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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【生まれてくるべきではなかった誰かの話】
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第20話。これより世界樹アノニマスの討伐作戦を説明する

 クレアと名乗った女性の騎士は傲慢だった。ソルたちと比べると軽装で、鎧もマントも新品のように傷汚れ一つ無く清潔感がある。

 顔には目立つ傷があったが、それを差し引いても顔立ちそのものは整っていた。美人といえば美人には違いないが、単純にそう称していいのかどうかには躊躇いを覚える。


 何よりも印象的だったのは彼女の目だ。

 疲れきって諦めと倦怠に汚れた私の目とは全く違う。挫折を知らず、自分の人生は自分の力で切り拓いてやるという強い意志を感じる理性的な目だった。

 彼女と対面するとその目つきの悪さゆえに威圧感を覚えるものの、その真剣さに強く惹きつけられて背筋を正してしまう。

 ただし、なぜ私の胸を時折睨むのかだけは謎だった。


 彼女はこの町の実態を知り尽くしているようだった。暴徒のことも、怪物のことも、世界樹のことも、この地獄の全てを知ってなお彼女は乗り込んで来たのだ。

 どれほど勝算があったとしても、私だったらそんなことは絶対にできないと思う。

 バリス卿に対しても高圧的な態度で接しているが、彼女のグランバッハ家に対する忠誠心はどうやら本物らしい。


 彼女は大型の幌馬車を持ってきていた。他にも何台か町の入り口とは違う場所に隠してあるそうだが、そっちには馬も御者もいないそうだ。積荷が気になったが、中身に関しては後で説明してくれるということだった。


 騎士たちは大いに訝しんでいたが、あの人の話を聞かないビステル卿でさえ渋々彼女の意向に従った。私が知らないだけで、グランバッハ家というのは教会の騎士でも逆らえないほど凄い大貴族なのだろうか。たしかバリス卿がその次期当主という話だったけれど、とてもそうは見えなかった。


 いつも通り二部屋だけ空いている民宿の、見慣れた部屋で彼女の話を聞くことにした。食堂から借りた丸いテーブルと足りない椅子を全員で部屋に運んで輪になって座ったが、私がソルの隣に座ったせいで騎士たちには訝しむような目で見られてしまった。もっとも、彼らにとっては私も初対面なので無理もない。


 ウルグン卿が周囲の警戒に出て行こうとしたが、クレア卿が引き止めた。ソルがこの場所の安全を保障すると言うと、ウルグン卿も無言で椅子に腰かけた。


 クレア卿の従者の女の子は、主人の後ろで束になった資料を持って立っていた。年は10代半ばくらいだろうか。地味な顔立ちと華奢な体つきの、どこにでもいる普通の女の子のように見える。

 主人に付き合わされてこんな地獄に来てしまったのだろう。私はこの少女を哀れに思った。


 私が見つめていることに気がつくと、少女は少しはにかんだように笑って頭を下げた。いい子だ。こんな女の子が無残に壊される姿は見たくない。


「さて」


 クレア卿が口を開いた。彼女は腕を組み、椅子にふんぞり返って偉そうに座っている。騎士たちはその態度に不満を感じているようだったが、誰も口には出さなかった。


「まずは貴兄らのこれまでの奮戦に、限りない感謝と尊敬の念を伝えたい」


 クレア卿が急に姿勢を正して頭を下げた。一瞬遅れて従者の子も頭を下げた。

 それまで不満気に貧乏揺すりをしていたビステル卿はが不意を突かれたように慌てて佇まいを直した。


「い、いや、我々はまだ何もしておらんぞ!?」


「そう思われるのも無理はない。だが、そうではない。そうではないんだ。貴兄らは本日までこの狂った町で戦い続けてきた。そしてそのたゆまぬ努力が実を結び、ジェルジェの世界樹攻略の楔を打ち込んだ。その事実に偽りはない」


