03:僕と環境
三話目です。
弟は、アイゼンエルツ始まって以来とも言われるほどの莫大な魔力を持って生まれた。魔力は魔法を使う力で、その多寡によって魔法の威力や使える回数が変わる。魔法に支えられたこの世界では魔力の量が生活にダイレクトに響く。でもそれは平民に限っての話だ。召使を雇える貴族なら、自分の魔法を使わずとも大きな屋敷を維持できる。
しかし貴族には、領地を治めるという意味である意味平民よりも魔力が必要だ。領地を治める領主が魔力に乏しいと領民に示しがつかないというのが、貴族平民問わず今の人間の考えだ。
魔力は普通ならきょうだいの上の方が多く持つ。これは母親の胎内にいる間に魔力の源が子に渡されて、母親が年を取るにつれて源の量が減っていくからだとかなんとか言われている。たまに逆転することもあるが、おおよそ誤差の範囲で大した問題にはならない。
きょうだいの中でも魔力の多い者が家を継ぐ。魔力はきょうだいの上の方が多いことが大半のため、長男が嫡子となる。これで今まで丸く収まってきたんだ。なのにどうして僕の代になって、フランツのような天才が生まれてくるんだ。
今日は弟の誕生日だ。弟のことは家族として愛しているが、素直に成長を喜べない自分がいる。弟の才能と、まだ4歳(今日で5歳か)の弟に黒い感情を抱く自分が恐ろしい。
僕の胸の内とは真逆に、梅雨明けの朝日は眩しかった。昨日の夜は大学に長居をしてしまった。友達が、家からうまい酒を持ってきたなんて言うから飲んでしまった。「一口だけ」と言ったはずだが、飲み始めると止まらないのがアイゼンエルツ代々の悪癖だ。それに大学生特有の浮ついた感じも相まって、家に帰ってきたのは屋敷が完全に寝静まってからだった。
「堕落してるな……」
日を右手で遮って呟いた。この堕落は、世間一般の「学生の中だるみ」とかじゃなく、僕自身の問題から来ていると気付いてはいるけれども、改善する方法もわからないしその気力もなかった。
幸い酒には強いので頭はハッキリしているが、酒を飲める年になって以来、飲める時にはいつも飲んでいる気がする。ダメだ。問題とかそういうのは置いといて本当になんとかしなくちゃ。
こんなことを考えていたら完全に覚醒してしまったので、仕方なく上体を起こす。昨日は帰ってくるなり寝てしまったので、まずは湯に入らなくちゃ。召使たちも今日は朝早くからパーティの準備に忙しいだろうから、湯を沸かすのは自分でやらなくちゃいけないだろう。
魔法を使うための銀の腕輪と着替えを持って浴場まで歩いていると、パーティの準備に奔走するメイドとすれ違った。
「あら坊ちゃん、お早いですね」
「目が覚めちゃってね。浴場は空いてる?」
「今は誰も使っていないはずですが、昨日お湯を抜いてしまったので……」
「大丈夫。自分で沸かせるよ」
「申し訳ありません。お手数おかけします」
こんな会話をしてメイドとわかれた。「自分でやる」じゃなく「自分で沸かせる」といったところに僕のひねくれた根性が見えていて苦笑した。メイドはきっと、僕のことを風呂も沸かせない無能と思ってはいないだろうに。
湯に入ったら少し気分が晴れた。僅かに残っていた酔いと沈んだ気分を洗い流してくれたみたいだ。
でもそれはただの気休めに過ぎなかった。服を選ぶために鏡で自分の姿を見て、また考えなくてもいいことを考えてしまった。
「また痩せたか?」
最近酒量が増えたのに反して、食事の量は減っていた。もともと食べる方ではなかったけれども、出された分を残さず平らげるくらいには胃の容量はあったはずだったが、最近はそれも難しかった。無理に詰め込んでみたこともあったが、食事の後に必ず吐いた。家の者が心配するので、大学に入ってからは家で食事を摂ることも少なくなった。
事実、三か月前にぴったりに仕立ててもらった服が緩かった。フランツの誕生パーティを機に夏服に衣替えをしようと思っていたが、こんなやつれた体じゃみっともない。仕方なく、夏に着てもおかしくないジャケットを探していると、部屋のドアを叩く音がした。
少し緊張して「どうぞ」と言うと、母上が入ってきた。我が子に接するための優しい目は、僕の痩せた体を見た途端、貧民の子を見るようなまなざしに変わった気がした。
