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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【生まれてくるべきではなかった誰かの話】
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第14話。夢の苗床

 私は今、無人の教会にいる。

 この町に一つだけの小さな教会で、申し訳程度のステンドグラスと古びた椅子、壊れたまま放置されているピアノくらいしか見るものはない。


 周囲には大小様々な大きさの水晶が無数に浮かんでいた。もちろん教会の内装ではない。これらの水晶は今や町中の至る場所で出現と消滅を繰り返していることだろう。

 いずれも全ての辺の長さが等しい正八面体で、緩やかな水平回転を繰り返しながら、かがり火のように仄かな光を放っている。


 その一つ一つに、異なる光景が映し出されていた。幼児を抱いて微笑む老人。朝の食事風景。エサを食べる飼い犬。釣られた魚。頭を撫でてくる女性。陽が沈みゆく海。怒り狂う男。降り注ぐ雨。貧しい格好の少女。


 それらは人々の記憶の結晶だった。

 この水晶体に触れてしまうと、そこに込められた誰かの過去を追体験してしまう。私はこうやって外の世界の知識や常識を手に入れてきた。


 私はそれが決して嫌いではなかった。辛い記憶や悲しい記憶もあるけれど、誰かの記憶を見ている少しの間だけは苦痛や絶望を忘れることができるからだ。

 運良く水晶体に触れられたのなら誰かと自分を重ねて、一緒に喜んだり怒ったり悲しんだりすればいい。その時間だけがこの地獄の中の唯一の救いだった。




 6日目。世界は花の苗床となっていた。


 空を覆っていた陰鬱な雲は青空と太陽を道連れに姿を消した。今や頭上は血のように真っ赤な葉が覆い隠し、その狭間に取り残された夜空には星々が煌めいている。


 地上からは極彩色の巨大なツボミが天に伸びていた。あの家から生まれた一輪だけのツボミは、今や何十輪にもその数を増して我が物顔で町中に君臨している。


 それを支える枝あるいは幹は、何百人もの人体を重ね合わせたような造形をしていた。それらは一様に目を閉じて胸の前で手を合わせ、穏やかに祈りを捧げているように見える。


 地面は縦横無尽に走る黒い根で覆い尽くされていた。人の胴ほどの太さの根もあれば、小指ほどに細い根もある。先端に二枚の金属片のついたそれらの根はいずれもゴムのような質感を持ち、思い思いに蠢いては這いずり伸び、小さな濁流のような流れを生み出していた。


 町に溢れかえっていた怪物たちでさえ、共食いに次ぐ共食いでその数を減らしていた。黒い根の合間から時折伸びる青い根が傷付き弱った彼らを捕らえていくからだ。

 青い根は黒い根と異なり、明確に生物を狙う。怪物や食べ残された人々に巻きつき、先端に取り付けた四角い透明な結晶を、鼻や口や耳あるいは傷口などの穴という穴に差し入れて動けなくする。

 ただしその動きは緩慢で力も弱いため、逃れることはそう難しくはないだろう。まともに体が残っていればの話だけれども。


 ◾️◾️にされた私の首から下は、どんな手段を使ってか今この瞬間も私に激痛を送り続けている。自分の骨が肺や心臓を貫く痛みを、何時間も続く窒息の苦しみを、骨も臓器も一緒くたに◾️◾️◾️にされて絞り出された時の苦痛を、休むことなく私に送り続けていた。


 それでも意識は飛ぶどころかますます鮮明になり、感覚は髪の毛の一本一本の感覚まで感じられるほどに鋭敏になっていく。

 私だけでなく、共食いを繰り返した怪物たちも含めて町の住民全員が今やこの有様だった。


 この町は、地獄そのものだった。




「見つけましたぞぉー! ソル卿ぉー! 我らが不死身の隊長殿ぉー!」


 教会の壁が吹き飛んだ。若い騎士が頭だけの私をお腹に抱え直して素早く背を翻す。

 凄まじい力で弾け散らされた破片が煙の尾を引いてホールに撒き散らされた。飛び来る破片で椅子が砕け、ステンドグラスが割れ、壊れたピアノは鍵盤をぶちまけた。私を庇う彼の背中にも次々と破片が叩きつけられる。


