10話 兄弟の思い
時はバジルが馬で職場へ向かうため家を出た頃に遡る。
「ヤコさんは兄さんの恋人なの?」
「ゴッホッッ…!!」
食後にお茶をとバジルの弟、トワイア・アントリウムに誘われ寛いでいたのだが彼の唐突なそんな問いに行商人の娘ヤコは盛大に含んでいたお茶を吹き出した。
「と、トワイア君何言ってるの?バジルちゃんとはそんな関係じゃないよ?」
汚した机を掃除しながらそんな事を言うヤコの顔はやや赤い。
「何だお前、あんな能無の小僧が好きなのか。趣味が悪いな」
因みにヤコと同じキャラバンに所属している魔道具売りのアンデルセンも食後のお茶を楽しんでいる。
「そうなの?来る度に兄さんとコソコソしてるから僕てっきり…」
考え込み腕を組むトワイアを見据えてヤコは「本当にそんなのじゃないの」と前置きをしてから言葉を選ぶようにポツポツと話し始めた。
「バジルちゃんは…そう、勿論友達なんだけどそれよりも共犯者?って言葉が一番あってるかも」
「共犯者?」
あまり馴染みのない表現に思わず聞き返してしまう。
「そう共犯者。一緒に悪巧みして笑い合う、そんな関係。勿論本当に法を犯す様なことをしてるわけでも無いけどね」
快活にニカッと笑みを浮かべるヤコは爽やかに人を惹きつける魅力を持っていた。
「何年も前からバジルちゃんは必死に何かを作ってた。それが何なのか分からないけど自分の境遇なんて物ともせずに頑張る姿を応援するのがとっても楽しいの、それだけ」
自分の長耳をフワリと撫で付けながら呟くように言葉を紡ぐヤコをトワイアは優しげな瞳で見守っていた。ヤコの様子からは彼に対する親愛が感じ取れたがそれが恋愛に変化する事をトワイアは密かに期待している。
「それだけ…か、残念」
兄がずっと前から自分に秘密で何かを作っていることは知っていた。度々実験と称して裏庭の射撃場を吹き飛ばしていれば誰でも分かる。
その秘密の一端をヤコに担わせている事から兄が彼女を信頼しているのがうかがえる。弟としては兄の幸せを願うのは当然だろう。
弟にばっかりかまけて自分の事は一切顧みない。兄の気持ちは素直に嬉しいけれど弟の自分からすればそんな兄にこそ幸せという物が相応しいとも思う。
恋人作って結婚して家庭を作って。そんなありきたりの幸せを兄に享受してほしい。
その小さな願いでさえ兄の能無という境遇のせいでそれも難しい。しかし魔力が少ない獣人のヤコならば能無の事など気にはしないだろう。
「能無を応援とは暇な奴だな」
空気を読まずそんな事を言うのは美味そうに茶を啜る魔道具売りのアンデルセンだ。因みにその茶の仕込みも兄がしている。
「いい加減そんな言い方やめたらどうですか?何だかんだ兄の事を手伝ってくれている事は知ってるんですよ」
「別にアレのためでは無いわ」
途端に不機嫌そうにギシリと椅子を軋ませるアンデルセンを見てトワイアは思わず溜息をついてしまう。
(アンデルセンさんって、能無の事は本当に嫌いらしいけど兄の事は嫌っているわけじゃあ無いんだよね?)
