第4話。「 番村の泥人形」
今思い出しても、私達の混乱は酷い有様だった。
ミサキや職員が服を脱がされていたり、私の頬がヒリヒリと痛んだり、職員の胸がパッドで盛られていたり、組合が臨時休業になったり、職員が偽乳である事だけは覚えていたり、壁一面に絵や資料の写し書きやこれまでの経緯が書き殴られていたりしていた。何度も記憶を失ってしまった事に気付いた私が、あれこれと試したのだろう。左手に引かれた線の数からして、最低でも三回以上は記憶の消失を繰り返したらしい。
だがその甲斐あって日付が変わる前には原因が分かった。組合とも対策共有が出来たので、タダ働きさせられる心配も無い。
そしてこれが外部に犯行が漏れることを恐れた魔術師の仕業だと仮定すると、対策のヒントとなったダグラス何とかという男は犯人とは対立する立場にいるはずだ。冤罪でディーン国の魔女狩り部隊に追われているということだが、捕まる前に話を聞いておきたい。
しかし現地に向かう途中にウィダーソンという町で酷い事件に巻き込まれたおかげで、大きく回り道をして国境を越える羽目になった。さらに例の村への直通便が出ているはずもないので、馬車で最寄りの町に着いてからは徒歩での移動となったため、余計に時間がかかってしまった。これではダグラス何とかとの合流は絶望的かもしれない。
険しい山道を登り、崖崩れを越え、道を塞いでいた兵士達を避けて山中を進み、急流を迂回してようやく一つの村に辿り着いたのだが……遠巻きに見ても明らかに様子がおかしい。
私達三名は村を俯瞰できる木の上に登り、異変を観察することにした。私はスーツ、ハスキはワンピース、ミサキは人狼の森で私が人形から奪った服が妙に似合うので、それを着ている。
「ここで何が起こった……」
村には30軒ほどの木造平屋が散在していた。教会や商店といった施設は見当たらず、全て民家のようだった。何件かには家畜小屋が併設されているが、牛や豚はおろかニワトリ一匹見られない。
そして村中に虫の湧いた腐乱死体が捨てられていた。本来なら何よりもこの点を気にかけるべきなのだろうが、私はこないだのゾンビ事件のせいで嫌という程に死体を見慣れてしまっているせいか、死体ではないもう一つの異常の方が気になって仕方がなかった。
人の死に鈍感になるのは良くない兆候だ。この仕事が片付いたら少し休もう。
「なあ、あちこちに変な人形がいるぞ」
もう一つの異常。それは人間を模した泥の人形達に村が占拠されている事だった。それぞれ服を着ているものの、子供が遊びで作ったように全体的に形は歪で、頭が膨張していたり首が長すぎたり手足の長さが揃っていなかったりしている。そして顔には、剥き出しの眼球と歯と舌が埋め込まれていた。
「動きませんね。ただの泥人形なのでしょうか」
ミサキの言う通り、村のあちこちにいる泥人形達は微動だにしない。それでいて水桶を担いでいたり、親子三人で手を繋いでいたり、薪割りをしようと斧を振りかぶっていたりと、ついさっきまで生きて動いていたような様子で停止している。中には妙に平べったかったり、矢が突き刺さっていたり、甲冑を着て剣を持っていながらも首から上が無い個体もいた。
まるで泥人形達がこの村の住民を殺して、村を乗っ取ったかのように思える。
「あれは芸術家気取りの変態の作品か、魔術師が遠隔操作で操る兵隊かのどちらかだな」
私が木から降りると、ハスキも木から飛び降りた。ミサキは中々飛び降りられずにマゴマゴしていたが、ハスキが下で両腕を広げると安心して飛び降りた。「よっと」ハスキがミサキを受け止め「ありがとうございます」ミサキが礼を言う。私は密かに苦笑いした。あんまりミサキを甘やかさないでほしいんだけどなあ。
とりあえず私達は木陰に身を隠しながら移動し、最寄りの泥人形に10m程の距離まで近づいた。
「まずは反応を調べてみよう」
そして足元の石を拾って泥人形に投げつけてみる。石は泥人形には当たらず顔の前を横切ったが、泥人形に反応は見られない。「よっと」次は頭を狙って石を投げてみた。しかし狙いがやや逸れ、石は泥人形の左肩に当たってベチャリとめり込む。今度もやはり反応は見られない。
「なあ、こんな所で足を止めてていいのか? いくつか村はあるけど、依頼人との待ち合わせ場所は花畑なんだろ? さっさと合流して、そいつから話を聞いた方が手っ取り早くないか?」
「依頼人の話が全て真実とは限らない。時には自分の目で現地を見ておくことも重要だ。複数の経路から情報を入手して擦り合わせが出来れば、騙される事も無くなる」
「あれ? あそこの泥人形って、あの位置にいましたっけ」
「ん、どれだ」