「ううむ……」


「急に言われても信じられないであろうことは承知の上だ」


「いや、信じる信じないではなくですな」


「だからまずはどうしても見てもらいたいものがある」


「見てもらいたいもの、ですか?」


「ミサキ、写真と手紙を配ってくれ。名前を間違えるなよ」


「はい!」


 従者の子は小走りでトテトテと音を立て、騎士たちに写真と封筒と書類を配って回った。


「どうぞ!」


「拝見します」


 私には封筒はなく写真と束になった書類を渡された。。私が受け取ると、少女はニッコリ笑って主人の後ろに戻った。元気で明るい子だ。


 写真に目を落とすと、二人の男性が写っていた。ベッドに横たわる死人のように痩せた男性と、その横に立つメガネをかけた細身の男性だ。


「これは……だいぶ痩せましたが、ゴート卿ですか? そして横たわるこの男性は、まさか……」


 私が写真から顔を上げると、騎士たちは揃ってバリス卿と写真を交互に見ていた。クレア卿が頷く。


「その通り。これは現実の世界での坊ちゃんとゴート卿の写真だ」


 現実の世界? ゴート卿?


「そ! そ、そんなわけ、な、なかろう!」


 バリス卿が大声を出した。


「こ、こんな、骨と、皮だけになった! わた、私、私は……ああ……私の、顔だぁ……。私は、死んでいるのか? やはり、あ、あの悪夢は現実で、私は幽霊なのか……?」


「まだ死んではいませんが、時間の問題でしょう」


 うわ、この人容赦ない。自分の主人の息子なのに。


「こ、これは、どういうことなのだ?」


「私の口から説明することは簡単です。ですが、初対面の私がいくら真実を語っても受け入れられない方もいるでしょう」


 ソルが頷いた。私たちも散々苦労したからクレア卿の言っていることはわかる。けれどもソルは彼女に積極的に助け舟を出そうとはしないようだ。ソルはこう見えて慎重で疑り深いところがあるから、まずは相手の出方を探るつもりなのだろう


「次に封書を開けていただきたい。一人一人に当てた手紙が入っているはずだ」


「ふむ、ありますな。差出人は……ゴート卿?」


「私からはこれ以上語ることはない。まずは最後まで読んでみてくれ。続きはその後にしよう」


「ふむ……承知しました」


 私も渡された資料に目を通してみたところ、驚くほど綿密にこの町のことが書き込まれていた。住民たちの名簿や町の地図はもちろん、私とソルしか知らないはずの事実でさえも、忘れかけていたことまで詳しく記載されている。


 それだけではない。私とソルですら知らなかったこともたくさん載っている。例えば、どうやらこの世界は世界樹が作った別の世界で、私とソルが一度だけたどり着いた7日目こそが現実の世界らしい。現実世界でのソルはあの時に死んでしまい、私たちは再びこの世界に連れ戻されたということらしい。もう何年も前のことのように思えるけれど、現実世界ではあれから半年しか経っていないようだ。

 ちなみに資料では世界樹にアノニマスという名前がつけられていた。名無しとか製作者不明を意味する言葉らしい。


 いったいどうやってここまで調べたのかという疑問はすぐに解消された。どうやらバリス卿がこっちで喋ると現実世界でも同じように喋るようだ。ソルがここまで見越していたわけではないと思うが、バリス卿に議事録を任せていたことが巡り巡ってこんな形で戻ってきた。


 私は手紙と資料を読むソルの横顔を盗み見た。ソルは私の視線に気がつくと微笑んでくれた。心配はいりませんと言われている気がして、私は資料の続きを読むことにした。




 それから十数分ほど経っただろうか。機を見計らってクレア卿が口を開いた。


「全員読み終わったようだな」


 部屋は重苦しい沈黙に包まれていた。

 騎士たちは手紙と資料を読み終わり、真実を知った。嘘だ偽物だと騒ぎ立てる者はいない。きっとゴート卿と彼らしか知るはずがないことが手紙には書かれていたのだろう。


「では改めてもう一度言おう。ジェルジェの住民は全員殺され、後から訪れた者たちも皆餓死した。ラインバルト隊も壊滅し、坊ちゃんは植物人間となった。今この町にいる者達は死人ばかりだ。魂だけは生かされているが、その魂は世界樹アノニマスが飼育し自らの養分として苦痛を吸い上げている」


