第19話。捜索! 黒幕の魔法使い!
その日以降もイノセントの『人助け』は散々な結果に終わった。どこの町へ行ってもイノセントは失敗し、誰からも感謝などされなかった。
「人が多すぎて寝る場所が足りないのね? 私に任せて! トリック・バイ・トリート!」
イノセントは町の外に新たな家を次々と建てた。ケーキの家、パンの家、果物の家、チョコレートの家、巨大な猫の頭の家。
しかしそれらの落書きの家々は、難民たちに不評だった。汁が垂れ、虫が沸き、床も壁もベタベタで、猫の家は住民を咀嚼しようとさえした。
普通の家を建てようとしても、イノセントでは落書きの家しか作れない。酷い凹凸と傾きにより床は寝れるような状態ではなく、極めつけには強めの風が吹いただけで倒壊するような物もあった。
当然ながら、誰一人としてイノセントの建てた家で寝泊まりをしようとする者はいなかった。
「ファイラ、手伝ってあげなさい。持ち運びができる簡易テントがいいだろう」
「……かしこまりました。『快適なテントになれ!』」
ファイラのたった一言で、炎には様々な性質が付与された。熱を持たず、風雨に強く、常に明るく、床面は布団のように柔らかくて、炎ゆえに重さはゼロで多少の傷もすぐに癒着する。遠目にも明確な異常性を主張する魔法使いの作品ともなれば、難民を狙うならず者も警戒して手を出さない。
「今はこれを使ってくれ。3ヶ月くらいは持つはずだ」
「おお……! さすがは魔法使い様です!」
「ありがとうございます魔法使い様!」
初めは怪しんでいた難民たちも実際に使ってみると、予想外の性能に舌を巻いた。イノセント製の家と違ってファイラ製のテントは好評で、瞬く間に難民たちの間に普及した。
ファイラは喜ぶ難民たちの影から、イノセントの様子をそっと伺った。
イノセントはファイラの真似をしてテントを作っていた。
しかしガタガタの落書きテントはバランスが悪く、風が吹く度に横転していた。イノセントがそれを何度も直していたが、やがて何かに気付いたようにテントの隅に落書き杭を打ち込んだ。
しかしその直後に吹いた風で、落書きテントは杭を起点に裂ける。歪なテントは杭の周りに切れ端の一部を残して端からほつれ、何の役にも立たない布切れへと成り果てた。
それでも何とかテントを建てようと悪戦苦闘するイノセントから、人々は意図的に目を逸らしていた。
「えっ、食べ物が足りないの? 任せて! 食べられる生き物を山からたっくさん探してくるから! トリック・バイ・トリート! トリック・バイ・トリート! トリック・バイ・トリート!」
イノセントは失敗を挽回しようと大いに張り切った。何個も何個も落書き扉を作り出し、その中から溢れ出た何千何万という落書きの大軍勢で地表を覆った。
そして彼女は怯え逃げ隠れる人々の様子に気が回らないままに大軍を率いて、周辺の山林地帯を徹底的に蹂躙した。
食べられるものと食べられないものを見分ける能力など、落書きたちが持ち合わせているはずがない。彼らは木々を切り倒して青い実を集め、見つけた動物は子ウサギだろうと雛鳥であろうと毒虫であろうと手当たり次第に殺して持ち帰った。
かくして、慎しみ深い隣人に無尽蔵の恵みを与えてくれた山は死んだ。豊かな土壌も緑の木々も余すところなく踏み躪られ、生き物たちはネズミ一匹残さず死に絶えた。
彼らの死骸は町の前に集められた。大小を問わず無造作に積み重ねられた死骸たちは、下の者から順に押し潰されて血と臓器と糞便を吐き出した。
「どうかしら! これならみんなお腹いっぱい食べられるわよね! でもまだまだ足りないかもしれないから、もっとガンガン採ってくるわね!」
血と悪臭を垂れ流す肉の山の前で満足げに頷くイノセント。
これを見て、この小さな町で先祖代々の林業を営んでいた者たちは大いに嘆いた。
命を賭けてイノセントに抗議などできるはずもない。破壊されたもう一つの故郷を前に、ただただ嗚咽を漏らすのみである。
