第18話。そして役者は舞台に集う
その豪邸は広いお花畑の真ん中にありました。風がお花畑を撫でるたびに色とりどりのお花が波のように揺れ、心地よいざわめきと爽やかな香りを運んできます。ここは大貴族のグランバッハ家が所有する別荘の一つとのことでした。
しかしこれだけ広い敷地内にも関わらず、人の姿は全然見かけません。どうやら使用人は最低限の人数しか雇っていないようで、薄暗い邸内はもの寂しい感じがします。
クレア様と私は、パリッとした身なりの執事さんに案内されて邸宅の奥へと向かっていました。
廊下には壺や彫刻や絵画が飾られており、どれもこれもすごく高そうでした。
「本当に依頼内容を秘密にしなくていいのか。守秘義務は守るぞ」
「ご当主様は構わないそうです。すでにこの件についての噂話は国中に知れ渡っていますし、むしろその実態が広まることで、解決できる方が来てくれることを期待しているようです」
「今まで依頼を受けた者は何名だ?」
「一人もおりません。意気揚々と来られた方も、ジェルジェの名を聞いた途端に青ざめてお帰りになられました」
「だろうな。今やその町は禁忌だ。地図から削除されて近づくことも禁止されている」
「やっぱり、とてつもなく危ない場所なんですね」
「有名だぞ。ジェルジェに行って帰って来れた者は一人もいないってな」
「いえ、その情報は正確ではありません。少なくとも二名は生還しています」
廊下の一番奥にある部屋の前で執事さんが足を止めました。耳をすませば中からはボソボソと話し声のようなものが聞こえてきます。
「ここから先は、私よりも当事者から聞いた方がよろしいでしょう」
「禁忌からの生還者か……」
執事さんはノックをしました。
「失礼します。ゴート様、お客様がお見えになられました。冒険者のクレア様とミサキ様です」
「……ああ、申し訳ありません。今は手を離せないのです。入ってもらって構いませんので、中で少し待っていただけますか」
少しだけ間が空いて、中から返事がありました。話し声のようなものはその間も聞こえ続けています。執事さんは私たちにうやうやしく一礼をして、ドアを開きました。
ベッドの上には、やつれ果てた背の高い男性が横たわっていました。上着をかけるフック付きの棒が近くに立てられ、そこにブラ下がっている袋から伸びた透明な管らしきものが男性の腕に刺さっています。
男性は眠っているようにしか見えませんでしたが、口だけはひっきりなしに動いていました。
「4日目には住民のほぼ全員が理性を完全に失い、身体機能を大きく欠損する自傷行為や加害行為を横行。その状態でも死ぬことはないため、被害者の苦痛は想像するに余りある状態となる……」
驚くべきことに、その内容は馬車の中で渡された資料に書かれていたことと、ほとんど同じでした。
そしてその隣では、眼鏡をかけた痩せ型の男性が机に向かって何かを一生懸命書き込んでいました。
「すみません、もうしばらくお待ちください」
私はクレア様と顔を見合わせ、互いに頷きました。邪魔をしてはいけないので、しばらく無言で待つことにしました。
横たわる男性の口からは、馬車の中で渡された資料とほぼ同じ内容の、悪夢としか思えないような話が次々と飛び出してきました。
それから数分ほど経って男性の話が一通り終わると、机に向かっていた男性がペンを置いて私たちに向き直りました。彼の目の下には深いクマができていて、顔色もあまりよくありません。とても濃ゆい疲労の色が浮かび上がっていました。
「お待たせして申し訳ありません。代理人のゴートと申します」
「クレア・ディスモーメントだ」
「ミサキです。はじめまして」
「ここまで来られたということは、お渡しした資料に目を通した上で、この依頼を引き受けてくれるということでよろしいでしょうか」
「引き受けるかどうかは、詳しい話を聞かせてもらってから判断させてほしい。資料には噂以上にとんでもない事が書かれていたが、無理だと決めつけるのはまだ早いと思う。それと、資料ではジェルジェの生還者から得られた情報だと書かれてあったが……」
「生還者の証言が、まさか病人の寝言だとは思いもしなかったでしょう。私を狂人だとお思いになられるかもしれません。ですがこれは、ただの寝言ではないと私は確信しています」
「と、言いますと?」
「彼は今この瞬間も、ジェルジェの中にいるのです」
「それらしき事も資料には書いてあったな。早速だがもっと詳しい話を聞かせてもらいたい。資料にはジェルジェに関しては詳しく記載されていたが、それ以外でも確認したい事がいくつかあるんだ」
「それではそちらにお掛けください。事の始まりから順を追って説明しましょう。わからないことがあればその都度答えますので遠慮なく何でも聞いてください」
