第29話。それでも君は、生きていていい
快晴の空に、突き刺さるような日差し。
綺麗な半円形に抉れた窪地に流れ込む海水と、潮風と海鳥の鳴き声。それだけがあの悪夢の町の跡地に残ったものでした。
クレア様が自分の詰めの甘さを気にかけていましたので、あれから何日か経った後、私たちは念のために再びジェルジェの跡地へと訪れていました。
「おーい、なんかあったぞー!」
走り出して行ったハスキさんが、少し汚れた籠手を見つけてきました。私が布で軽く拭くと汚れが落ち、目の覚めるような青色を取り戻していきます。
かつてジェルジェを世界樹から解放するために戦った騎士、ソル・ラインバルト卿の成れの果て……。あの夜、世界樹と共に光に消えた星屑のデュラハンの右手です。
「あいつも世界樹と一緒に死んじまったな。生きる意味とやらを失くしてしまったのか? なんであいつは死を選んだんだ? あれだけ強ければ他の生き方もあったんじゃないか?」
「いや、世界樹の眷属となったソル卿の体からまた新たな世界樹が発芽しないとも限らない。この世界の為に、あの二人は死ぬしかなかった」
「ん、そうか」
「それに、望むままの環境へ辿り着けるあの力を持ってしても、見つからなかったんだろうな。あの二人が幸せになれる場所、幸せになる事が許される場所だけは……」
「悲しいですね……。ソル卿様は世界樹のことをどこまで知っていたんでしょうか」
「怪物化したまま何度も7日目を迎えていたのなら、嫌でも気づくことはあっただろうな。仲間の死骸が足りないことも気づいたはずだ。世界樹の花の中にユカリがいたことも、ユカリを生み出した大元の世界樹がどこかに隠れているであろうことにも気づいていたかもしれない」
「世界樹の支配が効かなかったのはなんでだ?」
「怪物化の特性が心の形に由来するのなら、ソル卿は支配できなかっただろうな」
「なんでだ?」
「あいつ、不忠の騎士なんだよ。証拠は一切無いが、ソル卿の母親も、ソル卿とウルグン卿を雇っていた貴族も不審死を遂げている。母親の方は遺書の無い自殺だったらしいが、貴族の方は結構な大事件になったらしい」
「事件?」
「その貴族は非合法の児童売買組織の運営者だったらしくてな、相当な数の子供が誘拐されていたらしい。もちろん二人は疑われたが、聖骸騎士に転職していたので捜査はストップ。そこで飼われていた子供達は孤児院に引き取られ、ソル卿とウルグン卿が経済的な支援をしていたようだ」
「そうですか……」
「だから私はソル卿が正義の為にユカリを裏切る方に賭けたんだが……大した奴だったよ。ユカリを最後まで裏切らないまま世界樹アノニマスを殺してみせた。流石、本物の騎士は違うなぁ」
「でもクレア様の騎士姿も似合ってましたよ! 凛々しくてカッコよかったです!」
「え? そ、そうかな」
照れるクレア様に口元をほころばせながらソル卿様の残した手を拭いていると、私はあることに気がつきました。
「あ、見てください、ほら。何だかこの手、他の指はグッと握っているのに親指だけがビシッと立っているように見えませんか」
「サムズアップか。確かにそう見えるな」
「どういう合図だ? これ」
「グッジョブ、ですかね?」
「何に対してのだ?」
「この結末に対しての、かもな」
「これで本当に良かったのか?」
「……ああ。これでよかった。世界樹は死に、その子も外界に生まれる前に死んだ。死者も生者もあるべき姿に戻れたし、こうして確認に来ても脅威らしきものは何処にも残っていない。後はグランバッハ家の当主様から約束通り領地を貰えれば、人狼達の新しい住処も確保できる。あの森で私達がやらかした事に関しての追求もグランバッハ家が庇ってくれるだろう。これで万事文句なしのハッピーエンドだ」
「バリス様のリハビリも、上手くいくといいですね」
「自分だけが生き残ってしまった事を罪だと思わず、そこに何か意味を見つけてくれるといいな」
