第12話。発見! 殺し屋ジーク!
マキヤという町があった。
これといった観光名所や特産品はないものの、交通の要所として栄えており、運送業や旅客を相手としたサービス業が盛んな町である。
中でも一度は訪れておきたい場所は歓楽街。
公序良俗など何処へやら。もはやこの町の一大産業となりつつある夜のサービス業は、日々訪れる顧客の要望に応えるべく、飲む、打つ、買うの全てを備えた欲望の坩堝と化している。
一度この町に寄り道したが最後、財布が空になるまで出られない。時にはそんな評判も流れることもある、刺激に満ちた町であった。
そんな歓楽街をファイラは歩く。
時刻はすでに夜であり、年頃の少女が出歩いてよい場所ではない。ましてやファイラのように肌の露出が多い美少女ならば尚更だ。今もまた、彼女を売春婦だと思い込んだ男が一人、彼女に声をかけようとしていた。
「おねーちゃん、ナンボ?」
「死ね!」
「グエーッ!」
ファイラに殴られた男は、踏まれたアヒルのような悲鳴を上げながらゴミ捨て場に頭から突っ込んで残飯を撒き散らした。すると遠巻きにファイラの後ろをつけ回していた物乞いの孤児が、素早く男に駆け寄って金目の物を盗み取っていく。そしてさらに、この機会を伺っていた別の孤児たちが駆け寄って奪い合いの喧嘩を始める。
この光景も今日でもう3回目だ。ファイラは心の底からゲンナリした。
(こんな所でアタシは何をやってんだ……)
焦燥が募る。
ファイラがこの町に来てから、すでに5日が経っていた。何とか歩けるまで怪我が治ってからは全ての店を回って聞き込みをしたが、目的の人物は見つけられなかった。
マキナの町の殺し屋ジーク。
なにせ、探し人の手がかりはこれだけである。名前からして男性だとは思うが、顔も年齢も背格好も何一つ知らない。魔導管理機関では一度も聞いたことのない名前だったが、さぞかし強い魔法使いなのだろうとファイラは考えていた。
しかしそのような人物像の噂すら聞こえない。
代わりに聞こえる話といえば、イノセントの活躍ばかりであった。どこぞの王族を殺しただの、どこぞの貴族を殺しただの、金持ちの財産を気前よくバラ撒いてくれただのといった噂話を、人々は面白おかしく話し合っていた。
イノセントは為政者にとっては恐怖の象徴だったが、下々の民にとっては一種のエンターテイメントであった。裕福な者や恵まれた者が蹂躙され全てを失う事象は、貧しい者たちにとっては極上の愉悦であった。
そういったイノセントの話が耳に入る度に、薄まりかけていた怒りと闘志がファイラの胸の内で何度でも燃え上がる。
(まだだ、まだ何も終わっちゃいねえ。まだアタシがいる。このアタシが、あの調子に乗ったクソガキをブチのめしてやる! 絶対に!)
肩を怒らせながら夜の町を歩くファイラ。しかし彼女の性格上、今日も余計なことに首を突っ込んでしまう。彼女が今回見つけてしまったものは、屈強な男たちに殴る蹴るの暴行を加えられている年老いた浮浪者だった。
「このクソジジイ! うちはお触り禁止だっつってんだろ!」
「臭えんだよ! 二度とうちの店に来るんじゃねえ!」
「汚ったねえな! 漏らしてんじゃねえよ! それでも男かっての!」
「うう〜! うううーっ……! ああーっ!」
老浮浪者は亀のように背を曲げてうずくまり、情けない声を上げて泣きじゃくっていた。脇腹を蹴られる度に一際大きな悲鳴を出し、彼が漏らした小便はボロ布同然のズボンを更に汚していた。
