残りの寿命を教えてくれるドア
とある五階建ての廃ビルに、「残りの寿命を教えてくれるドア」がある。
もちろん、大前提としてそんな場所には行ってはならない。いくら周りから廃ビルとして認識されていようと、管理者がいれば住居侵入にあたるし、立ち入り禁止とされていれば軽犯罪法違反に引っかかる可能性もあるからだ。とはいえ、賢明なあなたであれば、その点は重々ご承知だと思う。
しかし、いかな法でも、己が欲さえ深ければ抗えぬのが人の常である。
「僕の妹は、生まれた時から重い病気です」
小学生ぐらいの男の子が、赤茶色のドアの前に立っている。恐怖に細い足を震わせながら。大きすぎる懐中電灯を抱き締めながら。
「今はまだ生きてるかなって。でも明日は死ぬんじゃないかなって。そう思うと怖くて眠れないし、学校とか行ってもずっと考えます。だから妹がいつ死ぬか分かったら、その日までは安心できると思うんです」
男の子は、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「カミサマ、妹の残りの寿命を教えてください」
声が途切れ、シンとする廊下。男の子はしばらくその場で我慢していたが、やがて諦め、恐る恐る元来た道を振り返る。
そのドアから目を離した、一瞬。
「あと四年」
掠れてしわがれた声が、ドアの奥から漏れ聞こえた。
男の子は飛び上がって驚いた。そのままドアを向くことすらせず、一目散にそこから逃げ出す。
残された赤茶けたドアは、何事も無かったかのようにそこに佇んでいた。
――ドアは、ドアである。錆びた金属でできた、ノブの壊れた重たいただのドアである。その奥に何がいたのかは分からないし、きっとあなたが知るべきではない。とにかくあの男の子は少なくともしばらくは安心して眠れる夜を過ごしたのだし、恐らくそれはそれで良かったのだ。
寿命を告げるドアの噂は、こうしてまた人の舌の上に乗る。男の子から、その友人へ。友人から、その友人の家族へ。広がる噂は、良からぬ者も引き寄せる。
男がいた。迷惑な男だった。人に嫌がられることで注目を浴びては喜ぶ、どうしようもない人間だった。
そんな男が次に目をつけたのは、動画配信サービスである。注目を浴びて儲けが出るとなれば、男がやらない手は無かった。
男は、自身が撮影する動画のテーマを“都市伝説の破壊”に決めた。
内容は単純で簡単である。寿命を告げるドアを壊してみせ、「ほら何も無かった」と言えばいいだけだったのだ。
男は、早速カメラを片手に廃ビルへと向かった。
「何も怖いことなど無い」
男は、窓を割って侵入した。
「全部作り話だ」
男は、ぶら下がったカーテンを引きちぎった。
「怖がり共の空耳なのだ」
男は、大声で歌いながら廊下を歩いた。
そして、赤茶けたドアの前にたどり着いた。
「おおいカミサマよ。お前が寿命を教えてくれるのか!」
左手にカメラを構えて、右手に鉄パイプを持って。男は、ドアに向かってがなり立てた。
「なら俺の寿命を言ってみろ!」
鉄パイプを振り下ろし、何度もドアに叩きつける。耳障りな音がして、ドアの表面に鉄パイプの跡がつく。男はそれに気を良くし、更に痛めつけた。
しかし、案外丈夫な作りだったのだろう。男の持ってきた鉄パイプごときでは、ドアはびくともしなかったのだ。
「……」
男は舌打ちをした。これでは見所が無いではないか。一度帰って、金切鋸でも持ってきた方がいいのかもしれない。
そう思い、そのドアから目を離した、一瞬。
「あと五分」
掠れてしわがれた声が、ドアの奥から漏れ聞こえた。
男は振り返った。タチの悪いいたずらだと思ったのかもしれないし、単純な反応として振り返っただけかもしれない。
しかし、ドアは開いていた。
そのうっすらとした隙間から、何かが男を覗き見て、笑っていた。
―― ドアは、ドアである。錆びた金属でできた、ノブの壊れた重たいただのドアである。その奥に何がいたのかは分からないし、きっとあなたが知るべきではない。けれど男は、五分経っても、一時間経っても、一週間経っても、廃ビルから出てくることは無かった。
だから私から言えるとするならば、やはりあなたはそういった場所に行くべきではないということだけだろう。
いくら周りから廃ビルとして認識されていようと、管理者がいれば住居侵入にあたるし、立ち入り禁止とされていれば軽犯罪法違反に引っかかる可能性もある。
――加えて、人がいるべきでない場所にいるものなど、人であれカミサマであれ、見ないでおくに越したことはないのだから。