 誰も何も言わなかった。騎士たちはクレア卿が無慈悲に突き付けてくる真実を受け入れるしかなかった。


「私の目的は世界樹を破壊し、坊ちゃんを救う事だ。だがそれは同時に坊ちゃん以外の全員を殺す事を意味する。世界樹が死ねば、世界樹に飼育されている者達もまた、死に絶えるだろう」


 クレア卿はそこで一旦言葉を切り、騎士たち一人一人と目を合わせてから続きを話した。


「もしも死にたくない者、永遠の命が欲しい者、私達と坊ちゃんだけが生き残る事が許せない者がいれば、遠慮なくこの場で申し出てほしい。いや、仲間の手前で言い出せないようなら後から申し出てもらっても結構だ。協力を無理強いするつもりはない。可能な限りその意思を尊重したいと思う」


 私は少しだけ迷ったけれど、協力することに決めた。自分の生に未練がないと言えば嘘になるけれど、ソルをこの地獄から解放できるなら何でもする。

 あ、少し違う。私の体は現実世界でも生きているんだった。ということは……あの7日目のようにソルは死んで私だけが生き残ることになってしまうのかな。それはちょっと困る。


 まあ、いいか。どうせ成功する保証もないのだから、その先のことを悩んでも仕方がない。クレア卿に協力しよう。もしクレア卿の作戦が失敗しても別の方法が見つかるかもしれないし、また新しい精鋭が来てくれるかもしれない。試せることは何でも試すのがソルとの約束だ。

 私はソルと視線を合わせて互いに頷いた。私たちの答えはすでに決まっている。ソルは他の騎士たちの意見が出揃うまで何も言わないだろう。


 一方で他の騎士たちは、それぞれの反応を見せていた。

 バリス卿は他の騎士たちに責められることを恐れてか、顔を伏せたまま上げようとしない。

 ビステル卿は苛立ちを隠そうともせず、バリス卿を見下ろすように睨んでは貧乏ゆすりをしている。

 ウルグン卿は羽帽子の影で表情が見えない。

 キュリオ卿はそんな仲間たちの様子を見て、いつものように最初に口を開いた。


「我々が生きて帰れる可能性は、無いのですな?」


「無い。卿らはすでに死人だ。半年前に衰弱死している」


 クレア卿はバッサリと断言した。


「ふーむ。そしてこのまま何もせず手をこねまいておれば私は必ず怪物になり、人々を喰らい始めると」


「その通りだ。狩る側の悦楽を味わえるぞ」


「現実世界での体は死んだとはいえ、今こうして我らは息もしておりますし、記憶も人格もあります。これは生きていると言えるのではないですかな?」


「その通りだ。現実とは異なる世界とはいえ、肉体も精神もある、この世界に限って言えば、間違いなく卿らも住民達も生きている」


「つまりそれは、生きている住民たちを殺す手伝いを我々にさせた上で、我々にも世界樹と共に潔く死ねということになりますぞ?」


「そうだ。最初からそう言っている」


「不老不死としての観点から見れば、世界樹と住民たちは共存していると考えられませぬか? それに、3日目以降は地獄の苦しみだとしても、2日間は安寧の日々を送れるのでしょう? どれだけの苦痛を被っても全て忘れるのならば、それは無かったことと同義ではないですかな?」


「不老不死と死者の蘇生は聖骸教会が求め続けている奇跡だったな。だがそれが実現されていようがいまいが、私とは何ら関係が無い事だ。そしてまた住民達が何人死のうとも私の知った事ではない。私の目的はただ一つ、坊ちゃんの救出だけだ」


「ふーむ。この世界での幾多の命よりも、現実世界でのバリス卿一人の命の方が尊いと?」


 バリス卿がビクリと震えた。真っ青な顔で十字架を握り締め、何かを必死に呟いている。祈りの言葉だろうか。仲間に拒絶され、この世界に囚われることが怖いのだろうか。

 クレア卿は即答をせず次の言葉を選ぶように少し黙った後、そんなバリス卿の様子をチラリと見てからキュリオ卿の質問に答えた。


「命の質と量について議論するつもりはない。命の価値は個人個人で決めればいい。私は坊ちゃんを助ける為ならば何でもする。それだけだ」


「いやはや何とも見上げた忠誠心ですな。人民の為に命を賭して世界の脅威と戦う我ら聖骸騎士団とは見ているものが違うようです。どうやら民の命よりも優先して守るべきものをお持ちなようですな」


