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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【生まれてくるべきではなかった誰かの話】
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第15話。サイレント・バースディ

 とても静かだった。だった。だった。だった。




 雨の音だけが聞こえる。える。える。える。




 寒くない。冷たくない。ない。ない。ない。




 私は花の中にいる。いる。いる。いる。




 お祈りの姿勢。姿勢。姿勢。姿勢。




 すごく眠い。眠い。眠い。眠い。




 何もかもどうでもいい。いい。いい。いい。




 このまま眠ろう。眠ろう。眠ろう。眠ろう。




 傾いている。傾いていない。いない。いない。




 落ちている。落ちていない。いない。いない。




 何かに当たった。何もない。ない。ない。




 誰か来た。誰もいない。いない。いない。




 何かしている。してない。してな。


「……んっ! んんん〜!?」


 眠気が消えた。意識が突然明瞭になり、鈍っていた五感が戻ってきた。息ができていないことに気がつき、鼻と口に入り込んでいた邪魔な青い根を引き抜く。


「ゴホッ! ゴホッ、ゴホッ! ハァッ、ゴホッ!」


「申し訳、ありません、もっと、慎重に、やるべき、でしたね……」


 ともすれば雨音にかき消されてしまう程に小さな声だったけれど、知っている声だった。


「あっ」


 顔を上げると、幽鬼のような男がいた。肌には血の気がなく、頭蓋骨の形がはっきりとわかるほどに痩せこけている。落ち窪んだ眼窩の奥から、生気を感じさせない目が私を見ていた。


 男はほんの少しだけ微笑んだ。ほとんど肉のない頰を吊り上げるような、無理をした笑い方だった。

 彼は最後まで私の味方をしてくれた、あの若い騎士だった。


「一輪だけ、咲いている花の中に、あなたを見つけましたので、もしや、と」


 騎士の剣も鎧も無傷だった。折れていたはずの両足も無事なようだ。傷は無い、傷は無いけれども、その顔には、もうどうしようもない死の影が現れている。


「ここは?」


 私は緩やかな曲線を描くお椀型の何かの中心で横たわっていた。その表面は純白で凹凸一つなく、陶器のように滑らかで硬い肌触りをしていた。私が身動きする度にグラグラと揺れ動く。


 一瞬、大きな皿の上にいるのかと思ったが、どうやらこれがあの花の7日目の姿らしい。


「無事で、よかった。動け、ますか……」


 動いてみようとして初めて私は、首から下があることに気がついた。服はないが、握り潰されたはずの体が元に戻っている。


 腰から下は花の中心に埋もれていたけれど、少し力を入れただけで抵抗もなくするりと抜けた。私を咥え込んでいた穴の中から青い根が何本か伸びていたが、途中から切断されていた。誰がやったのかは考えるまでもない。


 私は手足を動かして花から這い出し、立ち上がって周囲を見渡してみた。


 初めて見る7日目の様子は、思っていたよりも穏やかなものだった。

 厚い雲から雨が降っている。無限の暗黒も煌めく星々もどこにも見えない。頭上には当たり前の空があった。

 怪物たちの姿も無く、青い根に絡みつかれた人々の白骨化した屍が黒い根の合間に沈んでいる。


 世界樹の様子は6日目とほぼ変わらず赤い霧もまだ健在だったけれど、今までとは世界の空気が決定的に違っている気がした。


「しかしながら、少しばかり、無理を、し過ぎたようですね。はは……」


「あ……」


 静かに私を見守っていた騎士が後ろ向きに倒れた。


「ですが、最後に罪を償うことが、できそうです……」


「罪。罪って、何ですか」


 私は慌てて彼の側に腰を下ろし、上半身を抱え起こした。この手に伝わる冷たさは雨と甲冑のものだけではないのだろう。彼の体から温もりが消え去ろうとしていた。


「あなたを、傷つけてしまったことです……」


「傷つけたって、喉を締めただけではないですか」


「いえ、それだけでは……ありません。私は、あなたを、利用しようとしました」


「利用?」


「私は、ずっとあなたを犯人だと、疑っていました……そして、いつものように籠絡しようと、していたのです……自分の容姿を使い、甘い言葉や、いかにもなシチュエーションを用いて、味方のふりをして、自分を信用させ、最後には裏切るつもりで、いました」


「そう、ですか……」


「私たちに協力してくれたあなたに唾を吐き……その信頼を裏切り傷つけ侮辱する最低な行為でした……」


「違います……」


「申し訳、ありません」


「違います。利用していたのは、私の方です……」


 彼の顔を見れない。思えば誰かに懺悔するのは、これが初めてかもしれない。


「私、私は、自分が助かるために、今まで多くの人を利用してきました。あなた方だって、そうです……。どんなに期待しても、どうせ全員狂って殺し合うか、怪物に食べられるかのどちらかなのだから、せめて、手がかりの一つでも見つけてくれるか、少しでも盾になればいいと……思って、あなた方に近づいたんです」


「はは、ご期待に添えず、申し訳ありません……」


 喉から無理やり絞り出したような声だった。

 恐る恐る顔を上げて彼の顔を見てみると、彼はまだ笑っていた。


「どうして、怒らないんですか。なんで、まだ、笑っているんですか」


「怒るも何も、それが、私の、役目ですので……」


「役目?」


「夢は夢のままの方が、とは言いましたが……この仕事は、案外嫌いではないのです。こんな、私が……誰かを救えるようになるとは、子どもの、ころは、想像もできませんでした」


 彼が言葉を切って大きく息を吸うと、その体がガタガタと激しく震え始めた。


「私は、ずっと、生きている理由を求めていました……あの家を捨て、才能を認められ、貴族に召し抱えられ、利用されるのが嫌になって辞め……そして聖骸教会に入り、聖骸騎士となって、ようやく、それが見つけられるようになってきたのです……」


