最終話。置き土産
クレアさんのおかげで、僕は惨劇を生き延びた。
ウィダーソンの惨劇は、その発生から二週間後に教会の騎士様から事態終息の宣言が出された。
その頃にはあれほど町中を徘徊していたゾンビは見かけなくなっていたし、隣国の侵略も結局起こらなかった。
しかし素直に助かったとは喜べない。
総人口の約三割になる千人近くの人が死んでしまったから、それまでの町の機能は壊れてしまった。公共も民間も様々な組織が崩壊して無職者だらけになり、町はどこもかしこも血塗れで、首無しの腐乱死体がまだ通りには山と積まれている。頭だけでも葬儀をしてあげたいけれど、遺族探しすらままならない。
隣国の侵略に備えて作られたバリケードは絶対に崩すなと、クレアさんに念を押されているから交通の便もかなり悪い。復興までの道のりはあまりにも遠く感じる。
もしもクレアさんが騎士様の到着まで残っていてくれなければ、もっと深刻な被害が出ていただろう。
そして新たな悩みも生まれつつあった。
「復讐だ! 絶対に復讐してやる! 俺はもう失える物なんて何一つ持ってねえ! 俺の人生をメチャクチャにしたあいつらを、俺と同じ目に合わせてやる!」
「そうよ! 今の私たちには戦う力があるわ! ゾンビの歯を埋め込んだ武器を使って、今度はあの国をゾンビだらけにしてやるわ!」
「いや待ってくれよ……そんなことをしたら、あの怖い教会の騎士様に何をされるか分からないぞ」
「はっ、騎士様がどうしたって? ゾンビを皆殺しにしたのは騎士様なんかじゃなくて俺らだぜ!? それに国同士の戦争に教会は介入なんてしねえ! やったもん勝ちなら、やられっぱなしで黙ってられるか!」
「で、でも教会の騎士様があの国をきちんと調べるって約束してくれたのに……」
「どうせ証拠なんて何も出てきやしねえよ! せいぜいテキトーな犯人をでっち上げて、全部こいつがやりましたで終わりだ!」
「だからと言って、今度はこっちが攻め込むなんて無謀よ。せっかく生き延びたのだから、主に感謝して平和な日常を取り戻しましょう?」
「バカ言わないでよ! 東の国境砦だって落とされたのよ!? あそこには私の旦那もいたの! ゾンビだらけになっいたからやむを得ず始末したって!? そんな話をどこの誰が信じるっての!? ゾンビなんて私たちでも勝てたのに、訓練された兵士が負けるわけないでしょう!?」
また今日も同じ議論があちこちで交わされている。
山積みの問題の中でもとりわけ深刻になってきたものが、隣国への報復意欲だった。隣国がゾンビをばら撒いたという証拠は無いのだが、皆の中ではすでに犯人として決めつけられてしまっている。
『覚えておけ、ゾンビがいなくなった後は大変だ。平和は勝ち取るよりも、維持する方が難しい』
クレアさんにそう忠告された通りだった。
ゾンビを軒並み殺した後も、ゾンビに家族や友人知人を奪われた人の復讐心は消えなかった。最愛の人をその手で殺すしかなかった人もいる。彼らの人生はもう二度と元には戻らないだろう。
「なあリーダー! もちろん復讐だよな! 命令してくれよ! 今すぐあいつらを殺しに行けって!」
「……気持ちは、分かるよ。でもそれは、無謀だと思う」
「頼むよリーダー! あの死体の山を見たろ!? 女子供も見境無しだ! こんなこと許されていいのかよ!? 違うだろ! もう二度とこんなことが起きちゃいけないよなぁ!」
「それは、その通りだけど……」
「じゃあやるんだよな! 明日か!? 明後日か!? 今すぐでもいいぜ! 復讐だ復讐!」
「はっ、無理言うなし。復讐復讐ってバカの一つ覚えみたいに言ってるけど、もう忘れたし? 素手のゾンビだから、ほぼ素人のウチらでも勝てたようなもんじゃん。あっちは武装した軍隊だっての。鎧も着て弓矢も使う相手に同じ戦法が通じるわけないっしょ」
