第5話。激突! 正義の魔法 VS 悪の魔法!
「燃えろ! デカくなれ! 柔らかくなれ!」
ファイラは炎に命令をすることができる能力を持っている。命令された炎は指示に具体的な数値が含まれていなくても、彼女の思惑に最も近い形で、ある程度の物理法則を無視して彼女の命令を実現させる。
この場合、ファイラの命令を受けた拳大の火の玉は[炎上して体積を増やせ。落下による運動エネルギーを完全に吸収できるゲル状になれ]というファイラの意図を汲み取り、それを実行した。
ファイラを包む炎は10㎥の立体プール状へと変化した。密林を掻き分けて炎塊は落下する。進路上にあった枝や葉に火を燃え移らせながら地表に到達すると、炎は着地の衝撃で四散し火種を撒き散らした。無論、ファイラにはかすり傷一つ無い。
「すごいわ! あの人、炎を操る魔法少女なのね!」
初めて見る自分以外の魔法を前に、イノセントは目を輝かせてファイラの動きを追った。
「大丈夫、どんな魔法少女だって君の敵じゃないよ。だって君は世界最強の魔法少女なんだもの。さあ、悪い魔法少女を一息にこらしめてやろうよ!」
「わかったわ! トリック・バイ・トリート!」
イノセントが魔法の呪文を唱えると、落書き扉から落書き鳥たちが大量に出現した。おそらくモチーフはツバメなのだろう。落書き鳥は黒い体に赤いアゴ、鋭いクチバシと針金のように細い足、半円形の薄い羽とグルグルの目を持っていた。
「行きなさい! 魔法少女ファイアフレアをやっつけて!」
落書きツバメたちは王女の命令に従い、先を争って地表へと急降下していく! うねり、蠢き、螺旋を描く怒涛の落書きツバメの群れ!
「舐めんじゃねえ!」
地上から見上げるファイラは、拳を突き上げた!
「尖れ! 硬くなれ! 射って射って射ちまくれ!」
炎の女王の命によって炎は性質を変える! ファイラが撒き散らした炎の揺らめきが止まった! 表面に大小無数のトゲが生えた! 上空から見下ろすイノセントの目に巨大な剣山が映る!
ド、ドドド、ドドドドドドドドドドドドドド!
トゲは上空の群れめがけて一斉に放たれた! 発射する度に次弾発射へのタイムラグが縮まり、みるみるうちに回転率が上がっていく!
「オラオラオラオラオラオラァ!」
ツバメと炎が空中衝突! 炎の矢に貫かれた先頭のツバメが断末魔を叫ぶ! 一本の矢が数匹の落書きツバメをまとめて串刺しにし、炎上! 炎上! 舞い散る火の粉! 撒き散らされる絵の具的体液! 幾重にも重なる落書きバードの断末魔!
「ツバメだと押し切られそうだね、イノセント」
「うーん……じゃあ、こうだ!」
押し上げられるラインに不利を悟ったイノセントは「出てきて……火に強い生き物! トリック・バイ・トリート!」ツバメの排出を止めた! 落書き扉が光る! 新たな手先が作成される! はたして火に強い生き物とは何だ? ツバメの群れが燃え尽きた! そしてファイラは炎の先に、新たな敵の姿を見据える!
「ウホウホ、ウッホホホー!」
「って、ゴリラじゃねぇーか!」
上空から投下されるゴリラ! ゴリラ! ゴリラ! 胸を叩く音が響き渡る! ツバメの次にゲートから排出された兵団は、落書きにしては妙にクオリティの高いゴリラの大群だ! ドラミング交響楽団の出撃である!
「ざけんな! ゴリラが火に強いわけが……あれぇ!?」
ゴリラ軍団は炎の矢に耐えた! L字に曲げた腕と足で急所を隠し、火ダルマの針ネズミになりながらも圧倒的な質量でラインを押し上げてくる! まさにゴリラ豪雨だ!
「甘いわね! ゴリラは南に住んでいるから火に強いの!」
暴論!
「んなわけねーだろ! じゃあ北に住んでるペンギンさんは凍らねーってのか! ああん!?」
反論!
「そうよ! 溺れるお魚だっていないでしょう?」
極論!
「魚は水の中に住むからだろーが! 火の中に住むゴリラなんていねーよ!」
正論!
「…………そうかも」
イノセントはちょっと納得したが、ゴリラ空爆は炎の矢を押し切りファイラへと距離を詰めていく! ドコドコドコドン! ドコドコドコドン! 刻一刻とドラミングの音が迫る!
「バカが! こんなもんに当たるわけねーだろ! 潰れて死にやがれ!」
ファイラは素早く横に飛んでゴリラ塊の射線上から離れた! 遥か上空から投下された使い捨てのゴリラは、やはり落下死の運命を辿るしかないのか!
