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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【生まれてくるべきではなかった誰かの話】
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第23話。本当は考えないようにしていたこと

「生まれてきた理由、ですか」


 夕暮れが近づいてきていた。私とソルはあの砂浜で並んで海を眺めている。今日は海で開催される競技は無いので、私たちの他に人の気配はなかった。群衆の歓声や熱狂も今は遠く、波のさざめきと風の音だけがここにはあった。


 私はこの場所でソルと話をすることが好きだった。


「私も何度か考えたことがありますし、その疑問に対する回答はいくつもあると思います。例えば『生まれてきた理由は一人一人違っていて、それを探すために人は生まれてくる』これが最も無難で万人受けする答えでしょう。どうですか? 納得できそうですか?」


 私は首を横に振った。私が聞きたいのは一般論ではなく、ソルの考えなのだ。この胸に暗雲のように立ち込める漠然とした不安を振り払えるような答えがほしい。


「そうですか……では『あらゆる生命の目的は自分の子孫を残すこと』というのも?」


 私は首を横に振った。そんなことは今更当たり前すぎて納得できそうにない。


「では私の考えを正直に述べましょう。『生まれてきた理由を持つ者はいない』これが私の考えです」


 ソルの答えにしては意外だった。


「どうしてそう思うの?」


「単純に自由意志の有無の問題です。自らの意思で産まれようと思って産まれる者も、逆に誕生を拒絶できる者もいません。赤子にその決定権はありませんし、誰もが親側の都合で一方的にこの世に産み落とされます。生まれた側が理由を持つのではありません。産む側だけが理由を持てるのです」


「生まれてきた理由が無いのなら、誰もが仕方なく生きているの?」


「そうとは限りません。生まれてきた理由が自分の中に無くても、生きる理由を見つけることはできるからです」


「生きる理由?」


「私が育った家庭環境は、決して良いものとは言えませんでした。母は私を愛してくれていましたが、その愛の形は少しばかり歪んでしまっており、私はそれを当たり前の形として受け入れるしかありませんでした」


「ソル……」


「しかし成長し自分の意思で自分の生き方を決められるようになった時、私は母の元を離れることを決めました。その後はウルグン卿の勧誘を受けて貴族の騎士となり、さらに二人でその職を辞めて聖骸騎士になってようやく生きる意味が見つけられるようになりました。あ、すみません! 今気づいたのですが、以前にこの話はしていましたね、はは」


「ううん。続けて」


 風の音が強くなってきた。ひゅおおおおおお。


「では逆に問います。ユカリさん、あなたにとっての生きる理由とは何ですか?」


「私の生きる理由……」


 生きる理由なんて、私には無かった。

 私は言葉さえ知らない白紙の頭でこの世界に投げ出された。何が何なのか訳がわからないまま必死で苦しい

 ことから逃れようとして知識をつけた。それでもどんなに頑張っても逃げきれず、もう嫌なのに世界樹に無理やり生かされ続けるだけの無意味な人生だった。


「そんなもの……」


 だけど、今は違う。ソルがいる。

 ソル。私を覚えてくれる人。私の味方をしてくれる人。私を守ってくれる人。私に笑顔を向けてくれる人。私の側にいてくれる人。私を受け入れてくれる人。私の、太陽。


「そんなもの、決まっています」


 私は一度顔を伏せて、数回深呼吸した。自分の気持ちを口にするのはとても勇気がいる。緊張する。怖い。恥ずかしい。でも、言わないといけない。今、言わないといけない。


 ゆっくりと視線を上げてソルを見つめる。優しい微笑みと青い瞳に胸の鼓動が早くなる。恥ずかしさで顔を逸らしてしまいたい。でも、ちゃんと言うんだ。


「ソル。あなたが、私の生きる理由です」


 言った。言えた。でも、まだまだ言葉が出てくる。


「好きとか愛しているなんて言葉では足りません。全て、全てです。ソルが私の人生の、全て。楽しいことも嬉しいことも、あなただけが与えてくれました。辛いことも痛いことも、あなたが側にいるから耐えられました。あなたのいない人生に価値なんてありません。あなたが私の全て、全てなんです!」


 一度気持ちを口にすると、自分でも驚くくらいに次から次へと伝えたいことが出てくる。


「だから私もあなたに何かを与えたい! あなたに喜んでほしい! あなたが私に与えてくれた大きな幸せの、何百分の一でもいいから返したい! この町から解き放たれることであなたが安らぎを得られるのなら! もう苦しまなくてすむのなら! 私は、私は……!」


