作戦開始、みたいです。
バッタの先頭集団の進みは僕の予測より鈍く、群れはまだエズラの町を覆っていた。ドラちゃんのお兄さんが大きな声で咆哮を上げる。元から大柄だった男性の体が捩れて、膨れて、僕のこじんまりした店より大きなドラゴンが姿を現した。
馬のいななき、ヘイズの部下たちの悲鳴。
そんなものお構いなしに、白金のドラゴンは目も眩む程の極光を空に撃ち放った。おぉんと空が鳴く。
斜めに空を薙いだ光は、梢の頂を消し飛ばしながらバッタたちを一瞬で塵に変えた。黒雲のようなバッタの群れの中にぽっかりと空いた穴。しかしそれもすぐに塞がりつつある。
「今だ、行け、バルドー!」
ヘイズの叫びを合図に、ドラちゃんが僕のベルトを掴んで空に飛び上がった。風切る音が耳を聾する。頭が痛くてたまらない。こんなことなら耳栓もしてくれば良かった。
空から見下ろして見てゾッとする。
バッタの群れはとんでもない規模だった。
見渡す限りびっしりと空を、大地を埋め尽くすほど。風に乗って瞬く間にやってきたのだろう、その通り道の農作物はほとんど壊滅状態だ。
無理だ。
こんなのを相手にできると思ってたなんて、そんな考え自体、どうかしてたんだ。
頭によぎったのは、「天罰」という言葉。
もう、この国はおしまいだ。おしまいなんだ!
「バルドー、鼻摘まんで耳から息を抜いて。もう高さは変えないから!」
ドラちゃんの言葉に我に返った。
急いで指示に従って、僕は気合いを入れ直す。
しっかりしろ、少しでも被害をなくすために力を尽くすんだろう、バルドー!
逃げたいだなんて、バカか。僕がここで逃げ出したら、エズラの町はどうなる? ヘイズは? それに何より国はまだ滅んじゃいないんだ。遠くに煙が上がっているのが見える。あれは火でバッタを迎撃しているんだ。そう、蝗害をどうにかしようと動いているのは、僕らだけじゃない。
王都の皆、エズラの人たち、ヘイズ……それにドラちゃんのお兄さんも。僕は僕にできることをしよう。
「ドラちゃん、君、しばらく息を止められたよね?」
「うん! 飛んでる間なら一時間くらいは平気だよ」
「よし、薬を撒き始めるから、息を止めておいて。あと、できるだけ群れの先頭へ飛んでくれ!」
「あれっ。お薬は小麦畑に撒くんじゃないの?」
「いいんだ、こっちの方が効果が高い。作戦変更だよ!」
「オッケー!」
僕はガスマスク、ゴーグルの具合を確かめてから殺虫剤を散布し始めた。まるで歯が抜けるように、薬液が触れたところからバッタの群れに穴が開く。さすが濃縮液、速効性だ。
「お薬すごい効き目だね!?」
「まぁね」
ドラちゃんが驚いている。確かによく効いている。ヤツら何でも食べるから、目の前の仲間の死体も食餌にしか見えてないだろうし。それを食べて連鎖的に死んでくれたら嬉しいけど、効果は段々薄まっちゃうし、薬には限りがあるからな……。
「ねぇ、バルドー。キミってすごいね」
「へ?」
「今回のこと、お兄ちゃんから知らされたとき、ボクは真っ先にキミと逃げることを考えたんだ。でも、キミは違った。皆のために戦おうとした。ボクは、自分が恥ずかしくなっちゃったよ」
「そんなこと……」
よしてくれ。
そんなの、買い被りだ。
「ううん。バルドーはすごいよ! ボク、バルドーと飛べて嬉しいんだ。バルドーのことはボクが絶対に守るから! だから、安心してね!」
「何? 風で何て言ってるか聞こえないよ!」
「……何でもないよ!」
僕は風のせいにして、ドラちゃんの言葉を聞かなかったことにした。
ドラちゃん、ごめん。
作戦変更だなんて嘘、僕は最初からこうするつもりだったんだ。
先回りして農作物に殺虫剤を撒くだなんて、実際には間に合わない。ヤツラの数を減らすためには、できるだけバッタの群れの先端へ行って高濃度の殺虫剤を散布しまくるしかなかった。もちろん、そんなことすれば僕だってただじゃ済まない。
しかもアイツら縦に横に拡がるから、僕がカバーできる範囲は少ない。薬が切れる頃には群れのど真ん中だ。だからあとは、最後っ屁ばりにバラ撒いた殺虫剤に火を点けるくらいしか思いつかなかったんだよ。
僕は英雄じゃない。
大きな不利をひっくり返して、物語を大団円に導く力なんてない。だから、自分の体の一部が、もしくは全部が無くなることくらいは覚悟しないといけない。
何か大きなことを成し遂げるのには、代償が必要だ。
国をひとつ救うつもりなら、命をひとつ捧げるくらいが妥当じゃないか?
これを「犠牲」だなんて言うつもりはないよ。どちらかと言えば償い、かな。僕は殺しすぎたんだ。でも、最後のワガママを叶えてもらえるなら、ドラちゃんだけは助かってほしい。生き延びてほしい。僕のことなんか放って、逃げてほしい。
ドラちゃんだけなら、どこまでも飛んでいけるんだから。
僕と一緒に死んで、なんて言えないよ……。
胸ポケットのライターを手で押さえる。
覚悟を決めてドラちゃんと僕を繋ぐベルトを外そうとしたとき、突然の轟音が僕の耳を嬲った。