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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【普通の敵と戦う人の話】
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第6話。キルレート

 慣れとは不思議なものだ。

 ついさっきまで生きていた人間を殺すことに抱いていた忌避感も嫌悪感も、クレアさんの訓練を繰り返すうちに泡のように消えてなくなっていた。

 あれほど怖かったゾンビが、今では人間の姿をしただけの敵にしか見えない。それはきっと僕だけではなく、他の人たちだって同じだろう。


 日没と共に戦闘訓練が終わり、今後の作戦をクレアさんが全員に説明して、今日はもう眠れとソファーをあてがわれても、体を巡る熱が引かない。むしろ眠ろうと努力すればするほどに色んなことが僕の頭の中をグルグルと回っていく。


 たとえば心配事。

 このまま寝てしまって本当に大丈夫なのだろうか。一階のバリケードは破られないだろうか。アントニオさんがゾンビになって襲いかかってこないだろうか。まだ帰って来ないハスキさんは無事だろうか。パウロ先生の以前の顔がどうしても思い出せない。クレアさんは二階の灯りを朝まで消さないようだけど、ゾンビが集まってこないだろうか。この先、武器と食料は保つだろうか。明日のクレアさんの作戦は上手くいくだろうか。


 たとえば回想。

 先輩の嫌味。昼間のなんでもない食事。ゾンビに襲われた人たち。変わり果てたパウロ先生。僕を助けてくれたクレアさん。ゾンビを蹴散らすクレアさん。ゾンビの喉を初めて突き刺した時のあの感触。槍の重み。肉の弾力。骨の硬さ。背筋がビリビリと震える背徳感。怪物に打ち勝ち命を奪う……快感。


 たとえば現況。

 真っ暗闇になった町並み。時折遠くからかすかに聴こえる誰かの悲鳴。夜の冷気。定期的に野犬の遠吠えのように響くハスキさんの声。ランタンの灯りが形作る皆の陰影。誰かの寝息。アントニオさんのうめき声。水槽内を泳ぎ回る小さな魚たち。深夜遅くに帰ってきたハスキさん。漂う血と腐敗の臭い。彼女たちの話し声。教会はダメだった。そうか。西は酷い有様だ。そうか。つい約束を破って戦った、すまない。いいんだ。人のために戦ってくれてありがとうございます。君がいてくれて良かった。着替えをどうぞ。




 浅いまどろみの中でそういった情報の洪水に翻弄されるうちに、今僕は考え事をしているのか、記憶を反芻しているのか、それとも夢を見ているのかわからなくなった。





 翌朝。


「この五軒が倉庫です。真ん中の倉庫からはみ出すように増設された建物が事務所になっています」


「建物だけじゃなくて、入口も大きいですね」


「馬車を中に入れて荷物の積み込みをするためだな。さて、予定通りにこの倉庫を徴発しよう。昨日取り決めた通りにリーダーはヨハンで、お前達二人が副リーダーだ。私はあくまでも雇われの相談役として裏方に徹する」


 僕らはハスキさんの先導の元、ゾンビがいない道を回って物流倉庫前まで来ていた。ハスキさんは人並外れて鼻が良いので、近くのゾンビの位置なら目で見るように居場所がわかるらしい。


「ガッテン承知です、クレアの姉さん」


「もう何でもやってやるし……!」


 僕の隣にいる偽冒険者とキャバ嬢は、昨日とは顔付きが別人のように異なっている。何と言えばいいのだろう。昨日の昼食時に彼らが見せていた緩さ……余裕のようなものがゴッソリと削げ落ちたような、ギラギラとした顔付きになっている。もう彼らが嘘の自慢話をしたり、男に愛想を振り撒いていたなんてことを信じる人は誰もいないだろう。


