第2話。普通の冒険者の普通の戦闘
槍の穂先が跳ねる。
一度、二度、三度と小刻みに。
跳ねる度にヒュンヒュンと風を切る音が鳴る。
槍というよりも、釣り竿を思わせる動きだった。
牽制しているのか。それとも獲物の動きを誘っているのか。
僕の目が槍の先に引きつけられた時。
死人となったパウロ先生の顔に、椅子が叩きつけられた。
クレアさんの足が上がっている。
槍に敵の意識を集めた上で、足元の椅子を蹴り飛ばしたんだ。
下からの衝撃でパウロ先生の顔が上を向く。
クレアさんが鋭く短い息を吐いた。
「フッ!」
目にも止まらぬ神速の突き。
達人が振るう槍がそのように定義されるならば、僕にも見えた彼女の槍捌きは、やはり凡人の域を出ていなかったと思う。
だけどそれは、水面を滑空する鳥のように、自然で滑らかで、洗練された軌道だった。こんな状況でも綺麗だと思えてしまうほどに。
そして、アゴが上がってガラ空きになったパウロ先生の喉に、銀色の穂先が吸い込まれるように突き刺さった。
「グ……」
喉を貫かれて、パウロ先生の動きが止まった。
濁った目をグリグリと動かしたかと思うと、前に伸ばしていた手をブラリと下げた。
「よし、弱点は定石通りか!」
クレアさんが腰を捻って槍を引き抜いた。一つに束ねられた彼女の金髪が揺れる。穂先が風を切って半円を描くと、付着した血をわずかに壁に飛ばした。ピピッと小さな音が鳴る。
「まずは一体!」
パウロ先生が前のめりに崩れ落ちていく。倒れる際に頭を打ち付けた椅子が、派手にひっくり返った。パウロ先生は床に倒れ伏し、ドス黒い血溜まりが床に広がり始めた。
それを後続の死人が次々と踏み付けて押し寄せる。
「よっと!」
クレアさんはテーブルを足の裏で蹴り押した。勢いよく蹴り出されたテーブルは床を滑り、腐ったハラワタを引きずる女性のお腹に当たって、その歩みを止める。
そしてその次の瞬間には、死人の喉は刃に貫かれていた。
「ニッ!」
喉を抉るように槍が半回転すると、女性の死人は糸の切れた操り人形のようにテーブルに突っ伏した。「おお……!」思わず感嘆の声が漏れた。僕だけでなく、店内の他の人たちからも。誰もが彼女の強さに目を奪われていた。
しかし死人の群れは止まらない。
今度は狂った犬のように舌を出して頭を左右に振る青年が、テーブルの上に四つん這いで這い上った。クレアさんが今殺した死人から槍を引き抜く動きに合わせて、彼は両手を広げて覆い被さるようにクレアさんに飛びかかった。
まずいまずいまずい、槍の間合いの内側だ。
「フッ!」
クレアさんは槍を手から離した。金色の髪がたなびく。彼女に襲いかかった死人は空中で回転し、その勢いのままに頭から床に直角に叩き落とされた。けたましい音を立てて床が揺れる。何が起こった? 倒れた死人の首が折れ、背中と後頭部がくっついている。その服の袖と胸をクレアさんが掴んでいた。武術だろうか? 武道だろうか? 折れた首から骨が飛び出した死人は、痙攣したまま動かない。
「三ッ!」
間髪を入れず、次の死人がクレアさんに襲い掛かかる。唇の周りが著しく欠損し、肉と歯茎が剥き出しになった壮年男性だ。肥満体の彼の喉は弛んだ肉で分厚く守られており、首が見えない。彼はクレアさんが蹴り出したテーブルを力づくで押し退けて前進してくる。
「来い! こっちだ! 来い!」
クレアさんは一度は手放した槍を素早く拾い上げ、バックステップを踏んだ。肉の塊は吠えながら金髪の獲物に向かっていく。そして首の折れた死体にあっさりとつまづいた。誘導したんだ。死体を踏むように。
彼はお腹から床に倒れた。どしんと派手な音が鳴る。クレアさんがすかさずその背中に飛びかかり、彼のうなじに槍を突き立てた。どうやら獲物は彼の方だったらしい。死人は手足をピンと伸ばして動かなくなった。
「四ッ!」
たった一人の女性の手によって、押し寄せてきていた死人たちが次々と死体に戻っていく。
次はたった今、窓枠を乗り越えた青年の死人だった。彼はパウロ先生のように上半身から床に落ち、同じように床に手をついて立ち上がろうとしたが、「フンッ!」駆け寄ったクレアさんに背中を踏まれて床に突っ伏した。そしてその首に槍が突き刺さり、二度と動かなくなる。
「五ッ!」
槍を捻り、青年をもう一度殺してからクレアさんは最後の死人に向き直った。最後の一人はまだ外にいて、窓の向こうからクレアさんに両手を伸ばして掴みかかろうとしていた。「フッ!」槍の先端が空中を滑るように駆けて、死人の喉に突き刺さる。そして死人は後ろ向きに倒れ、窓の向こう側に消えていった。
「六! 店内の数は一二三四五……よし! 取りこぼしも死んだふりも無しだ! ハスキ!」
「おう!」
麦わら帽子の子がパウロ先生の足首を掴んだかと思うと、軽がると持ち上げて木窓の外に放り投げた。凄い力だ。続いて他の死体も同じようにポンポンとリズムよく外に放り投げる。するとクレアさんがすぐに窓を閉めて施錠した。
本当に、あっという間の出来事だった。
「ここを最優先で塞ぐぞ! ハスキ、食器棚を持ってきてくれ!」
「おう!」
「クレア様! 裏口と他の窓の施錠も終わりました!」
「よし、次は他の出入り口も封鎖する!」