ジークはこの事態になるまでイノセントを止めようとはしなかった。あえて手遅れになってから住民たちの様子を遠巻きに見せ「もうこの先、山の恵みは期待できないでしょう」と一言だけ伝えた。
イノセントは首をかしげたが、やがてジークの言葉の意味に気づくと、たちまちのうちに顔色が青ざめた。慌てて飛び立ち、四方に散った配下に乱獲中止令を出したが、その時にはすでに町の周囲の環境は絶望的に壊滅していた。
そしてイノセントがどれだけ住民たちに頭を下げても、自らが生み出した落書き生物たちを皆殺しにして見せても、彼女の心からの謝罪を受け入れてくれる者は誰もいなかった。
逃げるようにイノセントランドに帰った後も、翌日ジークとファイラが迎えに来るまで、彼女はずっと塞ぎ込んでいた。
「マジカル! コミカル! クリティカル! 天に代わって悪を狩る! 夢と正義の魔法少女、プリンセス☆イノセント! 無垢なる祈りと共にただいま見参!」
「うわあああああイノセントだぁああああ!?」
「逃げろーっ! 殺されるぞーっ! 逃げろーっ!」
「おかあさんこわいよおおおお!」
イノセントが名乗りを上げるだけで恐慌状態に陥る町もあった。恐怖に駆られて逃げる人々に他人を気遣う余裕などない。ここでもまた、突き飛ばされて踏まれた多くの怪我人が出た。
そしてファイラは、また今回も治療をしながらイノセントの様子を伺う。
「怖くないもん……殺さないもん……」
今にも泣き出しそうなイノセントの様子が見るに耐えなかったので、ファイラはすぐに目を逸らした。
その後、イノセントを恐れるこの町に、本人を誘導した張本人であるジークは、表面だけの言葉でイノセントを慰めていた。
「えっ……なんなの、この町……。どうしてこんなにたくさん人が、死んで……あっ、戦争?」
彼女らは荒廃した町にも訪れた。
大規模な火災に巻き込まれたのだろう。家々は黒く炭化した残骸へと成り果て、諸共に焼かれた人々の骸がそこかしこに打ち捨てられていた。
火災を生き延びたであろう人々の姿にも生気は無い。彼らは焼け跡をフラフラと彷徨い、灰の山を漁り、瓦礫をひっくり返し、男女の区別さえつかぬ焼け焦げた亡骸に家族の名前を呼びかけていた。
聞こえるものは風に乗る慟哭の声のみ。
この町には悲しみと絶望が蔓延していた。
「どうやらこの町は内戦に巻き込まれたようですね。何とも酷いことです」
ジークはあえて伝えなかったが、この国の主導者を殺害した張本人はイノセントである。元々敵対的だった複数の民族を絶対的な権力で統治していた政府が倒壊すれば、始まるのは異民族同士の殺し合いであった。
始まりは小さな小競り合いも、すぐに略奪と虐殺の嵐へと変わった。嵐は誰にも止められない。たった数週間のうちに完全に分裂した国家では、自衛力を持たない人々から犠牲になった。
ここも、そうして蹂躙された町の一つであった。
「ど、どうしよう……ここで私、何が出来るのかしら……。ねえ、何をしたら、いいの……?」
助言を求めてジークにすがりつくイノセント。
しかしジークは悲しげに首を横に振った。
「何も、出来ません」
「何も? そんなはずはないわ! 私たちに出来ることだってあるはずよ! たとえばファイラさんがテントを作ってあげたり、怪我をしている人を治してあげ……たり……とか……」
これまでの失敗を思い出し、ファイラの力を当てにしようとする自分を恥じたのであろうか。イノセントの言葉は尻すぼみになっていた。
「ええ、それくらいなら出来るでしょう」
「だったら!」
「しかし、それくらいしか出来ないのです。彼らの心を癒してあげることは、誰にも出来ません」
「そんな……」
落胆するイノセント。
「それでも、やるとやらないとじゃあ大違いだろうが」
ドラグーン攻略のためとはいえ、これまでのジークのやり方に苛立ちを覚えていたファイラが、ここで初めて反抗的な態度を見せた。