私とクレア様は、壁際にあった木製の丸椅子に並んで腰掛けました。
「まずこちらの方が件のバリス卿です。かつての私の後輩であり、半年前から未だ意識が戻らぬグランバッハ家の嫡男です。彼を回復させることがグランバッハ家からの依頼内容となっております」
ゴートさんは沈痛な表情でベッドの上のバリス卿さんを紹介しました。
「ああ、大体の事情は聞いた。それにしても、植物人間か」
ゴートさんは頷きました。生きているのに意識がなく、自分では指一つ動かせなくなってしまっている人を植物人間と呼ぶそうです。
「その通りです。生きてはいるのですが、どれほど手を尽くしても意識が戻りません。かろうじて点滴で延命してはいますが、どんな名医も魔術師も匙を投げました。霊能力者が言うには魂が体に入っていない状態とのことです。体と霊魂を繋ぐ糸は切れておらず、どこか遠くに伸びているとのことでした」
「やはりジェルジェに行ったからか?」
「はい。今から半年以上前の話です。当時、私はラインバルト隊所属の聖骸騎士でした」
「あの、いきなりですみません。聖骸騎士って何ですか? 普通の騎士様とは違ったりするのでしょうか」
「こら、話の腰を折るな」
「すみません……」
「いえ、構いません。何でも聞いてくださいと言ったのは私です。クレアさんはご存知ですか?」
「概要だけ知っている。王族や貴族ではなく聖骸教会が抱える私兵だろう。教会から要請があれば国家の垣根を超えて各地で活動する実戦部隊だ。通常の騎士と違って完全な実力主義と聞く」
「その認識で間違いありません。かつて私とバリス卿はその聖骸騎士団所属のラインバルト隊において、違法な魔術師の逮捕を担っていました」
「担っていたということは、今は違うのですか?」
「はい。ラインバルト隊の壊滅を機に私は辞職しました。その後はグランバッハ家のご当主様に召し抱えられ、バリス卿を治療する方法を探すようにと申しつけられています」
「なぜわざわざグランバッハ家の長男が、貴族とは対極にある聖骸教会の騎士なんかになったんだ?」
「それもご当主様のご意向とのことです。バリス卿を次期当主にするために、貴族の息のかからぬ場所で鍛え直されてこいという建前でしたが……」
「建前?」
「口が滑りました。申し訳ありませんが、確証もないことをこれ以上、私の口から語ることは憚られます。ですが結果として、この事件が原因でバリス卿は次期当主候補から外れ、別の方がグランバッハ家を継ぐことが正式に決まりました」
「ああ、何となく事情はわかった。目的は達成されたが、このままだと人聞きが悪いからなんとか治療したいということか」
「ご想像にお任せします。あまり気分の良い話ではないかもしれませんね」
「いや、むしろ真っ当な背景で安心した。植物人間になった長男を治してほしいという依頼内容に偽りはないようだ。少なくとも用済みになった途端に消されることはなさそうだな」
「確かに貴族は信用できませんからね」
「おいおい、雇われてる側がそれ言っちゃダメだろ」
「ですが今回に限っては、裏切られる心配はないと思います。これだけ大々的に募集をかけた以上、黒いことをしてしまうとグランバッハ家の家名に傷がつきますから」
「その大々的に募集をかけているのも、やるだけのことはやったというアピールにしか思えないんだがな。裏から手を回して、わざと自分の息子をジェルジェに誘導させたという可能性はないか? あるいは新当主が工作をした可能性は?」
ゴートさんは机の上のコップを取り、一口飲んでからクレア様の質問に答えました。
「クレアさん。その話はこれ以上しない方がよいでしょう。誰が聞き耳を立てているかわかりませんから」
「……そうだな。すまなかった。裏を取りたがるのは冒険者の習性なんだ。犯人探しは今回の依頼には関係ない話だった。忘れてくれ」
「ええ、話を戻しましょう。それで私たちはジェルジェに向かったのですが、ご覧の通り生きて帰れた者は私とバリス卿だけでした」
「もう少し詳しく聞かせてくれ。なぜ二人だけ戻って来れたんだ? 資料からは意図的にボカした印象を受けたが、都合の悪い事があるのか? 例えば、実はジェルジェに入らなかった、とか」
ゴートさんはわずかに眉をひそめました。クレア様は遠慮なしに核心へ入り込み話を進めるので、相手が不快に思わないか心配な時があります。
「そう思われても仕方のないことです。しかし私は確かにジェルジェに踏み込み、大地を覆う悪魔の花を見ました。あの無数にそびえるツボミを。あの白く滑らかな花の中で祈る美しき女性を。眠りこける仲間たちの鼻や口に入り込む青い根を、確かにこの目で見たのです」
