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108話 追放ギルドのその後4

 カラン、とグラスの中の氷が涼やかな音を立てる。それと同時に、嚥下した液体が喉を熱く焼いた。

 酒が回り鈍い頭のまま、俺は手に持ったグラスをカウンターへと乱暴に置く。その音に、少し離れた場所で酒を飲んでいた数人がこちらへと目線を向けるが、すぐに興味を失ったように目を逸らした。


 俺の名はヴォルフ。王都に拠点を構えるギルド『英雄の剣』のギルドマスターだ。ギルドマスターとは言っても、最近はほとんどギルドに顔を出していない。

 俺は今、王都にある行きつけの酒場で酒を飲んでいる。連れはいない。ここのところ、ほぼ毎日この酒場で酒を飲んでばかりいる。


 このままではいけない。そろそろ働かなくては、いずれは金も尽きてしまうだろう。

 そんな思いもあるのだが、その考えに反して体は重く動きは鈍い。

 どうして、こうもやる気が出ないのか。俺はぼんやりとした頭を回す。


 金になる依頼がないからか?

 ギルドの運営に陰りが出ているからか?

 俺自身の実力が伸び悩んでいるからか?


 いや、原因はその何れでもない。

 俺の心に引っかかっているのはただ一つ。

 剣術大会で、あのジークハルトに敗北したことだ。


 役立たずだと、そう思っていた。

 俺よりも、ずっと格下の存在だと思っていた相手に負けたのだ。

 試合の直後は、まだ何が起きたのかわからなかった。俺がそのことを理解したのは、競技場にある医療所での治療が完了してからだった。


 いつの間に、差を詰められていたのだろう。

 そしていつの間に、追い抜かされてしまったのだろうか。


 ジークハルトをギルドから追放しなければ、今頃俺はSランクギルドのギルドメンバーとなっていたはずだ。あの男をギルドから追放したのが、間違いだったというのだろうか。

 俺は首を振ると、もう一口酒を含む。

 いや、そんなはずがない。

 俺が判断を間違うことなど、有り得ないのだ。


 だが、どうすればよかったのだろうか。

 ここ何日も考えていることだ。

 ふわふわとした頭で考えるのだが、考えはぐるぐると回り、結論が出ることはない。


 だが、この日は少し違った。


「少し、よろしいでしょうか?」


 この日、始めて声を掛けられた。女の声だ。

 いつの間に現れたのだろうか。全く気配を感じなかった女は、いつの間にか俺の隣に腰掛けている。

 俺は顔を正面に向けたまま、横目で女の様子を窺う。

 だが、女はゆったりとしたローブを着ており、フードを目深にかぶっているためその表情はわからない。


「悪いが、他を当たるんだな」


 そう言って、俺はグラスに残った酒を飲み干し、追加を注文した。

 以前の俺なら喜んで誘いに乗っただろうが、今は誰かと飲むような気にはなれない。たとえそれが、女であってもだ。

 そんな風に態度で示したつもりだが、女は立ち去ることはない。どこか面白そうに、袖口を持ち上げて口元を隠した。


「おやおや、折角いい話を持ってきましたのに」


「ハッ、いい話だ? 何だ、儲け話でも紹介してくれるってのか?」


 俺は馬鹿にしたように笑って見せる。

 そんなうまい話が転がり込んでくるわけがない。どうせ、怪しげな詐欺の類だろう。その手には乗るかと、俺は新しく受け取った酒を眺めるように揺らして見せる。

 そんな俺を静かに見つめ、女は一言だけ告げた。


「『万能』のギフト」


「――ッ!」


 その言葉に、手に持ったグラスがひび割れる。どうやら、無意識に身体強化を掛けてしまったらしい。

 もう手遅れかもしれないが、内心の動揺を悟られまいとする俺を気にした様子もなく、ローブの女は言葉を続ける。


「ご存じですよね? 『万能』のギフトを持つ、ジークハルトという者のことを」


「……だったらどうした」


 思いもかけず、脅すような低い声になった。だが、それも仕方のないことである。

 聞きたくない名だ。

 その名を聞くだけでも、剣術大会で敗北した時の苦い思いが蘇る。


 だが、俺の声に欠片も怯むことなく、女は言葉を続ける。


「負けたままでよろしいのですか?」


「……なんだと?」


 この女は、剣術大会でのことを知っているのだろうか。まぁ、入場料さえ支払えば誰でも見ることが出来たのだ。出場者が多いとはいえ、知っていたとしてもおかしくはない。

 ともすれば俺を馬鹿にしているような言葉にも聞こえるが、女の言葉にはそのような響きはなかった。


「勝ちたいと、そうは思いませんか?」


「…………」


 思わないわけがない。

 勝ちたいに決まっている。

 勝って、自信を取り戻したい。


 だが、どうすればよいのか。

 地道に訓練を続ければ、再び奴を上回る日が来るのだろうか。

 そうするべきだとは思っていても、なかなか一歩を踏み出すことが出来なかった。

 それほどまでに、俺は自分より下だと思っていたジークハルトに負けたことに、強い衝撃を受けていたのだった。


「力をあげましょう」


「……何?」


 何のことだかわからない。

 頭に疑問符を浮かべる俺の隣で、尚も女は言葉を続ける。


「私があなたに力を授けましょう。その力で、貴方は彼に勝てばいい」


 意味の分からない言葉だ。

 力を授けるとは、具体的にどうするつもりなのか。奴に勝てというが、そもそもそんな機会があるというのか。剣術大会は終わったばかり、次の開催は一年後だ。

 第一それを成したところで、この女に何の意味があるのか。

 そういった疑問が思い浮かぶが、それ以上に女の言葉は不思議と俺の心に染み渡った。


「……俺は、何をすればいい?」


 気付けば、そう口にしていた。

 俺の言葉に、女の雰囲気が変わった。口元は袖口に覆い隠されているが、何故か笑っているようだと感じる。


「何も。その力を、思いのままに振るってくだされば」


 見返りは求めないというのか。

 普段の俺であれば怪しみ、一笑に付した話だろう。だが、酔いのためなのか、どこか頭がうまく回らない。女の言う通りにすればいいと、俺の中から声がする。

 無言でいる俺の隣で、ローブの女がこちらへと体を向けた。フードに隠された女の顔を、俺は正面から見ることになる。


「さぁ、私の手を取ってください」


 女の怪しく光る紅の瞳から、俺は目を逸らすことが出来なかった。

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