135話 石造りのダンジョン11
湯気の立つ液体を口内に含み、舌の上で転がす。塩気の効いたスープには野菜と肉の旨味が溶け込んでおり、余計に空腹を刺激した。
よし、完成だ。
俺がスープの味に満足していると、壁の向こうから現れた少女から声を掛けられた。
「ジーク、出来た?」
「あぁ、クリスか。丁度、出来上がったところだ」
声の主は龍の翼と尾を持つ半龍族の少女、クリスティーネだ。クリスティーネはホカホカと湯気を立てる布を手に、顔を拭きながらこちらへとやってくる。
その長い銀髪はしっとりと濡れており、ダンジョンの壁や天井が発する青白い光によって輝いていた。
クリスティーネを始めとした女性陣は、衝立代わりの土壁の向こうで体を洗っていたのだ。半日の間ダンジョン内を歩き回り、それなりに激しい戦闘を行ったとあれば、汗もかくし汚れもするのは道理だろう。
ユリアーネは近くに俺がいる状態で裸体を晒すことに少し恥ずかしそうにしていたが、フィリーネが説得してくれたようである。壁一枚隔てただけでしかないが、ダンジョン内であまり離れるわけにもいかなかったからな。
体を洗うための湯は、魔術で用意したものである。こういう時、あらゆる属性の魔術が使えることには感謝したくなる。
魔力の消費を度外視すれば、ダンジョン内に風呂を作ることすら可能なのだが、さすがにそこまですると魔力の無駄使いである。これから先にも何があるかわからないため、魔力の消費は最低限に抑える必要がある。
よって、用意したのは一人当たりやや大きめの桶に入る程度の湯であった。
女性陣が身を清めている間、少女達の賑やかな声を環境音として、俺は食料の確認と夕食の支度を行っていた。確認の結果、十日程は問題なく過ごせることがわかったのは僥倖である。
フィリーネの生まれ故郷、フォーゲルベルクへと向かう最中にオークを狩れていてよかった。売却がまだだったので、その分の肉がマジックバッグに入ったままだったのだ。
そうして俺達は、土魔術で生み出した岩を椅子代わりに、車座となって夕食を取り始めた。質素ではあるが、十分に腹を満たせる食事だ。
そんな時、俯いた様子のユリアーネの様子が気にかかった。先程から口数も少なく、食事の手もあまり進んでいないようだ。
「ユリア、どうした? やはり、食事が物足りないか?」
クロイツェル家は裕福なようだし、出てきた食事は何れも豪勢なものだった。それらの食事と比較すると、目の前の食事は随分と質素なものである。
冒険者にとっては当たり前のものだが、そうでないものにとっては物足りなく感じてしまうのも無理はない。
そう思っていると、ユリアーネが顔を上げた。
「いえ、そういうわけでは……」
そう言って、再び俯いてしまう。
単純に、疲れているだけだろうか。ユリアーネを戦闘に参加させるようなことはないが、移動だけでも今日はかなりの距離を歩いているからな。
一応、速度には気を使っていたつもりだったが、ある意味病み上がりの体に無理をさせてしまったかもしれない。
「フィー姉様、お兄様……クリスティーネさんも、シャルロットさんも……すみません」
ふと、フィリーネが小さく呟いた。その内容は謝罪のようである。
だが、謝られるような事に心当たりがなく、俺は首を傾げる。
「何か、謝るようなことをしたのか?」
体を洗う時に湯でも使いすぎたのだろうか。別にそれくらいであれば、気にする必要もないのだが。魔力さえあれば、湯くらいはいくらでも調達できるのだ。
ユリアーネは少し顔を上げると、瞳を彷徨わせる。それから時折、こちらを上目で窺いながら、ゆっくりと口を開いた。
「その……私のせいで、こんな事になってしまって……」
「こんな事と言うと……もしかして、転移の魔法罠のことか? あれに掛かったのは、別にユリアが悪かったわけじゃないだろう」
六階層目で、転移の魔法罠が作動した際の事を思い返す。
確かに、六階層へと向かう隠し階段が明らかになった段階で、ユリアーネを連れて帰るという選択肢はあった。その際、本人が先に進むということを主張していた。
だが、問題ないと判断したのは俺だ。実際、魔物だけを警戒するのであれば、階段を降りて少し先を見てみるくらいは問題なかったはずである。
しかし、罠の存在に気付かなかったのは、俺自身の過ちだろう。そのことで、ユリアーネを責める気はなかった。
「むしろ、巻き込んでしまってすまない。あの時ちゃんと引き返していれば、少なくともユリアまで巻き込むことはなかったんだが……」
六層目に降りず、一度帰ることを選択していれば、ユリアーネまで危険に晒すことはなかっただろう。
その場合でも、俺達は罠に気付かなかったように思うが、それなら俺達冒険者だけが罠に掛かるだけで済んでいたのだ。
「いえ、そもそも私が付いてこなければ、お義兄様達の負担になることもなかったので……」
「いや、別に負担では……」
ない、と言おうとして、俺は言葉を詰まらせる。既に、本人もわかっているのだろう。
確かに、ユリアーネがいることで負担が増しているところはある。戦闘には参加していないとはいえ、この中で最も体力がないため、ユリアーネの歩みに合わせているのだ。
俺達だけであれば、もう少し早く上層へと続く階段に辿り着けていたことだろう。
それに、俺も気を配っているつもりだが、特にフィリーネがユリアーネの様子を気にしているようだ。まぁ、実の妹なのだから気にはなるだろう。普段より、少し気を張っているようだ。
「お兄様……私達、無事に帰れますよね?」
ユリアーネが俺を見上げ、微かに震えた声で呟いた。やはり不安には思っているのだろう。
隣に腰掛けたフィリーネが、自分そっくりの白髪の頭に軽く片手を乗せる。
「大丈夫、すぐに帰れるの。そうでしょ、ジーくん?」
そう優しく声を掛けるが、フィリーネ自身も内心不安には思っているのだろう。その瞳には、微かに縋るような色が見て取れた。
安心させるためにも、俺は殊更力強く頷きを返す。
「あぁ、もちろんだ。あと二、三回ほど階段を上がれば、見知った場所にも出るだろう」
実際にはもう少しかかるかもしれないと思いつつ、俺はそう答えた。
根拠のない希望的な答えのようにも聞こえるが、俺としてはそこまで悲観していない。何せ、今日一日は多少の怪我を負ってはいるものの、無事階段までは辿り着けているのだ。
何も変わったことをする必要はない。明日以降も、今日と同様にダンジョンを探索し、上層へと続く階段を見つけるだけである。ただ、その繰り返しだ。
一般的に、ダンジョンは浅い階層になればなるほど魔物も弱くなるものである。なら、上っていくにつれて進むのも少しは楽になっていくことだろう。
今だ不安は拭えないようだったが、それでも少しは気持ちを持ち直したようだ。少し明るくなったユリアーネの表情を見ながら、俺は食事を続けるのだった。
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