「資料に書いてあった7日目と状況は似ているようだな。だが何故いきなり7日目に辿り着いているんだ? 他の騎士たち同様にジェルジェに入ったんだろう? 何か特別な事をしたのか?」
「様々な可能性を検証しましたが……残った可能性は一つだけでした。馬鹿馬鹿しく思われるかもしれませんが、他に考えられる原因はないのです」
「一番大事な部分だ。聞かせてくれ」
クレア様は立ち上がり、丸椅子をゴートさんの前に運んで座り直しました。私も慌てて同じように椅子を持ってクレア様の隣に座ります。
ゴートさんはあまり話したくなさそうな様子でしたが、クレア様に詰め寄られると、おずおずと話し始めました。
「実は、当時私は体調が悪く薬も服用していまして……しかも徹夜での見張りの直後で、疲れも溜まっていたものですから、つい……馬に揺られながら居眠りをしてしまっていたのです」
「そうか。……それで?」
「それだけです……」
「え?」
「私は馬に乗ったまま居眠りをし、落馬して初めてジェルジェの中にいることに気がつきました」
「……」
クレア様は呆れたようにポカンと口を開いています。
「すみません」
「い、いや、いいんだ。今からあのジェルジェに乗り込むって時に、よく居眠りなんてできたなと思ってな。それよりもこの条件で間違いないのか? 動物を使って再現してみたりは?」
「しておりません。そういった検証も依頼に含まれています。他に必要な経費や資材などがあれば当然こちらで負担しますが、人員の手配だけは期待しないでください」
「あの〜」
少し気になったことがあったので、私は恐る恐る手を挙げました。クレア様からは、こういう場で思いついたことを黙っているのが一番悪いことだと言い聞かされています。
「すみません、中に入った時の様子をもう少し詳しく聞かせていただいてもよろしいでしょうか。他の騎士様たちはバリス卿様のように眠られていたのですか?」
「その通りです。彼らは眠りながらにして起きているかのように会話を交わしていました。馬も騎士たちと同様に眠りに落ちて横たわり、私はその時に馬から落ちた衝撃で目が覚めたのです。騎士たちも馬から投げ出されていましたが、目を覚ましたものは私一人でした。彼らは目を閉じたまま、まるでまだ馬に乗って霧の中を進んでいるような会話を続けていたのです」
「ということは、ゴートさんだけが目を覚ましたというよりも、何かに眠らされる前に寝ていたから助かったということでしょうか?」
「はい。そう結論づけるしかありませんでした」
「対魔術師の専門家としての見解を聞かせてほしい」
「そうですね……」
ゴートさんは机の上に置かれていた資料を引き寄せ、パラパラとめくりながら答えました。
「この現象を魔術的な攻撃として考えるならば、侵入者に対して発動するトラップでしょうか。赤い霧が結界の境界線となっており、それを踏み越えた侵入者に強烈な幻覚を見せるのです。ただし意識を持たない者は幻覚を見ることができないので、気絶していたり眠っている者に対しては無力となります」
「なるほど、幻覚か。信憑性のある説だが、幻覚だとすると辻褄の合わない事がある。ミサキ、わかるか」
「えっと、幻覚を見ているはずの騎士様たち同士で会話をしていた、という点でしょうか」
「なかなか鋭いですね」
「えへへ」
「こら、ちょっと褒められたくらいで調子に乗るな。そんなんだと悪い男に騙されて売り飛ばされるぞ」
「ええっ!? もう売れ残るのは嫌です!」
「心配するのそこかなぁ!?」
「すみません。話を元に戻してもよいですか?」
「あ、ああ、すまん。頼む」
「すみません。お願いします」
クレア様と私が謝ると、ゴートさんは再び資料に目を落としました。
「ミサキさんの仰ったとおり、意識を失った者同士で会話が成立していることから、個別ではなく共通した幻覚を見せられているのではないかという可能性を、私も最初は考えました」
「本当にそれは幻覚と呼んでいいのか? 自分にも他人にも同じものが見えて意思の疎通もできるんだろう。幻覚やただの悪夢ではないはずだ」
「その通りです。これは推測に過ぎませんが、彼らは心や魂だけを出口の無い別の空間へ飛ばされてしまったのではないかと私は考えています。精神だけの存在なので、眠ることもなければ死ぬこともありません。たとえ体が朽ち果てようとも、不滅の存在である魂は永遠にジェルジェに囚われ続けるでしょう」
「まるで地獄そのものだな。その推測に異論はない。ジェルジェに入った者は眠らされて精神だけを隔離された別の空間に飛ばされる。……うん、辻褄は合っている、うん。だが、一つだけどうしても無視できない事がある。実はずーっと聞きたかったんだ」
