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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【そして一つ大人になった誰かの話】
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第22話。魔法少女裁判

「おやおや困ったね、イノセント。彼女は君に逆らうつもりだよ。君はこの国の新しい秩序になろうと、こんなにも頑張っているのにね。君という新たな王、いや、王女(プリンセス)への反逆は重罪だよ。これは立派な国家反逆罪じゃないかな」


 イノセントの耳元でキャンバスが囁く。


「そう……そうね、重罪だわ。国家反逆罪、は」


 魔()少女は裁きのガベルを静かに持ち上げる。


「国家反逆罪は!」「国家反逆罪は!」「国家反逆罪は!」


 胡乱なる影は彼女の言葉を反芻する。


「死刑ィィイイイイイイ!」


 裁きのガベルが虚無を叩いた! 衝撃波が波紋の如く空に広がり、天が地が轟々と唸りを上げて揺れる揺れる!


「死刑!」「死刑!」「死刑!」「死刑!」


 血に濡れた唇を持つ影がさらに四体も出現した!

 胸のネームプレートに[執行人]と書かれた彼らは四つ足で這いつくばる姿勢となり、胴体が異様に大きく膨らんでいく! 手足の指が溶着し蹄へと変わったかと思えば、頭部から二本の角が生えそろう!


 そうして異様に大きな口を持つ黒塗りの牛が生まれた! その尾は無数に枝分かれする伸縮自在の鋼線になっており、「死刑!」「死刑!」「死刑!」「死刑!」風を切り裂きファイラへと殺到する!


「重罪人には牛裂きの刑が相応しいよね。手足の先を縄に括り付けて、東西南北に牛を走らせるんだ。皮が裂け、骨が外れ、肉が千切れて、やがて手足がバラバラにもぎ取られる。残虐な刑罰だけど、罰が重ければ重いほど人は法を破らなくなる。つまりはそれだけ平和で優しい世界に近づくんだよ」


「抜かしやがれ!」


 ファイラが左右に広げた両掌から炎が放たれた! 炎は二重の螺旋を持つ渦となり、竜巻の如き軌道を描いて空を駆け昇る! 


「デカくなれ! 速くなれ! 吸い込め! 絡ませろ!」


 膨張する炎の渦が、押し寄せる鋼線を飲み込む! 鋼線を縄のように焼き切ること能わずも、渦は圧倒的な力を持って鋼線を捻り複雑に絡ませ、機能不全に陥れた!


「魔法少女ファイラ。あなたの魔法は……知っているわ」


 吹き荒れる炎の渦の中で、ファイラはイノセントの声を聞いた。それは爆発しかけている激情を懸命に押さえ付け、表面上だけでも冷静さを保とうとしているような声だった。


「だろーな! 散々見せてやったからな!」


 ファイラが見上げた渦の真上に、イノセントは居た。冷たくこちらを見下ろす目に対し、ファイラは朗らかな笑みで返す。そんな彼女の態度にイノセントの昏い感情が募る。


「炎を操ったり、色んな物を作ったりするのよね」


「おう! お前と似てるとこもあるな!」


「武器にも出来るし、傷を治すことだって出来る」


「ああ、他にもこんな感じで炎に特性を付与できるぜ!」


「でも、()()()()


 イノセントは歯を軋ませた。彼女の脳裏をよぎるものは、かつて自分が圧倒したファイラとの戦いだけではない。


「何でも燃やせるわけじゃないし、何でも作れるわけじゃない。力の配分があるのかしら。単純な特性の炎は大量に出せて長時間持続できても、強く複雑な特性を付与すればするほどに、出せる炎の量と持続時間は少なくなっていく。……そして、あなたの火の魔法は現実にある物を模倣しているだけで、現実離れした物や新しい物を生み出すことはできない。そうでしょう?」


「へえ……!」


 ファイラは素直に感心した。

 イノセントの解説は、ファイラ自身の認識よりも正確に彼女の能力を言い当てている。


「ご丁寧な解説をどうもありがとよ! お前、アタシよりもよっぽどアタシの魔法に詳しいじゃねえか! 流石だな!」


 快活にイノセントを褒めるファイラ。

 しかしイノセントの胸の内に渦巻くは、人助けを通してファイラより与えられた劣等感と無力感ばかりであった。かつて彼女に勝った優越感など、欠片も無い。


「だ、だから……だから……」


 イノセントは屈辱に濡れた目元を拭った。そしてファイラを強く睨む。その唇がわなわなと震えた。まるで口にしてはいけない言葉を押し殺しているように。


「だから私の方が強いんだからーッ!」


 魔法少女の叫びに凶牛が呼応する! 絡み合った尾を切り離した影なる牛たちはその巨体を踊らせ、ハヤブサにも並ぶ速度で急降下を始めた! そしてその圧倒的な質量と自重で炎の渦を突き進み、ファイラへと迫る!