 キュリオ卿は大げさに肩をすくめ、両手を広げてやれやれと首を振った。その様子をクレア卿は冷たく見据えている。


「何とでも言え」


「ふむ……反論が無いようならば、決まりですな」


「ああ、勝手にしろ」


「では私は、喜んで協力させていただきます」


「えっ、ホント?」


 クレア卿は驚いたようだったが、急にクレア卿の声のトーンが変わったのでこっちも驚いた。険しく張り詰めていた顔つきも柔らかくなっている。


「クレア様、威厳威厳……!」


 従者の女の子が小声で呟くと、クレア卿は慌てて再び眉間に皺を作った。あれ? なんかこの人……。


「んっ、んんっ! ……失礼した。なぜ今の話の流れで協力する気になったのか、理由を尋ねてもよろしいか」


 あ、声のトーンが戻った。


「むしろ協力しない理由がございませんな。我々聖骸騎士は国の垣根を超えて人民を守る盾と成り悪鬼を討つ剣と成るが本分。で、あれば……」


 キュリオ卿はウィンクをした。この人は喋ることが好きなようで、話し始めると調子に乗ることが多々ある。


「人を飼い殺して狂わせ、その尊厳を食い散らかして苦痛を啜り上げる所業など言語道断。かような悪魔の花が外の世界に解き放たれることだけは、断じて見過ごせませぬ」


「外の、世界に……?」


 クレア卿の目がスッと細まった。


「ええ。花であればいずれ実をつけ種も飛ばしましょうぞ。そしてやがては世界中に広がり人の世を飲み込んで、偽の世界樹は真の世界樹に取って代わるでしょうな」


「花であればいずれ実をつけ種を飛ばす……そうか、その通りだ」


 クレア卿は口元を手で押さえ、キュリオ卿の言葉を反芻するように繰り返した。


 この町から誰も出れないようにしているのは世界樹なのだから、世界樹自身もこの町に永住するものだとばかり思っていたけれど違うのだろうか。どうも何かが引っかかる気がする。


「これまでのやり取りでわかりました。クレア卿は我々に対して実に誠実に接してくれております。我々に一片の希望も示さず、大義すら掲げようとしない。ここまで単純明快ですと疑う余地がありませぬな」


「ああ、それが礼儀だと判断した」


「しかもどうやら人手が必要なご様子ですが、クレア卿は従者とたった二人で乗り込んでこられた。先程は一人で十分だと仰られましたが……本当はクレア卿だけがバリス卿の救出作戦に志願したのではないですかな」


「想像に任せる」


「では、そう解釈させてもらいますかな。私がクレア卿に協力することにした理由は以上です。何をするのかはわかりませぬが、偽の世界樹と力の限り戦い華々しく散って見せましょうぞ」


「……感謝する」


「ならばどうですかな。今晩食事でもご一緒に」


「嫁に言いつけるぞ、オッサン」


「む……?」


 クレア卿がぶっきらぼうに言い放つとキュリオ卿はしばらくポカンとしていたが、やがて額に手を当てて派手に笑い出した。


「プハッ、ハハハッ! これはご無礼! 妻に言いつけられてはかないませんな! 何せ私と違って一度も不貞を犯さなかった最高の女性ですから! ハハハッ!」


 クレア卿の返答がツボに入ったらしく、キュリオ卿はひとしきり笑いこけた。それはもう、涙が出るほど笑っていた。数分経ってようやく息を整え、ハンカチを取り出して涙を拭った。


「フフフッ! クレア卿はどうやら我々について詳しくお調べになられたご様子。ならば当然、私の妻のこともご存知でしたな、フフッ!」


「ああ。すごい美人だった」


「でしょう!? フフフッ! 貧民街にいた子供の頃から言い寄ってくる男は多かったですからな! ……クレア卿、食事は結構ですので、ひとつその代わりに妻へ伝言を頼まれてくれませぬかな?」


