最終話。子供の頃、世界には魔法があった
太陽がギラギラと照りつける真夏日和。
我が世の春を謳歌するセミ達が大音声で鳴いている。
深い森に囲まれた山小屋にジークは居を移していた。この小屋には獣道さえ繋がっておらず、目印になる物も無い。さらには空からも地上からも見つかりにくいように、周囲の景色に溶け込む迷彩が塗装されている。
言わずもがな、殺し屋ジークの隠れ家の一つであった。
天井に明かり取りの小さな窓があることを除いて、木造小屋の内装は非常にシンプルである。タンスと四人用のテーブルと椅子。全てジークの手作りだが、家具はこれだけである。必要な物は全て隠し地下室に収納してあるので、余計な物を外に出す必要は無い。
そのテーブルを囲んで、一人の老人と二人の少女が座っていた。
「ったく、なぁーんで俺があいつを預かる話になってんのかねぇ」
テーブルに頬杖を付き、不満気に呟くジーク。そのボヤきも、これでもう何度目になるか分からない。
「なんでって……あんた、アリシアさんに頼まれたろ?」
一方、ファイラはファイラでお決まりの台詞を返す。
「喉渇いた。お茶」
そしてテーブルをバンバンと叩いて飲み物を要求するルミナ。ジークはわざとらしくチラリとそちらを見てから、ルミナが察してくれるように、彼女を見ない振りを続ける。
「……あの人にゃあお世話になったから仕方ねえけどよぉ。俺ぁ引退してるんだぜ、引退。弟子なんてもう育てたくねぇんだよ。どいつもこいつも俺より先に死んじまうしな」
「お茶まだ?」
過去に浸ろうとしたジークの袖をくいくいと引っ張るルミナ。ジークは露骨に嫌そうな顔をして腕を引き、ルミナの要求を退ける。
「……だから死なないように、ジークさんがあいつを鍛えるんじゃねえか。適任だろ? アタシらじゃあ魔法頼りになっちまうから何も教えられねえし」
「つってもよぉ、ありゃあ苦労するぜ。マジで過去最低だ」
ジークは「はぁぁぁあ……」と海のように深いため息を吐いた。ルミナが無言でその足をコンコンと蹴り始めたが、無視である。
「そんなに酷いのか?」
ファイラは眉をしかめた。
ジークは腕を組んで頭上を仰ぎ、新しい弟子の今日までの失態を思い出す。そしてまたため息を吐いた。
「ああ、酷すぎる。才能ってモンがマジで全く無え。百年かけて俺の技を一つ覚えられるかどうかってレベルだ。元ドラグーンだから少しは期待したんだが……あれじゃあ一生、凡人の枠からは抜けられねえな」
「無理に鍛えても、早死にしちまいそうか?」
心配そうなファイラの問いに、ジークは少し唸って考え込む素振りを見せた。そして嘘偽りのない生徒の評価を下す。
「……いいや、そうとも限らねえな。凡人ほど身の程を弁えて長生きするもんだ。それにあの子は体に才能が無い代わりに、頭の方には光るもんがある。いつか俺もお前も勝てないようなヤバいバケモンが出てきても、案外あの子が何とかしちまうかもしれねえな」
「お茶」
ルミナはジークの話を全く聞かず、勝手にタンスを漁り始めた。しかしお茶どころか、コップさえこの小屋には無い。タンスの中にある物は着替えや変装用の小道具くらいである。なお、ジークのコレクションである女の子用の可愛い服も、実はこっそり収納されている。
「おいそこ、勝手に人の家を漁んな。着せるぞ」
「何をだよ!?」
ファイラが突っ込んだ時、ドアがバタンと開いた。
そちらを見やれば、今にも死にそうな顔をした金髪の少女が立っている。何故か柔道着を着せられている彼女は全身汗だくで、背中にはパンパンのリュックを背負っていた。
「先生……走り込み、終わり、ましたぁ……ハァ……ヒィ」
「おう、帰ったか。ちょうどあいつらが来てるぞ」
「ファイラさん、ルミナさん……お久しぶりです……」
疲労のあまり焦点が定まらない目で、元魔法少女は二人の現役魔法少女に挨拶をした。
「よう、頑張ってるな。シゴかれてるみたいじゃねえか。しばらくは基礎体力作りって聞いたぜ」
「えへへへ。こんなの……ぜんぜん平気です!」
息切れしながらも、ガッツポーズを作って強がる少女。
「じゃあ明日からは担ぐ重りの量を倍にすっか」
「ごめんなさい! あんまり平気じゃないかもです!」
少女は慌てて首を左右にブンブンと振った。
「ルミナなら平気」
手を上げてジークの顔の前に割り込むルミナ。
「なあお前さん、自己主張が強くねぇか?」