「そう、ですね」
「ンンーッ!」
少しだけ顔を曇らせてしまった私の隣で、ハスキさんが伸びをしました。
「結局なんだったんだ? 世界樹アノニマスって」
「分からん。どこか遠い宇宙から来た未知の生物かもしれないし、魂払いで願いを叶える系の悪魔の産物かもしれない。魔術師クローカス・クレマチスが開発した生物兵器か何かだった可能性もある。ひょっとすると新たに生まれた本物の世界樹だったのかもしれないが……真相はもう誰にも分からないだろうな」
「あのユカリとかいう名前の女については?」
「おそらく世界樹アノニマスを呼び出した張本人、クローカスの娘が元になっていたはずだ。クローカスの記憶を元にユカリの体を再現したから、自分に関する記憶を一切持っていなかったんだろう。そのユカリを新たな種にするあたりに、世界樹アノニマスの悪辣さが出ているな」
「あの町の方々は救われたのでしょうか……」
「そう信じたいな。んーっ」
クレア様もハスキさんに続き、両手を挙げて伸びをしました。今日はとてもいい天気で涼しい風も吹いてくるので、私も何だか眠くなってきます。
「しかし結局、また勝てなかったなぁ。これでも思い付く限りの準備をしたんだが、結局カタを付けたのはユカリと聖骸騎士達だった。私もユカリにはボコられたし、今回もいいとこ無かったなぁ」
「お前、別に負けてもいいと思ってたくせに」
「……えっ」
「勝つだけなら武器でも何でも使えばよかっただろ。お前、最後に相手に華を持たせてやろうとしたな。それとも同族の姿をした相手を殺したくなかったのか?」
「い、いや、一応途中から全力で殴ったし……」
「それに結局、また一人しか助けられなかったことを気にしてるだろ」
「う!」
「もっと言えば、世界樹アノニマスの命乞いを切って捨てたことも気にしてる顔だ。お前本当バカだな。殺したのはお前じゃないし、そもそも殺さないといけない敵だっただろうに」
「うっ! うっ!」
「そんなバカに、じいちゃんから伝言だ。『あなたが助けたのは一人の貴族だけではありません。放っておけば世界樹の犠牲になった全ての人、全ての生物です。彼らを代表してお礼を言わせてください』だって。わかったか」
「あはは……見抜かれてましたね、クレア様」
「あのジイさんには敵わないよなぁ……」
ションボリするクレア様がおかしかったので、ハスキさんと私は顔を見合わせて笑ってしまいました。
ひとしきり笑ったあと、ずっと気になっていたことをクレア様に私は尋ねます。
「ねえクレア様。クレア様にもありますか。自分が生きる理由、レゾンデートル、生まれてきた意味が」
「……」
クレア様はしばらく考え込むように押し黙ったあと、プイと横を向いてしまいました。
「言いたくない」
「なーんーでーだー?」
「何でって……ええい、話の合間に甘噛みする癖を治せハスキ!」
ハスキさんはクレア様の腕を捕まえてガジガジと甘噛みし始めました。それを迷惑そうに振り払いつつ、クレア様は頰を掻きます。
「だって……」
「だって?」
「だって、恥ずかしい」
その頰はほんのりと赤くなっていました。
人に話すことが恥ずかしいということは、クレア様はちゃんと生きる意味を持ってるんですね。ちょっと羨ましいです。
「お前、そーゆー顔は似合わないぞ。乙女じゃあるまいし」
「うっさいなぁもう! そういう君らはどうなんだ!」
「オレはあるぞ! じいちゃんより強い最強の人狼になることだ!」
「お、夢があるのか。いいじゃないか」
「おう! 夢は起きて見るものだからな!」
「上手いな! 今度使わせてもらってもいいか?」
「使う機会があるんでしょうか」
「お前、薄々思ってたけどカッコイイこと言いたがるクセがあるよな」
「ほっといてくれ。ミサキはあるか? 生きる理由とか人生の価値が」
「私ですか? 私は……」
私には自分の人生を生きる資格はありませんでした。
