第10話。「ホルローグの妖精」
ホルローグの山には、昔から妖精がいると言われていた。
気まぐれでイタズラ好きな妖精は人の家から物を盗んでいくが、その代わりに物を持ってきたりもする。妖精を見た者はいないが、ネズミくらいの大きさの小人で背中には虫みたいな羽が生えているそうだ。見た奴はいないのに、どうして分かるんだかな。
そう言う俺だって見たことはないが、新しい布団がいつの間にか家の中にあったり、作ったばかりの棺桶がすぐ盗まれて無くなったりと、妖精のイタズラに悩まされることは度々ある。
だから今さら見覚えのない子供の服や小物が家の中から出てきても、そこまで不思議はねえんだが……。
「おはようございます、ダグラス様」
「……もうこんな時間か」
アイは毎日決まった時間に俺を起こす。
寝てるんだか起きてるんだか分からない頭で悶々と考え事をしているうちに、朝になっていたらしい。
「アォォーン……」
「おう、おはようさん」
アイの膝下からモゾモゾと起き上がったジョーの頭を撫でてやると、ジョーは嬉しそうに尻尾を振った。
「よしよし、可愛い奴だよお前は」
「クゥゥーン」
「ジョー様は、いつもありがとう、と、おっしゃっています。ところでダグラス様」
「あん?」
「当機にもジョー様と同様に、お褒めの言葉の支給を要求します」
「よしよし、厚かましい奴だよお前は……!」
ほとんど土下座のような体制で、アイはジョーの隣に頭を突き出してきた。
「な、撫でろってか……」
眠気が吹っ飛んだ。心臓が早鐘を打つ。チクショウ、情けねえ。コイツのメチャクチャな言動のせいだ。お袋の服を着ているせいで、見た目だけは完璧な美女だから余計に心臓に悪い。
俺はアイの艶やかな髪に手を伸ばして…………止めた。
「ハッ、お断りだ。俺みたいなブサイクがお前に触っていいわけねえだろ。それに、褒めてもらいたけりゃ少しは役に立つんだな」
これは美しいモノだ。
死臭にまみれた墓守りなんかが触れて汚していいモノじゃねえ。絵やら花やらを家に飾る奴の気持ちが昔は理解できなかったが、今なら何となく分かる気がする。
「了解いたしました」
アイは言うが早いか素早く立ち上がり、おもむろにエプロンを巻いた。
「作戦目標、当機の性能証明を、実行します。これより当機は、朝食の準備に取り掛かります」
「アイ、お前は最近よ〜く頑張ってくれている。たしかに不器用で物をよく壊すが、俺と一緒にやれば掃除洗濯もできるようになってきた。ジョーも遊び相手ができて嬉しそうだ。お前が来てくれて助かってるよ。……これで満足か? 満足したな? 満足したら、二度と飯で俺を脅すんじゃねえぞ!」
朝食後。
棺桶を作るための材木がいつの間にか妖精に盗まれて無くなっていたため、俺は斧と荷車を担いで切り出しに向かうことにした。
だが家から出ていくらもしねえうちに、会いたくもねえヒゲ面が山道をこっちに向かって駆け上ってくるのを見つけちまった。
ヒゲ面はよほど慌てているのか、顔を真っ赤にしてこっちに手を振ってきた。
「おお〜い! 大変だぁダグラ
暑い。
拭っても拭っても汗は延々と俺の顔を濡らす。
陽射しがジリジリと肌を焼き、汗まみれになった服がベッタリと体に張り付いて気持ちが悪い。いつもより足も重たく、まるで泥土の中を歩いているように、いちいち地面にへばり付く。
もう秋だってのに、何なんだこの暑さは。
三番村から遺体を預かった俺は、遺体を荷車に乗せて山道を帰る。急な話で棺桶を用意できなかったから、遺体には悪いが剥き出しで乗せることになってしまった。
久しぶりに死人が出た。それも殺しだ。いや、ただの殺しじゃねえ、惨殺だ。遺体は顔の皮を上半分も剥がされて、体をメチャクチャに刻まれていた。今も流れ出す血で荷台は真っ赤に染まっている。何があったのかは知らねえが、ここまでやることはねえだろうに。
「おい、止まれ」
聞き覚えのあるような声に振り向くと、二人の見慣れない男が居た。片方は眼帯をした熊を連想する体格で、もう片方は細いが背は高い。二人とも顔付きがよく似ているから、おそらく兄弟だろう。彼らの服はところどころ破け、乾いた泥の手形があちこちにこびり付いている。
……何があったんだ?
「三番村から来たんだよな。この死体は何だ」
「何だって言われても……俺はただの墓守りで、村から出た遺体を弔うだけだ。殺された奴も殺した奴も知らねえよ」
「三番村から、来たんだな?」
ガタイのいい眼帯男は死体にはそれほど興味を示さず、三番村をやけに強調した。男は熊に似た顔と体格に似合わず、妙に愛嬌のある笑みを浮かべている。
「そうだが、もしかして三番村を探してるのか?」
「いいや、俺たちも三番村から来た……はずだ」
「はず?」
妙なことを言う。自分の行動くらい分かるだろうに。
「実は俺たちは冒険者でな。数週間前に三番村で殺人事件を起こした犯人を探している。今日も俺たち二人が交代で三番村を見張っていたところ、また死体が村のド真ん中に捨てられた」
また?