「かかったわね! 飛びなさい!」
イノセントの号令がゴリラの本能を刺激した! 天から降るゴリラたちが両腕を広げて高速横回転! 発生した揚力によりゴリラたちの落下速度が劇的に減少した! さらにゴリラはコマのように空中で互いにぶつかり合い、不規則に軌道を変化させる! 回転で広がるゴリラの輪! 包囲網を作り、四方八方から野性のエンジェルがファイラを襲う!
「はああああ!?」
無理を通せば道理が引っ込む。ファイラの驚愕は怒りへと変わりかけたが「チッ、やっぱ魔法使いだな」不可解な事態が逆に彼女に冷静さを取り戻させた。
敵は魔法使い。世界の法則を無視する者。理解不能で摩訶不思議な能力を持つ異能の超人。
だからこそ、決して遅れを取るわけにはいかない。
自分もまた、紛れもなくその一員なのである。
「実力の差ってヤツを教えてやるぜ! 燃えろ! 飛べ! 張り合え! ブチのめせ!」
イノセントは首をかしげた。飛べとブチのめせは何となくわかる。しかし張り合えとは何だろう? そんなイノセントの疑問に答えるように、燃え上がる炎の中からファイラの次なる一手が繰り出された。
「ウホウホ、ウッホホホー!」
「って、ゴリラじゃない!」
目には目を! 歯には歯を! ゴリラにはゴリラを!
ファイラの炎は燃え狂う獣を生み出した! 太くたくましい腕! 分厚い胸板! パワフルな下半身! 知性をたたえた瞳! ゴリラの外見的特徴を写し描いた炎の尖兵である!
「オラオラオラオラァ! ガンガン突っ込みやがれぇ!」
炎ゴリラは重力を無視して飛んだ! 飛んだ! 飛んだ! 降り注ぐ落書きゴリラとぶつかり合い! 拳を交え! 噛み付き合い! バナナを突き刺し合った! そしてドラミング! ここはまさに血で血を洗う森の賢者の地獄! シャンゴリラである!
「んん……負けそう……」
戦況は炎ゴリラの一方的有利へと傾いた! なにせ炎ゴリラはあくまでもゴリラの姿を真似た炎! 炎に傷を付けることなど不可能である! 落書きゴリラたちは、無惨にもバナナを握ったまま次々と黒焦げ息絶えていく!
「悪に堕ちたとはいえ、さすがは同じ魔法少女だね。こちらがどんな生き物を出しても、あの炎で姿形を真似されてしまうようだ。今までの戦い方は通用しないと思った方がいい」
イノセントはゴリラの絨毯爆撃を止めた。
落書きとはいえど、可愛いゴリラたちが無残に殺される姿は見たくないのである。
「ど、どうしたらいいのかしら、キャンバス?」
「心配しないで。魔法少女は自らが武器を振るう時、その勇気の力によって潜在能力が最大限に引き出されるんだ」
「勇気の……力……」
「怖いかい? 嫌なら逃げてもいいんだよ」
「ううん、やるわ! 正義が悪に背を向けるわけにはいかないもの! トリック・バイ・トリート!」
魔法クレヨンが銀色に輝き、より攻撃的な形状へと姿を変化させた! 先端を丸めた二対の連結刃! 持ちやすさを重視したラバーグリップ! イノセントは自身の身長ほどもある巨大なハサミを掲げた! 太陽光が刃に反射し鋭く光る!
ジョギンジョギン! ジョギンジョギン! イノセントはハサミを威圧的に開閉し、その感触を確かめた!
「さあ、覚悟しなさい!」
「上等だコラァ! かかって来やがれ!」
ドンッ! イノセントの超加速! 地上で待ち構えるファイラに向かってハサミを突き出し、一直線に急降下する!
立ち塞がるは無数のゴリラバーニング!
「壁になれ! 硬くなれ! ネバネバになれ!」
肩を組みスクラムを形成する炎ゴリラの群れ! 彼らはファイラの命令に従い、硬質性と粘着性という両立し得ない性質を併せ持つ!
「負けるかー!」
「何っ!?」
しかしゴリラは何の役にも立たなかった! イノセントの突進速度は微塵も緩むことなく、ゴリラフィールドを突き抜ける!
ファイラは見た! 生意気な新入りに粘着し足止めをするはずの炎が、その髪の毛の一本さえも捕まえられずに素通りされてしまった事実を!
「燃えろ! 集まれ! 強くなれ!」
ファイラは拳を構えた! 激しく燃え上がる周囲の炎が渦を巻いて彼女の腕へと集まる! 凝縮された炎は、猛々しい爪を備えた籠手へと変化してファイラの腕を覆った!
イノセントが炎の障壁を抜ける!
「いっけえええええ!」
「オッ、ラアアアアアア!」
突き出されるイノセントの大鋏! 迎え撃つファイラの拳! ファイラの籠手と背中から青白い炎が噴き出し、爆発的な推進力を生む! 爆煙を撒き散らして飛んだファイラは空中でイノセ(ダメ! 逃げてファイラちゃん!)
