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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【普通の敵と戦う人の話】
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第1話。ウィダーソンの惨劇

 ここ「ジン」という名前の古い店は、ウィダーソンの町でニ番目に大きな二階建てのキャバクラだ。いわゆる夜のお店だけれど、昼間は普通の食堂として一階だけ営業しているので、僕のように食事目的のお客さんもいる。


 今日は男女のペアと、女性三名のグループがいた。男女のペアは話し声が大きく、男が女を口説いているらしき内容が嫌でも耳に飛び込んでくる。一方で女性グループの方は、フォークとナイフと使い方を麦わら帽子の銀髪の女の子に教えつつ、静かに食事をしていた。


 店内は20人ほどは座れる広さがあるが、お客さんの少ない昼間は店長の奥さんが一人で店を切り盛りしている。ふくよかな体型をしたオバサンだけれと、若い頃はきっと美人だったに違いないと思わせる愛想の良さがあった。


「はい、トマトスパゲッティお待ち!」


 窓際の席に座る僕の目の前に、オバサンが料理を置いた。傷はあっても汚れは無い清潔な皿の上に、湯気の立ったオレンジ色の麺が乗せられている。


「ヨハン君はホントにこれ好きねぇ!」


「はぁ、ども……」


 実のところそんなに美味しくはない。単に安いからよく食べているだけだ。これをよく食べているからか、オバサンに顔と名前を覚えられてしまった。


「いただきます……」


 食べ飽きたスパゲッティを、もそもそと口に運ぶ。今日は普段よりお客さんが多いからか、注文してから出てくるまでに時間がかかった。


「えー? ホントぉー?」


「嘘じゃねえって! 大マジも大マジよ! ガハハハ! なにせ俺様はベテランだからな! ベテラン!」


「それってすごくなーい?」


 店内では男女ペアだけが騒がしかった。聞こえてくる話の内容から察するに、女性をナンパしている男は冒険者らしい。身なりは汚らしくヒゲもボサボサで山賊のような風体だけど、体付きはたしかにガッチリとしていた。


「ここだけの話だけどよ! あのジェルジェだって俺様が解決したんだぜ! 依頼人との約束で詳しい話はしちゃいけねえことになってるけどな! ウハハハハハ! 俺様に不可能はねえんだ!」


 女性グループの黒髪の女の子が、ジェルジェという名称にピクリと反応した。食事の手を止めて、武勇伝を語る冒険者を不思議そうに見ている。ジェルジェが何かは知らないけれど、有名なのだろうか。


「よくある事だ。放っておけ」


 彼女の向かいに座る、スーツを着た金髪の女性の一言で、黒髪の女の子は冒険者へ注意を向けることをやめた。そしてフォークとナイフの使い方が少し上達した銀髪の子と共に、食事を再開した。




「おかえりなさいヨハン君、ちゃんと休めた?」


 事務所に戻ると、受け付けのお姉さんがにこやかな微笑みで出迎えてくれた。唯一まともな先輩で、この職場にはもったいないほど明るくて人当たりのいい人だ。


「あっ、はい。戻るのが遅かったですか? すみません」


「こらこら謝らないの。誰もそんなこと言ってないでしょ? それに今日は暇だから少しくらい遅くなっても全然大丈夫よ」


「そ、そうですか……はは」


 この人と話すと、ついつい口元にだらしない笑みが浮かんでしまう。側から見ると僕が惚れていると勘違いされてしまうかもしれない。


「おいうすのろヨハン! テメェは何をヘラヘラ笑ってやがんだ!」


 僕の小さな幸せは、ゴンズ先輩の怒鳴り声によって跡形もなく踏み潰された。ゴンズ先輩は元兵士だ。肌は黒く、スキンヘッドで眉は無い。猜疑心に満ちた腫れぼったい目と、刀傷によって分断された厚い唇が特徴的だ。

 荒っぽい人が多いうちの職場を腕っぷしの強さでまとめていて、支店長すら彼にはあまり口出しができない。


「貨物が遅れてるからってサボってんじゃねえぞ!」


 ゴンズ先輩は何かある度に、怒鳴りながら僕を蹴ってくる。この人にとってはこれがコミュニケーションなのだろう。最初の頃はそれなりに傷付いたけど、今では少しだけ慣れてしまった。