「村の連中は冒険者に依頼するだの領主に通報するだの犯人を探すだの大騒ぎしていたが、とりあえず死体をこのまま村の中に置いておきたくないってことで……あー……えーと……誰かが墓守りを呼びに行った。そしてしばらくすると旦那がやって来てそこの死体を引き取ったから、俺たちは追いかけてきたってわけだ。旦那はどうだい」
「どうだも何も全部その通りじゃねえか。全部見てたなら俺に聞く必要あんのか?」
「おかしいんだよ、記憶と状況の辻褄が合わねえ。俺たちのナリを見てみろ。二人ともただ村を見張ってただけなのに、まるで何か得体のしれねえモノから命からがら逃げ出してきたみてえだろ? それに俺たち二人とも仕事道具もテントも何も持ってきてねえのはどういうことだ」
「いや、俺に聞かれてもな……」
「辻褄が合わねえのはアンタもだ」
眼帯男がずいと顔を寄せてきた。
極端に小さい黒目が俺の顔を覗き込む。男の口元は笑っていても、その瞳の奥では野獣のような闘争心が牙を剥いていた。
「うっ」
親父を突然思い出した。
親父はそれまでどれだけ静かでも、何の前触れも無くいきなり嵐のように怒り狂って俺やお袋を散々殴った。何が怒りに触れるのか分からなくて、ガキだった俺は絶対に逆らえない暴力に毎日怯えながら生きていた。
俺と眼帯男の力関係が、それに似ているんだろう。
眼帯男は親父とは似ても似つかねえ顔付きだが、こいつがその気になれば俺なんていつでも殺せるに違いない。
「墓守りなら棺桶やスコップくらい荷台に積んでるはずじゃねえのか。剥き出しの荷車でやってきて、素手でどこに埋める気なんだい。それとも家に死体を持って帰るのか?」
俺は気迫に圧倒されて言葉が出てこなかった。
棺桶が用意できなかった理由はあるんだが、人形のように抵抗せず黙って耐えるのが一番痛くないと、体が覚えちまっている。クソッ、情けねえ。
「他にもあるぜ。旦那は誰に呼ばれて村に来た? 死体はどこにあって誰から預かった? 人集りはできてたか? 大人と子供は何人くらい居た? 村の連中は何か言っていたか?」
ちょっと待ってくれ。そんなに一度に聞かれても答えられねえよ……。
「どうした旦那、答えられねえのかい。顔色が土気色だぜ。今日は体調でも悪いのかい」
眼帯男は俺の心を読み取ろうとするように、遠慮なくジロジロと顔を覗き込んでくる。
「心配だな、家まで送ってやろうか。何なら仕事も手伝ってやるから、旦那はゆっくり休むといい」
家? 家はダメだ。こいつにアイを会わせるわけにはいかない。三番村の件と関係が有っても無くても、この男はアイに何をするか分からない。
「だ、だい、大丈夫、だ……」
喉の奥から必死に声を絞り出した。
足りない頭を回転させて、何とかこの場をやりすごす言い訳を考える。
「それに、家には家内がいる……。見知らぬ男を家に上げて、不安にさせたくねぇ……から、ありがたい申し出だが……気持ちだけ受け取っておく……」
「ふーん、家内、ねぇ」
眼帯男は作り物の微笑みを貼りつけたまま俺を観察している。俺の嘘を見抜いた上で、どう料理しようかとでも言うようにニヤニヤとだ。
ああクソッ、カッコつけて家内なんて言わず、せめて妹ってことにしておけばよかった。俺の顔で妻がいるって言い張るのは無理があった……!