クレア様がゴートさんをじっと見つめました。私もクレア様同様にずっと気になっていたことがありますが、聞くタイミングがなかったので固唾を飲んで見守ることにしました。
「それは、私がジェルジェの中で死んでいることでしょうか」
「ああ、そうだ。資料を何度か読み返したが、どう読み取っても代理人とラインバルト隊のゴート卿が同一人物としか思えなかった。やっぱりそうなんだな。これは一体どういう事なんだ? なぜ貴方は向こうの世界で死んでいる」
「わかりません。もしかすると私が気づいていないだけで、魂の一部が吸い取られているのでしょうか」
「と、なると、寝ながらジェルジェに入っても安全とは限らないというわけか」
「あの〜、少し思ったのですが」
「何だ? 言ってみろ」
「どうして騎士の皆さんは、裸じゃないんですか?」
「スケベ」
「スケッ!? 違います! 真面目に聞いてください! だって心や魂だけ別の世界に行ってしまうなら、服や武器を持っているのはおかしいじゃないですか!?」
「なるほど、なるほど、たしかにその通りですね」
「全裸の幽霊がいないように、人は精神体になっても無意識に服を再現しているんじゃないか?」
「いえ、それだとジェルジェにあるらしき私の死体が当時と全く同じ状態であることに説明がつきません。私の精神は間違いなくここにあるのですから」
「失礼」
クレア様が立ち上がり、ゴートさんに近づきました。ゴートさんの顔にゆっくりと手を伸ばし……ツン、ツン、ツン。三回ほどつつきました。
「あの」
「クレア様!? 何をしてるんですか!? 失礼すぎますよ!?」
「すまん。もしかしたらこっちが幽霊なのかもしれないと思って……一応確認だけ……」
「幽霊ですか。まさか生きているうちに自分の死体に悩まされることがあるとは思いもしませんでしたね……」
「あ!」
「こら、急に大きな声を出すな。ビックリするだろ」
「すみません。でも、もしかして、生き物だけでなく服や剣などもジェルジェの中に入ったものは何でもあっちの世界に複製されて、そこに魂を移し替えられるといったことはないでしょうか」
「なるほど、単なる精神だけの世界ではないということですね。赤い霧を通っているうちに私の肉体は複製されたけれども魂は移し替えられていなかったので、あちらで複製された私は動かぬ死体になってしまっていると。なるほど、なるほど。でしたら人間の体内に入り込もうとする青い根が魂を吸い出している役割を担っているのかもしれません」
「資料に度々出てくる、先端部分に透明な四角い結晶体がついた青い根っこか。それを使って水の代わりに魂を吸い上げてるのかもな。偉いぞ、ミサキ」
「えへへ」
「たしかに他の騎士たちと違い、私は青い根に襲われていませんでした。どうやらこれが魂を奪う方法のようですね」
「バリス卿様もやっぱり青い根に襲われていたんですか?」
「はい。鼻や口に青い根が入り込んでいました。私は絶えず湧き上がる眠気に耐えながらそれを切り取り、貴族である彼だけは死なせてはならないと必死になって引きずり、ジェルジェの外に逃げ出しました。そして赤い霧から出たところでハイエナ狙いの冒険者と運良く鉢合わせ、馬を借りてバリス卿を運んでもらえたのです」
「すみません。ハイエナ狙いとは何でしょうか?」
「簡単に言えば横取りだな。死体を漁って金目の物を盗む連中がそう呼ばれるが、人が苦労して達成一歩手前まで進めた仕事を横から攫ったり、邪魔をされたくなければと高額の協力料をふっかけたりする奴らもハイエナ扱いされている」
「ええ……それって犯罪じゃないんですか?」
「グレーゾーンってとこだな。これを狙う奴らがいるおかげで力不足の冒険者が命拾いしたり実績だけでも手に入れられる事があるから、明確には禁止されていない。とはいえ褒められた行為じゃないから、これを狙うような奴にはなるなよ」
「あれ? クレア様もこないだ現金とカメラ「さて、話を元に戻そう。実際に見たジェルジェの様子は、この資料に記されている7日目と似通っているようだな。ソル卿とユカリは一度だけ7日目に辿り着けたようだが、実際に辿り着いたのは7日目ではなく現実世界だったという可能性はないか」
「……」
私の無言の抗議を無視してクレア様は椅子に戻りました。ゴートさんは少し戸惑っていましたが、頭を振って再び資料に目を落としました。
「え、ええ、そうですね。それならば最初の7日目で肉体が衰弱死してしまったソル卿がその後の7日目、いえ、現実世界に戻れなくなったことにも説明がつきます。ただソル卿は現実世界で死んだ後に再び6日間に囚われてしまっているようですが」
「一度囚われると、現実世界に戻れてもまた引き戻されるのか?」
「それが原因でユカリという女性は出られなかったのかもしれませんね」