「ここも見つかってしまいましたか。そろそろ隠れる場所もなくなってきましたね……」


 破砕の暴風が止むと彼は背後を振り返り、ホールを横断する巨大な腕を睨んだ。朦々と煙をたなびかせながら、鬼の腕がズルズルと引き抜かれていく。


 あれから丸一日が経つというのに、こんな世界の中で彼はまだ抗っていた。頭だけになった私を抱えて、まだ諦めていなかった。たった一人の人間は、この地獄でまだ戦っていた。


「ホッ、ホホホッ! その人間の域を超えた強さ、女性と見間違うほどに麗しきその容姿! まさに英雄譚に語られる騎士の主人公そのものですなぁー! うーん犯したい!」


 鬼が空けた大穴の向こう側には、四つの目が爛々と赤く輝いていた。その目で私たちを捉えると、鬼は口から悪意と欲望の込められた息を吐き出す。酷い悪臭と絶え間ない絶叫が鬼の口から漂ってきた。

 この隠れ家も長くは保たなかった。


「ははは……買い被りすぎですよ。自分が強いなんて思い上がりは、公式試合で剣聖スレイに負けた時に捨てています」


 若い騎士の頭から頰を伝い流れた血が、私の左目の下に落ちた。今の破片でまた怪我をしたのだろうか。


 彼は傷付き弱っていた。

 もう走れない。片足を引きずるように歩く。もう切れない。剣は折れて半分以下の長さになっていた。もう防げない。銀の甲冑はボロボロに壊れて、傷だらけの彼の素肌を外気に晒していた。


 若い騎士の限界は明らかだった。無理もない。丸一日中鬼から逃げながら多くの怪物達と戦い、ここまで生き延びれただけでも奇跡的だった。


「ですが愛と正義が勝つ物語など、読み飽きていますからなぁー! 健気に咲く花が圧倒的な暴力に踏み躙られる快感を教えて差し上げましょーうぞおぉー!」


 片足で床を蹴り、若い騎士は後ろに飛んだ。その直後に鬼の拳が天井を突き破って現れ、床を殴りつけて教会を揺らした。ガラガラと瓦礫が落ちてくる。今度は鬼は腕を引き抜かない。そしてこちら側にはドアも窓ない。潰されたのは逃げ道だった。


 ここまで、かな。今までで一番粘れたけれど、今回もダメだった。まだ肺が残っていればため息の一つも吐いたと思う。でも仕方がない。どうやっても無理なのは最初からわかっていたことだから。


「ユカリさん、あなたを守りきれず申し訳ありません。ひとえに私の力不足です」


 なぜ謝るのだろう。悪いことなど何もしていないのに。


「もはやあなたを無事にここから出すという約束は果たせそうにありません。ですがせめて、最後まであなたの味方であり続けるという約束だけは……」


「さあさ今こそ祝福の時ぃいいい!」


 衝撃が私を襲った。




 優しい笑顔を浮かべた美しい女性が見える。失ったはずのお腹が空腹を訴えてくる。


 ー大丈夫よ、坊や。あの男と違って、お母さんはあなたを絶対に捨てたりなんてしないから。


 ああ、鬼に襲われた拍子に、近くにあった水晶に触れてしまったのか。誰かの記憶が流れ込んできているおかげで、目を開いていても現実の光景と記憶の光景が重なり合って見えてしまう。


 ーそう言ってお母さんは、いつもぼくをだっこしてくれる。

 そしたらぼくはお母さんのむねに顔をうずめて、思いっきりはなをすーっとするんだ。


 ほぼ倒壊したホールで、鬼と騎士が戦っていた。

 鬼が巨大な腕を振り回し、騎士が間一髪で転がって避けた。騎士が鬼の腕を折れた剣で切りつけた。ボギンと音がして、剣が根元から折れた。鬼が笑い、勝利を確信した。その鬼の目の一つに何かが突き刺さった。肉の焦げる音と煙が出て、鬼は苦悶の声をあげる。鬼の目に刺さっていた物は真っ赤に焼けた短剣だった。


 ーするとお母さんのやさしいにおいがむねの中いっぱいに広がって、とってもしあわせな気もちになるんだ。

 ぼくは、お母さんが大好きだ。


 鬼が指先で目玉ごと短剣を引き抜いた。顔と指の間に糸が垂れる。摘んだ短剣を鬼は不思議そうな顔で見ていた。「これはビステル卿の……」と、鬼の口が動いた。鬼の目が何かを捉えようとした途端に、残りの三つの目全てに同時に短剣が突き刺さった。鬼が叫び声を上げる。騎士は自分の隣を見た。いつの間にか黒く焼け焦げた骸骨が転がっていた。その手には短剣が握られていた。