初対面の時こそ嫌悪感タップリの表情で迎えられたが今ではそれも大分軟化していると感じている。
…兄に対する悪態や嫌味は相変わらずだけど。
どうにかならないものかな…。
「そんな事言って魔道具の話とか兄によく聞かせてくれるじゃ無いですか」
「だから…はあ、奴は儂が知っている他の能無共とは違う。どんな事をやらかすのか知りたい。…それだけだ」
「それだけ…ですか」
数分前にも同じような言い訳を聞いた気がする。
「儂の話はもう良いだろう。それよりもヤコ、お前の話だ」
「あたし…ですか?」
トワイアの関心がアンデルセンへと移り慣れぬ色恋沙汰の熱を冷ますため静かにしていたヤコが難しい顔をしているキャラバンの重鎮に声をかけられビクりと肩を揺らした。
「ああそうだ。お前は我がキャラバンの中でも有望な出世株なんだから、あんな男か女か怪しい能無の小僧に現を抜かすのはやめておけ」
「だからそんなんじゃ無いですから!!」
「何か悩みでもあるなら儂や他の仲間が聞くぞ?ああ、トワイアは駄目だからな、ウチの孫のだからな」
「「違いますからね!?」」
叫んだのは同じセリフだが含んでいる意味はそれぞれであった。
いつの間に僕はアンデルセンの孫の物のなったのだろうという困惑顔のトワイアと再びバジルとの関係を勘ぐられて赤面するヤコ。
このままではキャラバンの他の面々にも妙な誤解をされかねないと危惧したヤコがアンデルセンへと詰め寄る。
「悩みなんてありませんし、何度も言いますけどバジルちゃんの事は別に異性として見ていませんから!どっちかと言うと姉とか兄とかお母さんとかそんな感じです!!」
「確かにヤコさんは悩みなんて無さそうだよね」
「何でトワイア君がちょっと不機嫌になってるの!?」
バジル・アントリウムを兄と呼んで良いのは自分だけだ。ヤコさんと言えどもそれは譲れない。
言葉に少々の棘が混じってしまうのも仕方のない事だろう。
「あ、あたしだって悩みくらいあるんだから!」
一転してそんな事を言ってくるヤコ。
悩みなんて持たないお気楽な性格だと言外に言われたように感じプリプリと怒っている。
「何だやっぱりあるんじゃないか。どれ、儂に聞かせてみな」
「えーっと…えーと、なんか最近魔物の襲撃が多い事とか…後ろの馬車の演奏がうるさい事とか……あと…、とにかくいっぱい悩んでるんだから!」
旅の行商人なのだから魔物と対峙するのは当たり前だろう、その為に開拓者達が護衛を請け負っているのだ。そして楽器の演奏なんてその馬車の人間と少し話し合えばどうとでもなりそうな物だろう。
考え込んでいた割に2つしか上がっていない。
「まあまあ、落ち着いて。お茶でも飲みながら兄さんの話でもしませんか?」
「お茶は良いけど、本当に違うんだからね!?」
賑やかさを取り戻したお茶会の中アンデルセンだけは顎の髭を弄りながら何やら考え込んでいる。
揺れるお茶の湖面をジッと見つめるその表情からはどんな感情の色も伺えない。
結局その後アンデルセンが自分から何かを口にする事は無かった。
♢
「はあ、やってくれたな…え?ハドソン」
一夜の祭りが終わりを告げ喧騒に包まれていた店に静寂が訪れる。
臨時の従業員も荒くれ者の客も家路につき、騒ぎを聞きつけてやって来た保安官や怒り心頭の近隣住民にはどうにかおかえり頂いた。
しかしそんな静けさに満たされた店であっても額に血管を浮かび上がらせ住民達以上に怒気を充満させる強面の男がいるだけで場の空気がピリピリと重くなってしまっている。
「……………すまん」
カウンターを隔てて強面の男性と対峙しているのは見るからに気落ちしている女性…に見違う艶かしい容姿をした男性、バジル・アントリウムであった。
長く艶やかな黒髪を背中に流し、俯向きながらグラスの注がれた琥珀色の液体を眺める様子もやけに様になっている。
「そう言いながら店の酒で遊ぶんじゃねえよ。呑めねえだろお前」
「………………すまん」
全く同じ謝罪を口にして再び項垂れるバジルを見て酒場の店主は腕を組みながら大きく溜息をついた。
ドが付くほどの下戸の癖に酒の注がれたグラスを宝石のように愛でるバジルを見かねた店主がその手の酒を奪い取り一気に煽る。
抵抗するでも無くその一連を見守ったバジルは不機嫌そうに目を細めた。
「酷えな…俺の酒だぞ」
「お・れ・の、酒だ。金も払わねえ奴にウチの店の酒はやらねえ」
フンと鼻を鳴らしてグラスを磨き始める店主。
普段のバジルならば悪態の1つでも吐きそうなものなのだが今の彼にはそんな元気はないようで、ただ「すまん」と呟きながらカウンターに突っ伏している。
