第1話。誕生! 夢と正義の魔法少女!
子供の頃、世界には魔法があった。
何でも出せる杖。青空を自由に飛び回れる翼。仲良しのドラゴン。どんな敵にも負けない無敵の力。
世界を救う自分の姿を信じ、自分は特別で唯一無二の存在だと疑わなかった。
しかし、魔法はいつか解ける。
どうしようもない現実を前にして、自分は魔法使いではなく、ただの非力なその他大勢の一人なのだと思い知らされる日が来る。
そうして誰もが失ってしまう魔法には、名前があった。
それは「夢」と呼ばれていた。
夢という魔法を失って、人は大人になっていく。
皇帝都市セルブランカ。
それはマグナオプス帝国の首都にして、幾度もの災禍を耐え凌いだ難攻不落の要塞都市である。広さ50㎢に及ぶ広大な領土は常駐する30万人の兵士と高さ50mの巨大防壁によって守られており、17年前の周辺諸国連合軍による同時侵略でさえも防ぎ切っている。
都市の中心に位置する王城に張り巡らされた13層の魔術結界は、200年前に当時の天才魔術師によって設置されてから一度も破られたことはなく、気温変動の拒絶、経年劣化の拒絶、飛翔体の侵入拒絶、精神攻撃体の拒絶といった様々な恩恵を今も与え続けている。その評判は諸外国にも知れ渡っており、嵐が来ても旗一つ揺れない城、運び込まれた食料がいつまでも腐らない城、竜の襲撃を三度も撃退した城などの逸話が絶えない。
王城の中枢には謁見の間がある。
扉を抜けて内部へと足を踏み入れることが出来た選ばれし者は、その内装を見て神殿を連想するだろう。
鏡のように磨き上げられた床。樹木のように立ち並ぶ大円柱。部屋を縦断する真紅色の絨毯と、その先に続く緩やかな上り階段。階段の脇を固める神々の石像は、まるで神さえ王に仕えているような錯覚に陥らせる。
そして階段の上には、赤と金を基調とした豪華絢爛な装飾が施された玉座があった。その背後の分厚い高窓は、絶対王者に後光が射すように設計されている。
王座に君臨するは皇帝セントガリウス。
絶対王者には、頭上に煌めく金の王冠と血のように鮮やかな真紅のマントがよく似合う。御年74歳を迎えた高齢の王は、長い白髭を撫でながら玉座に腰掛け、謁見の間に整列する家臣たちをその濁った両眼で見下ろしていた。勇壮に居並ぶ百人の騎士たちと、長年この国と王を支え続けてきた優秀な重臣たち。彼らは彫刻のように微動だにせず、頑なに静寂を守って王の言葉を待っている。
セントガリウスは50年近くに渡って幾度もの国難を救った名君であったが、あまりにも多くの者に裏切られ続けたからか、近年は猜疑心に取り憑かれていた。彼の抱える深い苦悩と重責は皺となってその顔に刻まれており、8年前にクーデターを起こした実の息子を処刑してからは笑顔など一度も浮かべたことはない。
王が放つ暗く重い圧力が部屋を支配していた。
鉄兜の下、唾を飲み込んだ騎士の頬を冷たい汗が伝う。先程から彼の脳裏に焼き付くイメージは、黒い太陽に頭を垂れる丸裸の自分の姿だった。
闇の太陽が放つ極寒の冷気が、鉄の鎧を貫いて肌をジリジリと焦がしている……。
そんな妄想が彼を捉えて離さない。
戦場を知らぬ若い騎士も、常勝無敵の大将軍も、権謀術数を勝ち抜いてきた老練の重臣も、皆が等しく同じ感覚を味わっていた。かの王は我々と同じ人間ではない、神なのだ。人は神を畏れ敬い平伏さなくてはならない。
そして、皇帝セントガリウスが重々しく口を開いた。
「余は「とおーっ!」
高窓が粉砕! 空中に散りばめられたガラスの破片が光を反射して無数の輝きを生む! 煌きの中心には純白のドレスを纏う少女! その背中には魔法クレヨンで描かれた稚拙な羽が生えていた!