「うっ」
「アンタたち、ちょっとは落ち着きなっての。それとヨハン。アンタもリーダーなんだから、もっとビシッと言わないとダメっしょ」
「あ、ああ……そうかも……ごめん」
「しっかりしてよー? こー見えて頼りにしてるんだからさー、ウチらのリーダーさん」
結局、僕は何も変わらなかった気がする。
リーダーという役職になってはいるものの、僕が積極的に何かを指示したり方針を立てたりなんて事はあまりしていない。せいぜい最終的な判断を下すだけで、大抵こうやって誰かにフォローしてもらいながら、リーダーという立場にまだ就いている。
だけどこれも、いつまで続けられるか分からない。
最近、偽冒険者は過激派を集めて報復の計画を立てているという話を聞いた。ゴンズ先輩も対軍隊用の訓練を始めたらしい。領主様も国境砦を取り返す為に軍を動かす準備をしているという噂もある。僕を疎ましく思う人たちも少なくはないようだ。
僕はもう命懸けの戦いはこりごりなのだけど、他の人たちはどうやらそうではないらしい。
一旦は脅威が去ったように思えても、僕らの背中を再び悲惨な運命に押し込もうとする何か見えない力のようなものを、ひしひしと感じる。
『僕はクレアさんのようにやれる自信がありません。僕よりも能力のある人や、僕よりもやる気のある人がいるのに、何もできない僕なんかがリーダーでいいんですか』
別れ際にクレアさんにそう尋ねたことを、毎日思い出す。
『そう考えるお前だからこそ、誰よりもリーダーに相応しい。今は分からずとも、いずれ分かる時が来る』
クレアさんが何者で、過去に何をしたのかは分からない。
けれど信頼に値する凄い人だった。
彼女は一人で全てのゾンビを排除できる強さを持った英雄ではなかったし、彼女は自分が生き延びる為に僕らを利用したんじゃないかと陰口を叩く人もいた。
でもそんな彼女に従ったからこそ、僕らは来るはずもない正義の味方の助けを待つことなく、自分の力で自分を救えることを知れたんだ。
報酬らしい報酬も受け取らずに去っていったあの人には、どれだけ感謝をしても足りない。
『後を頼んだぞ、ヨハン。この町の今後は、お前次第だ』
そして、そんな凄い人は僕を信じて後を任せてくれた。
だから僕は、どれだけ力不足でもその期待に応える努力を続けようと思う。
先行きは不安ばかりだけど、この先また絶望的な状況に追い込まれたとしても、クレアさんの教えを思い出して戦えば何とかなる気がする。それがクレアさんからの最後の贈り物なのかもしれない。
以前は将来なんて今と同じか悪くなる一方だと信じていた。そして実際は予想より遥かに悲惨な状況になった。
それでも、不思議と気持ちだけは晴れ晴れとしていた。
一方その頃。
ウィダーソンから遠く離れた地で馬車に揺られる三人組の姿があった。
旅客専用便ではなく安価な貨物兼用便のために座席は無い。三人は今にも荷崩れしそうな山積みの貨物を気にしつつ、固い床とダイレクトに伝わる振動と窮屈な移動に耐えていた。
待遇と運賃への不満を言い尽くしたあたりで、彼らの話題はウィダーソンへと移る。
「クレア様、それにしてもウィダーソンに聖骸騎士様が来てくれて良かったですね。引き継ぎもスムーズに終わって何よりです」
「期待していたより割と遅かったが、来てくれただけでも有難い。これでゾンビの発生源を探る為に聖骸教会の査察が入るから、隣国も下手な手出しは出来ないはずだ。間に合うかどうかは賭けだったが、向こうの指揮官が慎重で助かった。わざと偵察兵を泳がせた甲斐があったな」
「でもそれにしてはクレア様は終始浮かない顔でしたが……他にも心配事があるのでしょうか」
「そうか……分かるか」