法律が守ってくれていた私の人権は、幾ばくかのお金に変わって両親へと渡りました。私の生きる資格は、とっくの昔に売られて消費されて失くなっています。
私の生きる意味は、買い主様に生涯尽くすこと。買い主様の幸せだけが私の幸せ。身も心も買い主様に捧げ、その要求に必ず応えること。だから買い主様が冒険者になれと言われれば冒険者になりますし、何も命令されなければ買い主様が喜ぶようなことを考えて、自分で動かなくてはなりません。
それが私の人生の全てだと教え込まれてきました。
でも、今は「やめろバカ! 尻尾は触るな! あっ、あっ、あっ」
「ここか? ここが弱いのか? よーしよしよしよし」
「アンッ! くっ、くうううっ、クゥン! こ、こんな屈辱に耐えられるか! くっ、殺せ!」
「ん? 何故か今、人生で数回しか言う機会のない貴重な台詞を取られた気がする……」
「って、私が考えている間に何を遊んでるんですかっ!?」
「だって何か長引きそうだったし」
「それで、お前のは見つかったのか?」
「え? うーん、それがですね……」
「分からないなら無理に答えようとしなくていいんだぞ。そう都合よく簡単に見つからないのが普通なんだ」
「見つからないのが普通、ですか」
「別に生きる意味なんて持ってなくても生きてていい。そんなことを考えない人の方が幸せなのは間違いないからな。それに生きる意味が見つからないからって、生きる意味が無いわけじゃない」
「それはどういうことですか? 生きる意味が見つからないのなら、生きる意味が無いのと同じではないでしょうか?」
「違う。見つからないから無い、じゃない。あるのにまだ見つけられないだけ、なんだ。生きる意味そのものが人生でまだ産まれていない、と言ってもいい。生きる意味ってやつは簡単に壊れて消える事もあれば、ある日突然に誕生する事だってあるんだ」
だから、な。クレア様は続けました。
「私が保証する。今までもこの先も何があったとしても、君は生きていていい。もしも何か……酷いことがあって、自分は生きるに値しない人間だと思う日が来ても……それでも君は、生きていていい。この何時死ぬか分からない世界で、生きているっていうのはそれだけで凄くて偉くて尊い事なんだ。それこそ生きる価値があるくらいにな。だから、もしいつか生きる資格とか生きる理由で悩む時が来たら、私の言葉を思い出して、辛くても生きる方を選んでほしい。それで後悔したら……その時は私に文句を言ってくれ」
クレア様はこうして時々、すごく寂しそうな顔をする時があります。
クレア様は過去のことを話したがらないために深入りをすることはできませんが……言葉の節々から、とても心が傷ついた経験があるように思えます。
今の言葉は私だけに向けられたものではないのでしょう。クレア様もまた、生きる理由について悩みを抱え続けているような気がします。
だからこそ私は、そんなクレア様の力になりたいです。
まだ今はクレア様に着いていくのが精一杯で大したことはできませんが、私を助けてくれたクレア様を今度は私が助けられるようになりたいです。
買い主様に尽くすのではなく、クレア様に恩返しをすること。それが私の人生の目標、生きる理由です。
でもそれを正直に言うのは恥ずかしいので、今は秘密にしておこうと思います。
「わかりました。もしもそんな時が来たら私は迷わず生きる方を選びます。そしてそれで後悔する時が来たら……その時は思いっきりクレア様をブン殴らせていただきますね! ユカリさんみたいに!」
「待て待て! 殴っていいとは言ってないよな私!?」
「その時はオレも加勢するぞ!」
「ふざけんな殺す気か!? じゃあその時は私も反撃するから覚悟しとけよお前ら!」
「はい! 楽しみにしていますね!」
いつの日かクレア様が心の底から笑顔になれて、生まれてきてよかったと言ってくれる日が来るように。
今日も一日、頑張ります!