12話 治癒の唄
おびたたしい量の鮮血が舞い視界が紅に染まる。
斧を持ったオークに肩から腰の辺りまでにかけて袈裟斬りにされた男性が鮮血を撒き散らせながらゆっくりと倒れて行く。
その男はよく兄に突っかかった挙句家の戸に馬の糞を擦りつけられている農民であった。
一目見ただけでそれが致命傷だと分かるその男は1分か、それとも30秒かそう遠く無いうちに命を落とすであろう。それがこの男の運命であり寿命なのかもしれない。
しかしこの場には隣人の死を絶対に許さない者がいた。
『癒しの讃歌!!!!!』
瞬間周囲にリンとした鈴の音が響き渡りその音に同調したように翠色の波動が広がった。
リン…リン、と一定のリズムを刻む鈴の音を伴う波動が農民の男を包み込む。
一抹のむず痒さを斬られた部分に感じ目を細めた農民の男はいつまでたっても訪れない死を訝しみ傷口を見て驚愕する。
「あれ…傷が…トワイア?」
呆然としている農民の男が揺れる瞳を呪文を口にした者へと向ける。
そこには息を切らしながら魔法触媒の杖を振るう青年がいた。
金髪を短く切り添え碧色の瞳を疲労に歪める青年。アントリウム兄弟の次男。トワイアであった。
農民の男は傷跡とトワイアに視線を交互させながら困惑げにしている。
無いのだ。魔物にもたらされた傷が。切り裂かれた衣類がその怪我の痕跡を残してはいるが肝心の命を脅かす深い傷が跡形も無く治癒していたのだ。
「早く!!!逃げてください!!!!」
怒号にも似たその声に農民の男は我に帰りワタワタとその場を逃げ出した。
その間彼を袈裟斬りにしたオークはというと、キャラバンの護衛である開拓者達が足止めをしている。しかしその旗色はあまり良いとは言えないようだ。
「ぐっ…ああああ」
1人の開拓者が圧倒的な膂力によって薙ぎ払われ家屋へと叩きつけられる。内部の骨にも異常があるようで口から赤黒い血痰を吐き出していた。
その開拓者は先日の襲撃の際にもオークを相手にして問題なく退けていたのだが今回は何故かその限りでは無く、敗北を喫している。
「はっ…『癒しの讃歌』!!」
再び鈴の音が響き渡り怪我を負った開拓者を癒した。
流石は荒事にも慣れているだけあり開拓者は怪我がなくなったことを見るや体勢を立て直しすぐに戦線へと復帰した。
しかしその内心トワイアの放った治癒魔法の効果の高さに驚愕していた。開拓者として荒事に関わる中治癒魔法の使い手と接する機会も多いのだが致命傷を一瞬で消し去るほどの使い手を彼は見たことが無かったからだ。
だがそんな疑念に囚われている余裕の無い開拓者達は再び激しい戦闘に身を投じていった。
残されたトワイアは他にも怪我した者がいないか探しに行こうとするが魔力を一気に消耗した事で立ちくらみを起こしてしまう。
トワイアの使う治癒魔法が効果が高いのは勇者としての素質を見出されるくらい上質な魔力を常人の何倍以上も備えており、それをバランスなど考えずありったけ怪我人に注ぎ込んでいるからに他ならない。
しかし彼は特別な教育機関で魔法を習得したわけでは無く独学であり習得している魔法は本来致命傷を治す程の効果は無い筈なのだが、それをトワイアは量、質共に規格外の魔力保有者である事を活かして一回一回の治療に全力の魔力をぶつけているのだが当然そんな事をすればどうなるか、魔力切れの兆候が出ている彼の顔色を見れば明らかだろう。
まるで1つの食器を洗うためにいちいちダムを開閉しているようなものだ。そんな物が効率が良いわけがなく幾ら大量の水を蓄えていたとしても限界はすぐに訪れてしまうのは道理だった。
ゴブリンやオーク、平原狼等の下級な魔物達が村を襲い始めてから随分と経った気がする、いや或いは1時間程度しか経っていないのかもしれないがその間ずっと怪我人の回復に努めていたトワイアにのし掛かる疲労感は甚大であった。
視界が揺れてその場に崩れ落ちそうになったが倒れる瞬間、何者かにグイと右腕を引き上げられて何とか持ち直す事が出来た。