彼がこれ程までに落ち込んでいる理由はたった1つ。それは保安官や店主にしこたま叱られたからでも魔鋼の爆発に驚いた客が糞を漏らしてしまいそれを目撃したからでもなく、近隣住民からの苦情のせいでショーを行うことが禁止されてしまったからである。
その日普段の倍以上のチップを稼げたとは言え、今後のショーが行えないとなると長期的に見ればマイナスだ。
客を巻き込んだショーや普段答えるつもりが無いアンコールにも手を出し荒稼ぎしようと考えていたバジルの計画は全てパーになってしまったのだ。落ち込むのも無理は無い。
「…何をそんなに焦っているんだ?」
背を向けた店主が酒を並べながらぶっきら棒に声を掛けてくる。その声色からは先程ほどの怒りは見られない。
純粋に普段と様子の変わったバジルのことを案じているようであった。
「別に、金が必要なんだよ」
「賭博に負けて借金でもしたか?」
「俺は賭け事なんて好きじゃあねえし人から金も借りねえ…ただよ」
ポリポリと頬を掻きながら弄ぶグラスと酒を探すが手元の物は全て店主が片付けてしまった。諦めて溜息を1つ吐きながら指を組んで筋骨隆々な背中を見据える。
「弟を学校に通わせてえんだ」
それだけ言うとバジルは再び机に伏してしまった。
美しい女性にしか見えない男の言葉を聞きゆっくりと振り返り項垂れるその姿を見る。
「そうしているとお前が普通の能無に見えるよ」
店主の言葉に目線だけを上げて怪訝に言葉を返す。
「普通のって、何だよ」
「俺だって40年以上も生きてるんだ。珍しいって言っても他の能無を見た事くらいある」
「んで、それが何だってんだ?」
バジルは俯いたまま本当に興味があるか怪しい様な態度で店主に相槌を打つ。
「そいつら全員この世の終りみたいな辛気臭えツラしてやがった。能無って奴は大なり小なり糞みたいな扱いをされてるもんだろ?お前だってその筈だ。なのにお前は…」
カウンターに突っ伏すのを辞めたバジルは、頬杖をつき店主に向けてニヤリと悪戯好きそうな笑みを浮かべた。
「俺がそいつらとは違うって?当たり前だ。俺はバジル・アントリウムだからな」
言葉の意味がわからず店主は首を傾げる。
「確かに小さい頃には能無だってせいで危険な目にもあったし、村の連中から嫌がらせを受ける事もしょっちゅうだ」
バジルは「でもな」と言葉を続ける。
「俺は弱え立場に甘んじてる奴等とは違うんだよ。能無?それがどうした。魔法や魔道具なんか使えなくても火は起こせるし畑も耕せる。それに大抵の奴なら杖さえ奪い取りさえすれば腕っぷしだけで喧嘩が出来んだ」
能無に生まれた事を事を悲観しないと言うバジルであったが店主からすればそれが考えられない事だった。
魔力を持たない能無は人、人間では無いと蔑まれ家畜のように扱われるのがこの世の常でありバジルの方が異常なのだ。
とは言えそういった部分が気に入り彼をこの店に置いている店主は心の底で期待していた返答に思わず笑みを溢してしまいそうになる。
「それによ、折角お袋に綺麗なツラ貰ったんだから下なんか向いてちゃ勿体ねえだろ?」
「…そうかい」
傲慢な発言にも思えるがなるほど確かに、自信に満ち溢れたその笑みには鮮烈な程に人を惹きつけるような魅力と高級な娼婦にも似た艶麗さが同居している。確かに俯いた状態のままそれが拝めないというのは損という物だろう。
…だが、まあ。
バシャっと水が跳ねる音が静かな店内に響いた。
「わっぷ、…何すんだてん…ちょ……」
言葉は続かずバジルは先程と同じようにカウンターへと沈んでしまった。しかし少しだけ差異がある。
それはバジルの髪が濡れ、寝息を立てている事だ。荒っぽい言葉使いに反してスヤスヤと可愛らしい声が漏れている。
「奢りだ」
それだけ言って酒場の店主は強めの酒が注がれていたグラスを洗い片付けた。
先程バジルが下戸だと言ったがそれは重症なもので顔に酒を掛けられただけでこうして酔い潰れてしまっている。
「まったく…お前のそんな所は気に入ってるけどよ」
全てのグラスを磨き終えた店主はグッタリとしたバジルを担ぎ上げ夜は宿屋としても使っている空き部屋に放り込んだ。
「店の売り上げ落とした事くらいもう少し申し訳無さそうにしやがれ」
ショーが禁止になって困るのは何もバジルだけでは無い、バジル…ハドソンを目当てにしてやって来る客が軒並み居なくなるのだ。その数は決して少なくない。
「はあ…」
明日からの売り上げを想像し思わず溜息を吐いてしまう酒場の店主であった