「おい、やめな」
「ああん? 何だよ嬢ちゃん、このジジイの孫か?」
「消え失せろ!」
「オアーッ!?」
会話さえ面倒とばかりに、ファイラは男たちを素手で蹴散らした。魔法を使うまでもない。彼女の身体能力は常人を遥かに凌駕している。その並外れた筋力と自然治癒力もまた、魔法使いと呼ばれる突然変異体が天から与えられた贈り物の一つであった。
「ケッ、弱い者イジメをした気分だぜ」
ボコボコにされて半泣きで逃げていく男たちを見て、ファイラの苛立ちは余計に募った。正義を振りかざして自分より弱い者を痛め付けるという行為は、彼女にとってイノセントを連想させる行為となってしまっていた。
ざけんな。アタシはアイツとは違う。
ファイラは誰にでもなく心の中で呟いた。
「おお〜う、ありがとうよぉーう、お嬢ちゃーん……」
浮浪者の老人が這ってファイラにすり寄ってきた。彼が放つあまりにも酷い腐敗臭に、ファイラは顔をしかめる。それでも彼女は口に出して臭いとは言わなかった。
「あいつらなぁ、あいつらなぁ、酷いやつらなんじゃよう」
「何したんだよ、じいさん」
「ワシがなぁ、ちょっと無銭飲食して、女の子のオッパイを揉んだくらいでなぁ、あいつらワシをボッコボコに殴ってきたんじゃあ!」
老浮浪者は涙を流しながらファイラの足にすがりついた。
「いや、そりゃ殴られるだろ。じいさんが悪いぜ」
「でもなぁ、ボインボインのチャンネーで、ワシゃあ我慢できんくてのぅ。うへへへ、やっぱり巨乳はええのぅ。パイオツがビックなオニャノコは最高じゃのぅ。見て良し、揺れて良し、柔らかくてスベスベで弾力モッチモッチでうへへへ、たまらんのぅ。ところで俺がジークだ」
「は?」
ファイラの右目のわずか1mm手前で刃が止まった。
「うっ……おっ……!」
全く反応出来なかった。速すぎて見えなかったのではなく、見えていたのに危険を認識できなかった。
体が石のように硬く、重い。背骨が氷になったのではないかと思えるほどの寒気が全身を這っている。
「どうしたい、俺に用事があったんじゃねえのか」
いつの間にか周囲の雑踏が耳から消えていた。
今頃になって本能が叫ぶ。ファイラの全神経が、生き延びるためにこの男の声だけを聞けと全力で警告している。
「俺がこの町に居るってことは誰も知らねえはずなんだが、おかしいよなぁ」
浮浪者の老人は消えていた。
今、目の前にいる者は猛々しく巨大な肉食獣である。
獣はファイラを見下ろし、その牙、その爪を、遠慮なくファイラの命に食い込ませていた。獣はファイラの目に映る景色を歪ませる程に重く禍々しい殺気を放ち、彼女をかつてない恐怖で飲み込んでいた。
動けば、殺される。
ファイラはそう確信した。
あのイノセントとの戦闘でも、ここまでの恐怖を覚えたことはない。一方的に自分の命を握られる感覚を、彼女は今まさに味わっていた。
「で、用件は? また殺しの依頼か?」
獣の目には何の感情も浮かんではいない。
彼の機嫌を少しでも損ねれば即座に殺されるとファイラは直感した。上手く動かない唇を急かし、慌てて言葉を絞り出す。何でもいいから頷いておこうと思ったのも初めてだ。
「あ、ああ、そう、そう、だ。依頼だ」
「そりゃ残念だったなあ、俺ぁもう引退したんだ。今じゃあ見てのとおりの死にかけたクソジジイよ。セクハラとゴミ漁りで細々と余生を過ごすつもりなんだ。ほっといてくれ」
死にかけたクソジジイ? どこの誰が?