「ユカリ・クレマチスか。こいつの存在も謎だな。どこから来た誰かなのかもわからず、ただ殺され続けるだけの存在か」
「自分で名前をつけたということでしたね。ユーカリもクレマチスも花の名前ですから、花言葉で何かステキな意味があったりするのでしょうか」
「名前の由来はわかりませんが、彼女に関しては生贄の可能性があります」
「生贄?」
「まず大前提として、聖骸教会の騎士には魔術が通用しないのです。何せ逮捕した魔術師達に作らせた、魔術を否定する特殊な甲冑を着ていますので、魔術師が作り上げた結界や特殊な空間に取り込まれるようなことは決してないのです」
「なるほど。続けてくれ」
「にも関わらず騎士たちは別世界に囚われてしまったのですから、あの赤い霧は魔術によるものではありません。例の花が持つ固有の能力……生態ということになりますが、こんな植物の話は古今東西聞いたことがありません。そもそも世界樹と呼称してはいますが、伝承にある世界樹の姿とはかけ離れているため私は世界樹アノニマスと「すまん、結論から言ってくれ」
「あの恐ろしい力を持つ花、世界樹アノニマスはどこか別の世界から来た植物であり、クローカス・クレマチスが用意した生贄を捧げて召喚したのではないか……ということです」
「その生贄がユカリ・クレマチスというわけか。地下室にあるというユカリの死骸がそうだったのかもしれないな。張本人のクローカスについては何か手がかりはないか?」
「残念ながらクローカス氏に関しては全く手がかりがありません。すでに国外に逃亡しているか故人になっているか、あるいはクローカス氏自身が世界樹に変貌してしまったかのいずれかでしょう」
「世界樹を呼び出した方自身が最初の生贄として世界樹に食べられてしまった可能性もあるということでしょうか」
「あるいは生贄は町の住民全てかもしれません。普通の魔術師ならば、通報されないように自身の研究は人里離れた場所でやるものです。地下とはいえ、町中に研究室を作るなどまずあり得ません。そうしなければならなかった理由がない限りは」
「だが町の住民全てが生贄だとしても、世界樹が住民達の体を食べているわけではないだろう。むしろ逆に死なない体を与えているからな」
「どうしてそんなことをしているのでしょうか……」
「いいところに気がついたな、ミサキ」
クレア様が私の肩に手を置きました。私が隣のクレア様の顔を見上げると、クレア様はほんの少しだけ微笑みました。
「何故。それに考えを巡らせる事が出来るのは、冒険者にとって必要な素質だ。疑問に気づき、疑問で終わらせない事が、あらゆる難局に立ち向かう力になる。忘れるな。何故、何故、何故だ。未知に出会ったら、まずはそれを観察して何故そんな特徴をしているのかを考えろ。例えば狼の目が前についているのは獲物との距離を測る為。逆にウサギの目が横についているのは左右から襲ってくる狼を見つける為だ。全ての生物は自分の生存に必要な特徴を持っている」
「蚊が嫌な音を出して飛ぶのもですか? 自分の居場所を教えて殺されるだけにしか思えないのですが」
「そっちは逆だな。蚊に刺されて病気を移されないように、人間の方が蚊の羽音を不快に感じるようになったんだ。生物だけでなく、どんな現象にも必ず理由があって結果がある。それを考えるんだ」
「はい!」
「おお、なるほど、なるほど……。冒険者にはそのような考え方があるのですね。非常に面白い考え方です。理由があるから結果がある……。なるほど、なるほど。では、ジェルジェの現象も同じだと?」
「当然だ。世界樹が全ての元凶だと言うのなら、これらの常軌を逸した現象にも必ずそれを引き起こす理由があるはずだ。私はこの一連の現象が、世界樹にとっての食事ではないかと睨んでいる」
「食事、ですか」
「飯を食べない生物などいない。動物も植物もだ。生きているならば、生きる為の養分を必ず外部から摂取している」
「その養分に関しても、心当たりがあるのですね?」
「ああ。世界樹が人々の魂を引き抜いて死なない体に閉じ込めるのは、その必要があるからだ。必要なのは血や肉ではなく、魂や意識などの精神体。そして人々は散々苦しめられ、体をどれだけバラバラにされても全身の痛覚は残されたまま。ここから導き出される結論は……ミサキ、分かるか」
私は頷きました。
「人々の苦痛を養分にして食べている、ですか」
「そうだ。そして例の6日間で再現している世界樹の成長過程は、吸い取った栄養に比例しているのかもしれないな。そして最終的には現実世界の大きさに追いつくんだろう」
「なんと……驚きました……」
ゴートさんが感嘆の声を上げました。
