第2話。墓守ダグラス
俺は出来損ないだ。
俺の親父は、醜くて頭が悪く性格は腐っていた。
だからお袋のような、醜くて頭が悪く性格の腐った女としか結婚できなかった。
そうして生まれた俺は、当然ながら醜くて頭が悪く性格も腐った。もし俺に子供ができても、醜くて頭が悪く性格は腐るだろう。
親父の口癖は、『汚ねえ女房とブサイクなガキ』と『クソみてえな人生』だった。
あんたが選んだ女房と、あんたの血を継いだ子供だろ。
一度そう言ったら鼻の骨が折れるまで殴られた。そのおかげでもともと豚のように潰れて上を向いていた鼻がさらに潰れ、俺の顔は輪をかけて酷い見た目になった。
お袋はお袋で、親父が居ない場所では親父の悪口ををひたすら俺に吹き込んでいた。『私はあの男に騙されてこんな辺境まで連れてこられた』だの『私は無理やり犯されてあんたを産まされた被害者』だの、うんざりするような話ばっかりだった。
極め付けには『本当は私にはもっと相応しい人がいて、いつかその人が必ず迎えに来てくれる』とかいう妄想によく入り浸っていて、たまにそれを口に出しては余計に親父の苛立ちを煽っていた。
両親の親類や知人などは、一度も見たことが無い。
教会さえ無いド田舎の、しかも墓守りなんて卑しい仕事を生業にしていたのは何かしらの理由があったんだろうが、結局俺には何も教えないまま九年前のアレで死んじまった。
陰気臭えボロ小屋と聖書と墓守の仕事だけが、親から与えられた物だ。
俺にとって他人とは、俺に危害を加えるだけの存在だ。
俺が何もしなくても、奴らは俺を見るだけで気持ち悪がる。
子連れの母親は俺を指差して『あんな卑しい仕事をしたくなければ汗水垂らして働きなさい』と子供に言い聞かせるし、若い女はまるで被害者のような顔で悲鳴を上げて俺から逃げていく。仕事の対価を払う時だって、あいつらは地面に投げ捨てて俺に拾わせる有様だ。
クソが。
誰がお前らの家族の死体を清めて弔ってると思ってやがる。いくら卑しい仕事でも、俺がやらなきゃ誰もできねえだろうが。
両親は読み書きができないくせに、聖書だけは手放さなかった。字が読めなくても聖書の教えに従ってさえいれば、死後に天国へ行けるとずっと言っていた。
ところが、その聖書の一番大事な教えとやらはこうだ。
『愛はあなたの人生に訪れる全ての困難に勝利します。人を愛し、人に愛される努力をしなさい。それがあなたの人生で最も大切なことです』
ふざけやがって。
人に愛される人生を送れる奴が勝ち組なのは、当たり前のことだろうが。俺みたいな誰からも愛されない奴は、人生の全てに負けろって言ってんのか。人に愛される努力? ハッ、この顔でどう努力すれば人に愛されるのか教えてほしいぜ、神さまよう。
だが少しはヒントになった。
俺の苦悩を解決する方法のヒントには、なった。
女だ。
賢く美しい女が一人、手に入ればいい。
女はあらゆる幸福を作り出す。
クソ不味い毎日の飯も、女が料理すれば美味くなる。
臭くて汚ねえこの家も、女が清潔にしてくれる。
仕事の面倒くせえあれやこれも、女が手伝ってくれる。
自分で処理するしかない性欲も、女が受け止めてくれる。
何も誇れるものが無い俺でも、女を自慢できる。
美しくて賢い女の血を混ぜることで、女は俺の子にまともな人生を与えてくれる。
何よりも、自分を愛せない俺の代わりに、女は俺を愛してくれる。
…………ハッ、馬鹿馬鹿しい。
美しくて賢い女が俺のようなゴミを選ぶわけがねえ。
恵まれた奴らは恵まれた奴同士を選んで、子供も恵まれた人生を送る。逆に掃き溜めで生きる奴らは同じ階級の奴としかくっつけなくて、子孫代々全員不幸になる。
それを理解できず、悲惨な人生が約束されてるくせに子供を作る奴らは、野良猫よりも頭が悪いとしか思えねえ。俺の親のようにな。
そして結局のところ、俺も死んで天国へ行ける日のためだけに生きている。現世にはさっさと見切りをつけて、俺の親のように聖書を信じるしか希望がないからだ。
世の中、死体よりも腐ってやがる。
今日の朝、地震があった。
幸いにも家が崩れたり死人が出たという程ではなかったが、ここ最近続いた大雨が災いしてか、地震はあちこちで地滑りを引き起こした。墓守りの俺が管理する共同墓地もそうだ。
「あーあ、こりゃ酷ぇ……」
山の中腹にあった共同墓地は目を覆いたくなるような有り様だった。せっかく見晴らしのいい崖の上に作られていたのに、今では崖ごと崩れてクソでかい土の塊になっていた。
「俺一人でどうしろってんだ、ボケが」
俺はスコップを放り捨てようかと思った。
土と草木と石碑と骨が辺り一面にグチャグチャに混ざって積み重なっている。墓場を整備し直すだけでも何ヶ月かかるか知れたもんじゃねえのに、どれが誰の骨かなんて分かるはずもねえ。