「あっ、危ない!」
可愛らしい掛け声と共に強襲してきた少女は空中で一度急停止したが、自身が拡散させたガラス片が王に降り注ぐのを見ると、急加速して王の側へと降り立った。
「トリック・バイ・トリート!」
少女が魔法クレヨンを頭上に掲げて魔法の呪文を唱えると、王と少女の頭上に巨大なキノコが咲いた。赤く歪な三角形に黄色の水玉模様を散りばめたクレヨン製の傘は、ガラス片を弾いてプルプルと揺れた。
唖然とする大人たちをよそに、少女が両手を広げて壇上で一回転するとスカートがフワリとひるがえった。少女は階下に控える大人たちに向きを直し、軽く足を開いて目元にVサインを作った。そして笑顔でウインク。若干照れの残る、わずかにぎこちない動作だった。
百合の花を思わせるラインの入った純白のドレス。胸に輝く四葉のブローチ。流れる金色の髪と、眩しいばかりの無邪気な笑顔。そして手に持つは虹色の大きなクレヨン。
「マジカル! コミカル! クリティカル! 天に代わって悪を狩る! 夢と正義の魔法少女、プリンセス☆イノセント! 無垢なる祈りと共にただいま見参!」
少女が決め台詞を放つと背後から星……というよりもヒトデに似た肉厚の塊が放射状に飛び出した。そのうちの一つが命中して玉座がひっくり返り、「おおん!?」王は椅子から投げ出されて壇上に転がり落ちた。
「……………………」
大広間に気まずい沈黙が溢れかえった。本来なら侵入者を迎撃せねばならないはずの騎士たちは、状況が何一つ理解できずに硬直している。少女が反応を求めて目を合わせると、階段下に控えていた財務大臣はそっと目を逸らした。
期待していたリアクションが返ってこなかったのか、少女の顔が赤くなり笑顔が引きつり始めた時、「あいたたた……」椅子から落ちた王が腰をさすりながら上体を起こした。
「見つけたわ!」
すると助け舟に飛びつくような勢いで、少女は王の鼻先にビシリと魔法クレヨンを突き付けた。
「あなたが悪のマグナオプス帝国の悪の皇帝、セントガリウスね! 私はイノセント! あなたが引き起こした戦争でめちゃくちゃにされたアウラの国の子よ! これまであなたが引き起こした数々の戦争で死んだ人々に代わって、成敗しに来たわ! さあ、覚悟しなさい!」
「…………え、あー、て、敵、敵襲? 敵襲ー!」
少女の宣戦布告を聞いて、ようやく騎士たちが動き始めた。
しかし王の許可なく動いていいものか。玉座へと続く神聖な階段を勝手に登ってよいものか。今日まで規則を忠実に守り続けてきた鉄の忠誠心が、逆に彼らの行動を鈍らせる。
それが致命的な隙となった。
「気をつけてイノセント! シャドウの気配だ! それも一体二体じゃない! たくさんいるよ!」
少女の隣に浮かぶ奇妙な生物が人語を発した。カエルに羽と尻尾が生えたような、見慣れぬ不可思議な生物である。
「ええっ大変! それは本当なの、キャンバス!?」
騎士たちが動こうとした時にはもう手遅れだった。駆け出そうとしたが両足が床から離れず、ほぼ全員がバランスを崩して前方に倒れ込んで四つん這いの姿勢になった。
彼らが兜の隙間から見たものは、転んだ仲間の足を這い上がる黒い影である。影は素早く仲間の足から腰、腰から背中へと浸透していく。おそらく自分も同じように。
そして気付いた時にはもう指先一つ動かない。影が浸透した部位からは感覚が奪われていた。騎士たちが抵抗するよりも早く、恐怖を覚えるよりも早く、影は騎士たちの頭も飲み込んで全身を黒く塗り潰した。
「あれが、シャドウ……?」
イノセントが緊張した面持ちで影の騎士たちに向き直る。
「その通り。シャドウは怒りや憎しみや悲しみといった人間のマイナスの感情から生まれる怪物なんだ。シャドウはこうして偉い立場の人間に化けて、戦争や悪いことをして人間のマイナスの感情を煽って仲間を増やすんだ。それを止められるのは君しかいないんだよ! さあ、やっつけちゃおう!」
「うん! 任せて、キャンバス!」
「なんだ……貴様ら、何を、何を言っておる。そんなはずが、あるものか……」