「この資料を信じてくれる方がいれば良い方だと思っていたのですが、まさかこの短時間で世界樹の特性まで分析して頂けるとは……私の予想を超える優秀な冒険者の方が来てくれて嬉しく思います」
「その資料あっての事だ。それに私は優秀でも何でもない。むしろ出来の悪い方だった。さっきの話だって、私もそう教わったというだけの事だ」
クレア様はかぶりを振って否定されましたが、私はクレア様がとても優秀な冒険者だということを誰よりも知っています。
そしてそのクレア様の先生とはどんな方だったのか、どうして今はクレア様と一緒にいないのか気になったことはありますが、クレア様は過去の話をしたくはないようなので、私も深入りはしないことにしています。
「そう謙遜なさらずとも、私からしてみればこの上なく頼もしく感じます。個人の限界と他者の視点の重要性を改めて感じました。世界樹は人々の苦痛を喰らうために魂を抜いて偽りの体に閉じ込める。なるほど、なるほど。魂だけだと成仏するからですかね……? 他にも見えてくることがありそうです」
「あっ……はい!」
思ったことがありましたので、私は手を挙げました。
「どうぞ、ミサキさん」
「世界樹は苦痛を食べるだけではないと思います」
「お?」
「と、言いますと?」
「多分ですが、理性や良心や優しさといった人間らしい感情まで吸い取っているのではないでしょうか。だから3日目や4日目になると人間らしさを吸い取られた人は暴れ始め、5日目には体からも人間らしさを奪われて怪物になってしまうのだと思います」
「だがそれらは苦痛やら狂気やらと相反するぞ。いや、むしろ私が間違っているのか? 理性を吸い取られるから人々は正気を失って、発狂や怪物化はその結果に過ぎないのか?」
「いえ、1日目からの世界樹の成長速度を考えると、理性や良心を吸収して成長するとは思えません。やはりクレアさんが正解だと思われます。我々が果物の皮を剥くように、食事の邪魔だから理性や良心を最初に奪われてしまうのではないでしょうか」
「食べられない部分はポイか。発狂や怪物化の個人差についてはどう思う?」
「単なる体質の問題ではない気がします」
「えっと……はい!」
「どうぞ、ミサキさん」
「私なりに考えてみたのですが、ソル卿様やウルグン卿様やバリス卿様のことを考えると、暴力的な衝動を抑え込める優しさと心の強さの持ち主ならば、人間らしさを奪われないのだと思います」
「なるほど」
「クレア様はどちらも備えていますから大丈夫ですね」
「え? いやー、そうでもないと思うぞ? ふふっ」
「……なるほどですね」
照れて頰をポリポリ掻くクレア様をチラッと見つつ、ゴートさんは資料に何かを書き加えました。
「しかしウルグン卿が怪物化した例を考えると、強いストレスも引き金になっているのかもしれません。動物的な本能を抑え込みすぎるのもよくないようです」
「ビステル卿が意外と完全に怪物化する頻度が少ないのは、怒鳴ったり暴徒を容赦なく斬り捨ててストレスを発散させているからかもしれないな」
「たしかにその通りです。それにしても彼は怖い先輩でした……。ところで6日目に浮かんでくるという記憶の結晶体のようなものに関しては、どう思われますか?」
「理性や良心と同じく、最終的には記憶も奪われてしまうのではないでしょうか? そして何もかも失くしてしまうと、6日目の終わりに消えてしまうんだと思います」
「まるで食べカスを棄てるように、ですか」
「うう〜ん、何なんだコイツは」
クレア様がうなり、腕を組みました。
「人間を飼って、体を与えて心を奪って苦痛を食って、残りカスは棄てて食い終わったら何度でも元に戻して……家畜や農産物のように収穫を繰り返しているということか? これはまた何と言うか……とんでもない化け物だな。たまには普通の敵はいないのか……」
「仕方ないですよ。大金どころか領地まで貰える破格の報酬の仕事なんですから……」
「こないだの一件で組合にも目を付けられたし、私たちの後ろ盾の為にもやるしかないよなぁ……」
「あ!」
私はジェルジェに入らずに世界樹をやっつける方法を思いつきました。これで少しは、ため息をつくクレア様の役に立てるでしょうか。
「町中を覆う植物ということならば、例えば大量の火矢を赤い霧の外から放って、全部燃やしてしまうとかはできないのでしょうか?」
しかしゴートさんはかぶりを振ります。
「すでに教会の他の騎士が試したそうですが、さしたる成果は得られなかったそうです。赤い霧に阻まれて的が見えない状況では無理もありませんね。そして二次被害を恐れた教会は、これを最後に手を引きました」
「向こうの世界での世界樹の再生能力を考えると、多少のダメージがあっても吸い取った栄養を使って再生した可能性がある。戦争用の大火力の魔法や魔術を使える魔術師を教会や王都から借りれないのか?」
