第2話。スピード解決
二階にあるオーナーの部屋では、長い髭をたくわえたおじいさんが殺されていました。目を見開いたまま仰向けに倒れ、胸には短刀が深く突き立てられています。彼の遺体から流れ出した血が灰色の絨毯を赤く染めています。
白衣のおじいさんや犬を抱いたおばあさんや双子のメイドさんや知的そうな女の人やお腹の突き出たコックさんなど、私たちが着いた時には悲鳴を聞いた人たちがすでに集まっており、口々に驚愕と恐怖の声を上げていました。
彼らの注目を集めていたのは前述のおじいさんの死体と、壁に血で書かれた文字。そこには、『一人目』と大きく書かれていました。
「あ、あいつの仕業だ……! あいつが帰ってきたんだ!」
一番最後に現場に到着したトムさんの震える声が、その場の全員の注目を集めます。
「間違いないこれは「言わせるかっ!」へぶんっ!?」
バッヂィーン! クレア様がトムさんの頬を平手で思いっきり引っ叩きました。「ええええっ!?」突然の体罰に、皆さんの驚きの声がハモります。
「ちょっとあなた乱暴よ! さっきからどうして彼を叩くの? 怖い話をすることだけが彼の唯一の特技なのに!」
メリッサさんがクレア様に掴みかかりましたが、メリッサさんも何気に酷いことをトムさんに言っている気がします。
「こいつが物騒な逸話を話す事で、それが実際に起こる可能性が高まるからだ! これ以上殺人舞台の条件を満たしてたまるか!」
「やだわこの人いったい何を言っているのかしら! 殺人舞台って何なの!?」
「連続殺人事件の発生条件だ! 詳しく知りたかったらミステリーやホラーを読め! とにかく生き残りたかったら私の指示に従え!」
「クレアさん、あなた疲れているのよ」
「その台詞も止めろ! わざと言ってるのか!?」
「まあまあ皆さん、落ち着いてください」
天然パーマの男の人が手を叩き、クレアさんとメリッサさんの喧嘩を止めました。
「目の前で殺人事件が起こって気が動転してしまうのは仕方のないことです。しかし、こうしていつまでも騒いでいるわけにはいきません。犯人は我々の中にいるのかもしれないのですから」
彼は髪の毛をわしゃわしゃと掻きむしりました。クレア様とは対照的に落ち着いたその様子からは、こういった場に慣れているような印象を受けます。
「犯人がこの中にいるかもしれないだって!? いったい誰なんだそれは!」
「それはまだわかりません。しかしこの現場の状況から考えると、外部犯の可能性は限りなく低いでしょう」
「それは一目ででわかるものなのかね!」
「ご覧ください。被害者は正面から胸を刺されているにも関わらず、腕に傷が無いでしょう。刃物を持った犯人に襲われた場合、普通は手で顔や体を庇うものです。抵抗らしい抵抗をしていないということは、被害者は顔見知りの相手に油断していたところをいきなり刺された可能性が高いですね。また、我々が到着した時には部屋は施錠されていましたが、合鍵などは……おや、顔色の悪い方がいますね。大丈夫ですか?」
「大丈夫? 大丈夫かですって? 大丈夫なわけがないでしょおおおおっ!?」
着飾った年配の女性がヒステリックに叫びます。
「人が殺されたのよ!? よく故人を前にそんなに冷静にいられるわね! どこか頭の釘が抜けているのではなくって!? それに壁に一人目と書かれているってことは、これから二人目が殺されるかもしれないってことでしょう!?」
「仰る通りです、マダム」
「もう限界よ! こんな所に居られないわ! 帰りましょう、ハッピーちゃん!」
「クゥーン」
着飾ったおばあさんが小犬を抱っこして現場を離れようとしましたが「危なぁーい!」クレア様が彼女の足を引っ掛けるように蹴り上げました。
「クレア様ー!?」
「ヒャアアー!?」
「アン、アンアン!」
おばあさんは派手に顔から転び、ビッターン!と音を立てて床に顔をぶつけました。その拍子に抱っこしていた子犬は逃げ出して廊下の奥に逃げて行きます。
「おい君! 妻に何をするんだね!」
「馬鹿野郎! この状況で単独行動なんかしたら真っ先に死ぬに決まってるだろうが! 医者のくせにそんな常識も知らないのか!?」
「それは常識なのかね!?」
「ふむ。お怪我はありませんか、マダム」
「うう……とても痛いわ……それに鼻血が……」
「それは結構。生きている証です。ではマダムの手当を兼ねて、ひとまずロビーに全員で移動しましょう。捜査の続きはそれからということで」
「残念だが、その必要は無い」
天然パーマの方の提案をクレア様は蹴りました。
「ふむ?」