 言葉にしてしまうと、この気持ちは強くなる一方だった。気づけば私の声は大きくなっており、目からは涙まで出てきた。


「ありがとうございます、ユカリさん」


 ソルはそんな私を優しく抱き寄せてくれた。


「私はもう、あなたからたくさんの幸せを頂いています。形が見えずとも手を触れられなくとも、あなたが私に与えてくれたたくさんの幸福は、今も私の中で宝石のように輝いています。愛がこんなにも強く美しいものだと教えてくれたのは、あなたです。許されるのなら、あなたともっと一緒にいたかった」


「嘘つき!」


 私はソルの胸に顔を埋めたまま、心のままに叫んだ。

 ひゅおおおおおおおお。風の音。


「ソルがどれだけ強がっても、私知ってるんだから! 本当はもうとっくの昔に限界だって! 陵辱されて拷問されて食べられて! 人間が耐えられるはずのない痛みを何度も何度も経験させられて! もう楽になりたい! 逃げたいって! だから私を捨てて、他の人たちと一緒に自分も死のうとしているんでしょう!?」


「ユカリさん、それは……」


「それでもいいと思ってた! それでソルが苦しまなくてすむなら! それがソルの幸せなら、私のことなんてどうでもいいから! もしソルが私を愛してくれていなくても、私はソルを愛しているのだから! でも、やっぱり無理! 今までどんな痛みにも耐えられたけれど、あなたを失う痛みにだけは耐えられない!」


「ユカリさん……あなたがそこまで私のことを想ってくれていたとは……」


「わかるの、私にはわかるの! 今回は今までと決定的に違う! もう繰り返しは起きない。これが本当に最後だって!」


 ひゅおおおおおおおおお。風が吹く。


「ソルのいない世界なんて、私は耐えられない! 外に出てもソルがいないのなら、私も死を選んでやるから! うっ、ううっ、ううううう〜!」


 駄々をこねる子供のようにみっともなく私は泣いた。幼稚でワガママなことを言っているのは自分でもわかっている。ソルも困るだろう。でも私は、こんな自分でもソルに受け入れてもらいたかった。


「ユカリさん。聞いてください」


 ソルの優しい声。もう聞けなくなる。嫌だ。そんなの嫌だ。


「約束します。私は消えたりなんかしません。現実の世界に戻っても必ずあなたの側にいます。私はこの先何が起こっても、あなたの味方であり続けます」


「それはあなたの心にいるとか、そういう意味でしょう? そんな抽象的な意味じゃ嫌! 私は、もっと、あなたと一緒にいたいのに!」


「いいえ、そのままの意味です。私は現実世界に戻っても必ずあなたの隣にいます。約束します。この町を出て二人でどこか遠くに行きましょう。私達はきっと、どこまでも行けます」


「悪いが」


 クレア卿の声が割って入った。


「その約束を守らせるわけにはいかない」


 ソルの胸から顔を離し、ドレスの裾で顔を拭ってからクレア卿に顔を向けた。

 クレア卿は一人だった。険しい顔で空を指差している。私は彼女の指先につられて空を見上げた。


 空には大きな黒い亀裂が入っていた。正確には空ではなく、それよりもっと低い位置にある空間だろうか。亀裂は刻一刻と広がりつつあり、その向こうには夜空が見える。びゅおおおおおおお。風はそこから吹いてきていた。


「見えるか。この世界はもう壊れようとしている。世界樹にはもうこの世界を維持する力はなく、断末魔の声と共に生き絶えようとしている」


 びゅおおおおおおお。びゅおおおおおおお。


「時間は与えたはずだ。もう別れの挨拶は終わったか」


 クレア卿の言葉には有無を言わさない冷たさがあった。彼女の金色の髪が風にはためき、その向こう側から刃のように鋭利な目が私を見ている。

 終わりだ。終わりが人の姿を借りて私を捕まえに来た。


「嫌、嫌です。まだ終わってません。こんな終わり方なんて、嫌です。時間……? 時間なんて全然足りません」


 怯える私をソルが強く引き寄せた。


「ユカリさん、私を信じてください。これから何があっても、どんな残酷な真実があっても……私はあなただけの味方です」


 ソルのささやき声に、私は何度も頷いた。もうソルの胸から顔を離さない。最後の時までずっとこうしていよう。私はソルだけを信じる。


「ソル卿、お前だって気づいているはずだ」


「何をでしょうか」


「世界樹が枯れた後に起こる事についてだ」


「残念ながら、わかりかねます」


「なら一から説明してやる」


「どうぞご自由に」


 ソルの声には今までに聞いたことがない冷たさがあった。ソルが誰かに対してこんな態度を取るのは初めてだ。


「お前達ほどではないが、坊ちゃんもある程度の記憶を保持できていた。他の者達との違いは一つ。この世界の出来事を記憶する為の脳が現実世界に残っているかいないかだ。だからこの世界の記憶を保持できる者は現実世界での脳が生きている」


