100話 呪術師の行方と黒い霧8
「貴様……何、を……」
オスヴァルトが、己の胸から突き出した剣の切っ先を震える手で握る。オスヴァルトの体を貫いた剣は、蠢くように鳴動している。
その光景を前に、俺は一歩も動くことが出来なかった。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
そうして、一呼吸おいて理解する。
ローブの女が、その手に持つ剣でオスヴァルトを刺したのだ。
剣はオスヴァルトの背を貫通し、胸の中心からその切っ先を覗かせている。
傷口からは、先程の比ではないほどの血液が流れだしている。
「ぐ……おぉぉぉぉぉっ!」
オスヴァルトが叫び声を上げながら前へと進み出る。それに対し、俺は思わず半歩ほど後退った。
ローブの女はその場から動かない。オスヴァルトが前へと進んだことで、その胸に刺さった剣がずるりと抜けた。
オスヴァルトは肩で大きく息をしながら、ぎこちない動きで後ろを振り返る。
「貴様……どういう、つもりだ!」
「いえ、『万能』の君に見つかったことですし、ここらで回収しようかと思いまして」
「回収、だと?!」
二人のやり取りの内容はわからないが、仲間割れを起こしていることはわかる。これを好機とみるべきだろうか。いまいち判断に迷うところだ。
どちらにせよ、オスヴァルトは不味い状態だ。先程オスヴァルトの体を貫いた一撃は、間違いなく致命傷である。それでも、治癒術を施せばまだ間に合うだろう。
「ぐっ……ならば貴様も、俺の呪術で死ぬが良い!」
オスヴァルトが絶叫と同時に右手を振るった。
それに応えるように、黒い霧が動く。だが、その規模は先程までと比べてずっと小さなものだった。
掌ほどの大きさの黒い霧が、ローブの女の横を掠めていった。女は、避ける素振りすら見せない。
「呪術とは、こう使うのですよ」
ローブの女が、諭すような優し気な口調で言葉を発する。
そして、腰を落として剣を構えた。
俺はそれに嫌な気配を感じ、体勢を低くして身体強化を強く掛ける。
「『呪刻剣』」
小さな言葉と共に、剣が振り切られる。
その軌道に沿うように現れたのは、黒い大波だ。
泥水よりも暗い波が、一瞬のうちにオスヴァルトの体を飲み込む。
そのまま波は勢いを微塵も落とさずに俺へと迫る。
俺は咄嗟に地を蹴り、波の軌道上から体を逃した。
そのまま床で一回転をし、瞬時に体勢を立て直す。
黒い波は部屋を縦断し、反対側の壁までぶち当たる。その軌道上に、倒れたフィリーネがいなかったのは幸いだった。
それから波は元々存在しなかったように消え去り、波の通った後に黒い染みを残した。
今のも呪術なのだろう。
しかし、オスヴァルトが使用したものと比べても密度、規模共に段違いだった。
今のを受けては、体が重いとか痛いなどでは済まなかったかもしれない。
では直撃を受けたオスヴァルトはどうなったのかと目線を移せば、仰向けに倒れ伏していた。その姿からは生気が欠片も感じられず、遠目でもすでに事切れていることがわかる。
「さて、回収も済みましたし、私は帰らせてもらいますね」
ローブの女がそう言い放った。その口調は、たった今人を一人殺めたとは思えないほどに軽いものである。
目標の一人であるオスヴァルトはこうして死んだが、女の方を逃がすわけにはいかない。むしろ、オスヴァルトが死んでしまった今、情報を得るためには何が何でも女を捕える必要があるだろう。
「逃がすと思うのか?」
俺は女の動きを注視しながらも剣を構える。剣の軌道にさえ注意すれば、見切れないことはないはずだ。
じりじりとした動きで女へと近づく俺に対し、女は剣を持たない腕で前方を指し示した。目だけでその方向を確認すれば、その先には地に倒れ伏したフィリーネの姿がある。
「私に構うより、そちらのお嬢さんを助けた方が良いのでは? 『万能』の君なら、それも可能でしょう?」
「お前……どこまで知っているんだ?」
「私は多くを知っていますよ。それこそ、『万能』の君よりもずっと……ね」
そう言うと、ローブの女は中空に手を翳した。
次の瞬間、ローブの女が現れた時のように空間が裂け、闇よりも暗い穴が開いた。
時空間魔術を利用した移動術だ。そこから逃げられては、追いかけることは叶わない。
「逃がすか! 『石の槍』!」
せめてもの足止めとして魔術を放つが、飛来した岩塊を女は首を少し動かすだけで躱してしまった。
その時、魔術の起こした風圧か、ローブの女のフードが捲れた。
露わになった女の姿を眼にし、俺は驚きに目を開く。
「お前……魔族、か?」
やや釣り気味の怪しく光る赤い瞳、すっと通った鼻筋、余裕に彩られた笑み。どう見ても美人だと言えるのだが、それよりも不気味な印象を受けた。
そして何よりの特徴として、尖った耳が黒髪の間から覗いていた。その耳は、間違いなく魔族の特徴である。
「それでは『万能』の君、またお会いしましょう」
「待っ――」
女が緩々と片手を振る。
俺は女へと駆け寄るが、それよりも女が空間の亀裂の中へ、その身を送る方が早かった。
俺が眼前へと迫った時には、既に亀裂は拳ほどに小さくなっており、やがて完全に消え去った。
それと同時に、周囲に漂っていた黒い霧が晴れる。どうやら、呪術の影響が完全になくなったようだ。
最早、女を捕えることは叶わない。それよりも、今できることを考えるべきだ。
俺は傍らに倒れたオスヴァルトへと視線を落とす。オスヴァルトの見開かれた瞳は、既に光を映しておらず息絶えていることは明白だ。こうなっては、例え治癒術を行使したとしても生き返ることはない。
それよりも、と俺はオスヴァルトの傍から離れて歩みを進める。
駆け寄った先はフィリーネの傍だ。
膝をついて抱き起せば、まだ息があることがわかる。それを確認し、俺はほっと息を吐いた。
「ジー……くん……」
フィリーネが薄っすらと目を開ける。どうやら意識はあるようだ。呪術の影響がその身に残っているのだろう、痛みのためか瞳には涙が滲んでいた。
「仇……討ってくれて、ありがと……」
フィリーネは小さな声を発し、弱々しい笑みを浮かべた。その口調は、既に自分の命を諦めているようなものだった。
それも無理のないことだろう。呪術士であるオスヴァルトは、既にその命を散らしている。
呪術を掛けたものが死んでも、呪術の影響は残ったままだ。そして、呪術を操る者でなければ、呪いを解呪することはできない。
だが、俺にはまだ一つ方法が残されていた。
俺はフィリーネを安心させるように笑って見せる。
「安心しろ、フィナ。呪術師がいなくても、解呪はできる。俺は『万能』だからな」
ついに100話です。
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