 馬車が来るたびに積み荷を倉庫に下ろすか、倉庫から商品を載せる。これが僕の仕事だ。これだけを毎日繰り返す。つまらないし稼げない、誰でも出来る仕事だ。


「何回言えばわかるんだお前は! 仕事がなけりゃ自分で探すのが当たり前だろ! みんなそうやってんのに、なんでお前だけできねえんだ! ああ?」


 ゴンズ先輩もそれ以外の先輩たちも、毎日意味もなく僕を怒鳴る。

 何をすればいいかを聞くと自分で考えろと怒鳴られるし、何かをすると勝手なことをするなと怒鳴る。きっと怒鳴る理由を作りたいだけなのだろう。


 入社したばかりの頃、入社試験だと言われてタバコの火を押し当てられた右手の甲がジクジクと痛む。体の火傷は治っても、あの時の痛みと恐怖はいつまでも消えてはくれない。


「すみません……食事してました……今終わりましたので、外の掃除をします……」


 それでも僕は抵抗をしなかったから、からかい半分程度で許された。一緒に入社した人の中には、陰湿な虐めに抵抗した結果、とても酷い目に合わされて働けない体になって辞めてしまった人もいた。

 先輩たちは怖くて意地悪だけど、愛想笑いを浮かべてヘコヘコ頭を下げてさえいれば、怒鳴られる以上のことは滅多にされない。


「チッ、毎日毎日ビクビクウジウジしやがって。お前みたいな奴を見てると、こっちまで情けなくなってくるぜ。おら、男なら何か言い返してみろよ」


「すみません……反省してます……」


 時々、全てが嫌になる時もある。

 この先も職場の力関係は絶対に変わらない。怒鳴られ続ける毎日を10年も20年も延々と繰り返さなくてはならないと思うと、どうしようもなく暗い気持ちになってしまう。


「はん。お前みたいなネズミ野郎を、俺は現役時代に戦場で何十人も殺したぜ。この職場だけでも三人は殺した。卑劣に襲いかかってきたところを、見事に返り討ちよ」


「すごいです……尊敬してます……」


 少なくとも一人は嘘だ。本当は度を越した虐めで殺したくせに、口裏を合わせて正当防衛に仕立て上げたことを僕は知っている。


「いーことを教えてやるよ。人を殺したヤツにはな、ハクがつくんだ。目つきっつーか、顔付きが変わるのよ。俺くらいになると一目見ただけでわかるね。事故で人を殺しちまったヤツ。確実に十人以上は殺してるヤツ。顔はゴツいくせに、まだ一人も殺してないヤツ。どうだ? すげえだろ? お前にも人の殺しかたってモノを教えてやろうか?」


「先輩にしかできない、すごいことだと思います……」


 人を殺したことの何がそんなに自慢なんだろうか。


「ま、骨無しゴマすり野郎のお前にゃ無理だな。せいぜいそうやって一生ヘコヘコしてな」


「はい……」


 もう将来の事なんて考えたくない。

 どうせ今と同じか、悪くなっているかのどちらかだから。


 僕はホウキとチリトリを手に、受け付けのお姉さんになるべく顔を見せないようにして外に出た。




 最近少し寒くなってきたけれど、荷物が到着するまで先輩たちに虐められ続けるよりはずっとマシだ。

 そして今日は3時になってもまだ午後の貨物が一件も来ない。そういう時は日が暮れてから一気になだれ込むから大変だ。


 なるべく嫌なことは考えないように手を動かして、大して汚れてもいない事務所前を掃いていると、目の前をオジサンが走り抜けていった。


「ふーっ! ふー、ふぅぅー……!」


 彼はこの季節にも関わらず汗だくで、真っ赤になった顔を苦しそうに歪ませながらも懸命に駆けていく。急ぎの用事でもあるのだろうか。間に合うといいのだけれど。


「ひっ……ひっ……ひぃ……!」


 ボンヤリと彼の背中を見送っていると、今度は彼に続くように女の人が二人走ってきた。今日はマラソン大会でもあったのかな。

 前を走っている若い女の人はもう息が続かないようで、走り方もフラフラになっている。一方で彼女のすぐ後ろを走るエプロンを着けたオバサンは、足取りこそしっかりしているものの、頭から血を流していた。酷い怪我に見えるけど、大丈夫かな。