「すいません、ありがとうござい…っ!!」
礼を言おうとして自身の腕を掴む人物を見てトワイアは思わず閉口してしまう。
「そんな反応は無いでしょうトワイア様」
戦場とは思えない程和かに、服に着られているようなその胡散臭げな男は笑っていた。
それはつい先日最後の面会を終えて我が家を去った王都からトワイアを勇者として勧誘に来ていたヘンリー・マグレガーという名の男であった。
そばに仕えていたペインと呼ばれていた従者はどうやら不在で彼1人の様だ。
「どうやらスタンピードが起きたようですねぇ…」
何処か周囲の緊張感とはポッカリと隔絶されたかの様な態度で顎を弄りながら呟いた言葉は独り言と言うよりもトワイアに聞かせるために口にしたようである。
こんな状況であっても芝居のかかったいつものポーズを崩さない所に益々の胡散臭さを感じる。
「スタンピード…ですか」
ヘンリーの言葉を反芻しながらその単語の意味を考えた。
一般的にスタンピードとは家畜の集団暴走などを指す言葉であるがこの場合魔物に適用するのが正しいだろう。
ダンジョンという様々な要因によって発生する魔物の住処から大量の魔物が溢れ出す事、環境の変化によってある種の魔物が大量発生する事。
魔物のスタンピードが起きる原因は色々あるがこの村の近所にダンジョンがあるなんて聞いた事がないし、取り巻く環境だって例年と変わらずとても穏やかだ。
トワイアにはスタンピードが起きた原因など分かるはずもなく唸るがそれ以外にゴブリンの襲撃さえ滅多に起きなかったこの村が大量の魔物達の脅威に晒される気の利いた理由なんて思いつかない。
結局、ヘンリーの言葉を待って黙りこくることになるのだが当の本人は緊張感のカケラもなくポケッとした表情で空を眺めていた。
「…っ兎に角村の人たちを非難させないと!!」
「え、ああそうですねぇ…確かキャラバンの方々が女子供を優先して馬車へと押し込んでいるみたいですけど」
「?」
やる気の全く感じない話し方と村の人間の安否について全く考えていなかったような表情を訝しみながらトワイアは続く言葉を待った。
「どうやら村に侵入してきた魔物達だけでは無く何でか村の周囲にも大量の魔物達が取り囲んでいるみたいなんですよねぇ…開拓者達の護衛だけでの突破は厳しいかと」
「そんなっ…」
ヘンリーの言葉通りならこの村の住民や商隊の人達は死を待つだけである。
トワイアはガタガタと震えながら大勢の魔物達に蹂躙されている村の未来を想像し顔を青くした。
次々に関わってきた人間の顔が浮かんでは消える。まずは隣人である村人達だ
兄には辛く当たる彼等であったが将来を有望視されたトワイアに対しては友好そのものだった。あまりに違うその態度に幾らか腹を立ててはいたが長らく付き合ってきた顔見知り達が死ぬのはやはり辛い。
しかもただの顔見知りだけで無く、数少ない友人達も浮かんだ顔ぶれの中には存在した。
アンデルセンさん、兄に対する悪態はいつまで経っても変わらないけれど幼い頃からの長い付き合いでそのほとんどがただのポーズだという事も分かっている。本当に嫌いならば魔道具の知識なんか教えを請われたらとしても無視していた事だろう。
ヤコさん、小さい頃から遊び相手になってくれたり食事を共にしたりしている獣人の可愛らしい女性。現在は父親の人脈を引き継ぎ商隊に参加している。
この人には密かに兄の恋人にと考えていたがどちらもそんな気配を見せないので少し落胆している。
トリルとカーター、あともう1人彼等と連んでいる奴がいるけれどそいつは嫌いだ。死ぬ程嫌いだ。死んでくれとまでは言わないけれど。ずっと何年も兄への直接的な嫌がらせを先導しているのだから当たり前だろう。
だけど取り巻きの2人の方は何だかんだあんまり酷いようならその人物を諌めてくれたり、馬鹿話をして盛り上がったりしていた。
…あまり言葉にはしたくないが彼等の態度が他の村人よりも柔らかいのは綺麗な女性にしか見えない兄の被害者だからというのも大きいかもしれない。