 ー坊や、あなたの名前には太陽っていう意味があるの。わかる? お日様のように、たくさんの人を優しく暖めてあげられるような人になってほしいって思って、お母さんが考えたのよ。


 鬼が悶えながらも瓦礫を握り込み、騎士目掛けて投げつけた。突然の投石を避けきれずに騎士はまともに浴びてしまった。隣の骸骨は粉々に砕け、騎士はゴミと共に吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。うつ伏せに落ちた騎士の上に、崩れた壁の瓦礫が積み重なる。騎士の両足は折れて変な方向に曲がっていた。終わった。


 ーうん、わかるよ。だってお母さんがいつもぼくに教えてくれるから。

 お母さん。お母さん。お母さんはすごくあったかくてやさしくて、とっても大好き。


 いつの間にか空は無くなっていた。真っ白い何もない空間がどこまでも広がっているだけ。ああ、もうそんな時間か。今頃海も消えているだろう。6日目にはこうして何もかも消えていく。


 ーああ、私の可愛い太陽。世界中が敵になっても、あなただけは私の味方をしてくれるわよね。お母さんはあなたが大好きよ。あなただけがいればいいわ。


 騎士が体を捻り、上体を起こした。瓦礫を押し退けて鬼を睨む。まだ動くの。信じられない。目を潰されたおかげで鬼は騎士を見失って、その場で手を振り回しているだけだった。騎士が瓦礫の上を這い始めた。真っ赤な血がどんどん流れていく。彼はこっちに向かっていた。どうして、そこまで。


 ーうん、ぼくはずっとお母さんのみかただよ。お父さんがいなくても、友だちができなくても、学校にかよえなくても、いじめられても……。

 お母さんがいるからちっともつらくないよ。本当だよ。


 鬼が突然動きを止めて高笑いした。その両手を腹に突っ込んで力任せに引き裂いた。鬼の丸い腹の中には巨大な眼球が詰まっていた。目玉はグルグルと回転した後に騎士に焦点を合わせた。鬼は騎士の足掻きを笑っていた。騎士の動きが止まった。悔しそうに鬼を睨む。


 ーさ、今日もお仕事を頑張りましょうね。


 世界がどんどん消えていく。町中を漂う水晶も、動かぬモニュメントと化した怪物たちも、黒い根も青い根も幹もツボミも瓦礫も教会も地面もどんどん消えていく。だけど私も鬼もあの騎士もまだ消えない。私たちは真っ白い空間の中にまだ取り残されていた。


 ーお母さんがぼくの背中をそっと押してくれた。


 ーうん、ぼくお母さんのために頑張るよ。


 鬼の大目玉が真っ二つに裂けた。鬼が絶叫した。誰かが鬼の腹を切り裂いて深く剣を差し込んでいる。鬼がその誰かを素早く掴んで握り潰した。血と肉の花が咲く。見覚えのある羽帽子がふわふわと宙を漂い、やがて消えた。


 ーほら、お客さまが待っているわ。寂しい人なのだから、たくさん暖めてあげてね。


 鬼はひっくり返って痙攣し始めた。その腹から大量の血液が噴き出し、空中で霧状になって消えていく。そして鬼もまた手足の先から消え始めていく。ああ、やっと6日目が終わる。騎士は生きているのだろうか。ピクリとも動かないけれど、まだ消えてはいない。期待してはいけないのに。


 ーぼくはえがおであいさつをして、おきゃくさんのてをにぎった。

 なんでもします。いっしょうけんめいがんばります。よろしくおねがいします。


 記憶の残滓が遠ざかっていく。

 私の意識も遠ざかっていく。


 ー今日も知らないおじさんが、お金を出してぼくを使っていく。


 これでやっと眠れる。また穏やかな夢が見られる。私は目を閉/// 莠域悄縺帙〓繧ィ繝ゥ繝シ縺檎匱逕溘@縺セ縺励◆縲ゆクュ譁ュ縺ァ縺阪↑縺?ス懈・ュ縺後≠繧翫∪縺 ///

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