 そんなことを考えながら眺めていると、オバサンが自分の前を走る女の人に追い付いて、背後から覆い被さるように押し倒した。


「いやぁ……!」


 転んだ女の人に、オバサンが背中からのしかかる。女の人は地面に手をついて何とか立ち上がろうとしたけれど、オバサンが彼女の首に噛み付いた。えっ、何して……。


「いだぃいいい……」


 女の人は顔をぐしゃぐしゃに歪めて泣き始めた。オバサンが噛み付いた首からは、真っ赤な血が溢れ出している。

 ケンカにしてはやり過ぎだ。あんな所を噛まれたら、もしかして死んでしまうかもしれない。どうしよう、止めた方がいいのかな。どうしよう。


「おいおいおい! アンタ何やってんだ!?」


 近くにいた男性が止めに入ってくれた。背中からオバサンのお腹に手を回し、持ち上げるようにして女の人から引き剥がす。


 首を噛まれた女の人は泣きながら傷口を押さえているけれど、血はその手を伝わってどんどん漏れてくる。あの量、本当に助からないかもしれない。

 酷い。あんな大怪我、初めて見る。どうしよう。医者を呼んだ方がいいのかな。どうしよう。でも僕は仕事中だし、勝手に離れたら怒られる……どうしよう。


「あだだだだだっ!?」


 今度は、引き剥がした男の人が噛まれた。オバサンは彼の腕に食らい付いたまま、アゴを上下に動かして咀嚼する。オバさんの口元から溢れ出した血が、白いエプロンを真っ赤に染めていく。

 信じられない。なんでこんなことを。


「うわわわわわわわ!」


「何よ!? 何なの!? 誰か説明してよ!」


 いつの間にか、周りは凄い騒ぎになっていた。あちこちから悲鳴が聞こえ、血相を変えた人が何人も通りを駆け抜けていく。彼らが走ってきた方角を見ると、地獄のような光景が繰り広げられていた。


 大怪我をした血塗れの男の人がおじいさんを捕まえて押し倒した。さらにその上に他の人たちも次々と飛びかかって、寄ってたかっておじいさんをかじり始めた。


 青ざめた顔色の子供を背負って逃げている母親の首に、その子供が噛み付く。母親は悲鳴を上げて子供を振り払おうとしたが、子供は全然離れない。隣を走っていた女性が子供を掴んで強引に引き剥がすと、母親の首の肉がブチブチと引きちぎれた。


 最初にオバサンに噛み付かれた女の人が激しく痙攣している。手足をバタバタとデタラメに動かして暴れている。意味不明な唸り声を上げながら、地面を転がり回っている。


「逃げろーッ! 逃げろおおおお!!」


 誰かが叫んでいる。あ、そ、そうだ。逃げなきゃ。今すぐ事務所に戻って、鍵をかけて、隠れなきゃ。惨状が近づいてくる。怖い。怖い怖い怖い。ドア……ドア。……あれ。開かない。なんで、鍵、かけられてる。なんで。僕がまだ外にいるのに。なんで。開けて、開けて開けて。開けてください。開けて! 開けてよ!


「おい!」


 ドアを叩いていた僕の手を、誰かが横から掴んだ。


「紛らわしい動きをすると中の奴に殺されるぞ!」


 僕の手を掴んだ人は、さっきジンにいた金髪の女性だった。顔には傷があって、僕よりも少し背が高くて、とても鋭い目付きをしている。背中に槍を背負っている様子を見ると、彼女は冒険者か傭兵なのかもしれない。


「来い!」


 彼女は僕の手を強引に引いて走り出した。

 僕はろくに返事もできないまま彼女に従って走る。


「こういう時に闇雲に逃げるのは危険だ! まずは状況判断が出来る安全地帯を作る! さっきの店に戻るぞ!」


「はい!」


「おう!」


 女の子の声。ちらりと後ろを振り向くと、僕のすぐ背後に二人の女の子が続いていた。あの店にいた麦わら帽子の銀髪の子と、ショートカットの黒髪の子だ。


「ミサキは私達があの店に入ったらすぐ扉を閉めて施錠しろ! 私達の後ろから来る奴らは全員、死人だ!」


 彼らは生きて動いてるのに、死人?