「魔術師ではありませんが、実は一人だけジェルジェに無傷で入り、世界樹を破壊できるであろう人物を以前に見つけてはいました」
「えっ! すごい! その人が来てくれれば解決じゃないですか!」
「ですが依頼は突然キャンセルされてしまいました。そういうこともあって、破格の報酬を掲げて冒険者を募集し直すことになったのです」
「自分勝手な奴もいるもんだな。いったいどこの誰なんだそいつは」
「英雄アベルです」
「うっ!」
「あっ!」
予想外の名前が出たので、私とクレア様は反射的に思いっきり顔を背けてしまいました。
たしかにアベルさんの能力なら、赤い霧も悠々と突破して世界樹を消せたかもしれません。あれ……もしかしてアベルさんと私たちが出会っていなければ、この件は解決していた……のでは……。
「おや、どうしました? 」
「……何でもない。それよりソル卿とユカリは世界樹を再生させている心臓を探したようだが、どうしても見つからなかったと書いてある。専門家の見解はどうだ。何か弱点に該当するものは思いつかないか」
「世界樹の弱点、ですか。難しいですね。生物ならば脳や心臓に損傷を負えば生きてはいられませんが」
「植物は一本の枝や根っこからでも再生したりしますからね。う〜ん、どうしますクレア様? ゴートさんと同じ方法で侵入して、直接油をかけて何も残らなくなるまで燃やしてみますか?」
「いや、それよりも思いついた事があるので確認したい。世界樹は人の持つ良心や理性といった人間性を奪い、苦痛や絶望を吸い取って成長する。そして心から人間性を失った人は体からも人間性を奪われて怪物化するが、理性を保ち続ける努力をすれば怪物化にも発狂にも抵抗することができる。……これは間違いないか?」
「少し検討する時間をください。それが事実ならば、人間性を吸い取り成長する世界樹を育てるため……より多くの人間を養分にするために、クローカスは通報されるリスクを犯して町中で世界樹を召喚した……人間性を失えば発狂や怪物化してしまうが、ソル卿やウルグン卿は強い精神力により人間性の吸収に抵抗が可能……。うん……うん、辻褄は合っているようです」
ゴートさんは喋りながらカリカリと忙しそうにペンを動かしたり資料をめくったりしながら、クレア様の質問を検証しました。
「重ねて確認だ。世界樹は異なる空間に侵入者の体を複製し、そこに転送した人間の精神活動を養分にして生きている。間違いないな?」
「……はい。世界樹が生物ならば他に考えられる食事の可能性はありません。これが世界樹の生態で間違いないと思います」
「ということは、異空間にいる世界樹は人々と同じく複製体ではあるものの、異空間で養分を回収して現実世界の本体に送る役目を担っているという事になる。ちょうどそこの点滴と、それを補充する貴方と、ゴート卿の関係のように」
「……おお! なるほど、なるほど! だから現実世界と異空間の両方に世界樹がいるのですね。異空間の世界樹は吸い上げた養分で成長し、その後現実世界の本体に養分を転送して、役目を果たし終えれば住民たちと同じく消える……。なるほど、なるほど。確かにそう考えれば辻褄が合います。間違いありません」
ゴートさんは納得した様子で資料に書き込みを加えるとしきりに頷きました。クレア様はもまた、それを見て満足そうに頷きます。
「よし。ならば先に異空間の世界樹を潰す」
「しかしその方法はあるのですか? あらゆる破壊方法は試された後のようですが」
「まだ誰も試していない方法がある。世界樹の養分を断とう」
「断つ、ですか? まさかビステル卿がやろうとしたように、住民たちを皆殺しにするとでも?」
「それは不可能だ。彼らが肉片になっても意識や痛覚は残されて、世界樹へ栄養を送り続けてしまう。そうならないように、住民達の理性を保たせ続けることで世界樹への栄養供給を止めさせよう」
「条件が厳しすぎますね……。住民の方々を傷つけず、暴力的な衝動を適度に解消させ、なおかつ理性を保たせ続けるなど……実現できたのなら有効だとしても、とてもではありませんが……」
「不可能、か?」
「不可能ですね」
「その不可「その不可能に挑むのが、私たち冒険者です!」
「私が言いたかった決め台詞を取るな、こら!」
「アイタッ!?」
「……」
「ほら、君のせいでアホを見るような目で見られてるぞ。信用がガタ落ちだ」
「ええっ!? すみません!」
「あ、いえ、そうではないのです。ただ、お二人を見ていると微笑ましく思う反面、かつての仲間のことを思い出してしまって……少し、少しだけですが、辛くなりますね」
ゴートさんは目を伏せました。