「ああ、まったく、ふざけやがって」
文句を言いつつも、俺はスコップを泥土に突き立てた。
それでも一応、言われたことをやっている振りはしておく。ここらの集落で一人だけの墓守として、与えられた仕事をしないわけにはいかねえからだ。
「この泥の山から、丁寧に骨を掘り出して、キレイに洗って、新しく、棺桶を作って、人の形に並べて、また埋めて、その上に、石碑を立てて、花を添えて、彼らの魂が、天国で安らげるように、祈れってか? ……はぁ。俺一人に押し付けて、何年かかると思ってやがる。あの阿呆どもは……。妖精サンにでも頼めってんだ……ん?」
何度か土をすくって後ろに投げ捨てているうちに、少し離れた泥土の中から汚れた腕が飛び出していることに気がついた。
腕自体はいい。ここは元墓場だ。遺体があって当然だ。だがこの腕は妙だ。長年埋葬されていた遺体にしては、あまりにも形が良すぎる。
俺は泥土に足首を沈めながら十歩ほど歩き、泥まみれの腕を近くで観察した。
「……やっぱり新しいな」
腐敗臭のしない、細くしなやかな女の指だった。
ここ数ヶ月の間、村から死人は出ていない。それ以前に埋葬された奴なら棺桶の中で腐っているか骨になっているかだ。だがこの腕は汚れてこそいるものの、たった今死んだばかりのように生前の形を保っている。
空に突き出すように土から飛び出したその腕を、俺は軽く握ってみた。冷たく硬い感触。やっぱりまだ腐ってねえ。腐って柔らかくなる前の、遺体が硬くなる期間に入ったばかりだ。なら死んだのは昨日か今日。ああ、なんてこった。
墓参りに来た誰かが、地滑りに巻き込まれたんだ。
「ツイてねえな、お互いによ」
俺は遺体を傷付けないように細心の注意を払って、不運な誰かを掘り出すことにした。死者の為じゃない。下手に傷をつけると、俺が殺したと疑われかねないからだ。
スコップを慎重に土に差し込んで、腕から辿るように少しずつ土をくり抜いていく。
そして一応……生きたまま墓場に埋められた哀れな誰かのために祈る。
「貴方が懸命に生きた姿を、主はいつも見守られていました。貴方が悩む時。貴方が嘆く時。貴方が苦しむ時。主は必ず隣にいました。今日までの困難に耐えた貴方を、主は祝福し天の国への門を開くでしょう。願わくば、あなたの魂が永遠の安らぎに満たされますように。苦痛も争いも無い、優しさに包まれた世界にいざなわれますように……」
本来なら故人を埋葬する時に使う聖書の一節であって、今の状況とは真逆だが……細かいことはどうでもいい。
どうやら遺体は浅い位置で横倒しになっているようだ。
俺はスコップを置いて、素手で土を掘ることにした。遺体を傷付けないようにノロノロとスコップを使うよりも、この水を吸った柔らかい泥土なら手で掘った方が早い。
ザクザクと泥を掘っていくと、すぐに頭にたどり着いた。顔を撫でるように泥をこそぎ落としてみると、死者は若く美しい女だった。死の恐怖や苦痛とは無縁であるかのように、穏やかで安らぎに満ちた表情をしている。彼女が苦しまず一瞬で死ねたのなら、せめてもの救いになっただろう。
女の顔から喉、その下へと土を掘り進む。
それにしても見たことのない女だ。面倒なことにならなけりゃいいが……お?
「鎧でも着てやがるのか」
女の胸の辺りまで土を掘り進むと、指先が異様に硬い何かに触れた。硬直した肌とか骨とは明らかに違う金属の手触りだ。喉元までは何も着けてないように思えたが、胸当てとかいう軽量の鎧か?
「いや……何だ、こりゃあ……」
だがさらに泥をかき分けると、俺の予想はあっさりと否定された。
「皮膚の下に……鉄の、肌……?」
女の皮膚は胸の少し上で途切れていた。そしてその先……裂けた皮膚の下からは滑らかな曲線を持つ鉄の肌が続いており、胸の中心には大きな亀裂が入っていた。鉄の肌はヘソの下まで続いていて、太ももからはまた人間そっくりな皮膚が張られている。ん? 何か妙な音が聞こえた気がする。
「声紋登録が完了しました」
「うおおーっ!?」
女が突然口を開いたので俺はビビって足を滑らせ、尻を泥に突っ込むはめになった。クソッ、痛え。いやそんなことを気にしている場合じゃねえ。女、いや、女の姿をした泥まみれの何かが立ち上がり、俺を見下ろしている。ヤベェ。何だこいつは。
「おはようございます。新しいユーザー様」
人型の何かはややぎこちない動作で、両手を腰の前で重ねた。そしてうやうやしく深々と頭を下げて俺に一礼をする。
「戦闘用自律人形兵器・TYPE-A・通常版です。この度は古き叡智の国よりご購入ありがとうございました。お手元のデバイスに利用規約を送信しますので、最後までお読みになって了承の意思表示を行なって下さい」