第6話。出発! 悪夢の13番駅!
セドリック・アサイラムは夜を異様に怖がる子供だった。
眠るたびに「怖い夢を見た」と泣き、起きている時は起きている時で「どうすれば夢を見なくてすむのか」と見境なく大人たちに尋ねて回る子供だった。
町の人々は彼に優しく「ただの夢なんだから気にすることはないさ」と言った。他の子と比べて奇妙な言動が多い彼が迫害されるようなことはなかったが、本当の意味で彼の言葉を真摯に受け止めてくれる理解者は一人もいなかった。
ある日、水汲みから帰ってくると自分の家が消えていた。赤い闇と黒い影と白骨の世界がそこにあった。錆びた鉄の看板に血で書かれた[13番駅]の文字が不気味だった。
セドリックはまたいつもの夢だと考えた。
いつの間にか眠ってしまっていたのだろうか。今日はいったい何が走ってくるのだろう。
セドリックが恐怖に身を竦ませていると、やがて[何か]が来た。幼かったセドリックは人間の頭の骨など見たことがなかったし、[何か]が連れてくる[よくわからない不気味なもの]が何なのか見当もつかなかった。
セドリックは目を瞑って耳を塞いだ。この[何か]は彼に手を出してくることはない。彼を誘うように少しの間だけ目の前で止まって、彼が乗らないと分かると、勝手に出発していくだけだ。そしてそれが遠ざかっていけば夢は終わる。だからセドリックは息を潜めて夢の終わりを待った。
しかしその日はいつもと違った。近づいてくる絶叫が多い。走行速度も遅いようだ。その上、何やら自分の名前を呼んでいるような気がする。
やがて目の前で止まった[何か]が、待っても待ってもなかなか通り過ぎていく気配がないので、気になったセドリックはついつい目を開けて見てしまった。
目と鼻の先に母の顔があった。透明な板に顔を押し付けて、自分の名前を繰り返し呼ぶ実の母。彼女は50㎤の透明な箱に押し込まれ、何かに何処かへ運ばれていく最中だった。
彼女の周囲にも同じように透明の箱に押し込まれた人々が積まれていた。セドリックは彼らの顔を知っていた。同じ町に暮らす人々だ。そこには父もいたし、兄弟たちもいた。
汽笛が鳴った。亀のような速度で進み始めた[何か]をセドリックは茫然と見送った。助けを求める彼らの声に応える必要なんてない。これは夢、ただの夢なのだから。
やがて、人々を満載した[何か]は赤い闇の向こうに消えていった。
よかった、これで目が覚める。
幼きセドリックは胸を撫で下ろした。不気味なものは全て消え去って青空と夏草の匂いがもどってくる。目を刺すような強い日差しにセドリックは顔をしかめ、足元に置いていたバケツを持ち直した。
そしてセドリックは硬直した。
バケツを、持ち、直した? 自分は寝ていたのではなかったのか? 布団の中にいて、目を覚ますところでなくてはおかしいのではないか? 彼は混乱する。
なぜ、家の前で、バケツを持って、こんな、静かな、人の声が、聞こえない、何も、外、誰も、いない?
セドリックはバケツを放り出して走り出した。家の中、誰もいない。隣の家、誰もいない。その隣の家もその隣の家も教会も役場も水汲み場も畑も牧場もどこにも誰もいない! 叫んでも叫んでも誰一人出てこない!
怯え続けてきた悪夢がついに現実を食べてしまった!自分の悪夢が町の人々を連れて行ってしまった!
セドリックは泣いて走って走って大声を上げ続けて、力尽きて倒れてようやくその結論に至った。
疲労感が彼を再び悪夢の世界へと誘う。
かまうものか。寝てしまおう。そしてあの[何か]に乗って自分もどこかに行ってしまおう。泣き疲れたセドリックは自暴自棄になりながら昏い眠りの淵へと落ちていった。
彼が白スーツの紳士と蠱惑的な魔女に出会い、自分が魔法使いであることを知らされるのは、各地で800名を超える行方不明者を出してしまった後であった。
ふと、鏡に映る自分の姿が気になった。
25歳の青年にしては精気のない痩せこけた顔。不健康に細い体と青白い肌。頭髪もすっかり白髪になっており、虚ろな目の下には大きな隈もある。どこからどう見ても死にかけた病人の様相だと自分でも思った。
あれから17年も経ったが、セドリックは自分が大人になったという実感は無い。人並みに背が伸びて、少しは自分の能力を扱えるようになったが、それだけだ。大人がやらないといけないことを自分は一つもやっていない。
では大人がやらないといけないこととは何か。
セドリックは、大人になるということは役割を持つことだと考えていた。それは仕事をすることであり、善き親になることであり、社会に貢献する一員になることだと考えていた。
では今の自分はどうか。セドリックは昏い瞳で鏡を見る。
魔導管理機関という超人たちの集いに入れてもらったはいいが、自分の果たせる役割なんて殆ど無かった。ようやく能力を多少なりともコントロールできるようになった頃には、魔法使いと世界との戦争は終わってしまっていたのだ。
セドリックはそこまで考えて自嘲した。
違う。活躍する機会が無かったなんて都合のいい言い訳だ。魔法使いの戦いが続いていたとしても、こんな不気味で危険なだけの能力など何の役にも立てないだろう。
呼ぶ、乗る、13分間走る、目的の場所に着く。
場所や人物名を告げれば、それが正確でなくとも意図した目的地に辿り着けたし、出発時に近くにいた者は必ず巻き込まれる。
