第11話。感傷! 月明かりのセンチメンタル!
イノセントは無敵だった。
魔導管理機関を壊滅させた後も、彼女の行手を阻む武装勢力は徹底的に殱滅した。[諸国連合軍][忘れられた神の教え子たち][古き叡智の国][死こそ救済マン][愛の学会][聖骸騎士団][星を呼ぶ会]軍隊もカルト教団も魔法使いも異端技術の追求者も、彼女と交戦した組織は全て甚大な被害を受けた。
彼女の進撃はさながら無人の野を征くが如く。彼女を止められる者は誰もいなかった。
そしてまた今日も、シャドウに操られた悪の権力者を倒した。残念なことに彼の妻や子供たちもすでにシャドウに乗っ取られており、元に戻せる見込みはなかった。
だからイノセントは、彼らをシャドウから解放してあげた。今日も彼女は善行を積み重ねたはずだ。
「……どうなの、かなぁ」
しかし、彼女の心には陰鬱とした感情が湧き上がりつつあった。それは暗雲のように心を覆い、彼女の輝きに影を落とす。
ここは雲海の上。満天の星空を背景に、顔の描かれた落書き三日月が夜空に浮かぶ。イノセントは笑顔の月に背中を預け、憂げな表情で膝を抱えて座り、冷たい夜風に吹かれていた。
「眠れないのかい、イノセント」
彼女の側に浮かぶ小動物が話しかける。
「うん……あのね?」
イノセントは抱えていた足を離した。透けるように白い足がプラプラと宙に揺れる。すると月は彼女の意を汲むように高度を少し下げ、雲海に彼女の足先を浸した。
「ちょっと、考えちゃったの」
「何をだい?」
「私が今までやっつけた……シャドウじゃなかった人たちのこと」
イノセントは俯いて視線を落とした。その様子は悪いことをしてしまった幼い少女が、己の罪を告白することで親からの叱責を少しでも軽くしようとする姿にも似ていた。
「私ね、悪い人はやっつけないといけないってずっと思ってたけれど……。あの変な世界で魔法使いの女の子と戦ってから、もしかしたらそれは違うんじゃないかなって思えてきたの」
「それはどうして?」
「だってあの子……すごく怒ってた。私が、あの子のパパを殺しちゃったから」
「そんなの気にすることじゃないよ、イノセント。彼らはパッと出の敵役で、君が成す偉業の通過点に過ぎないんだ。これから君が倒す多くの悪人の中のただの一人だよ」
「私ね、魔法少女になってから、もう自分のパパとママのことは思い出せないけれど、それがどんなに大切な存在だったかは、わかるの」
微妙に噛み合わない会話に、キャンバスは首をかしげる。
「落ち着いて、イノセント」
「家族って、本当に、世界で一番大切な存在なの。もうわからないけれど、私にはもしかしたらお兄ちゃんやお姉ちゃんや弟や妹がいたかもしれない。それがもし、もし目の前で殺されちゃったりしたら、どんなに悲しいか、どんなに怒るか、わかるの。私はあの人たちのことを何も知らなかったけれど、きっとあの人たちにもそれぞれの人生があって、大事な家族がいて、それを私が殺しちゃって……!」
「君は優しいんだね、イノセント」
感情が昂り始めたイノセントに、キャンバスは頬ずりをする。
「でもね、よく聞いて。君は正義の味方なんだから、正義だけの味方をしないといけないんだよ」
「正義だけの……味方?」
「そうとも。君に教えてもらった本に出てきた魔法少女だって、そうだっただろう? 毎回毎回出てくる悪人の気持ちを考えたり、その人生の背景に想いを馳せるなんてことは、正義の味方はやらないよ。だって彼らのことを顧みたところで、やることは変わらない。話し合いでお互いを理解し合って尊重するなんてことが出来ているんだったら、戦争も貧富の差もこの世界からとっくの昔に無くなっているはずだよ」
「それは……うん……そうね」
「この世界はね、正しさよりも強さを重視し過ぎたんだ。悪い強者が正しい弱者を虐める構図になってしまっている。君はそれが許せない正義の心の持ち主なんだろう?」
「うん……」
「だからこそ、神さまは君に魔法の力を与えたんだ。正しい強者が悪い強者を倒す。これこそが本来世界があるべき姿だと思わないかい?」
「そっか……うん、そうよね!」
「でも君は少し疲れているようだから、明日は正義の活動をお休みにして楽しいことだけをしよう。キャンディーの雨を降らせようか? それともミルクの川を作る? お菓子の生えてくる森を作るのも面白いかもしれないね」
「ええっ!? なにそれすごいすごい! とっても面白そうだわ! 宝石のお城とか、チョコレートを育てる牧場とか、大きなケーキでできたお家とかも、もしかしたら作れるの!?」
「もちろんさ、イノセント。君に不可能なんてないよ。どんなことだって可能にする力が君にはある。だって君は神さまに選ばれた存在だもの」
「うん……うん! 私、頑張るわ! 明日だけちょっとお休みして遊んだら、また正義のために頑張るから! そしたら神さまも喜んでくれるわよね!」
単純なものだ。世の中が善と悪で出来ていると信じる子供は、やはり扱いやすい。
満面の笑みを取り戻したイノセントを見て、キャンバスは心の中で黒くほくそ笑んだ。
「ねえ、キャンバス。ひとつ聞いていいかしら?」
「なんだい、イノセント」
「どうして神さまは……私を選んだのかしら?」
「それはね」
首を傾げたイノセントに対し、キャンバスは心の底からの笑顔を送った。
「君が、この世界で最も清く正しい心の持ち主だからさ。神さまは君の今までの善行を、ちゃんと見てくれていたんだよ。だからこの力は、神さまから君への贈り物なんだ」