「おそらく、お前は探偵だな。今までにも何度かこういう状況に出くわし、犯人を探し出して解決してきた実績がある。そうだろう」
「その通り、彼の名はエドワード。今までいくつもの難事件を解決してきた有名な名探偵だよ」
丸メガネの男性がエドワードさんを紹介しました。
「そっちは助手役か。すまないが、先に謝っておく」
「何をかな?」
「あえて言うが、私はミステリーが好きだ。子供の頃はよく図書館に入り浸って名探偵シリーズを読んでいた。推理とはロジックの芸術だとさえ思っている」
「いささか買い被りすぎですよ。私のやってきたことは、たかが犯罪者の悪巧みを暴いた程度です」
「それでも先に謝っておく。こんな方法で解決してしまってすまない。出来る事なら私も推理で犯人を見つけ出したかったが、人命が賭かっている場で悠長に次のヒントを待つわけにはいかない。どうやら私は探偵には向いてなかったようだ」
「ふむ? それはつまり……」
「つまり、この事件はもう解決した。被害者の体に残っている犯人の体臭と同じ匂いがする奴をブチのめせ、ハスキ」
「おう!」
ハスキさんが年配の支配人さんのお腹を殴りました。突然の不意打ちに声さえ出せず「……!」支配人さんは大きく目と口を開いて背中を丸め悶絶します。
「よっと!」
さらにハスキさんは支配人さんの頭を掴んで柱に叩きつけました。鈍い音が鳴ると支配人さんの足から力が抜け、床に崩れ落ちて動かなくなりました。
「お父さまー!?」
「大丈夫だ。手加減したから死んでないぞ」
「なっ、なんて乱暴な! 普通はなぜ彼が犯人で、どうやってオーナーを殺して密室を作ったのかを順序立てて説明してから、自白した犯人に動機を話してもらうべきだろう!?」
「ダメだ。その場合、追い詰められた犯人が服毒自殺をしてしまう。私は詳しいんだ」
「その根拠の無い決めつけは何なのですか!? そもそもお父さまが本当に犯人かどうかなんてわからないでしょう!?」
「犯人だ。そんなの匂いですぐわかるぞ」
「匂いって、そんないいかげんな物でわかるはずないだろう! そもそもどこの誰なんだね君は! ここの客か!?」
「殺されたオーナーの友人の娘、クレアだ! 今日はタダで夕食をご馳走になり泊めてもらう約束をしていた!」
「ええっ!? 初耳ですよクレア様!?」
「それは本当かね!? 死人に口無しをいいことに無銭飲食をしようとしてないかね!?」
「……してない!」
クレア様とハスキさんは犯人を見つけ出しましたが、事態は落ち着くどころかどんどん混乱を深めていくように思えます。
「とにかくこれで事件は解決だ! 犯人は縛ってロビーに転がしておく! 後はそこの名探偵が聞き込みと現場調査で犯人の裏付けを取ってくれるだろう! さあ解散だ解散!」
クレア様は都合が悪くなると話を強引に進めて誤魔化す悪いクセがあるようです。集まった人たちはクレア様の勢いに押されて、続々と現場から追い出されていきます。
納得のいかない顔で現場に残るエドワードさんをチラリと一瞬だけ見てから、クレア様はハスキさんと一緒に支配人さんの両手足を持ってロビーへと運び始めました。
「それにしても驚いたね。まさか本当に殺人事件が起こるとは思わなかったよ。クレアさんの言う通りだったね。犯人を運ぶなら僕も手伝おうか?」
「助かる。それじゃあこっちを持ってくれ」
「でも本当に彼が犯人なのかしら」
「間違いない。ハスキは常人の何万倍も鼻が効く。君達が今日何を食べたかくらいなら簡単に当てられるぞ」
「へえ、それはすごいね!」
マイクさんとアニーさんとトムさんは、私たちと一緒にロビーに戻るようです。「ジムとメリッサはどうした?」クレア様の質問に「彼らは先に部屋に戻るって言っていたよ。だから事が終わるまで僕らはロビーで待機さ。HAHAHA」マイクさんが朗らかに答えました。
「しまった」
気絶した支配人さんをチラリと見て、クレア様は苦々しい顔で舌打ちをしました。
「犯人をまだ捕まえるべきじゃなかったかもしれない」
「へえ? それはまたどうしてだい?」
「私が人為的な殺人舞台を潰してしまったせいで、怪物による殺人舞台へと切り替わるかもしれない。それに……」
「それに?」
「何か、違和感を感じる。あり得ない事を当たり前の事のように思い込んでいる感覚があるんだ」
「違和感、ですか」
「だったら、これからどうする?」
ハスキさんの問いかけに、クレア様は悩む素振りを少しも見せずに凛として答えました。
「最善を尽くそう。惨劇の予兆を探し出して全て潰すんだ。これ以上、一人の犠牲者も出してやるものか」