自分の能力について判明していることは、これくらいだ。それ以外のことは何もわからない。あの日、どうして町の人々は拐われたのか。1〜12番の駅はあるのか。時折これに乗ってやってくる化け物は何なのか。なぜ自分は襲われないのか。わからないことだらけだ。
セドリックは客室に備え付けられていた鏡から目を離して座席に腰掛けた。
今回の客室は当たりの部類だ。襲ってくる化け物もいないし、何かの汁が滴り落ちてくることもない。人型に彫られた木造の座席から囁き声が出ていることだけが気になるが、それ以外は上質な旅館のような装いだった。これならわざわざ屋根の上に乗らなくてもいい。
ぼんやりと考え事をしていると、やがて客室の揺れが止まった。目的地に到着したようだ。所要時間はいつも通り『この世界の時間で13分、現実世界で13秒』。セドリックは帽子を被り直し、腰を浮かして客室のドアを開けよう
としたが、ドアはすでに開いていて白服の紳士と赤髪の美少女が乗り込んでいた。
「すぐ出してくれ。天空島に戻ろう」
到着してすぐに降りたクロック・ハウスが、有無を言わさず時間を止めてファイラを連れ込んだのである。
セドリックが頷き「天空島に戻れ」と命令すると、燃える車輪がすぐさま回転を始めて客室が揺れ始めた。少しずつ速度が上がり、窓の外に見える異界の景色が流れ始める。
セドリックはそこに、純白のドレスを着た少女と豊満な肉体の魔女が対峙する姿を見た。そして間もなく客室が最高速度に達すると、彼女たちの姿は瞬く間に赤い闇の向こうに消えてしまった。
「……おい」
ファイラは牙を剥いた表情のまま周囲をキョロキョロと見回していたが、やがて状況を把握したのかクロック・ハウスに掴みかかった。
「ざっけんじゃねえ! アタシはまだまだやれた! 負けてもねえのに、イノセントから尻尾を巻いて逃げろってのか!?」
「状況がね、変わったんだよ」
クロック・ハウスはいつものように時間を止めてファイラを軽くあしらわなかった。常日頃から浮かべていた人を小馬鹿にするような微笑が消えていることに気付き、ファイラが怪訝そうに眉をひそめた。
あの頃の顔だ。
セドリックもまた気づいた。初めて彼と出会った頃の顔。魔法使い同士での戦争が日常的になってしまっていた、余裕の無かった頃の顔だ。
「来たのはプリズンとセドリック君だけじゃない。『筋肉王』と『破壊光線』の親子にも来てもらった」
「ああん!? ガキ相手に3対1かよ!」
「いいや、1対1さ。僕たちにも魔法使いとして譲れないプライドがある。ただし、1対1を何度か繰り返すかもしれないけどね」
「おい!」
「そこまでしないといけない相手なのさ」
ファイラは反論しようとしたが、いつになく真剣なクロック・ハウスの顔を見て口をつぐんだ。
(なんだ。意外と素直に話を聞く時もあるんだな)
ファイラの生意気な面しか知らないセドリックは、少しだけファイラに対する印象を改めた。
「もう悠長にスカウトなんて言っている場合じゃなくなった。魔法使いイノセントをこれ以上成長させてはいけない。彼女はここで必ず仕留める」
「急になんだってんだ。ミレニアムの予言か?」
クロック・ハウスはその質問には答えなかった。ミレニアムが何を予言したのかはセドリックにも聞かされていない。
「……来る」
クロック・ハウスが駆け出した。彼はセドリックの隣を通り過ぎると窓から顔を出し、去りゆく遥かな後方を見た。
キュイイイイイイイン……!
耳の痛みを誘発する高音と共に、闇の彼方から白き輝きが追いかけてくる。それを見たクロック・ハウスは、最も信頼する魔法使いの敗北を察した。
「……彼女でも駄目だったか」
「おい、ダメって何だ。予言は何なんだ。プリズンは残ってイノセントとやり合ったのか。……どうなった」
クロック・ハウスは無言で首を振った。
「おいッ!」
ファイラが客室の壁を殴る。
「彼女が稼いでくれた2分間を無駄にするわけにはいかない」
クロック・ハウスはファイラとセドリックに向き直った。
「11分だ。残り11分以内にイノセントを僕たちから引き離してこの世界に置き去りにする。それが現状でイノセントを倒せる唯一の手段かもしれない」
セドリックは思い出す。彼が出発前にクロック・ハウスから声をかけられた時は『離れた場所からファイラを見守って危なくなったら助けに行こう』程度の話だった。
しかしファイラとイノセントの接触を機に、どうやらミレニアムが視た未来が変化したらしい。相変わらずコロコロ変わる予言だとセドリックは思ったが、クロック・ハウスが集めたメンバーを見てようやく緊急事態を悟った。
予言の内容を尋ねられても、クロック・ハウスは決して答えなかった。「この、中の……誰かが、死ぬ、のね」あの時、最古参の魔女が呟いた言葉がやけに耳に残った。
「さ、ここが勝負所だ。必ずイノセントに勝とう」
クロック・ハウスの声がセドリックを回想から引き戻した。
白服の紳士はセドリックの胸近くに拳を突き出していた。セドリックも恐る恐る拳を作って紳士の拳に拳を合わせると、紳士はウインクをした。
「頼んだよ、セドリック君……いや、『悪夢の13番駅』。これは君にしか出来ない事なんだ」
クロック・ハウスはセドリックを二つ名で呼んだ。
彼が魔法使いを名前ではなく二つ名で呼ぶ時は、一人前の魔法使いと認めた証である。
「見て見てキャンバス! もうすぐ追い付くわよ! あれはいったいどこから来てどこへ向かうのかしら!」
光の向こうから魔法少女の声が迫る。
セドリックが待ち焦がれていた自分の役割が、ようやく訪れようとしていた。