その瞬間、ファイラは思い出した。
横たわる自分の姿。根本から消失した右腕。周りに散らばる自分の一部だったモノ。虚無を見つめて動かない瞳。無残な穴を開けられた胸。流れる血。血。血。
ミレニアムが視た未来が、ピースメーカーを通してファイラの記憶に転送されていた。
「クソッタレが!」
ファイラの決断は早かった。推進力に使っていた炎の噴射角度を咄嗟に変更し、死の鋏の回避を試みる!
伸ばした拳と刃の先端が交差した! ファイラが絶対の信頼を置く武装がいとも容易く貫かれ、手の甲の皮と共に削り取られた! 刃はファイラの腕を駆け上るように彼女の顔へと迫る! ファイラは首を捻って紙一重で回避! 刃は彼女の頬を掠めて一文字の傷を作る! 歯を食いしばるファイラ! その視界にイノセントの膝が飛び込んできた!
「うあっ!」
「きゃあっ!」
接触事故! 位置関係の入れ替わった二人の魔法少女は、衝突のダメージでフラつきながら少し飛んだ後に、同じタイミングで振り返った。
「……クソが!」
左手で額を抑えるファイラ。皮を剥がれた右手の甲と頰の傷から血が滴る。
「いたたた……女の子がそんな汚い言葉使いしたらダメなんだから……!」
対するイノセントはファイラの額にぶつけた膝が痛むようで、しきりに足をさすっていた。
「ほざいてろ!」
ファイラは直情的な性格ではあるが、馬鹿ではない。
警告がなければ死んでいたであろうことも、敵に自分の魔法が効かないことも理解している。もしかすると相手は自分より格上かもしれない。
だからこそファイラはより強く燃える。
戦いはこうでなければ面白くない。もう雑魚狩りには飽き飽きだ。強者に打ち勝ち更なる強さを手に入れることこそ、退屈な人生における唯一無二の価値だ。
ファイラは闘志に満ちた一歩を力強く踏み出した。
…………踏み出した? 空中で?
ファイラはイノセントから目を離しすぎないように、素早く足元を確認した。白い何かが敷き詰められている。そしてすぐにイノセントに視線を戻す。「え? え? 何これ?」イノセントは驚いたように足元を見ていた。
二人はもう空にいなかった。さらに瞬きをすると、一瞬で世界は赤い闇に覆われた。太陽も雲もなく、どこまでも赤い空間が続く世界。足元には白骨が敷き詰められて地の果てまで続いており、得体の知れない無数の黒い影が地の果てで蠢いていた。
「気をつけてイノセント! 新しい魔法使いが来るよ!」
「ええっ!? 大変!」
カンカンカンカンカンカンカンカン!
警報音が鳴る。足元に広がる白骨の海から、10mの長さを越える人間の腕が次々と生えていく。二列に生えた腕は肘を曲げて互い違いに斜めに交差し、二人の間に即席の柵を作った。「オ、オバケ……?」イノセントは怯えたように身を竦めて周囲を見渡す。
ヴゥウウウウウウウ! ヴゥウウウウウウウ!
サイレンが鳴る。赤い空から柵の内側に何かが落ちてきた。複雑に絡み合い、脈動し、絨毯のように敷かれた一繋がりのそれは、異様な太さを持つ血管に見えた。この現象が何かを知っているファイラでさえ、あまりの不気味さに顔をしかめる。
プァアアアアアアアアアアアアアア!
汽笛が鳴る。視界の果てから三つの丸い光が近づいてくる。赤い闇の中にシルエットが浮かぶ。光を放つ三つの眼孔を持つ巨大な頭蓋骨の形が浮かび上がる。
ギャアアアアアアアアアアアアアア!
絶叫が鳴る。頭蓋骨の顎には幾つもの燃える車輪が付いていた。車輪が回るたびに敷き詰められた血管が轢かれて破裂し、進行方向の左右に凄まじい量の血液を撒き散らす。それを苦痛に感じる誰かの絶叫は、耳を塞ぎたくなるほどの声量だった。
空から薄い鉄の看板が落ちてきて、白骨の海に斜めに突き刺さった。
[13番駅]
錆びた看板には、赤い字でそれだけが書いてあった。
「こんにち、わぁ」
大ドクロの上には妙齢の美女が腰掛けていた。
黒い三角帽子。紫色の長髪。神秘的に煌めく瞳。口元のホクロ。煙を吐く長キセル。黒ブーツ。はち切れんばかりに豊満な胸元を露出させたコルセット。陶器のように白い肌がうっすらと透けて見えるローブ。細い腰と反比例して肉感的な太もも。「すごい……」イノセントは思わず正直な感想を漏らした。
「お姉さんがぁ……ちょーっと怖い、モノ、見せちゃおっか、なぁ」
彼女は『無限牢』。
魔導管理機関の発足よりも以前から、人の世に有害な災厄を隔離空間に封鎖し続けてきた魔女。生きたパンドラの箱である。
「悪いけど選手交代だ。ファイラちゃんはちょっと休憩しよっか」
いつの間にか隣に立っていた白スーツの好青年が、ファイラの肩に手を置いて優しく微笑んだ。