「構わない。何と伝えればいい」


「今までありがとう。君が一緒にいてくれて僕は幸せでした。僕のことは忘れて、新しい幸せを探してほしい……と」


「……わかった。必ず伝えよう」


「頼みましたぞ、頼みましたぞ。フッ、フフフッ」


 キュリオ卿はまだハンカチで涙を拭っていた。顔は赤らみ鼻声となって、時折鼻水をすすり上げていた。

 彼は笑うフリをして泣いていた。

 その様子を恐る恐るバリス卿が盗み見ている。


「その際は、坊ちゃんも一緒に」


「わ、私か……?」


 急に水を向けられて、バリス卿が怯えた。体は一番大きいのに、態度のせいかこの中で一番小さく見える。


「わ、私は、私は……」


「チッ」


 ビステル卿が舌打ちをした。


「ええい、シャキッとせんか! この青二才が!」


「ヒイッ!」


 ビステル卿がバリス卿の背中を叩くと、バリス卿の背筋がピーンと伸びた。


「貴様もゴートもウジウジとしおってからに! 自分だけが助かることがそんなに後ろめたいことか!? 美しい死よりも醜い生を選べと聖骸騎士団十ヶ条にもあるだろうが! 読み進むたびに何度も何度も謝りおって! こちらの気が滅入るわ!」


「し、しかし、ビステル卿。私は、私だけが……」


「ほおーう? 私だけが何だ? ならば貴様は我らと一緒に死ねと言えば死ぬのか? この臆病者が! どれほど取り繕ったフリをしても、生きて帰れることに貴様が安堵していることくらい見抜けぬと思ったか!」


「う、ううっ」


「だいたい、貴様は最初から気に食わなかったのだ! あのグランバッハ家の嫡男が入隊するというから何事かと思えば、何だこの木偶の坊は! 貴様は何か人より優れた部分はあるのか!?」


「あ、ありま、せん」


「貴様を仲間だと思っている者など一人もおらぬわ! 貴様はクビだ! この腰抜けの役立たずが! 何処へなりとも逃げ去るがよい! 世界樹アノニマスは我らが切り倒してくれるわ!」


「ヒイッ! すみません、すみません……!」


「まあまあビステル卿、その辺でいいでしょう」


 流石に見かねたのか、キュリオ卿が止めに入った。

 ソルも止めなかったが、クレア卿が止めなかったのはちょっと意外だった。私の主君の息子を愚弄したな、とか言うものだと思ったのだけれど。


「あの人のやり方、ちょっとクレア様に似てますね」


「え、嘘……私あんなに分かりやすかったかなぁ?」


 クレア卿と従者の子はヒソヒソと会話をしていた。そんな彼女たちをビステル卿がギロリと睨む。


「……失礼。それではビステル卿は協力してくれるということでいいのか。卿は死ぬことになるが……」


「ふん。聖骸騎士になった時より、まともな死に方ができるとは思っておらぬわ。覚悟などとうの昔に終わっておる。第一すでに死んでいる身なのであろうが。……世界樹に利用されているといった自覚は全く無いが、利用されている側はそんなものなのだろうな」


「利用されている者は気づけない、か」


 ビステル卿はため息をついたが、彼もクレア卿に協力するつもりのようだ。これで二人の騎士がクレア卿に協力の意を示した。クレア卿の視線は自然と残りの騎士へと向かう。深く椅子に腰掛けて膝で脚を組み、羽帽子で表情を隠すウルグン卿へと。


「…………ソル」


 長い沈黙の後で、ウルグン卿はソルの名前を呼んだ。彼の声は滅多に聞けないが、低くて渋い声をしている。

 ソルを呼び捨てにするのは彼だけだった。歳の差があるからということではなく、この二人のやり取りには単なる先輩後輩の関係ではない何かをいつも感じる。


「ここに書かれてある事は真実か」


「はい。間違いありません」


「俺も狂って何度もお前を殺したのか」


「いいえ。そんな事はありません。貴方はいつも最後まで私の味方をしてくれました」


 ソルは断言した。実際にはウルグン卿が怪物化した時に巻き込まれて数回ほど殺されているが、ソルは彼を庇うつもりのようだ。


「ソル」


「はい」


「ここが俺達の終わりか」


「………………………」


 今度はソルが長い間沈黙した。顔を伏せたかと思うと、いつも浮かべていた穏やかな微笑みが消え、歯を食いしばる音がした。眉間に力を入れてグッと目をつぶり、握り締めた手がブルブルと震えている。