「お前……」


 しかし、そんなものはファイラにとってどうでもいい。


 ファイラはイノセントの言葉の裏を考えていた。

 彼女が自分より強いことなど、とうの昔に証明が終わっている。今更主張することではない。イノセントは、なぜ自分の方が正しいとは言わなかったのだろうか。


「……アタシを隠せ」


 イノセントの視界から唐突にファイラが消えた。ファイラを取り巻いていた炎が周囲の景色を映すことで擬似的な透明化を成し遂げたのである。そして更に建物の影から影へ移動して、ファイラは姿を隠す。


 目標を失った四頭の牛は、地上に激突して砂埃を上げた。


「消えた!? ……どこに居るの! 出てきてよ! あれだけの大口を叩いておいて、逃げるつもり!? 勝負するって言ったじゃない! この卑怯者!」


 標的を見失い、右往左往する魔法少女。

 当然ながらファイラは相手の挑発には乗らない。以前までのファイラならば、ただ魔法を振りかざして目の前の敵を倒す選択をしていたかもしれないが、今は違う。彼女の耳にジークの助言が蘇る。


 相手(イノセント)を理解しなくてはならない。

 その思想、信念、行動原理。何故こんな事をしているのか、何を求めて何がしたいのかを、知らないといけない。


「……出てこないなら、続けるから!」


 イノセントは、とある浮浪者に目を付けた。ボロ布一枚で下半身を隠した男で、その手足に嵌められた枷からは短い鎖が伸びている。逃げ出した奴隷だろうか。彼は恐怖に目を見開いてイノセントを見上げていた。


「さあ、あの人の罪を暴きなさい!」


 イノセントが命ずると、浮浪者の背後に例の影が出現した。この影に用意されたネームプレートには[被告]と書かれている。


 影が浮浪者の本来の影に滑り込むと、浮浪者は全身を引きつらせて屹立した。指先までピンと伸ばした両手を太ももに添え、背筋を引き伸ばした姿勢で硬直する。


「わ、私ハ、ツツツ罪をヲ、オ、犯しマシたァ」


 浮浪者は奇妙なアクセントで己の罪を告白し始めた。


「ままマ真面目に働いテテ、裕福なナナナ、生活ツツをしている人ガガ羨ましクテ、何人モモ、殺して、お金や物ヲヲ奪いましタタタタ」


 強要された告白だったが、それは事実であった。生まれた時より奴隷階級として帝国民に酷使されていた彼は、一般階級の人々が羨ましかった。そしてイノセントに国が破壊された時には他の奴隷仲間と反乱を起こし、主人の私兵との凄惨な戦いの果てに、長年夢見た自由と初めての財産をようやく手に入れた。


 しかしその背景は、魔法少女裁判では一切考慮されない。


「強盗殺人罪は死刑ィィイイイイ!」


 裁きのガベルが振り下ろされた!

 そして[執行人]が新たな殺人道具を浮浪者の目の前に吐き出す! それは女性を模した鉄の棺! それは内側に無数の刺を持つ残酷な処刑装置! それは鉄の処女と呼ばれる拷問器具である!


「いわゆるアイアンメイデンだね。罪人を中に入れて蓋をゆっくり閉めることで、内部に仕込まれた無数の刺が罪人の体に突き刺さるんだ。即死させないために刺は急所を外すように設計されているから、罪人にそれだけ長く反省を促すことができる優秀な道具だよ」


 そして地獄の蓋が開く! その内側に秘められた何十本もの鋭利な刺が、身動きの取れない浮浪者を飲み込もうと牙を剥く! あまりの恐怖に浮浪者の顔面は蒼白となり、くしゃくしゃに歪んだ顔からは涙と鼻水が溢れ出る! 死の抱擁が迫る!