他にも友人と言って差し支えない交流を経た者達がいる。
その全てが死ぬかもしれない。いや、村中に戦火が広がっている現状を見るにもう何人かは手遅れかも知れない。
魔力を使った非楼観とは別の心を重く押しつぶすような圧迫感に襲われまたもフラついてしまうが今回はヘンリーの手を借りずとも耐える事ができた。
それはたった1つ、兄だけは助かるかもしれないという希望を見出したからだ。
僕や他の人たちが死んでしまったとしても兄だけは隣町にいて難を逃れる事ができる。
絶望の中で見つけたその事実に安堵しかけるが胸の奥を苛む吐き気を催す様な痛みが消えることは無く顔をしかめてしまう。
勿論僕自身死ぬのは嫌だ。だけどそれ以上に親しくしてくれた人達が死ぬのはもっと嫌なのだ。
堂々巡りな思考の海の中で溺れそうになっているトワイアを見かねたのかそれまで黙っていたヘンリーが口を開いた。
「村の皆さんを救う方法がありますけど…聞きたいですか?」
「っ!!本当ですか!?」
藁にもすがる思いでヘンリーに期待の目を向ける。
しかし帰ってきた言葉はトワイアが求めていたものとは全く違っていた。
「貴方が村を…いや世界を救う勇者となれば良いのですよぉ」
手を広げ大仰な仕草でそんな事を宣う胡散臭い男をトワイアは打って変わり冷めた目で見ている。
期待していた答えが貰えないからふて腐れるなどまるで子供じみた態度であったがこんな有事の際にまだ夢物語のような事を宣うこの男が悪いのだとトワイアは思う。
「だから…僕に勇者なんて無理です。なにかの間違いなんです」
そんな弱気な事を言いつつもトワイアは村の知人達が死ぬのは認められないでいた。それは彼が騒ぎが起きてからずっと怪我人の治療の為駆けずり回っていたことからも分かる。
攻撃魔法など覚えてはおらず、兄のように魔力と関係無く戦う術を身につけているわけでも無い。
ただ恐らく何かしらの力を彼が今持っていたとしても使うことは難しかったであろう。
トワイアは恐れているのだ。
己の力が命あるものに向かう日が来るのが。
この期に及んでそんな事を考えている彼は臆病者と罵られるか、はたまた勇者らしい慈しみの心を持っているともてはやされるかどちらだろうか。
いや、考えても仕方の無い事だろう。そもそも自分には戦う力なんて無いのだ。
ここは開拓者の方達と協力してどうやってこの場を切り抜けるかを考えるのが一番だ。
今もなお戦闘を続ける彼等のサポートに向かおうとして駆け出そうとしたトワイアをヘンリーは、懐より何かを取り出し目の前に掲げる事で制した。
「まだ何か用ですか?ヘンリー…さんも早く避難した方が良いですよ」
「心配してくれて感謝します。これだけトワイア様に渡したら早々に退散しますよぉ」
そう言って彼が手渡してきたのは先端に透き通る水面のような石が嵌め込まれた魔法触媒であった。かなり古いものようで肢の部分が少々くすんでいたが作りはしっかりしている。
「これは…僕は自分の杖を持っているので結構です」
ガンベルトに納められた自らの触媒をポンと叩いた後、受け取ったそれを返そうとするが彼は拒否の姿勢を示している。
「その触媒には一つだけ、攻撃魔法が覚えさせられていてトワイア様が魔力を込めれば発動できるようになっています。それを使えばこの状況を打開できるかもしれませんよ」
ヘンリーの言葉に思わず手元の触媒にマジマジと視線を向けてしまうがそれがとても恐ろしい物に感じて首を振り、やはり返そうと顔を上げれば既にそこにはヘンリーの姿は無かった。
辺りを見回してその姿が見つけられず唇をかんだトワイアはチラリと渡された触媒を見た後数瞬悩み結局、ホルダーの自前の触媒と取り替えて納めた。
「使わなければ良いんだこんな、怪しい物…乗り切った後返せばそれで良いんだ)
自分に言い聞かせるかのように呟きながらトワイアは魔物に押されているであろう開拓者達の元へと向かった。