ミサキが指差した先には斧を担いだ泥人形がいた。先ほどまでそこに泥人形は居なかった気がするが、着ている服は向こうで薪を割っていた個体に似ている。
「む」
見比べてみようとすると、薪を割っていた泥人形が消えていた。ということはあの泥人形達は動いているのだろうか。それも移動を見られないような速度で。
「大変です! 石をぶつけた泥人形がいつの間にか消えてます!」
「何っ?」
ミサキの指差した先。今の今までそこに立っていたはずの泥人形が消えていた。
「動いた瞬間は見えたか」
「いえ、見えませんでした」
「おい、斧を持ってる奴も消えたぞ」
視線を戻すと、斧を持っていた個体も幻のように消えていた。その場に残された泥の足跡だけが、泥人形の居た証となってしまっている。
「普通に動いて襲ってくるより怖いですね……」
「動く泥の人形といえばゴーレムが有名だが、こいつらは少し違う気がする。匂いで泥人形を追えないか」
「スンスン……。動いたのはあいつらだけじゃないぞ。さっきまで村の中に溢れかえっていた泥の匂いが薄まっている。その代わり、私たちのずっと後ろからたくさんの泥の匂いがする」
「動いて襲ってくるのはこれからという事か」
後方を振り返ってみても、そこには風にざわめく木々があるだけだった。だが、その先から漂う匂いならぬ臭いは私にも分かる。血の臭い。獣の臭い。悪意の臭い。死神の気配に敏感になれと、トラウマになるまで先生に覚えさせられたドス黒い臭いだ。
「なあ、つまりこれは罠か?」
う、そうなる。しかも踏んだのは私だ。
ハスキに痛い所を突かれてしまった。
「オレの言った通り、無視した方が良かったんじゃないか?」
うぐぐぐっ、結果論だが正論だ。
何て言い訳しよう……。
「いえ、これが罠なら避けるのが正解とは限りません」
お? どうしたミサキ。急に頭でも良くなったか?
「罠を残しておくと、後々ここに追い込まれたり、他の人が引っかかって大きな被害が出ると思います。だから今のうちに壊しておこうと考えたのではないでしょうか」
ミサキはキラキラした目で子犬のように私を見上げてきた。こっ、この信頼を裏切るわけにはいかない……!
「……フッ。その通りだ! 罠は発見次第潰しておく! これは冒険者の常識だ!」
そういうことに! しておこう!
「私が何も言わなくてもそこに気付くとは、成長したな!」
「わぁ……ありがとうございます!」
ダメだ……褒められたミサキの嬉しそうな笑顔が良心に痛い。見栄を張って嘘をつくべきじゃないな……うん……。
「なあ、お前の声が急に大きくなる時って……」
ハスキがジト目で私を見てきた。
こいつめ、余計な知恵をつけやがって!
「よし、まずは村の中を調べよう! 敵に背中を見せて逃げるは死あるのみ、だ! さあ私に着いてこい!」
「おい! 勢いで誤魔化すなって話を勢いで……おい! 泥の匂いが動いたぞ! 凄い速さでこっちに近づいた!」
振り返ると、先ほどまで影も形も見えなかった泥人形達の姿が、ちらほらと木々の影から見え隠れしている。
予想の範囲内だ。これで条件は分かった。
「奴らから目を離さずに聞いてくれ。あの泥人形は私達三人が目を離した瞬間だけ動く。おそらく誰かに見られることが最初の発動条件なのだろう。目を離さなければ安全とは限らないが、これが視線を感知して発動する魔術だとするならば、その術式には厳格に定められたルールや法則があるはずだ。今からそれを突き崩す。この程度なら何も怖くはない」
「もう何か分かったのか?」
「超高速での移動が嘘だということは確実だ。目にも止まらないスピードで動けるなら、いちいち私達の背後に回り込まずに正面から殺せばいい」
「なるほどな」
「だから敵の本命はそこじゃない。移動が見えないのは、泥人形が移動した記憶が私達から消されているからだろう。今回の黒幕は記憶を操る能力があるようだからな」
「私たちが覚えていられないだけで、泥人形が動いて襲ってくるなら普通に撃退できるということですね。だからこそ泥人形が人の命を奪う方法は別にあると」
「その通りだ。今から私が先行して村を調べる。匂いの方向から絶対に目を離すな。瞬きの一瞬で距離を詰められる可能性があるから、右目と左目を交互に瞑って目の乾燥を防いでくれ。片目を閉じる。閉じた目を開ける。反対側の目を閉じる。反対側の目を開ける。こうやって常に片目か両目が開いている状態を心掛けてくれ。後ろ歩きでも転ばないように足元に注意しつつ、手を引いて見晴らしの良いあの辺まで移動しておいてほしい」
「任せろ!」
「はい! 分かりました!」
「それでもまた泥人形が動くようなら、大声で私を……おっと、名前は呼ばずに合図をしてくれ」