「やめろぉおおおーッ!」


 ファイラがアイアンメイデンを横から殴りつけた! 炎の拳が処刑器具にめり込み、その鉄の体をくの字に折り曲げる! そしてファイラが拳を振り抜くと、鋼鉄の処女は折れた刺を撒き散らして吹き飛んでいく!


 その様子を、イノセントは両の眼に激情を込めて見下ろしていた。


「あなたはそうやって人の命を助けたつもりになっているかもしれないけれど、そいつは人を殺したケダモノなのよ! 人じゃなくて獣なの! どんな理由があっても、人を殺した者はその命を持って償わなければならないのよ!」


 暴論!


「確かに悪い奴はいる! どうしようもないクズだっているけど、人にはそれぞれ事情があるんだ! 殺したくなくても、そうするしかない状況に追い込まれる奴だっている! 仕方のないことだってあるんだ!」


 反論!


「だから何!? 仕方がなければ罪を犯してもいいと言うの!? 清く正しく生きられないのなら死ねばいいのよ! それが人間らしい生き方でしょう!?」


 極論!


「人はそんなに強くないんだよ! 誰もが正しい道だけを選べるもんか! 過ちも犯すし、正しいと思ってやったことが誰かにとっての悪いことだったなんてしょっちゅうだ! 一度も悪い事をしないで生きられる人間なんていないんだ!」


 正論!


「…………だったら私が、正しくないと生きていけない世界を作るんだからぁーッ!」


 今、竜騎士(ドラグーン)が世界の環境を書き換える!

 イノセントがかつてない光量で激しく光り輝いた! 光はセルブランカ全域には及ばずも、ファイラを中心とした半径1km圏内に降り注ぎ、周辺の建築物を蒸発させた!


 突如白い光の中に投げ出された住民たち!

 怯え怖じる彼らの足元から次々と影が延びる! 影には赤く分厚い唇があった! [被告]と書かれた名札が胸にあった! その数およそ80名! 彼らの口が影と連動して動く!


「私ハ罪おお、犯しました」「食べモノを盗ミミましタ」「人おオ傷つツツツけマシた」「子供ヲオ買いましタタ」「主人を裏ギギギ切りました」「家おお、焼きましたああ」「友達を、を、を、見捨てまシシシた」「きょ、兄弟に隠れテテ、一人だけパんを食べまシタ」「つつ妻ヲ殴りマシたたた」


 強要された懺悔の声が次々と上がる!


「死刑死刑死刑死刑死刑死刑ィィイイイイイイイイ!」


 イノセントは裁きのガベルを狂ったように何度も! 何度も! 何度も振り下ろした!


「悪いことをした人は、一人残らず死刑死刑死刑ーッ!」


 その頰をとめどなく涙が伝う。

 彼女の判決は、ファイラにはほとんど悲鳴に聞こえた。


「死刑!」「死刑!」「死刑!」「死刑!」


 断罪の光が収まれば、執行人の出番である。

 七体に増殖した人型の処刑人は、それぞれが異なる材質の鞭を手にしていた。牛皮、イバラ、鎖、柳の枝、鉄線、麻縄、ガラス片を散りばめた縄。

 処刑人は裁きを与えるべく地上へと降り立つと、身動きの取れない人々へと鞭を振りかざす。


「見てごらん、イノセント。世界にはこんなにも罪悪が満ちているよ。君の言う通り、彼らは正しい世界に不必要な存在だよね。彼らには鞭打ち刑で生皮を剥がす激痛を……」


 轟音が響き渡った。

 イノセントがキャンバスの台詞を遮り、裁きのガベルを虚空に叩き付けたのである。ただならぬイノセントの様子にキャンバスが首をかしげる。


「キャンバスは黙ってて!」


 言われるまでもなく、キャンバスは絶句した。


 自分はイノセントとは良好な関係を築いていたはずだ。自分は彼女の全ての行為を肯定し続けてきた。褒めることはあっても叱ったり咎めたことなど一度もない。ただの八つ当たりだろうか? 圧倒的な力で敵を追い詰めているというのに、何が気に食わないのだろう。