「お前、機嫌が顔に出やすいからな」
「んん……」
「まだ何か問題があるんだな?」
「これは最初の段階で危惧していたことなんだが……」
「聞かせて下さい」
「ああ……近い将来、あの町は新たな火種になる」
「火種になる?」
「彼らは戦う力を持ってしまった。人の姿をした敵を殺す方法を知ってしまった。そして平和な日常を奪われた悲しみと怒りはこれまでゾンビに向けられていたが……これからは違う。ゾンビという受け皿を失えば、住民間で共有され増幅した憎悪は……必然的に隣国へと向かう。証拠が無くてもな」
「今度はあの人たちが復讐に走る、ということですか……。そして結局、戦争になってしまうと……」
「なるほど、あいつらは普通の敵と戦うようになったというわけか」
「同じ人間が、人間にとっての普通の敵……か。ゾンビになんかならなくても、人は人を襲って殺す。人狼から見てもやっぱり愚かなんだろうな、私ら人間は」
「でも最初の段階でクレア様はこの事まで考えていたんですよね? すでに何か対策を打たれているのでは?」
「ああ。だから誰よりも分不相応な奴をリーダーに据えておいた」
「なんだ、やっぱりヨハンは使い物にならなさそうなのか」
「使い物にならないというと語弊があるな。人の上に立つ立場に向いてないだけで、あいつが一番まともで良心的だ。復讐心に突き動かされるままに勝手に隣国に攻め込んで民間人を虐殺したり、こっそり捕まえたゾンビを隣国に解き放ったりなんて事はしないだろう。……それを望む者が大多数でもな」
「だけどあいつは群れを抑えられる器じゃないんだろ?」
「だからこそだ。上手くいけば……いや、上手くいかなければ、あの組織はいずれ内部分裂を起こしてくれるはずだ。報復を望む過激派と平和な日常を望む穏健派に分かれて対立してくれれば、すぐには戦争にならないだろう。それが私の残した置き土産だ」
「なるほどな。過激派を抑えられれば良し。抑えられなくても身内でいがみ合う程度になれば良し。武力を持った二千人の住民の仲違いを隣国が見て、侵攻の機を伺うようになれば良しか。凄いな、お前。そんな先の事まで考えていたのか」
「ヨハンには悪いけどな……」
「流石はクレア様です!」
「まあな……」
「なあ」
「なんだ」
「でも、お前の不機嫌の原因はそれじゃないだろ」
「さあな」
「ゴンズが言っていた事は本当なのか?」
「事実だとしたら、どうする」
「どうもしませんよ」
「ミサキ……」
「私はクレア様に命を救われました。ハスキさんにとっても、あの町の方々にとっても、クレア様は命の恩人です。もしもクレア様が昔、何か後悔するような事をしてしまっていたとしても……クレア様が皆を助けてくれた事実は絶対に消えたりなんてしません。善行と悪行は、きっと引き算で考えるものではないんです。だから……」
「……だから?」
「だから私にとってはクレア様が世界で一番の英雄で……尊敬する、正義の味方です!」
「………………」
「なんて……えへへ……もしかして的外れなこと言っちゃいましたかね……?」
「…………ぐっ」
「クレア様?」
「ん……ぐっ……なんだ」
「クレア、もしかしてお前、ちょっと泣いてるのか」
「泣いてない」
「じゃあこっちを向いてみろ」
「絶対の絶対に泣いてない」
「なあ、クレアってば」
「だから泣いてないって言ってるだろ! 顔を覗き込むなよ! 怒るぞ!」
完。
一度くらいはクレアが普通に強いところを見せてあげたかった短編でした。
強さだけならあの頃の足元にも及びませんが、子供の頃にどうしてもできなかったことが、今はできるようになっています。
これまでの話と同じく黒幕は倒されず問題も残りますが、それが英雄ならざる凡人がたどり着ける「普通」のハッピーエンドではないかと思います。