「アタシはもう何もしてないのに、他の連中と違ってこいつだけ全然消える気配が無いんだよ。しかもいつの間にかクオリティめちゃくちゃ良くなってるし……もう普通に生き返ったのと変わらない感じあるよな」
「ルミナは今日も元気で健康」
あの時、バルクはどさくさに紛れてルミナの再現度を百倍にしていた。
だが疑問は多い。健康も百倍になった彼女がいつまで生きるのか。そもそもこれは生きている状態なのか。肉体とは何か魂とは何か。オリジナルと完全なコピーとの違いは何か。
ファイラがいくら考えても納得のいく答えが出てこなかったので、今では結局ルミナの主張に従って、ルミナ本人として扱っている。
「そういえば、イノセントのドレスは結局どうしたんだ?」
「あれな。悩んだんだが、聖骸教会の古い知り合いに渡したぜ。なにせあれこれ耐性てんこ盛りの竜の遺産だ。研究すりゃあ、世の為人の為になる面白いモンが作れるかもしれねえ。それより、そっちの件はどうなった?」
「ああ、良い知らせがあるぜ。難民問題はどうやら上手いこと丸く収まりそうだ」
「お? トントン拍子でも軽く数年はかかると睨んでたんだが、どうやったんだ?」
「アタシらより先に難民を集めて組織化して、他国との渡りをつけてた奴がいたんだ。信じられねぇくらい凄え手腕だぜ。今じゃあ名前だけになっちまった帝国からも続々と協力者が集まってる。政治も人脈も人望も資金集めも完璧だ。誰だと思う?」
ファイラは意味あり気に金髪の少女に質問を投げかけた。少女は首をかしげる。
「え? もしかして私が知ってる人なんですか?」
「ヒント・セントガリウス」
得意気に指を立てて教えるルミナ。
「それって答えなんじゃないですか!?」
「ルミナは優しいから教える」
突っ込みに対し、ふふんと鼻息を鳴らすルミナ。
それをファイラは呆れたように見ていたが、話を戻した。
「……とにかく楽しそうだったぜ。国の代表を血筋じゃなく能力で国民から選出する新しい国を作るんだって張り切ってたな。ずっとこういうことがしたかったんだとさ。あの様子じゃ百歳まで生きそうだ」
「それは……それは。良かったです! 本当に……本当に良かったです……嬉しいです!」
少女はわずかに涙ぐみ、柔道着の袖で目元を拭った。
彼女にとってこのニュースは、望外のものであったに違いない。これで彼女の抱える罪悪感も少しは軽くなるだろう。
「ハッハ、あのドケチ野郎は最近アレだったが、若い頃はマジの名君だったんだぜ。……昔、報酬を値切りやがった腹いせに今度嫌がらせに行ってやるか」
「ねえ」
感涙に咽ぶ少女の袖を、ルミナがくいくいと引っ張った。
「何ですか? ルミナさん」
「今日のルミナビーム、見る?」
「見たいですけど、どうして今なんですか!?」
「おいコイツつまみ出せ! 話が進まねえよ!」
さすがに疎ましく感じたのか、ついにジークも突っ込み始めた。それをファイラが押さえて押さえてと仲裁する。
「まあまあ、今日くらいはいいじゃねえか。しばらく忙しくなりそうなんだ。セントガリウスの手伝いに、各地の復興支援に、魔道管理機関の再建に、あの竜の出自調査に、やらねえといけないことが多すぎるからな。これからは顔を出す機会がどうしても減っちまう。アタシらが来る度に修行の邪魔をするのも、悪いしな」
戦いの終わりはゴールではなくスタートである。一つの大きな試練を乗り越えても、またすぐに次の課題が現れる。
「うわぁ……正義の味方は大変ですね……」
これからファイラがやらねばならない仕事量を想像する少女。なお、マイペースなルミナがファイラと同じ仕事量をこなすはずがないので、必然的にファイラに負担がのしかかるであろうことは、他の二人も察していた。
「ん? おいおい、アタシは一度も正義の味方を名乗った覚えはないぜ?」
「でも私にとっては、ファイラさんが世界で一番カッコいい正義の味方です!」
「てへへ……照れるじゃねえか」
若干顔を赤らめ、頭をポリポリと搔くファイラ。
ジークはそれを見てうんうんと頷いていた。
「ねえ、ルミナは?」
横から割り込むルミナ。
じーっと少女を見つめ、褒めてアピールを忘れない。
「え? えーと、ルミナさんは……世界で一番可愛い正義の味方です!」
「むふー」
ルミナは満足そうに鼻息を鳴らした。腰に手を当て、鼻高々とドヤ顔で威張り散らす。その姿は、悪夢の13番駅で激昂していた者と同一人物とはとても思えなかった。
「じゃあ俺は?」
便乗するジーク。
こうなると自分も混ざりたくなるのが人のサガである。
「ええ!? えーと、先生は、えーっと……そう、世界で一番渋い正義の味方です!」