「うわぁああああああ!」


「痛いよ! 痛いよぉおおおおおおおお!」


「やめてやめてやめでぇえええええええ!」


 地上から阿鼻叫喚の悲鳴が上がる。

 執行人が罪人を鞭打ち始めたのだ。鞭の素材の差はあれど、その手足に一打を受けた者の皮は裂け、肉が爆ぜ抉れて骨まで剥き出しになっていた。

 そんな彼らの苦痛を、イノセントは鬼気迫る顔で見届けている。


「クソッタレ! メチャクチャやりやがって!」


 ファイラが自分に取り付いた影を焼き剥がすまでの僅かな間に、すでに数名もの犠牲者が出ていた。

 執行人はファイラを無視して、執拗に一般人を狙っている。彼らの一撃は即死しなくとも致命傷だ。顔や胴に当たった者は()()()()いなかったが、手足の肉を抉られれば、出血多量でやがて死に至るだろう。


「おい、お前……お前ッ! 自分が何をしてるかわかってんのか!?」


 ファイラの籠手が飛んだ! 灼熱の掌は、鞭を振りかざした処刑人の頭に猛烈な速度で食らいつくと、その頭を握り潰し爆発炎上! 処刑人の動きが止まると、業火に包まれたその足元から、痩せた少年が四つん這いで逃げ出した!


「私が何をしてるかって……? もちろん悪と戦っているのよ? 私は夢と正義の魔法少女なんだから……だから、だから! 悪をやっつけないといけないのよーっ!」


 魔法少女は狂乱したように叫ぶ!


「死刑!」「死刑!」「死刑!」「死刑!」


 するとその叫びに呼応したか、処刑人もまた次々とその数を増していく! さらに二体、四体、六体、八体! 増える! 増える!


「この!」


 ファイラが拳を強く握り締める! 紅蓮の炎が迸り、彼女の腕を覆う炎の籠手へとなった! そして彼女は処刑人の群れへと飛び込んでいく!


「この大バカ野郎が……!」


 それはファイラに勝ち目のない戦いだった。


 ファイラが拳を振るう度に処刑人が一体砕けたが、その度にイノセントは処刑人を二体増やした。まとめて処刑人を焼き尽くせるほどの広範囲攻撃は使えない。人々を巻き込んでしまっては本末転倒である。


 イノセントはしばらくファイラを観察していたが、彼女の非効率的な戦い方に苛立ちを募らせた。


「ねえ、何やってるの!? そんなにチマチマ一匹ずつやっつけても無駄でしょう!? まとめて全部やっつければいいじゃない! そこにいるのはどうせ悪人なんだから、一緒に殺せばいいでしょう!」


 ファイラが一人を助ける間に、処刑人は二人に重傷を負わせた。攻防共に魔法を拒絶するドラグーン本人の攻撃ではないために治療は容易だったが、治した側から処刑人が鞭を打つ。それもファイラに見せつけるように、同じ者の同じ箇所を執拗に狙っていた。


「どんな傷でも治せるからって、いつまでそんな無駄なことを繰り返すつもり!? 元凶を狙わないと意味が無いでしょう!? ほら、ここよ! 私はここ! ねえ! ここだってば!」


 処刑人は増え続ける。攻撃に防御に回復に、ファイラの手が回らなくなってきた。そして注意散漫となったその背にイバラの鞭が叩き込まれる。ファイラは悲鳴さえ出せない激痛に身を悶えさせ、その隙にまた新たな被害者が出た。


「どう!? どう!? 痛いでしょう!? 怒ったでしょう!? だったらやり返してよ! ほら! そんなのほっといて、また私と戦ってよ!」


「ぐ、うぅ……!」


 苦痛に呻きながらも、ファイラはイノセントを見上げた。ライバルと目が合い、イノセントは少しだけ嬉しそうな表情を見せる。「……」しかしファイラはどこか哀れむような目を見せただけで、すぐに顔を逸らした。


「……治せ」


 そしてその背に炎を走らせて自分の傷を癒すと、処刑人から人々を守る戦いを再開する。


「そっ……! そっちが、来ないん、だったら……!」


 イノセントは怒りに歯を軋ませ、裁きのガベルを振りかざした。翼から光の粒子を放ち、地上へと急降下していく。


「私からやっちゃうんだからーッ!」


 彼女たちの距離がぐんぐんと縮まっていく。ファイラは処刑人を殴殺する拳を止めてイノセントに向き直った。


 二者の視線が再び交錯する。

 イノセントは感情を滾らせつつも、その一方で極めて冷静に戦略を考えていた。


(これならさすがに迎撃してくるはず! 炎の拳を飛ばすかしら! 炎の壁を張るかしら! あるいは凶悪な罠をすでに張り巡らしていて、そこに私を誘い込んでいるのかも! 迎え撃つ? 防ぐ? 罠? それとも避ける!? さあ、どう戦うのか、見せてみなさい!)