ファイラはジークを押し除けて歩み出ると、炭の山に潜り込むように両手を突っ込み、自身の汚れも厭わずに掻き分ける。
首をかしげるイノセント。微笑みを持って見守るジーク。するとやがてファイラは、焼け跡の中から二人分の頭蓋骨を拾い上げた。一つは成人の大きさのそれだが、もう一つは二回り以上も小さい。
「手伝えよ。……埋葬してやるんだ」
「え、あっ……私?」
ファイラとの間に壁を感じていたイノセントは、不意に話しかけられて戸惑う。
「ああ。他にいねえだろ」
これまで圧倒的な有能さを見せつけてきたファイラが、初めて自分を頼っている。
イノセントはそう受け取った。彼女の顔がほころぶ。
「ふふーん、任せて! トリック・バイ・トリート!」
「あっ、バカ! ここで魔法は……!」
ファイラの忠告も間に合わず、イノセントは落書き扉を開いた。質は低いが大量生産に特化した扉は、今日もイノセントが描きたいモノを複製し、次々と生み出す。
さあさあ本日の作品は落書きの兵士。手足はちょっと細いけど、手にした銀のスコップで「魔法使いが薄汚いツラァ見せんなぁああーっ!」
怒声と共に投げつけられた石が、イノセントの髪をかすめた。
「えっ?」
何を言われたのかイノセントはまだ理解できない。
彼女が声の方角を向くと、若い男性がいた。痛々しい火傷痕の残る顔を紅潮させ、目尻を釣り上げて歯を食いしばり、イノセントを睨みつけていた。
「お前、魔法使いだろ? 魔法使いだよなぁ? よくもまあ呑気に顔を出せたもんだな、うんうん。……クソガキがよぉ! 魔法使いだからって何をしてもいいと思ってんのかぁ!? クソッタレの魔法使いが国王様を殺したせいで、せっかくまとまっていたこの国はもう終わりだ!」
「おっ、おい、やめろって! 魔法使いにそんなことしたら殺されるぞ?」
彼の友人だろうか。隣にいた同じ年頃の青年が、激昂する男の肩を掴んで制止しようとしていた。
「殺されるぅ? おーおー! そりゃあ有難いね! 死ねりゃあ妻と息子にまた会えるからなぁ! ほら殺せ! 殺せよ! 殺してください、つってんだろぉお!? お願いだから殺してくださいよおおおおおお!」
怒り、叫び、荒れ狂い、泣いて、上着を破き捨てて胸を剥き出しにする男。怒りと嘆きの入り混じった狂気の咆哮にイノセントは押され、後ずさる。
あの男性がどうして怒っているのか、なぜ自分が責められているのか、イノセントにはまだ分からない。男から目を逸らし、答えを、あるいは助けを求めて、イノセントは周りを見渡した。
誰も彼もがイノセントに、憎悪の視線を向けていた。
責められるイノセントを誰も庇おうとはしない。ジークもファイラも眉間にシワを寄せて、浴びせられる憎悪に耐えている。キャンバスでさえ何も言わない。落書きの兵隊たちもまた、何も命令されていないのでカカシのように立っていた。
「ご……ごめんなさい……」
誰の耳にも届かない、小さな声。
何が悪いのかもわからないまま、イノセントはその場をやり過ごすために、とりあえず謝った。
「……帰るぞ」
ファイラが彼女の手を引き、町の外へと連れ出していく。住民たちは誰も彼女らの行く手を阻もうとはせず、魂にまで練り込まれるような恨みの視線を持って彼女たちを見送った。
イノセントはその日はもう、一言も喋らなかった。
それからも、イノセントは何の役にも立たなかった。
ジークはイノセントの不手際を決して責めなかった。あなたは悪くない、次はきっと上手くやれると励ますばかりで、意図的に正解を教えなかった。その結果イノセントは、成果を出すファイラの影で当たり前のように失敗ばかりを積み重ねた。
ファイラが誰かにありがとうを言われるたびに、イノセントはスカートの端をギュッと握る。
それを見かねたキャンバスがどれだけ中止を提言しても、イノセントは決して首を縦に振らなかった。キャンバスがイノセントを止めようとするほどに、彼女は意固地になって人を助けようとする。そして空回りの結果だけが残った。