ジンに入り込んだ死人の群れは、この数十秒間の間に彼女一人によって簡単に始末された。どこにでもいるただの冒険者と自分では言っていたけれど、今の戦い方を見ていると、とてもそうは見えない。
「……ん?」
彼女は店内の呆然としている人たちを一瞥すると、店長の弟で視線を止めた。仄かな殺気を灯した琥珀色の目が彼を見据える。
「怪我を、しているな」
「あ、ああ……ここに逃げてくる途中で、奴らに噛まれてしまって……」
彼は右手の二の腕を痛そうに押さえていた。指の間から真っ赤な血がジクジクと滲んでいる。出血量からしてそんなに酷い怪我ではなさそうだけど、彼の顔色はとても悪かった。
「気分はどうだ」
「実はかなり悪い……寒気と吐き気がしてきた……熱もあるみたいで、頭もボンヤリしてきた……」
「自分の名前は言えるか。何の仕事をしている」
「アントニオ……ここの店長の弟で……食材の仕入れとか、荒事とか、雑務を……」
短く髪を刈った彼は、腹の出た店長と違ってかなり大柄で腕っぷしの強さに評判があった。酔っ払って女の子に乱暴した客や料金を踏み倒そうとしたチンピラをボコボコに叩きのめして追い出すのは彼の仕事だ。
「歩けるか」
「まあ……何とか……」
「二階で休め。出来る限りの事はしてやる」
クレアさんに促され、店長の弟はフラフラと階段を上っていった。その後ろから若干の距離を取りつつ、クレアさんが着いていく。その手に握る槍は血に濡れてテラテラと光を反射していた。……まだ血を拭う時ではないのだろうか。
「店長、椅子とロープと布と店で一番強い酒を持って上がって来い。ロープが店に無ければミサキから受け取れ」
「え、私ですか、あの、椅子とロープと酒って、何に」
「黙って従え」
「え、ええと、はい」
「あの……これ、どうぞ」
ミサキと呼ばれた黒髪の女の子は、背負っていたリュックからロープを取り出して店長に渡した。「ど、どうも」まだ混乱気味の店長はそれを受け取り、カウンターの奥に並んでいる酒瓶の中から一つを選んで、クレアさんの後に着いていく。さらに店長の後ろからは、ミサキさんがタオルと椅子を一脚持って階段を上がっていった。
「おい、ボサッとしてないでお前も手伝え」
ハスキと呼ばれた麦わら帽子の銀髪の女の子が、僕に声をかけてきた。店の奥にある大きな食器棚を、一人で悠々と抱えて運んでいる。信じられない怪力だ。
「あ、は、はい」
店内の他のお客さんたちはまだ茫然自失といった状態だった。僕だって正直まだ何も理解できていないけれど、少しでも体を動かした方が不安も恐怖も紛れる気がする。
僕も少しでも役に立てるように、食器棚を窓に向かって押すことにした。
「そんな! そんな、こと……できません……!」
「今なら少しでも助かる見込みがあるから言ってるんだ!」
「うっ、ううううう〜!」
「弟なんだろ! 殺したいのか!?」
「うあああああっ……!」
そのうち二階からクレアさんの怒鳴り声と店長の嗚咽が聞こえ始めた。僕は不安げに老夫婦と顔を見合わせたが、お互いに何も言えることは無い。
「し、信じられないわ……あの人……」
すっかり存在を忘れてかけていたが、真っ先に二階へ逃げていった女の人が、何やら呟きながら階段から降りてきた。
「アントニオの腕を、切り落とすって言うの……噛まれた腕から、凶暴になって人を襲う毒が入ったからって……!」
涙と鼻水で彼女の顔の化粧は落ち、ピエロみたいな顔になってしまっていた。アントニオさんを呼び捨てにしているが、彼とはそういう関係なのだろうか。そういえばこの女の人は、ジンのキャバ嬢だった気がする。
「ねえ! あなたあの人の知り合いなんでしょ!? 止めてよ! 腕を切り落としたりなんてしたら、もう働けないし、死んじゃうじゃない!」
「えっ、そんなこと、僕に言われても……」
僕もクレアさんの仲間だと思われたのか、噛み付くような勢いで彼女は僕に掴みかかってきた。何と答えたらいいのかわからず、言葉に詰まる。
でも「毒」か。
凶暴になって人を襲う毒。
なるほど、たしかにそれなら少しはこの地獄絵図に説明がつく気がしてきた。ハラワタが飛び出していても動き回っていることを除けば……。
「もういい!」
僕が黙っていると、彼女は僕を突き飛ばして他の人の元へ行った。次に目をつけられたのは、店の隅で震えながら勝手に酒を飲んでいた冒険者の男だった。
「ねえ! あなたが何とかしてよ! 冒険者でしょ!? 店に入ってきた怪物は、あなたがやっつけたのよね!? なんでそんなとこでじっとしてるのよ!」
「い、いや、俺は……その……武器が、今日は……」
彼はしどろもどろになって、キャバ嬢と目を合わせようとはしなかった。そういえばたしかにこの人はクレアさんと違って武器らしき物を持っていない。
一階が騒がしくなった代わりに、いつの間にか二階は静かになっていた。嗚咽やすすり泣きのような声はまだ聞こえるが、怒声や悲鳴はすっかり鳴りを潜めている。
とりあえずハスキさんを手伝おうとおもったが、重たい食器棚やワインセラーを彼女が一人で持ち上げて窓やドアを次々と塞いでいくので、僕はテーブルや椅子をその後に積むことくらいしかできなかった。
どうやらここでも、やっぱり僕の役割は無いようだった。