14話 心の鎖は既に無く…
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意識を取り戻すと頭が鈍い痛みを発していた。
波間を揺れる小舟の様に視界が揺れて酷く気分が悪い。
私はどうしたのだろうか、何をしていたのだろうか…。
そう思考を巡らせた事で少しずつ混濁していた意識が明瞭になって行く。
私は…そうだ。ウィルの仕事場で話をしていた時急に気を失ったんだ。チクリと虫に刺された様な感覚。それがきっかけで気分が急に悪くなった事も思い出す。
ユラは情報の整理をしながらまだ怠さを感じる体を起こすと、ジャラリ…と酷く聞き覚えのある音、そして感触が自分の足に纏わり付いている事に気がついた。
恐る恐るそちらへ目を向けると、ついこの間解放されたばかりである筈の奴隷たる象徴が装着されていた。
「なんで…」
震える声で呟きながらユラが冷たい鉄輪へ触れると、自分の魔力が押さえつけられているのを感じる。
慣れた感触、そして感覚。そのどれもがもう自分には必要の無い物だった筈だ。
だが実際にそれは、魔封石で作られた奴隷の鎖は自分を再び縛っている。
「おはようございます」
声が聞こえ、ユラはようやく我にかえった。
思いのほか自分は動揺していたらしい、周囲の状況どころかすぐ近くに控えている男にさえ気がつかなかったのだから。
冷えたタイルの硬い床、殺風景な間取り、格子に遮られた向こう側にはバジル達に執事秘書と呼ばれていた初老の男が立っていた。
「貴方は…ウィルさんの仕事仲間の方ですね?何故こんな事を」
「君が、思ったよりも賢かったせいですよ。結末は変わりませんが、それでも少しの間だけ自由な時間が楽しめた筈だったのに…まったく」
大きく息を吐いて嘆息する様は執事と呼ばれる男に似合っていない。
これがこの男の素なのだろう。
今では大きな商会を取り纏める男の右腕の様なポジションに収まり、洗練された仕草で数々の商談を乗り切っている執事秘書であったが、彼は若い頃からウィルの懐刀として汚れ仕事をこなす元開拓者の傭兵でっもあった。
大道芸人の様に手元から鋭い針や短剣を出したり消したりを繰り返す執事秘書を見てユラは自分の首筋に手を当てる。
毒…か、最強の銀狼族が聞いて呆れる。
疑念を持っていたのにも関わらず、血の繋がらない妹の知人と言う事で無意識に警戒を薄めてしまっていた。
もし本気の殺意を向けられたのならまた話は別であったのだろうが、執事秘書の目的はあくまで捕縛であった。
なんでそんな事を?
口にしたのと同じ疑問が浮かぶユラへと執事秘書とはまた別の声がかけられた。
「私には君が必要だと…そう言っただろう?」
コツ、コツと皮で出来た靴が地面を叩く音が聞こえてくる。
「本当ならもっと娘と父の時間を楽しみたかったんだが…ヤコの事もあるのでね。だがそれももうおしまいだ」
足音は次第に大きくなっていき、遂に彼が姿を現わす。
でっぷりと脂乗った腹。不健康そうな顔に全く似合っていない可愛らしいウサギの耳を生やした男。ウィルだ。
状況や声から分かりきってはいたがそれでも衝撃を受けてしまうのは仕方がない。
何せ、苦労して奴隷から解放されてきたのにも関わらず愛する妹の父親からこんな仕打ちを受けたのだ。冗談にしては趣味が悪すぎる。
「もう一度聞きます…なんでこんな事を?」
鎖の耳障りな音を立てぬ様体の体制を整えるユラの表情からはいまいちその真意は読み取れない。
ウィルはそれを恐怖でまともに思考もできなくなっているのだと考えフンと息を吐きながらユラを見下した。
「売るためさもう一度…な」
「…会長」
「構うものか、鎖を付けて何年も思いのままに動かしていたと聞いてるぞ。今更何を聞かせたところで問題はないだろ」
もう一度売る。そして頭に浮かんだある人物と接点があるような言葉を聞いて、ユラは全てを察した。
「私を…母をカーマスに売ったのは貴方だったんですね。ウィル・ランデブー」
顔を前髪で隠したままユラは声を漏らすが、まるで幽鬼の様な姿に執事秘書は怖気を感じてしまう。
「何故ですか?」
端的な問いにウィルは淡々と答えていく。
「あの時は商売に行き詰まっていてね…端的に言えば金が無かった」
「そんなことのために私達を売ったんですか?母を愛していなかったんですか?」
「愛していたさ。最初はね。でも愛だけじゃ商会を守ることができなかったんだ。そんな風に頭を抱えていたとある日、私に商談を持ちかけてきた人物がいたのさ」
銀狼族の親娘と引き換えに莫大な資金援助を約束しよう。
言わずもがな、奴隷商人カーマスのことである。
「私は二つ返事で飛びついたよ…元手さえあれば商売は幾らでも続けられる。それどころか多額の初期投資により大きな収入だって見込めると考え、実際それは正解だった」
しがないキャラバンの一角でしかなかった商店が一代にして首都に本店を構えるまでに成長した。
つまりはヤコからバジルが聞いていた話は全てが誤りであったのだ。
ウィルが親娘を失った悲しみを払拭するためがむしゃらに商売を頑張り成功させた事実など無いし、商人のツテを使い行方を捜していると言うのも嘘だ。
それどころか、彼女たちを奴隷商へ売り渡したのは彼自身であり情報など探すまでも無く、カーマスへ連絡すれば手に入れられるのだ。
多額の軍資金を運用し、店を急成長させたのは彼自身の実力ではあるのだが、その方法は褒められたものではなかった。
ウィルの言う通りユラの母、アシュリーの事を愛していたのは事実なのかもしれない。
だがそれよりも、彼の欲と野心が大きかっただけの話だ。
それこそ妻とその連れ子を売り払ってしまうくらいには。
「いや…それにしても君が帰ってきてくれたのは僥倖だった!恥ずかしながら最近あまり仕事がうまくいってなくてね。もう一度盛り返すために資金が必要だったんだ。カーマスは死んだって聞いたから新しい取引先を探さなければいけないのがネックではあるけれど、銀狼族を欲しがる好色は幾らでもいるさ」
呆れる執事秘書をよそに楽しげに話を続けるウィルの言葉をユラは途中から殆ど聞いてはいなかった。
その太った腹や指に嵌められた煌く石がつけられたアクセサリーを見てユラの中で燻っていた火種が赤みを増していく。
私の母はその無駄な贅肉の為に死んだのか。
私の母はその指輪や調度品の為に死んだのか。
私の母はその野心の為に死んだのか。
どれが本当のお前の顔なんだ。
幼いヤコと私に優しく笑いかけた幸の薄そうな痩せた男の顔か。
母に愛を語った男の顔か。
非情に己の利のため家族を捨てた男の顔か。
だがそんなものは最早どうでもいい。
ただ一つ「今」言える事は、執事秘書やウィルは勘違いをしていると言う事だった。
ユラが長年カーマスに従ってきたのは、苛烈な調教や、徹底して心に刷り込んできた暗示にも似た心を縛る鎖があったからに他ならない。
現に調教の効果が薄かったユラの母は度々力づくで牢を破り大暴れしていた。
魔力が封じられていようと、この程度の強度しかない枷など容易く砕く事は容易なのは母が証明している。
カーマスはそんな自分の失敗とも言える情報を意図的にウィルへ流さなかった。
そして、彼女の心の鎖はとうに砕けている。
その日、1匹の獣が首都ノーウィークに解き放たれた。
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