ファイラは改めて凶悪な獣を見た。
まず、デカい。先ほどまで確かにファイラより小さかったヨボヨボの老人だったのに。今ではファイラが見上げている。首、胸、腕、足、身体の全てがとにかく太く、分厚い。彼の顔はシワだらけで白髪白髭の老人なのに、加齢による衰えなど微塵も感じさせない。腕の筋肉などまるで、束ねた鋼線のようだった。
「で、お前はどこの誰なんだい」
そして何よりもこの眼光だ。
ファイラの怯えを見抜くこの目が、逆らうことを許さない。交戦的で自信家で魔法使いのファイラでさえも、この男は今までの誰とも格が違うと認めざるを得なかった。
殺し屋ジーク。
いったい何百人を殺せば、人はこんな獣になれるのか。ファイラには検討もつかなかった。
「……魔導管理機関の、ファイラ」
「げっ、魔法使い案件じゃねえか」
ジークはファイラの目に突き付けていたナイフを仕舞った。殺気が消え、周囲の雑音が戻ってくる。
信じがたいことに、たった今ファイラが殺されかけていたことには誰も気がついていないようだった。ファイラが男たちを殴り飛ばした時にはあれほど注目を集めていたというのに、今や彼女たちを見ている者は誰もいない。もしもあのまま彼女が殺されていたとしても、目撃者は一人も出てこないのではないかとさえ思えた。
「ったく、どうせまた俺に厄介者を始末させるつもりなんだろうが。お断りだね。でもまあ……このまま帰れってんじゃあ、お使いを頼まれた嬢ちゃんが可哀想だから、一応聞くだけは聞いてやるよ。今度はいったいどこの誰を殺して欲しいんだ?」
「……魔法少女、イノセントだ」
「殺らねえよ。他に行きな」
一も二もなくジークは拒絶した。
「俺はもう、女と子供は殺らねえって決めてんだ。今話題のイノセントちゃんが魔法使いだろうがテロリストだろうが少女に化けた何かだろうが関係ねえ。帰ってクロック・ハウスのイカサマ野郎に伝えな。テメェらの同類がやらかした問題くらいテメェらで解決しろってよ。じゃあな」
ジークはファイラに背を向けた。すると、その背中が急速に存在感を失っていく。透明になるわけでも幻のように消えるわけでもない。何故か焦点がボヤけ、自分の意識が彼に向かなくなるのだ。
「待て! 待ってくれ!」
消えつつある興味と関心を掻き集めて、ファイラはジークの背中を呼び止めた。雑踏の色彩に滲んで溶けかけていたジークの輪郭がわずかに残る。
「クロック・ハウスは殺されたんだ!」
「へっ、そうかい。ついにあいつもくたばっちまったか」
「仲間たちも全員だ! 天空島にイノセントが来たんだ! 魔法使いはみんな、みんな死んだ!」
「……アリシアさんもか?」
「そうだ! 生きてるのはもうアタシとカーくんだけだ!」
「そうかい……。ここ数年で最悪のニュースだ。俺の方が先にくたばると思ってたんだがなぁ……。そうか、アリシアさんも殺されちまったか……そうか」
「だから「それとこれとは話が別だ」
言葉を吐き出しかけたファイラの唇が固まる。ファイラはジークの背中から目を離した覚えはない。しかし、瞬きをした一瞬でファイラの眼前にはジークの顔があった。獣じみた老人は、値踏みをするようにファイラの瞳を覗き込む。
「先に言っておくぜ。『ひとりぼっちになった可哀想な私を助けて』とか『全てを奪われた私の復讐を手伝って』とか、そういう同情を買おうとする台詞はよう、もう俺ぁ聞き飽きてんのよ」
老人の目には昏い感情が渦を巻いていた。怒りや憎悪といった燃える感情とは対極にある氷の感情をファイラは見た。それは倦怠や諦観、あるいは失望が混ぜ合わさった感情であった。
「ビジネスの話に泣き落としなんか通用しねえぜ、お嬢ちゃん。人を動かせんのは結局のところ、損得だけよ。もっと具体的に言ってやらぁ。俺を雇いたいなら、お前さんがクリアしないといけねぇ条件は二つ。『女子供を殺さない』と『報酬を払う』これだけだ。お前に出来るかい。出来ないとは言わねえよなあ。出来るんだよなぁ……!」
「あ、ああ。もちろんだ」
老人の迫力に押し切られてファイラは思わず頷いてしまった。
「オーケー。なら、あらためて話を聞いてやらあ。お前さんはこれから俺の依頼主だ。よろしくな、お嬢ちゃん」
ジークは歯を剥き出してニッカリと笑い、ファイラの手を取ってブンブンと握手をした。難航していたはずの交渉がなぜか急にまとまったために呆気に取られ、よく分からないまま彼女は頷く。結局、ファイラは最初から最後までジークのペースに飲み込まれたままであった。
本当は、ジークは老婦人からファイラのことを頼まれており、彼女に手を貸す事を最初から決めていたのだとファイラが知らされるのは、ずっと後の話であった。