「……いいぜ。やれよ」


 しかし、ファイラが選んだものはどれでもなかった。


 彼女は目を閉じて拳を下ろし、無防備にイノセントの判決を受け入れた。その声は僅かに震え、無理に微笑んだ頰は小刻みに痙攣していた。


「バッ……!」


 その虚勢を見抜けぬイノセントではない。想定外の相手の挙動を前に、慌てて光の粒子を翼から逆噴射させて静止を図る。

 そして大槌はファイラの頭上すれすれで停止した。風圧が彼女を叩き、土埃がぶわぁと舞い上がる。


「バカなんじゃないの!? 死ぬつもり!?」


 イノセントは思わず止めてしまった裁きのガベルをもう一度振り被り、円を描いて振り子状にファイラに打ち付けた。

 敵を叩き潰す目的の殴打ではない。やや下からすくい上げるように、ファイラの側面を打つ。


「グッ……!」


 ファイラは苦悶の声を漏らした。強烈な衝撃で意識が一瞬遠のいたが、激しい痛みが彼女を現実に引き戻す。激痛の他に感じるものは強い風と浮遊感のみ。視界は凄まじい速度で流れていき、耳鳴りも酷い。


(ああ、空中にフッ飛ばされたんだな。手足は……よかった、まだ感覚がある)


「魔法少女同士が! お互いの正義と正義をぶつけ合う時は!」


 すぐ近くでイノセントの声がする。


(もう追いついて来やがった。相変わらず凄ぇ速度だ)


「正々堂々と戦って! 勝った方が正しいって認めるのがお約束でしょう!?」


「クッ……!」


 また空中で殴られた。肺に残っていたわずかな空気が漏れる。


(痛みで息も吸えねぇ。もうどこが空でどこが地面かわからねぇ。かなりの距離を吹っ飛ばされている。ヤベェな。アタシ、マジで死ぬかもしれねぇ)


「何で戦わないの!? もっと……もっとちゃんとやってよ! 真面目に私と戦ってよ! 仲間の仇討ちをしてよ! 目の前にいる敵をやっつけてよ! 必殺技を使ってよ! 言葉なんて無力だって……わかってよ!」


「…………」


 もう声も出せない。

 強い衝撃と激しい痛みが、何度も、何度もあった。

 イノセント本人の攻撃は、炎による治療が出来ない。

 ただ、耐えるしかなかった。









(……ここはどこだ?)


 ファイラが目を開けると、巨大な柱と共に神々を模した精巧な石像が見えた。冷たく硬い床の感触が伝わる。仰向けに倒れていた体を起こそうとすると、思い出したように激痛が全身を支配した。


 ここはかつてのこの国の権力の中枢、謁見の間。世界で初めてイノセントの襲撃を受けた、始まりの場所である。

 イノセントによって空中で徹底的に叩きのめされたファイラは、最終的にこの場所に叩き込まれた。

 王の居ない広間に明かりを灯す者はなく、今は薄暗がりがこの場を支配している。


「あ、あなたが……」


 イノセントの声がした。

 ファイラは痛みに軋む首を慎重に反対側に動かして、声の方向に向ける。すると血に濡れた視界の中、すぐ目の前にイノセントの姿があった。


「あ、あなたが、あなたがそうやって、ちゃんと私と戦ってくれないから! これ、これじゃ……これじゃあ私、が」


 イノセントが投げ捨てた木槌が、大理石の大円柱にぶつかって床に落ちた。重くもどこか虚しい音が、王も兵もいない謁見の間に冷たく響く。曇り空の切れ目から差し込む光が、割れた高窓から二人の魔法少女を照らした。


「私が、悪役みたいじゃない……!」


 イノセントは泣いていた。


「ううっ、う、う、うぇぇえええええええ……!」


 顔を隠すでもなく涙と嗚咽を垂れ流すその姿は、魔法少女でも竜騎士でもなく、年相応の子供にしか見えなかった。


「う……っ、ゴホッ、う、あ……ハァ……ッ!」


 ファイラがほんの僅かに息を吸っただけで、胸に激痛が走った。口の中に広がる鉄の味。体を起こすなど、とてもではないが出来そうにもない。戦いを続けるなどもってのほかだ。