王は落ちた王冠を拾おうともしない。そんなはずはない、そんなはずはないと、何度も繰り返し口にしてイノセントとシャドウを交互に見比べた。
怪物が家臣に化けていた? そんははずはない。彼らの一人一人の顔と名前を知っている。子供の頃から面倒を見てやった者もいる。やっと跡継ぎが産まれたと喜んでいた者もいる。財務大臣は孫の書いた感謝の手紙を肌身離さず持っていたではないか。そんな彼らが怪物だっただと? そんなはずがあるものか。
「トリック・バイ・トリート!」
イノセントが魔法クレヨンを掲げると、空中に3つの落書き扉が出現した。それぞれ幅は1m、高さは3m程度。扉が開くと、内側から強い光が放たれ始める。「エイエイオー」「エイエイオー」「エイエイオー」そして光の向こうから妙に甲高い掛け声が次々と聞こえた。
ズルリ。およそ常人の5倍程もある巨大な頭が光の向こうから抜け出てきた。クレヨンで描かれた色と姿を持つそれは、銀色に塗られた円形の頭部に黒い一本線のスリットが入っていた。おそらくは騎士を模したものなのだろう。
落書き騎士の体は巨大な頭部に比べて極端に貧相だった。胴体は歪な樽に似た造形で、手足は枯れ木のように細長く左右の長さも異なっていた。剣を持っている個体と盾を持っている個体がいるようだ。どちらもかろうじてそれと分かる程度のクオリティだった。
落書き騎士たちは次々と扉を潜り抜けて広間へと現れる。3体、6体、9体、12体。最初に飛び出した者たちは後から続く者たちに踏まれ積み重なって山となり、その山を滑り落ちた後続が圧倒的な数で雪崩のように押し寄せた。
まがりなりにも剣を振るう落書き騎士に対して影の騎士の動きは妙に重く、まともに応戦できた者はいなかった。落書き騎士の剣が影の騎士の首をバターでも切るかのように軽く撥ねると、墨汁を思わせるどす黒い血が断面から噴き出した。
影の騎士は次々と落書き騎士に殺されていく。胴を断ち切られ、踏まれて頭を砕かれ、首を捻られて捻じ切られた。落書き騎士の一方的な勝利だ。
「エイエイオー、エイエイオー」
落書き騎士の大合唱が広間に響き渡る。幾つもの剣で串刺しにされて掲げられる影の騎士。彼らから溢れ出た黒い血が床を汚していく。
「これでこの国のシャドウは全部やっつけたのかしら?」
「油断は禁物だよイノセント。まだまだこの国には支配層に化けたシャドーがたくさんいる。そいつらをやっつけて、人々から奪った物を返してあげなくちゃ」
「わかったわキャンバス! 総員整列ー! プリンセス☆イノセントからの命令よ!」
喧騒の真っ只中にあっても少女の声はよく響いた。お姫様の命令である。落書き騎士たちは弄んでいた影の騎士たちの死骸を投げ捨てて、等間隔に並び始めた。扉は落書き騎士の排出を一旦停止し、踏まれて足場になっていた者たちも起き上がって隊列の末端に加わっていく。
やや緩慢ながらも大広間を埋め尽くし整列した落書き騎士たちを前に、イノセントは満足そうに頷いて腰に手を当てた。
「シャドウが独占してるお金も食べ物もお家も、全部貧しい人々から奪った物よ! シャドウが人々から奪った物を返してあげなさい! それと、シャドウを見つけたら徹底的にやっつけること! 一匹も逃しちゃダメよ!」
「ヒメサマノタメニ!」「ヒメサマノタメニ!」「ヒメサマノタメニ!」「ヒメサマノタメニ!」
「それが終わったら掃除でもしていなさい! それじゃあ出撃ー!」
「オオー!」「オオー!」「シャドウヲタオセー!」「シャドウヲタオセー!」「ヒメサマヲマモレー!」「ヒメサマノテキヲタオセー!」
イノセントが魔法クレヨンで前方を指し示すと、落書き騎士たちは進軍を始めた。玉座の間の扉を破り、外で待機していた兵士たちを無視して、広大な王城内を圧倒的な数で制圧していく。
城内の兵士たちは突然現れた異形の大軍勢に混乱し、指揮系統もままならないままに彼らの略奪を見守ることになるだろう。
「アウラの報復か」
しわがれた声を耳にしたイノセントは皇帝に顔を向けた。