 私がそっと彼の手に自分の手を重ねると、彼の手から力が抜けた。


「……はい」


 胸の奥から言葉を絞り出すように、ソルはそれだけを答えた。このたった一言の返事を返すまでの間に、ソルにどれだけの苦悩があったのだろうか。


 私はまだクレア卿が世界樹を殺せるとは思っていないけれど、ソルはきっと違うだろう。ソルはもう疲れている。自分の死を望むようになってきている。それを今、はっきりと自覚したのかもしれない。


「そうか」


「力及ばず、申し訳ありません」


「最後に、もう一働きするか」


「ええ、やりましょう。最後にもう一度……自由と尊厳を取り戻しましょう」


 もう一度と言うからには、以前にも何かあったのだろう。私の知らないソルの過去を共有するウルグン卿に時々嫉妬を覚える。6日目の終わり頃にソルの記憶を探せば見つかるだろうか。


 ……やっぱりやめておこう。勝手に人の記憶を盗み見るなんて最低だ。好きな人に知られたくない過去なんて、私にもいくらでもある。


「では、決まりですね。これより我らラインバルト隊はクレア卿に協力し、偽りの不老不死を演じる世界樹アノニマスの破壊に挑みます」


 ソルの一言に騎士たちは頷いた。


「それではクレア卿、よろしくお願いします。新たな犠牲者を出さないために……人の世の理を守る為に、あの忌まわしき世界樹を、必ずや破壊しましょう」


 ソルがテーブルに身を乗り出して右手を差し出した。クレア卿も同じように身を乗り出してソルの右手を握り返す。


「感謝する」


 クレア卿が素っ気なくそれだけ答えると、後ろの従者の子がペコリとお辞儀した。


「では早速だが、これより世界樹アノニマスの討伐作戦を説明する!」


 クレア卿の宣言に騎士たちの顔に緊張が走る。


「ミサキ、作戦概要書を配ってくれ」


「はい!」


 従者の子がリュックから書類の束を再び取り出して配り始めた。今度はさっきよりもずっと多い。


「今から説明するのは私とミサキとゴート卿の三人で練り上げた作戦だ。突拍子もない案に見えるかもしれないが、世界樹を破壊する方法はこれしかない」


 クレア卿は世界樹の特性を調べ上げた上で、いったいどんな対策を講じて来たのだろう。何にしても生半可な方法ではないはずだ。失敗すれば自分も地獄の住民になるのだから。


「世界樹アノニマスは不老不死だ。通常の破壊手段に意味はなく、灰に成り果てても再生する治癒能力を持っている」


 私たち一同は頷いた。


「だが飯は食う。つまりそれは世界樹アノニマスも完全な不老不死ではなく、食事をしなくては生きていけないという事実を指し示している」


 食事をしなくては生きていけない。なるほど……。


「そこで世界樹の食事を妨害し、現実世界で殺された人々のように餓死させる。そのために必要なのは欲望のコントロールだ。世界樹に増幅させられてしまう闘争心や破壊衝動などの他者を害する欲望を、痛みを伴わない形で発散させることで、世界樹が苦痛を吸収できないようにする。対象はこの町の全員だ」


「全員、ですか」


「無謀に思えるが、不可能じゃない。人を操るのは人の専売特許だ。世界樹よりも上手く私達の手で狂騒状態を作った上で、秩序という鎖で住民達の理性を繋ぎ止める」


「そんなことが、可能なのですかな?」


「出来る。人類はずっとこれをやってきた。誰も傷つかない争い、極めて平和的な奪い合い、ルールの上にしか成り立たない狂気、原始的な欲望で満たされることを遥かに上回る快楽。その全てがこの作戦には詰め込まれている」


 私には想像がつかなかったが、尋常な手段でないことだけはわかる。きっとクレア卿は特別な武器や魔法的な何かを用意して来たに違いない。いったいクレア卿はこの町で何を引き起こすつもりなのだろう。


「はあああ!?」


 私が緊張しながら表紙を眺めていると、資料を勝手に読み進めていたビステル卿が突然大声を張り上げた。




「天下一賭博会……だとぉ!?」



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