「わかりました!」


 僕らが近くまでたどり着くと、ちょうど入れ替わりになる形でドアから老夫婦が出てきた。よく店で見かける常連の夫婦だ。


「戻れ! 外は危険だ!」


「えっ? えっ?」


 困惑する老夫婦を店内に押し込み、金髪の彼女は強引に入っていく。続いて女の子に背中を押される形で僕も中に入ると、背後でドアがすぐに閉められた。


 店内には今の老夫婦の他に、店長のオジサンと、店長の弟と、コックのオバサンと、さっきの男女がまだいた。みんな不安そうな顔でこちらを見ている。


 見慣れた飯屋の古びた木製のテーブルや、染みのある床、申し訳程度に飾られた花。そういった何でもない物品でさえ、先程見たあまりにも現実離れした光景から僕を今までの世界へ引き離してくれるような、愛おしさすら感じる。


「アッ!? アアアーッ!?」


 しかし、そんなものは錯覚だった。

 オバさんが指差す先に窓が開いている。耐え難い不快感を伴う腐敗臭が鼻腔を突き刺し、「ウワァーッ!?」「イャアアアアアッ!」「ヒィーッ!」そこを見てしまった僕らの悲鳴が、次々と店内に響く。


 そこにいたのは、僕が知っている人だった。


 彼の名前はパウロ。もうじき50歳になる彼は、僕が生まれてくる前からこの町で教師を続けていた。正義感と責任感の強い先生で、教え子が悪さを働いた際には親よりも早く頭を下げに来ることで有名な……良い先生だった。


 それが今や、死体になって動いていた。


 血の気が引いた肌、黄色く濁った目、大きく肉の抉れた腹からはみ出した内臓。狂った犬のようにアゴを大きく開いて歯と舌を剥き出しにし、歯の合間からは血と唾液の混ざったアブクが溢れている。パンパンに膨らんだ紫色の手を僕らに伸ばし、獣のように吠えて死の苦痛を訴えていた。


「うぉぉおおおおお! うぉぉおおおおおお!」


 パウロ先生が吠えながら上半身を押し込むようにして窓枠を乗り越えてきた。頭から床に落ちた拍子に臓物が溢れる。それらを省みることなく立とうとして膝で踏み、パウロ先生は滑ってまた転んだ。踏み潰された内臓から、血と得体の知れない肉汁がブビュウと飛ぶ。

 さらに恐ろしいことに、パウロ先生の後ろからは三人の死体が入ってこようとしていた。


「ひぃいいあああああ!」


「イャアアアアアア!」


「あっ……あっ……」


 冒険者の男は椅子から転げ落ち、這って逃げ出した。彼が口説いていた女性は、彼の手を踏み付けて二階へ駆けていく。老夫婦は呆然と口を開けたまま入り口に突っ立っている。店長とオバさんは腰が抜けたのか、その場で尻餅をついた。


 かろうじて僕をここまで逃してくれた、長年連れ添ったこの足からも力が抜けていく。一瞬だけ平和な日常に見えた店内は、今から血と肉の地獄に変わる。そう確信するに十分な絶望と恐怖が、ここにあった。


 目も耳も思考も感情も、圧倒的な恐怖に押し潰されていく。僕のあらゆる感覚が泥沼に沈むように鈍くなり、少しでも殺される時の苦痛を和らげようと、現実から遠ざかっていく。色彩が薄れ、絶叫と悲鳴の泥が世界を支配していく……。




「始末する」




 凛とした声が、泥から僕の五感を引き上げた。

 スーツ姿の彼女が、背負っていた槍を抜く。

 金色の髪がなびいた。


「奴らの相手は私がやる。ミサキは奴らに近づかず、裏口と他の窓を施錠しろ。ハスキは私が奴らを倒したら、足を掴んで外に放り投げろ」


「わかりました!」


「おう!」


 僕のすぐ後ろから聞こえた声には、怯えも恐怖も無かった。

 確信しているんだ。彼女の勝利を。


「来い! ゾンビども! この私が、お前らをしっかりあの世に送り出してやる!」


 金髪の彼女は、槍の柄でガンガンと床を叩いた。立ち上って店長の元へ向かおうとしていたパウロ先生が、彼女の声に反応して振り返る。ありえない角度で捻った首と腰からバキバキと音が鳴った。


「ぅぅぅおおおおおおおおおおおおっ!」


 そして、この世の者とは思えぬ恐ろしい形相で獣のように牙を剥いて吠え、テーブルと椅子を掻き分けて彼女へと走り出した。


「そうだ! かかってこい! 私はクレア・ディスモーメント! どこにでもいる、ただの冒険者だ!」



全8話の短編です。

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