その気持ちは、私も、わかる気がします。
「……自分だけが生き残ってしまったことに、罪悪感を…感じてしまったことは、ありませんか……」
「ミサキ……」
ゴートさんが顔を上げ、少しだけ私を見て、また顔を伏せました。
「むしろ、罪悪感を感じない日はありませんでした。ジェルジェの実態を知れば知るほどに恐怖と絶望が募り、自分が助かったことに安堵を覚えてしまうのです。今この瞬間も、仲間たちは地獄で未来永劫の苦痛を与えられ続けているというのに」
「でも、ゴートさんはこうして今も諦めずに、仲間を助ける方法を探し続けているじゃないですか」
「夢を、見るのです。あの狂った世界に閉じ込められる夢を。助かったはずなのに、寝ても醒めても私はジェルジェに囚われ続けているのです。私は、仲間のためではなく、自分が、自分が、ジェルジェから解放されたいがために……」
「ゴートさんは、ゴートさんにできる最善を尽くしています。どうか自分を責めないでください。ゴートさんが生き延びたことには必ず何か意味があるはずです」
「……ありがとうございます」
クレア様は何も言わずに私の肩に手を置きました。
今の私の言葉がゴートさんだけに向けられたものではないことに気づかれたのかもしれません。
「う、ううっ」
バリス卿さんがうめき声を出しました。
「ゆ、許してくれ。わた、私は、怖い、怖いのだ。体が、どうしても動かぬのだ。私は、役立たずの、無価値な出来損ないなのだ。た、たまたま貴族の長男に生まれただけの、ど、どうしようもない無能なのだ。わた、私を責めてくれ。罵倒し、殴り痛めつけてくれ。それで、少しでも、卿らの気が晴れるなら……。うっ、ううう……! こんな、こんな虫のごとき私など、産まれてこない方がよかったのだ……! うっ、うっ、ううう、うううああああ……」
バリス卿さんは目を閉じたまま泣き叫び、涙と鼻水が溢れ出しました。ゴートさんが立ち上がり、タオルでバリス卿さんの顔を拭きました。
クレア様も立ち上がり、痩せこけて骨と皮ばかりになったバリス卿さんの手を握手するように力強く握りました。
「役立たずなものか。バリス卿がいなければ、世界樹攻略の糸口を見つけ出す事は出来なかった。騎士達が調べ、バリス卿が伝え、ゴート卿が記録してくれた、値千金の情報だ。だからもう少しだけ耐えてくれ、必ず私が助けてやるからな」
バリス卿さんの嗚咽が止まるまで、クレア様はしばらく手を握っていました。
クレア様は先ほど否定されましたが、やっぱり私の師は優しさと強さを兼ね備えた素晴らしい方だと思います。
「やりましょう、クレア様。もうこの人たちが苦しまなくてすむように、世界樹と戦いましょう」
「ああ、やってやろう。人間を舐めくさった花畜生に人間の怖さを教えてやろう。死してなお囚われた人々の魂を解放して、永遠の安らぎを世界樹から取り戻してやろう」
クレア様の声には揺るぎない自信が込められていました。クレア様はすでに世界樹を倒す方法を考え付いたようです。
「このような無理難題を引き受けて下さって感謝の言葉もありません。そして……クレアさんには、すでに考えがあるのですね?」
「ある」
クレア様は力強く即答されました。
「ただし、グランバッハ家の協力が必要不可欠だ。冒険者の私たちだけでは、必要な手札が足りない」
「ご当主様は気難しい方ですが、この件に関してはあらゆる投資を惜しまないと仰られています。ご当主様を納得させられるだけの計画があれば、私が直接ご当主様と資金繰りを交渉してみましょう」
「いや、私も直接会って交渉しよう。勿論金や物資もいるが、権力や権威も必要なんだ。他にも色々と調べて欲しい事もある。だからまずは……」
「はい、まずは何が必要でしょうか」
「……」
「クレアさん?」
「あー……勘違いしないでほしいが、これは私の私利私欲ではない。あくまでも今回限りの特例ということで、無事に解決できたなら勿論取り消してもらっても結構だ。……あ、いや、グランバッハ家の後ろ盾も報酬の一部として貰えれば助かるが」
「身分と、言われますと?」
「えっと、その、何だ。まずは私が動きやすいように、私が……私は、グランバッハ家の、うん、なんだ」
それまでの自信満々な態度から一転して急にしどろもどろになってきたクレア様に対し、ゴートさんは困惑した表情になりました。
「クレア様?」
「うん……つまり、だな……作戦は……」
クレア様はちょっと顔を赤らめ……けれども依頼人を不安にさせないために真っ直ぐゴートさんを見つめて大声で答えました。
「私自身が女騎士になることだ!」
これで出題編は終わりです。
「ジェルジェの実態を知ったクレアは、どうやって世界樹を倒すつもりなのか」
というのが今回の問題となります。