「昨日はいつ帰ってきたの?」
「夜遅くです。友達とつい喋りこんでしまって」
嘘は言っていない。「酒があった」などという余計な事実を言っていないだけだ。
「そう、勉強に夢中なのはいいけれど、あまり遅くならないようにね」
僕の言い訳を本気でそうだと信じ込んでいるような母上に罪悪感を感じる。母上の中では、僕は科学を学ぶ変わり者でまだまだ坊ちゃんなんだろう。けれど僕は自分をそこまで世間知らずとは思っていないし、純粋だとも思っていない。
「あなた、少し痩せたかしら?」
これが母上の本題だろう。部屋に入るまでは「いつ帰ってきたの?」が本題だったんだろうけど。
「そうでしょうか。自分ではわかりませんね」
これは嘘だ。僕は自分から見ても明らかに前よりずっと痩せている。母上はそれを聞いて少し安堵した表情を見せた。今度は罪悪感は感じなかった。
「なら気のせいかしら。今日のパーティの主役はフランツだけど、お料理はあなたやカロリーナが好きなものも揃えたのよ。思う存分に食べなさいな」
母上は「鹿肉のソテーや、帝都から焼き菓子も取り寄せたわ」と僕の好物をいくつかあげた。しかし僕はそのどれもに惹かれることはなかった。ただ母上を安心させるために「楽しみです。最近は大学では適当な食事ばかりしていましたから」と答えた。
僕としては「楽しみ」の方を拾ってほしかったのだが、母上は「適当な食事」に意識を向けたようで、心配そうな顔をした。
適当な食事は嘘じゃなかったんだが、言わなきゃよかったな。
罪悪感が胸をチクリと刺した。
思いの外痩せていた体を隠すため、初夏には鬱陶しいジャケットを引っ張り出す羽目になった。
「お兄様、その恰好は季節外れよ」
僕の姿を見たカロリーナの口から出た言葉は、案の定非難であった。
「そうかな?雨が降り続いていたせいか、僕には寒く感じるからこれで丁度いいよ」
「少し寒くっても我慢するのがオシャレなのです」
彼女はその場で一回転してみせた。黄色はカロリーナによく似合う。ドレスもまるで意思を持っているかの如く、カロリーナの動きに合わせてひらめいた。
「それに、お昼からは晴れるようですから今に暑くなってしまうわよ」
「それでもいいんだ」と無理矢理会話を切り上げて、彼女の前から去った。後ろから僕を咎める幼い声が聞こえる。しまいには「これだから変人は~」と恨みっぽい低い声を出して、カロリーナも去っていった。
こういう時に「変人」で済ましてもらえるから楽でいいや。
僕のことを変人と評するのは、何もカロリーナだけじゃない。僕のことを知っている人間のほとんどは僕を変人だと思っているだろう。
その理由は簡単で、科学を学んでいるからだ。魔法によって文明が支えられているこの世界では、科学を学ぶ必要なんて無いに等しい。
魔法さえ使えたら生きていける。物事の原理を知らなくても使えさえすればいいんだ。第一、魔法と相反する科学なんて女神様に対して失礼だ。こういうことを考える人が大半で、金にもならない科学を専攻するのはよっぽど家に財産がある人だけだ。それもあって、「坊ちゃん嬢ちゃんの暇つぶし」として、主に庶民から科学は嫌われている。
その代わり科学を学ぶのは志の高い人が多い。大学の友達も、僕よりずっと頭の回転も速くて、ずっと多くの本を読んでいる。そんな人たちばかりに囲まれて、楽しくないわけじゃないけど少々苦しくなるときもある。僕は科学を学びたくてこの道に入ったんじゃない。「変人」というレッテルが欲しかっただけなんだ。僕は魔法から逃げたかったんだ。
こんなことをメリナが知ったらどんな顔をするだろうか。彼女は僕を尊敬すべき人間として見ている。僕より頭のいい友達から聞きかじっただけの僕の話を、新しいおもちゃを与えられた子供のように目を輝かせて聞いている。
メリナと話すことは良い気分転換になる。でも、キュンメルの屋敷からの帰路で胸が痛くなることもある。メリナは僕にとって、薬でも毒でもある。
今日のパーティにはメリナも来るはずだ。
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