最大のピンチみたいです。
外の大騒ぎで僕は目を覚ました。何が起こっているのだろうと鉄格子の嵌まった窓を見上げると、空がとても暗かった。豪雨でも降っているのだろうか、とてもうるさい。でも雨とはまた違うような?
ベチッと大きな音と共に窓ガラスに叩きつけられたのは、大きなバッタだった。……ヤバい。これは蝗害だ。エズラの町は通り道になってしまったのか。
蝗害はバッタ類の大量発生によって農作物が根こそぎ食い荒らされてしまうことを言う。古くから「天罰」だとされていて、国家を揺るがす大災害だ。何と言っても今日明日の食べ物がなくなってしまうばかりか、次の農作物を作るために取り分けておくべきものまでやられてしまうからね。
エズラを通るってことは、王都との間にある平野部を目指しているんだろうなぁ。そこら中を食い散らかして進む気だ。風向きによってはもう、すぐにでも……。
「おいバルドー、どうにかしてくれ!」
「来ると思ったよ、ヘイズ。けど答えはノーだ」
「何でだよ!? あのドラゴンのこと、根に持ってんのか!?」
そんなわけないだろ。僕を何だと思ってるんだ。
確かに僕の本業は害虫や害獣の駆除だ。主に農薬や殺鼠剤とかを調薬している。でも、事ここに至ってはもう手遅れなんだ。
すでにバッタが飛んでいる今、松明や殺虫剤じゃ根本的な解決にはならない。
「じゃあ、どうしろってんだよ……!」
「生きてる人間が囓られないように建物にこもって、飛蝗が通り過ぎたら他国に救援を求めるしかないね。エズラも、王都も、もうダメだろう」
「てめっ、バルドー!」
「専門家の意見だよ」
ヘイズは僕の胸倉を掴み、しばらく睨み合った。やがてヘイズの方から目を逸らして離れていく。
……せめて、ここにドラちゃんがいてくれたらなぁ。
まだバッタが到達していない土地に先回りして、殺虫剤をバラ撒けば、少しは食い止められるかもしれないのに。
「あのドラゴンがいればいいのか……? アイツがいればどうにかなるのかよ?」
「断言はしない。少しだけ被害が抑えられるかもしれない。そうとしか言えない。それに……彼女はいないだろ」
「帰ってきた」
「えっ」
ボソリとこぼされた言葉に、僕はヘイズを振り向いた。
まるで言いたくなかったみたいに、顔を歪ませて。少しだけ悲しそうな目をしたヘイズが僕を見ていた。
「明け方、帰ってきたよ。でっけえ男連れてな。お前に会わせろって、うるせぇんだわ」
男連れ……。
いや、冷静になれ、僕。普通に考えてお兄さんだろ。
「ヘイズ。今すぐ拘束を解いて僕を店まで送り届けてくれ。ドラちゃんも一緒に。取る物取ったらすぐに出る」
「わかった。ドラ公はすでにお前の店にいる」
「そうか。ヘイズ、今までありがとう」
「……っ! やめろよ、ンなの。帰って、来るんだろ?」
「当たり前だろ」
僕が手を持ち上げると、ヘイズはそれに掌を打ち合わせてきた。パンッと乾いた音が心を軽くしてくれた。
◇◆◇
「バルドー!」
「ドラちゃん!」
「会いたかった……!」
僕の店の前には、ヘイズの言ったとおり大きな男が立っていた。フードからこぼれる白金の長い髪を見て、それがドラちゃんのお兄さんだと直感する。
ドラちゃんは彼の腕から抜け出して、僕の胸へ飛び込んできてくれた。その硬い鱗の体を抱きしめる。
ドラちゃんは涙をこぼしていた。
僕も鼻の奥がツンとなる。もう二度と会えないかと思った。もう二度と、抱きしめられないかと思った。
「ごめん、バルドー。ボク、間に合わなかった! せっかくお兄ちゃんが教えてくれたのに、ボク、間に合わなかったよ……!」
「いいんだ、ありがとう、ドラちゃん。お兄さんも。さあ、ここからが僕の仕事だよ。手伝って、くれるかい?」
「うん! 当たり前だよ!」
キラキラした瞳が僕を見上げていた。
その力強い返事に、僕の心は温かくなった。
と、まぁ、そんな感動の再会の間にもバッタの群れは真昼の空を覆うほどに飛び交っていて、耳がおかしくなるほどうるさかった。ヘイズと部下が必死に松明を振って馬や我が身を守っている。
ドラちゃんのお兄さんも口から怪光線を放って応戦しているのだが、いかんせん数が多すぎた。かなり削り取ってくれているのだけれど、それを超えるほどにバッタの数が多いのだから仕方がない。
店の玄関を開けながら作戦を説明する。それは、
『まだ無事な小麦畑の三分の二を殺虫剤に浸し、飛蝗を迎え撃つ。僕は殺虫剤を撒き終えたら逃げる』
というものだった。
農作物を犠牲にする作戦にヘイズは良い顔をしなかったけど、仕方がないんだって。そもそも蝗害は起こさせないことが基本だ。起こっちゃったらやり過ごして、来年に備えてヤツラの卵をできる限り除去すること。これしか手はないんだから。
それをどうにかしようってんだから犠牲は出る。しかもこの方法だって完全じゃないんだ。「少し被害を抑えられる」ってだけ。飢饉がひどくならないように、飢え死にする人を少しでも減らせるように。
災害を前にして僕らちっぽけな人間にできることなんて、本当にそれだけなんだからな。
さて、ドラちゃんが同時通訳してくれたおかげで、僕とドラちゃんが飛び立つときにお兄さんの協力も得られることになった。
僕はヘイズに発煙筒や煙で燻すタイプの殺虫剤を投げ、あとは勝手に棚から持っていくように言った。僕自身は本命の濃縮殺虫剤を噴霧器にセットする。ゴーグルにガスマスク、防護服。それにドラちゃんとの空中散歩用のベルト。もう一つオマケを胸ポケットに仕舞って準備はできた。
「行けるよ、ドラちゃん」
「うん、ボクも!」