パァンとジークは自分の膝を叩いた。
突然のリアクションにビクリとする一同だったが、ジークはものすごく笑顔である。
「渋い! 渋いか! いいねえ! 褒め言葉ってやつを分かってやがる! よっしゃ、今日は午後から読書タイムにすっか! お前さんは頭を鍛えた方が伸びそうだしな!」
「やったー!」
両手でバンザイをする少女。
「待った。あんまり甘やかすと、ワガママになる」
突然正気になったように、まともなことを言うルミナ。
「お前さんが言っていい台詞じゃねえよなぁ!?」
椅子からコケ落ちそうになるジーク。
「ハハハハハ! 世界最強の殺し屋ジークも、ルミナのマイペースには勝てねーみたいだな! ハハハハハ!」
快活に笑うファイラ。
「本当ですね。ふふふっ」
少女もファイラに釣られて笑っていた。
共に笑う二人であったが、しばらく笑った後にファイラはずっと気になっていたことを少女に聞くことにした。
「……なあ」
「はい。何ですか? ファイラさん」
「まだ……辛いか?」
その問いに、少女は俯いて胸に手を当てた。
しばらくの沈黙。
ファイラもルミナもジークも、少女が言葉を見つけるまでずっと待っていた。その胸の痛みは、その重さは、決して簡単に流していいものではないと皆が知っている。
やがて少女は口を開く。
「…………うん。本当は、今はまだ……ちょっとだけ辛いです。私のせいで不幸になったり、死んじゃった人は……私が何をしても……絶対に私を許さないと思いますし……私なんて、生まれてこない方がよかったと思う時も……あります」
その言葉を聞いて、ファイラは思わず少女の言葉を遮ってしまいそうになった。彼女に何かを言おうとして手を伸ばす。
「でも」
少女が顔を上げた。
その目を見て、ファイラの手が止まる。
自分が何を言おうとしたのかを忘れる。
「でも……でも私、これから少しずつでも償いを始めます。今は自分の弱さに辛くなる時もありますけど……まだまだ頑張れます。空を飛べなくなっても、魔法が使えなくなっても、普通の人なりに頑張って頑張って、今よりずっとずっと強くなりますから、見ていてください!」
何も言う必要は無かった。
胸の痛みを抱えながらも生きようとする彼女の強さを、何に喩えよう。その美しさを、その儚さを、その瞳に込められた力強さを、何に喩えればいいのだろう。
三人の超人は、ただの凡人の女の子が放つこの輝きこそを何よりも眩しく思った。あの時に竜を打ち破った魔法よりも強く美しく輝く光を、彼女は持っていた。
この子はきっと、大丈夫だ。
「そしていつか、ファイラさんやルミナさんや先生みたいな英雄になりたいです! 悪い敵をやっつけるんじゃなくて、困っている人を一人でも多く助けられるような! そんな、そんな本物の、本当の正義の味方になりたいです!」
気付けばファイラは立ち上がっていた。琥珀色の目で見上げる少女の手を取り、彼女の胸の高さで固い握手を交わす。
胸には炎が燃えていた。
ファイラの胸にも少女の胸にも。
新しい人生に挑む始まりの炎が、熱く熱く燃えていた。
「ああ、お前なら絶対になれるぜ! アタシが保証する! だからこの先、何があっても挫けるなよ! クレア!」
「はい! ファイラさん!」
子供の頃、世界には魔法があった。
何でも出せる杖。青空を自由に飛び回れる翼。仲良しのドラゴン。どんな敵にも負けない無敵の力。
世界を救う自分の姿を信じ、自分は特別で唯一無二の存在だと疑わなかった。
しかし、魔法はいつか解ける。
どうしようもない現実を前にして、自分は魔法使いではなく、ただの非力なその他大勢の一人なのだと思い知らされる日が来る。
そうして誰もが失ってしまう魔法には、名前があった。
それは「夢」と呼ばれていた。
色鮮やかな優しい夢から目覚めれば、人は厳しく辛い灰色の現実を生きなくてはならない。
だが人は、ふとした拍子に夢を思い出す。
壊れてしまっても、諦めてしまっても、少し後ろを振り返れば、そこに夢はまだ生きている。
新たな夢を見てもいい。
壊れた夢の残骸に寄り添ってもいい。
置き去りにしたあの日の夢を迎えに行ってもいい。
夢なんてもう見たくないと切り捨ててもいい。
そうやって夢に傷付き、夢を懐かしみ、夢に突き動かされ、夢に生き、夢を捨て、夢にしがみつき、夢との付き合い方を覚えながらーー。
僕らは、少しずつ大人になっていく。
完。
ここまで読んで下さいまして、本当にありがとうございました。