「アウラの子、と言ったな。アウラの主要都市はすでに陥落し、残すは首都だけであった。しかしアウラは降伏を良しとせず、条約を破って魔法使いを使用したのか。どこまでが目的だ。余の首か。セルブランカの陥落か。それとも帝国の全てか。……すでにアウラが帝国と滅ぶ覚悟を決めたのならば、もはや取り引きなど無駄なのであろうな」
皇帝セントガリウスはもう狼狽していなかった。王には王としての矜持がある。虚を突かれたとはいえ、破滅を前にしてこれ以上恥を晒すわけにはいかない。
自分自身でも意外なことに、年老いた王の胸を満たしていた最も大きな感情は安堵であった。死への恐怖でも略奪者への怒りでもこれまでの人生の全てが砂と崩れる絶望でもない。王は疲弊しきっていた。
ようやく来るべき時が来た。受け継いだ帝国の歴史を余の代で終わらせてしまうのはやや残念であったが、これでもう何も考えなくてよい。全ての重責から解放される。それも余の責任ではない。魔法使いという天災の襲撃を受けてしまった以上、後世から後ろ指を指されることもあるまい。かのセントガリウスでもどうしようもなかったと、誰もが言ってくれるだろう。
絶対王者としての振る舞いを求められ続けてきた王は長年待ち望んでいた解放の時を前に、不謹慎だと知りつつも喜びを抑えきれなかった。
「あれ? 皇帝セントガリウスはシャドウじゃないみたい?」
しかし少女の反応は、必ずしも皇帝が望んでいたものではなかった。
「どうやらそのようだね。きっと彼はシャドウに騙されて多くの戦争を起こしてしまったんだよ。悪い国をやっつけないといけないって思い込まされていたんじゃないかな」
「やっぱりそうだったのね! 同じ人間同士で殺し合いをする戦争なんて、やりたがる人がいるはずがないもの!」
「それでも彼には戦争を起こした王としての責任を取ってもらわないといけないよ。イノセントはどんな罰が彼に相応しいと思う?」
「うーん、憎いとは思うけれど……悪いことをしたからって、安易にその人を殺したり傷付けたりするのはいけないことだと思うの。心の底から反省して罪を償うのなら、どんな悪いことをした人でも許されるべきよ。とりあえずはごめんなさいから始めてもらおうかしら?」
「それじゃあここから西に200㎞ほどの距離にアウラの難民キャンプがあるから、彼にはそこに行って謝ってもらうというのはどうかな?」
「待て、貴様ら余の話を……」
「オッケーよ! トリック・バイ・トリート!」
新たに出現した落書き扉から縦幅3m程の白い三角錐が出現した。三角錐の底には直径2m高さ4mの円柱がくっついており、さらに円柱の底からは細長く白い十本の触手が生えていた。
「これは……えっと、何かな?」
「イカっていうの! 図鑑でしか見たことないけど、海に住んでいるふにゃふにゃの生き物よ!」
キャンバスの問いにイノセントはえへんと胸を張って答えた。落書きイカはイノセントの意を組むように触手を伸ばして皇帝を捕らえる。
「さあ、西にたくさん飛んで、その人を難民キャンプに降ろしてきなさい! それと、その人が途中でお腹が空いたりしたらご飯をあげて! トイレにも行かせてあげて!」
落書きイカは器用に触手を曲げて敬礼を取った。そして空中を泳ぎ始めたかと思うと、尻から黒いイカ墨を噴出して空を飛び、イノセントが侵入してきたコースを真逆に辿って姿を消した。
帝国に恨みを持つ難民の真っ只中にこれから放り込まれる皇帝がどのような最後を遂げるかは、想像に難くないだろう。
「さて、一番悪い奴はやっつけたけど、これで魔法少女の戦いは終わりじゃない。まだまだ世界にはシャドウがたくさんいて、戦争をさせられている国がたくさんあって、困っている人々がたくさんいるんだ」
「任せて! 困っている人たちは私が全員助けてみせるわ! だって私は夢と正義の魔法少女、プリンセス☆イノセントだもの! さあ、次の戦いへ行きましょう! 人々を幸せにするために!」
オマケの話、今回は全27話です。ファンタジー、ホラー、ギャグと来て、まさかの魔法少女バトル物になりました。前回まで一人称だったので、今回は三人称に挑戦しています。少しでも楽しんで頂けたら幸いです。




