みつけていた。その瞳を見て、俺は目も髪と同じ赤色なんだな、などと考える。


「これだから人族は……! 私の服を剥ぎ取るなんて、一体何が目的?!」


 赤毛の少女は少し興奮した様子だ。身を守るように毛布から出した片手で体を抱き、こちらを警戒している。

 まぁ、意識を取り戻したら見知らぬ男に裸にされているのだ。身の危険を感じるのもわからない話ではない。


 だが、俺達にそんなつもりは一切ない。

 俺は弁明するように両の掌を少女へと向ける。


「誤解だ、誤解。俺達は君を助けようとだな……」


「助ける? 人族が私を? ふんっ、冗談も程々にするのね」


「いや、真面目な話でな……」


「大体そんなことをして、お前に何の……くっ」


 言葉を途切れさせ、少女が頭を押さえて上体が揺らいだ。クリスティーネによって治療されたとはいえ、まだ本調子ではないのだろう。

 俺は素早く手を伸ばし、少女の体を支える。毛布越しの感触が、少々生々しかった。


「私に、触れるな、人族め……」


 取り付く島もないとは正にこのことだろう。

 少女が落ち着きを取り戻し、俺達の話に耳を傾けるまでには少々の時間を要した。

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