一方でイノセントとは対照的に結果を出せているファイラは、イノセントが失敗する度に湧く仄暗い優越感に苛立ちを覚えていた。こんな事をして何になるのかと夜分遅くにジークに尋ねても、作戦の一環だとはぐらかされるだけで満足な答えは返ってこない。
「なるほどな。お前さん、イノセントの落ち込む姿が見たくねえんだな?」
逆にジークにそう指摘されて初めて、ファイラはいつしか自分のイノセントへ対する意識が変わっている事に気が付いた。結果がどうあれ、イノセントが一生懸命に人を助けようとしている姿をずっと見ていたからかもしれない。
あれほど強かったイノセントへの怒りも憎しみも、今では哀れみが上回ろうとしている。
「お前さんは根が真っ当だから、人を憎み続けるなんて器用なことは向いてねえんだよ。死んだ仲間の手前、仇討ちをしないといけねえって頭では分かってても、しばらく一緒に居ただけであっさり情が移っちまった。そうだろ」
何と答えたらいいか迷うファイラに対し、ジークは彼女の心を見透かした言葉をかけた。歯痒いが実際にその通りなので、ファイラは唸りながらも渋々と頷く。
「ならもうお前さんはイノセントへの復讐は出来ねえよ。頭じゃなくて心があの子を許しちまってる。もう自分でも分かってんだよ、イノセントは敵じゃないってな」
ファイラは反論が出来なかった。
腹立たしいほどに、その通りだった。
「それと、もう悩んでいられる時間も終わりだ。仕込みが整ってきたからな。明日あたりが決戦になるぜ、覚悟を決めとけ。……竜はマジでクソ強えぞ」
そして、最終日の幕が上がる。
夢と正義の終わりは、イノセントの一言から始まった。
「悪い魔法使いが、どこかにいるはずなの」
人助けを始めて11日目の朝。イノセントはどこか思い詰めた顔で、いつもの二人を出迎えた。無力感に苛まれていた昨日までとは、明らかに顔付きが違う。彼女の側に浮かぶキャンバスは、はたしてどのような入れ知恵を授けたのであろうか。
「あんなにたくさんの難民がいるのも、寝る場所と食べ物が足りないのも、魔法を使っただけで怖がられるのも、全部その悪い魔法使いが元凶に違いないの」
いやいやお前がその元凶だろ、とはとても言えない。ファイラは何を言えばいいのか分からずにジークの横顔を盗み見たが、彼は相も変わらず温和な微笑みを浮かべるのみである。
「だから、その悪い魔法使いをやっつければ、困っている多くの人たちを、みんな助けられると思うの」
イノセントが魔法クレヨンを握る手に力がこもる。
「そして今度こそ、多くの人を助けるの! だって私は夢と正義の魔法少女、プリンセス☆イノセントなんだから!」
人助けにおける自身の無能さを受け入れることができず、それらしき理由を作って得意分野での活動にシフトしようとするイノセント。
だがその小賢しさを、この老狩人は待ち望んでいた。
「イノセント様のご慧眼、恐れ入るばかりです」
自己陶酔に浸る少女を、老人は否定しない。彼女が信じたい都合の良い幻想を肯定するのみである。
「まさにイノセント様のおっしゃる通りです。今日まで我々が出会った難民たちは皆、とある国から逃れてきた者たちなのです。イノセント様のおっしゃる黒幕が居るかどうかは断言できませんが、その国は今や目も当てられない惨状だとか……」
「やっぱり!? そこよ! そこそこ! 絶対その国に悪い魔法使いが隠れているに違いないわ! さっそく今から行きましょう!」
ようやく活躍できると思い、露骨にやる気を出すイノセント。戦闘力に特化した彼女は、これまでの戦いで自分が無敵であることを知っている。万に一つでも自分が負ける可能性など考えてもいなかった。
「かしこまりました。それではご案内いたします」
ましてや、自分がその悪い魔法使いであるなどとは。
「その国の名は、マグナオプス帝国。たった一日にして首都セルブランカが滅んでしまった悲劇の国です」