「生きる理由……」


「はい……。私は、誰かの命を救えた時に、それを感じました。ありがとう、の言葉が、私を、救ってくれたのです……。どんなに苦痛を味わっても、絶望の底にいても、それだけで……全てが報われました。だから、だから……」


 彼の震えが更に激しくなってきた。私は彼の手を握る。

 彼は私を見ていた。私も彼から目を離さない。降りしきる雨の音だけが世界にはあった。


 彼は言葉を続けようとしたが、何かを思い直したように口を一度閉じてから、再び開いた。


「どうか、助かって……ください……」


 彼の震えが止まった。私は彼を見つめる。彼は私をもう見ていない。雨が目に入っても、彼はもうまばたきをしなかった。口元には微笑みを浮かべたまま、もう息を吸おうとしなかった。ただ雨だけが降っていた。


 彼は死んだ。


「あ……」


 死んだ。死んだ。この、死ねないはずの町で。たった一人、最後まで私の味方をしてくれた優しい人が。


 死んでしまった。


「うっ……うっ、うっうううううう……!」


 胸が張り裂けそうだった。息を吸う度に悲しみが肺を満たすから、私はそれを必死に吐き出した。

 後から後から溢れ出す涙は妙に温く、冷たい雨水と混ざって私の顔を塗り潰した。

 彼の手を握る。強く握る。もう握り返してはくれない。彼は死んだ。いなくなった。


 私はまた、一人ぼっちになってしまった。


「なんで、なんで、死んでるんですか……! この町では誰も死ねないはずなのに! うっ、うううっ! 助かってくださいなんて、無責任です……!私は、もう、疲れて……! 生きていたくなんてなかったのに、 あなたがそんな事を言うから……! 味方をしてくれたから……! あの花から助けてくれたから!私、私は、頑張らなくちゃいけないじゃないですか! 頑張って、生き延びなくちゃいけないじゃないですか……! うっ、うううううううっ!」


 どれだけ言葉をぶつけても、もう返ってはこない。

 こんなことになるなら、もっと早く本音をぶつけておけばよかった。


「他にも、他に、も……!」


 他にも言いたいことはたくさんある。

 でも、私は唇を強く噛んだ。


 違う。今、何よりも言わないといけないことがある。


「……ありがとう、ございました……」


 嗚咽を堪えてそれだけを何とか言って。

 私はまた泣いた。




 私は彼に覆い被せていた顔を上げて立ち上がった。

 足元には彼の遺体が横たわっている。私は頭を下げ、もう一度感謝の言葉を口にした。


 いつまでも泣いてばかりはいられない。


 あの花を睨む。

 きっとあれが全ての元凶で、散々私を苦しめた黒幕だ。絶対にのさばらせてはおけない。いつか必ず復讐してやる。


 町が死を取り戻した今なら、この花だって全て焼き払えるかもしれない。雨さえ降っていなければ、実際にそうしてやれただろう。


 だけど今は、無理だ。

 私にできるのは、ここから逃げ出すことだけ。

 逃げて生き延びて、あの花を殺せる何かを必ず持ち帰ってやる。


 それが私の産まれてきた意味かどうかはわからない。

 だけど、今日から私が生きていく理由だ。生きて生きて生き延びて、必ずいつか殺してやる。何を犠牲にしてでもだ。


 彼の剣を借りた。

 彼はきっと許してくれるだろう。もう守ってくれる人はいない。自分で戦って、生き延びなくては。

 私は歩き出した。


 町の入り口に立つ。

 感慨や名残惜しさなど微塵もない。次にこの町に戻る時は復讐の時だ。不安はある。けどそれよりも大きな何かが私を突き動かしている。


 赤い霧の中に足を踏み入れる。

 今までとは違った感触がある。先は何も見えなくても確かに私は前に進んでいる。

 霧の中には白骨化した亡骸がいくつも横たわっていた。視界が悪いせいで、青い根に巻きつかれたそれらの遺骸に何度かつまづき転んでしまう。

 だけど何度でも立ち上がる。こんなもの、痛くも何ともない。もっと酷い痛みを私は経験してきたから。


 赤い霧が薄れてきた。

 ぼんやりとだが、向こう側の景色が見える。荒れ果てた道と、何の変哲もない木や草。それだけ。それだけの、初めて見る世界。


 自然と足が早まった。

 やっと、やっと出れる。この地獄から抜け出せる。これから私の本当の人生が始まる。


 きっと凄まじい苦労があるだろう。だけど、あの町で地獄を見てきた私にはもう怖いものなど一つもない。

 まだ見ぬ世界には、凄いもの危険なもの私の想像もつかないものがたくさんあって、その中にはきっとあの花でさえ///蜷梧悄縺悟ョ御コ?@縺セ縺励◆縲蜀崎オキ蜍輔@縺セ縺吶?///





































 目を、覚ましてしまった。




 見知ったあの部屋の天井が見える。




 やだ。こんなの。嘘。




 声が出なかった。




 頭が考えることを拒絶している。




 体を起こしてみる。




 あの家の、あの寝室だった。




 震える手を顔の前にかざしてみる。




 手はあった。足もある。傷もない。ただそれだけだった。




 自分の頰に両手を当てた。




 そっと爪を立てる。




 思い切っきり力を込めて掻きむしった。




 痛い。血が出た。夢じゃない。痛い。




 現実だった。




 また1日目に戻ってきてしまった。




 彼の献身も、その生涯も、あの決意も、希望も。




 何もかも無かったことになった。




 全部、無駄で無意味だった。




 あ。あ。










 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

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