「クレア様もお気をつけて!」
あまり悠長に時間をかけてはいられない。私は木陰から飛び出して名も知らぬ死の村へと駆け込んだ。まず調べるべきは、そこらに転がる死体だ。彼らはどうやって死んだ。そこに糸口がある。
一人目の死体。家の壁に張り付くように死んでいた。衣服は無く、腐敗が酷くて何が何だか分からない。だがウィダーソンでは見なかった何かが腐った肉に混ざっている。遠目からは糞便に見えたが……土、いや、乾いた泥か。
二人目の死体。最寄りの家の中のテーブルの上に飾られていた。大きさからして子供のようだが、こちらも衣服は見当たらず原型を留めていない。ただし頭蓋骨は丸ごと腐肉から飛び出して床に転がっていた。その中には泥が詰まっている。
「死体に泥が詰められているのは何故だ」
三人目の死体。向かいの家の屋根の上に広がっていた。犠牲者は高所に逃げようとしたのだろうか。屋根の上によじ登って近くで観察してみる。見間違いではなく、やはり広がっていた。何かに押し潰されたように、肉も骨も薄く潰れて泥と共に周囲に飛び散っている。屋根の上から下を見回してみると、軒下の地面に人型にこびり付いた泥の痕跡を見つけた。
これで少しずつ敵の手口が見えてきた。
私の予想が正しければ、この屋根の上の死体は圧迫死ではなく墜落死だ。……いや、待てよ。これはやらかしたか? 私は左肩を撫でる。
「……問題無し、か」
懸念に反して私の肩に異常は無かった。何か条件があるのだろうか。泥人形の接近とも関係があるのかもしれない。剥ぎ取った衣服を泥人形が着るのは何故だ。まだまだ情報が不足している。次は武装している死体を探そう。弓を持っている奴がいるはずだ。怪しいのはあの家だな。
私は屋根から飛び降りて、村の中で一番汚れている家へと向かった。窓もドアも破壊されており、夥しい数の泥の手型と足跡が、家の外観をビッシリと埋め尽くしている。犠牲者は泥人形に追い込まれてこの家に逃げ込んだが、バリケードを破られて侵入されてしまったのだろう。
家の中には四人の男性が背中を預け合ったと思わしき配置で死んでいた。衣服は剥ぎ取られているものの、他に比べればそれほど腐敗が進んでいないことから、死んでから数日と経ってはいないと分かる。
四人とも明らかに村人とは異なる屈強な体躯をしていた。派遣された魔女狩り部隊の一員だろう。彼らは顔中の穴から泥を吐き出していた。さらに一人は首を切り落とされており、両断面から血の混ざった泥が溢れている。他の三人も致命傷と思われる傷口から泥を垂れ流して息絶えていた。
空の矢筒と弓が床に投げ捨てられている。他の武具類は見当たらないが、泥人形に奪われたのだろう。確認のために死体を一体ずつひっくり返してみたが、どの死体にも矢傷は無かった。
よし。これで泥人形の特性は分かった。
一、標的の視界に入ると発動する。
二、自分が移動している記憶を標的から消す。
三、泥人形から目を離さなければ移動しない。
四、標的と接触すると繋がる。与えられた傷を標的に反映し、対象の体の一部と泥を入れ替える。
五、矢や投石では繋がらない。
泥人形というよりも、呪いを伝播するワラ人形に近い。何故移動している姿を見られなかった事にしたがるのかは分からんが、これが術式の成立に必要不可欠な要素である事は間違いないだろう。
「ありがとう、助けられた」
この地で怪異と戦い、命尽きてもヒントを残してくれた彼らに礼を述べ、その場を後にする。
攻略法を考えつつ来た道を戻れば、指示した場所には二人が居て、私の指示を忠実に守っていた。……いや、よく見ると指示とは少し違う。二人はほんの僅かに角度をつけて横一列に並び、互いの視野角を補っている。
そうか。一人で交互に片目を瞑ると視界が狭まってしまう。不完全だった私の案を、二人で工夫して補っているんだな。
私は恵まれている。
この二人がいなければ、私のような詰めの甘い未熟者はとっくの昔に死んでいただろう。
「どうだ、何とかなりそうか?」
「ん、ああ、まあな」
こちらを向く事なくハスキが話しかけてきたので、不意を突かれて少し戸惑ってしまった。いかんいかん、こんなんだから私は未熟者なんだ。二人があまりにも頼もしかったので見惚れてしまっていたなど、口が裂けても言えないな。
「泥人形の特性と対策が分かった。今からあいつらが見られるのを嫌がる動く姿を暴き出して、指一本触れずに破壊する」
「そんなことができるんですか?」
「簡単だ」
簡単とも確実とも言い切れないが、あえて断言した。自信の無い姿を見せるわけにはいかない。敵にも味方にも……自分自身にもだ。
「急流に戻るぞ。泥人形を誘き寄せて、一体残らず崩れ流されていく姿を見届けてやる」