 店の防衛を任されている店長夫妻と老夫婦もまた、同じような顔付きになっていた。もしかしたら僕も同じなのかもしれない。


「まずは一応職員に話を通そう。ハスキ、さっそくこの窓をブチ破ってくれ」


「でもここは拠点としても使うのではなかったのですか、クレア様?」


「生き残り同士によるトラブルは全滅の種だ。だからゴチャゴチャ抜かす隙が持てないように、先手でガツンと捻じ伏せる」


「そういうことなら任せろ!」


 言うが早いかハスキさんは拳の一撃で窓を粉砕した。内側に積まれていたであろうバリケードが派手に吹き飛ぶ。動揺の声が中から聞こえた。


「スンスン……クレア! 今の音でゾンビが三体来るぞ!」


「ハスキと三人は先に入って話をしておけ。私は今の音で集まるゾンビを始末してから入る。ミサキ、背中は任せたぞ」


「了解しました!」


「おう!」


 ハスキさんに続いて、僕も窓枠を越えて倉庫へと乗り込んだ。


「んだテメェら! 殺る気かコラァ!」


「やるならやってやんぞオラァ!」


「……ヨハン君?」


 中には当たり前のようにゴンズ先輩とその取り巻きの三人がいて……暴行の後が見てとれた受け付けのお姉さんもいた。支店長を含む他の職員の姿は見えない。


「ああ? 誰かと思えば、うすのろヨハンじゃねえか」


 聞き慣れた威圧的なダミ声が、虐げられてきた不快な記憶を蘇らせる。

 でも昨日までほどゴンズ先輩に恐怖は感じない。実際に人を食い殺す化け物を見たからだろうか。あるいは今の僕には武器を持つ頼もしい仲間がいるからかもしれない。


「は? うちらのリーダーを気安く呼び捨てんなし」


「おうおうおうおう、舐めた口利きやがって。痛い目見ねえとわからねえか? ゴラァ」


 偽冒険者とキャバ嬢もゴンズ先輩に怯むどころか、逆に凄み返している。クレアさんの訓練は彼らにとても強い自信を与えたようだ。ハスキさんは腕組みをしたまま、無言で僕らを見守ってくれている。


 ゴンズ先輩も彼らの態度には面食らったようで、分厚い唇をへの字に曲げて不快感を露わにしている。粗暴な生き方をしてきた彼がこんな態度を取られたことはきっと少なかったに違いない。


「そうか……お前らも、殺りやがったな?」


 ゴンズ先輩は腰に手を回して剣を抜いた。それは国境砦からの廃棄品とはいえども、まだ十分に使える切れ味を持っていることは僕も知っている。


「も、って何だし。も、って」


「とぼけんじゃねえ。テメェらもドサクサに紛れて、気に入らねえ奴を殺したんだろうが。そんで今度はここの飯と武器を狙ってきたってわけか。うすのろヨハンにしちゃあ意外と根性あるじゃねえか。見直したぜ」


 まさか殺したのか。同じ職場の仲間や、支店長を。


「おい姉ちゃん。女は穴を使うために手加減してもらえるなんて甘いことは考えねえ方がいいぜ。生き死にを賭けた戦場に女も子供もねえ」


 ゴンズ先輩に続いて、取り巻きの三人も剣を抜いた。受け付けのお姉さんが穴という単語に反応して辛そうに顔を曇らせた。……何があったのかは、想像するに難くない。


「はぁ!? やられる前にブッ殺してやるし!」


「上等だコラァ! 槍に剣で勝てるとでも思ってんのかゴラァ!」


「フフン」


 偽冒険者とキャバ嬢が向けた槍を、ゴンズ先輩は鼻で笑った。どこか嬉しそうに目を細め、口元に嫌らしい笑みを浮かべる。経験と実力の差からくる圧倒的な自信と余裕が、彼からは感じられた。


「思い出すなぁ……俺は戦場で何十人も虫けらのように殺したぜぇ……! 殺して殺して殺しすぎて、殺すのが楽しくなっちまってなぁ! 気に入らねえ上官は殺して敵の仕業にしたし、停戦命令だって聞こえてねえ振りして、味方に囲まれるまで暴れてやった! ついたあだ名が皆殺しのゴンズだ! 今でも隣の国にゃあ俺の名前を聞くだけで震え上がる奴らがごまんといるだろうな! 悪さが過ぎて除隊されちまったが、また戦争が始まりゃあ俺は英雄に逆戻りよ! テメェらみてえな勘違いした素人どもが束になってかかってきたところで、そんな俺様に勝てるわけがねえだろうが! せいぜい四、五人殺しただけの素人どもがよぉ!」


「外は片付いた。そっちはどうだ」


 クレアさんがひょっこりと窓から顔を出した。

 ゾンビと戦っていたからゴンズ先輩の熱弁は聞いていなかったのだろう。事務所内は一種即発の緊迫感が高まっていただけに、クレアさんの声かけはやや場違いなものに感じられた。