「な……なんで、戦わないのか、って?」


 それでも、教えてあげないといけないことがあった。

 ファイラは激痛に耐え、一言一言を絞り出すように話しかける。


「だって、お前は……敵、じゃない。や、やり方が極端すぎるだけで……お前は、ちゃんと、自分で善悪の判断ができる奴だ……。話せば必ず……必ずわかってくれるって、信じてた……」


 イノセントはファイラの側に崩れ落ちるように、大理石の床に膝をついた。


「信じる? 信じるって……何を? 私が何をしてきたか、知ってるでしょう……?」


 陽の傾きが、廃城になった王の間に淡い光を浸透させていく。光が照らすことで初めて見えるようになったものは、空中を漂うホコリだけではない。光は薄暗がりに隠されていた少女の罪を暴くように、かつてこの城の守護兵と落書き軍勢が繰りなした壮絶な相討ちの結末を照らし出した。


 人も、人外も、誰も彼もが死に絶えていた。

 互いに刃を突き立てあって、積み重なる無数の屍と成り果てていた。


「たくさんの国を壊して! 多くの人の人生をメチャクチャにして! 自分より弱い人たちをイジメて! それが正しいって言い張って! 人だってもう何人殺したか分からないくらい!」


「でも……今日は、誰も殺さなかった……。そうだろ?」


 ファイラの血に塗れた腕が、ゆっくりと持ち上がった。爪は剥がれて小指と薬指が折れ、第二関節からは骨が飛び出している。激痛に顔をしかめながらも、ファイラはイノセントの頰にその手を優しく添えた。


「し、死刑死刑って言ってたけどよ……アタシが間に合うように、わざとゆっくりやってた、よな……。鞭打ちも、手足だけで、顔や背中は狙ってない……。わ、わかるぜ。お前、優しいからな……こんなこと、向いてないんだよ……」


 イノセントは頰を撫でるファイラの手に、自分の手をそっと重ねた。止まらない涙が彼女たちの手を伝わる。


「でも、でも、私、あなたの仲間だって殺したのよ……?」


「ああ……うん……それはよくねぇけど……いいんだ……。先にお前に、ケンカを吹っかけたのは、アタシたちだしな……だから」


 ファイラは笑った。

 骨を砕かれた激痛を意思の力で捻じ伏せ、笑ってみせた。


 イノセントを安心させるために彼女が見せたその笑顔は、この先のイノセントの人生において決して忘れられないものとなるだろう。


「もう、やめようぜ……」


「………………うん」


 ここに、ファイラとイノセントの戦いは終わった。


 子供の過ちを咎めるにおいて、暴力は不適切である。

 ましてや、罪には暴力的な罰が必要だと主張するイノセントに対し、それを否定するファイラが暴力を振るうわけにはいかない。彼女はあくまでも対話による解決を目指さなくてはならなかった。


 その姿勢にイノセントは応えた。

 彼女は盲目的な正義を振りかざし、力に酔いしれる輩ではなかった。物語に出てくる正義の味方に憧れていただけの、純粋な子供だった。大好きな人たちの為に自分の人生を生贄に捧げた、優しい少女だった。






 そして、そんな彼女の夢と正義を利用していた者がいた。


「よかった。悪の魔法少女をやっつけたみたいだね」


 影が光を遮る。


「君にしては珍しく冷静さを失っていたみたいだから、心配したんだよ」


 それは割れた高窓から二人の魔法少女を見下ろしていた。


「でも、油断は禁物だよ」


 逆光の中で、いつもと変わらないシルエットが黒く浮かび上がる。そしてその目は妖しい輝きを爛々と放っていた。


「さあ、悪に止めを刺そう」


 それが謁見の間に落とした影から、赤く分厚い唇を持つ人型の影がズルズルと這い出してくる。


「不幸と悲しみの連鎖をここで終わらせるんだ」


 影は二人の魔法少女を遠巻きに取り囲んだ。さらにはイノセントの判決が無いにも関わらず、口々に死刑を囃し立てる。

 そして全ての元凶は、心からの笑顔をイノセントに送った。


「それが神さまに選ばれた、正義の魔法少女の務めだよ」




 見慣れた相棒のその笑顔が、今のイノセントにはどうしようもなく安っぽいものに見えた。




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