「ま、そういうことにしておくか」
眼帯男は俺の肩を右手で軽く叩いて、覗き込んでいた顔を離した。
「兄ちゃん、どうだった?」
遠巻きにこちらの様子を見ていたノッポが、眼帯男に声をかけた。
「どうもイマイチ分からねえ」
「へー、兄ちゃんが嘘を見抜けないって珍しいな」
「俺だって調子が悪い時もある」
眼帯男が肩をすくめた。
「仕事の邪魔をして悪かったな、墓守りの旦那。別に脅すつもりは無かったんだが、アンタが気になって声を掛けちまった」
眼帯男は荷台の遺体をひょいと覗き込んで、片眉を上げた。
「あの村は何かがおかしい。旦那には色々聞いたが、俺たちだって同じ事を聞かれても答えられねえんだ。記憶の細かい所が曖昧であてにならねえ。まるで村の連中が言う妖精に記憶を盗まれて、代わりに別の記憶を渡されたみてえだ」
「ヘッヘへ、兄ちゃんの口から『妖精さん』だとよ」
「茶化すんじゃねえ」
眼帯男は右手にこびりついた泥を自分の服で拭くと、ズボンのポケットをガサゴソとまさぐり、折り畳んだ一枚の紙を取り出して手元で広げた。ノッポが寄ってきて、その隣に身を寄せて一緒に覗き込む。眼帯男はアゴに手を当てて無精ヒゲをゾリゾリと撫でながら死体と紙を見比べていたが、「よし」やがて頷いた。
「決めたぜ。このヤマからは降りる」
「へ? マジかよ兄ちゃん」
「当たり前だ。こりゃ普通のヤマじゃねえ。記憶はいじられるし、仕事道具は無い、同業者らしき連中も見かけた、他の村もおかしなことになってる。オマケに受注書もあちこち空白だらけだ。こんな安い金で得体の知れない仕事を受けて、たった一人の弟を危険に晒せるかってんだ」
「兄ちゃん……」
涙ぐむノッポの背中をバンバンと叩いて、眼帯男はガハハと笑った。
「そんじゃあもう会うことも無いだろうが、奥さんによろしくな。墓守りの旦那」
眼帯男はヒラヒラと軽く手を振って、こちらに背を向けた。「そうそう、最後に忠告しとくぜ」首を捻って肩越しに振り返り、俺を横目で見る。
「墓守りってのは立派な仕事だ。だが仕事熱心もほどほどにしときな。そこの死体みたいになりたくなけりゃ、もうあの村には誰に呼ばれても行かない方がいい」
そうして冒険者の兄弟は、二人で仲良く並んで山道を下りていった。俺には兄弟なんていないから、少しだけ羨ましく思った。
「誰に呼ばれても行くな……か」
俺は荷台に横たわる顔の皮を半分剥がされた遺体を、何とも言えない気持ちで眺めた。
その血にまみれた顔の下半分には、ぼうぼうに伸びたヒゲが残されていた。
遺体を乗せた荷車を引いて、俺はひとまず家に戻ることにした。眼帯男の言う通り、スコップ無しではどこにも埋められないからだ。いつもなら必ず持っていくんだが……今日に限って忘れちまったらしい。
「ワン! ワンワン! グルルルルゥ……!」
ようやく我が家が見えてきたと思ったら、ジョーが今まで見たことのない剣幕で吠え始めた。牙を剥いて唸り声を上げ、今にも飛びかかろうとするように頭を下げて俺を睨みつけている。
「どうした、ジョー。俺だよ、ダグラスだ」
ジョーをなだめるべく荷車を置いて、両手を広げてそろそろとジョーに歩み寄る。
「ワンワンワンワン! ワンワン! ガルルルル!」
なのにジョーは、まるで近付くなと言っているように、激しく俺に吠えかかる。いったいどうしちまったんだよ、ジョー。俺が分からねえのか?
「警告。当機への不正なアクセスを感知しました」
アイの声が玄関ドアの向こう側から聞こえた。
今さらだが、アイも俺が帰ってくる時はジョーと一緒にいつも出迎えてくれたはずだ。俺以外の奴が来たら家の中に隠れろとは言ったが、どうしたんだよお前ら……。
「警告。マルウェアを検出しました。警告。当機へのデータ改竄行為をブロックしました。警告。さらなる不正アクセスを検知しました。警告。不正アクセス源を特定しました。警告。当機への不正アクセス行為をただちに停止しない場合、強制排除を行います」
ドアの向こうからガシャンガシャンと聞き覚えの無い音が聞こえた。そしてボロいドアはギィィと耳障りな音を立てて軋み、少しずつ開いていく。
「アイ……」
その先に、アイが居た。
触れる事すらためらわせる程の美貌が、俺を見据えている。いつもと同じく無表情でありながらも、その目は今や赤く神秘的な光を灯していた。
笑っちまうほど釣り合わないババアの古着も、今にも潰れそうなボロ小屋も、感動を通り越して恐怖さえ覚えるほどに美しく赤く輝く瞳の前に、意識から外れてどこか遠くへ追いやられていく。
「警告完了」
いつも通りの抑揚の無い声。
だが今やその声は雪水のように冷たく、耳から腹の底まで染み込んで、ありったけの体温を俺の体中から奪い取った。
「ワン! ワンワン! ワオオオオォン!」
ジョーが俺の側をすり抜けて走り出した。俺には目もくれず、吠えながら老犬とは思えない速さで駆け抜けていく。
「ターゲット、ロック」
アイに目を戻すと、彼女の手にいつの間にか握られていた赤と黒で彩られた無骨な鉄の筒が、不気味に俺の額を狙っていた……。
「排除します」
雷のような轟音が俺を貫いた。
体中がバラバラになったような衝撃が、視界が弾け、頭の中身が飛び散る感覚が、俺から俺を奪い、何もかも壊れて、痛みすら消えて、ただ、寒さ、だけが、冷たさ、だけ、が…………ア、イ…………。
「マルウェアの解析が完了しました。ダグラス様に不正なアクセスを行い、個人情報を違法にコピーしていたと思われるドローンの稼働停止を確認しました。また、ジョー様の移動を確認しました。当機はこれより『ジョーと留守番をしていろ任務』遂行のため、ジョー様の速やかな確保に向かいます」