「シッ……しろ、しろしろしろ……ッ……ファーッ!?」


 今まで聞いたこともないような素っ頓狂な声が、ゴンズ先輩から飛び出した。目をまん丸く見開き、顎が外れそうなほど口をポカンと開けている。


「敵か!?」


 その視線の先にいたクレアさんが素早く振り返った。しかし当然ながら背後には何もいない。「チッ!」すると彼女は舌打ちし、窓を避けるように身を捻りながらこちらに視線を戻して槍を振りかざした。


「……ん? 騙し討ちとかじゃないのか」


 そして怪訝そうに眉をひそめて、穂先を下ろした。

 言われて慌てて僕らもゴンズ先輩へと向き直る。

 ゴンズ先輩は今の隙に僕らに襲いかかるでもなく、こちらが心配になるくらい大量の脂汗をダラダラと流してクレアさんを見つめていた。


「お、お前……いや、アンタ……な、何者だ……」


「私か? 見ての通り、ただの冒険者だが」


「嘘だあっ!」


 ゴンズ先輩がほとんど悲鳴のような甲高い声で叫んだ。


「おっ、俺は元兵士で、そこそこ活躍した。だから相手の目を見りゃあ、そいつが何人殺したか判るんだ……! 百人以上殺した奴だって何人も見てきた! 軍神と呼ばれた将軍! 町一つ焼いた放火犯! 死刑執行人だったジジイ! でも、でも……アンタは、そいつらと比べても……ブッチギリで()()()()!」


 顔面蒼白となったゴンズ先輩は、震える指先で僕らの背後を指し示した。そこにはクレアさんがいるはずだ。僕らの恩人であり、この町を救おうとしている人が……いるはずだ。


「信じられねえ……なんでこんなヤバイ奴が野放しになってやがんだよ! 命は……命は尊いものなんだぞ……? 命はこの空を支えているものなんだ……! この世界に生きる一人一人が、かけがえのない宝物なのに……それを何万人も殺して……! 何なんだよアンタ……? いったい……いったい何をどうやったら、そんなに人を殺せるんだよおおおおおおお!?」


 ヒステリックな告発が響き渡った。


「…………」


 クレアさんは無言のまま、否定も肯定もしない。

 だけど彼女が今どんな表情をしているのか、振り返らなくてもわかる。わかってしまう。


 背中が寒い。クレアさんに向けている背中が、凍えそうなほどの冷気を感じている。……いや、冷気なんかじゃない。これは殺気だ。人を食い殺すゾンビからも、僕らを殺そうとしたゴンズ先輩からも、こんな強烈なプレッシャーは感じなかった。


 そういえば僕はクレアさんのことを何も知らない。ただ言われるがままに従っているだけで、この町の惨劇と無関係とは限らないじゃないか。


 空気が泥のように重い。心臓がバクバクと暴れる。膝が笑い、指先から力が抜けていく。


 ゴンズ先輩は触れてはいけないものに触れてしまった……。




「クレア様。お話、進めましょう?」




 ミサキさんのたった一言で、この場の空気が和らいだ。

 ここに満ちていた混乱、怒り、絶望、恐怖、殺気。そういった負の感情が、冗談のように引いていく。


「ああ……そうだな」


 クレアさんの気まずそうな声。


「おい、そこのお前」


「へ、へいっ!」


 指名されてゴンズ先輩の背筋がビンと伸びた。


「まず武器をしまえ。私達はお前を殺しに来たわけじゃない」


「へい喜んで! お前ら! 今すぐ武器を捨てろ!」


 ゴンズ先輩は剣を足元に転がし、靴の裏でも舐めそうな勢いでへりくだった。取り巻きたちも困惑しつつ、ゴンズ先輩に続いて武器を捨てる。


「私達はレジスタンスを組織して、この町で発生したゾンビと戦っている。お前が言う尊い命を一人でも多く救うために、この店の食料と物資を分けてもらいたい。責任者はいるか」


「へい! どうぞどうぞ! 支店長はとっくの昔に逃げ出してっから、文句を言うような奴はいませんぜ! 何でも持ってってくだせえ!」


「それと、お前達もレジスタンスに加入して戦ってもらいたい。部外者の私は相談役で、レジスタンスのリーダーはヨハンだ」


「え、ヨハンがリーダー? いや、それはちょっと……」


「私とゾンビ、どちらと戦いたい」


「喜んで入らせてもらいまぁす!」 


「お前のメンツも立つように、役職を考えてやる。元兵士なら良い教官役になれそうだ」


「光栄でぇす!」


「それと」


「はい!」




「さっきの話は忘れてやるから二度とするな」




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