「間違いではないかもしれませんね」


「だが普通なら、この世界へ精神を移された者は現実世界では餓死してしまうはずだ」


「ええ、介護をしてくれる者がいない限りはそうなるでしょう」


「ならば、ユカリ・クレマチスが現実世界で生きているのは何故だ。何故この町の異変が始まった当初からいる彼女が花の中で生きている」


 えっ。


「それはお前にも言える事だ、ソル卿。お前は本当に7日目に一度も辿り着いていないのか。私よりも先に世界樹の正体に辿り着かなかったのか。なぜお前の体は現実世界で生きている」


「あなたも私に生きる理由を問うのですか」


「私が言いたいのは生きる理由じゃない、生きている原因だ。お前だって分かっているだろう。お前達は世界樹から栄養を与えられて生かされているんだ」


 世界樹が、私たちを生かしている?


「現実世界では彼女は花の中に居るんだったな。花の役目は何だ。花はなぜ美しい。花はなぜ甘い実をつける。媒介者に自分の種を遠くまで運ばせるためだ」


 自分の種を……。


「禁断の果実を口にしたな、ソル・ラインバルト。お前が世界樹の種を運ぶ媒介者であり」


 嫌だ。聞きたくない。何も聞きたくない。何も考えたくない。そんなの知らない。聞きたくない。考えたくない。


「お前が種だ。世界樹ユカリ・クレマチス」


 びゅおおおおおおおおおおおおおおおお。

 濁った風が吹き抜けていく。




「いいえ、彼女は人間です」


「キュリオ卿の解剖結果ではそう診断されたようだな。しかしそれはこの世界での話だ。この世界の体と現実世界での体は別物だ。例の家の地下室にあった死体のように、本来の姿は世界樹の種だ」


「たとえ体が人間ではなかろうと、心が人間ならば彼女は人間です」


「その考え方には私も賛成だ。しかしそれでも彼女を外界に解き放っていい理由にはならない。この町の惨劇を他の町でも起こさせるわけにはいかない」


「そうですか」


「彼女を引き渡せ」


「お断りします」


「多くの人間が死ぬぞ。人類が滅びる可能性もある」


「それでも構いません。今や彼女は私にとって、見ず知らずの人間何千万人の命よりも尊い存在です」


「不幸を引き起こす女一人の命がそんなに大切か」


「命の質と量について議論するつもりはない。そうでしたよね、クレア卿」


「彼女はお前にとって何だ。そこまでの価値があるのか。お前の人生を狂わせた元凶だろう」


「私にとっての彼女の価値ですか、そんなものは決まっています」


 ソルが私を強く強く抱きしめた。痛くなんかない。いつまでもこうしていたい。このまま時間が止まってほしい。ソルと一緒にいられるのなら、どんな対価だって惜しくはない。


「彼女だけが私の全てです」


「うう、あ、うっ、う、うううううううう〜!」


 私はまた泣いた。嬉しくて。痛くて。苦しくて。怖くて。色んな感情が頭の中でいっぱいになって、胸が壊れそうなほどに痛い。


 ソル。ソル。ソル。私はどうすればいいの。何をすればあなたが喜んでくれるの。私とあなたが幸せになる方法はどこにあるの。


「自分に酔いやがって。そう言うとは思っていたが、愛は盲目というのは本当だな。自分達だけが幸せなら他はどうでもいいという事か。悲劇のヒロイン気取り共め」


「否定はしません。正義はあなたにあります、クレア卿」


「……チクショウ。やっぱりこうなるのか」


 びゅうううあおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああ。


 世界の亀裂がどんどん広がっていく。

 その向こう側に見えるのは現実の世界の光景だ。荒れ果て風化した建造物の残骸。白骨化した住民達の死体。枯れて萎びれた世界樹の根が広がる地面。地に落ち割れ砕けた世界樹の花。風はもう吹いていない。でもまだ声が聞こえるあああああああああああああああああああああああああああああ世界樹はもう枯れているああああああああ死んでいるあああああああ私とソルを散々苦しませた元凶はああああああもう何処にもいないああああああああああああああ養分が足りず餓死したあああああああああああああああああクレア卿が殺したあああああああああああならばこの叫び声は何だろうああああああああああああそうかああああああああああわかったああああああああああああこれはああああああああああああ断末魔のああああああああああ絶叫ああああああああああああああああああああああああじゃないあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああこれは。




 誕生の産声だ。




 おぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。


 ///隱慕函譌・縺翫a縺ァ縺ィ縺///

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