第12話。永遠と再生の象徴
「3日目には住民の大半が過度な興奮状態に陥ったために大規模な暴動が発生し、鎮圧は困難。また、焼却したはずの触手が復活して地表へ出現。再度の焼却を試みるも、触手に阻まれ地下への侵入は不可能。止むを得ず地表の触手の焼却のみを実施したものの効果は見られず、一連の対処をほぼ単独で行ったビステル卿が触手からの影響を受けてか理性を喪失。ソル卿とウルグン卿が応戦し深傷を負わした結果、ビステル卿は自害。また、宿にいたはずのバリス卿も消失。部屋には内側から鍵がかかったままであった」
民宿一階。従業員の詰め所にて大柄な騎士が報告書を最初から読み上げていた。
小さなテーブルと椅子くらいしか家具のない殺風景な部屋だった。ランタンの明かりが、私たちの疲弊した顔を照らし出す。
外に通じる出入り口はこの部屋の通用口だけで、他の部屋は窓も含めて全て木板で封鎖している。その決して広くはない室内で大柄な騎士と若い騎士が向かい合ってテーブルに座っており、外の防衛を今は二人の騎士が勤めていた。
私は椅子を勧められたが、どうも気がひけるので部屋の角に立つことにしていた。
封鎖を手伝ってくれた他の客も従業員も、もう一人もいない。今頃この町のどこかで暴虐の限りを尽くしているか、尽くされているかのどちらかだろう。
「4日目には住民のほぼ全員が理性を完全に失い、身体機能を大きく欠損する自傷行為や加害行為を横行。その状態でも死ぬことはないため、被害者の苦痛は想像するに余りある状態となる。多少の怪我では凶行を止めることはできなかったため、自衛として暴徒の手足を切断することにより対処。拠点として接収した宿の出入り口を封鎖し、交代で防衛に……こ、これは、事実なのか?」
「困ったことになりましたね、はは……」
若い騎士も口では笑っていたが、その顔色は白みがかかっている。
優しそうな彼のことだから、肉体的な疲労よりも精神的な苦痛の方が大きいのかもしれない。仲間を一人失ったことに加えて、狂った住民たちの手足を切り落としたことが彼の良心を責めているのだろうか。
「い、今は3日目ではなく、4日目なのか?」
「ええ、それももうじき5日目の朝を迎えようとしています」
「ま、まるで悪い夢のようだ。現実感が全く無い……。時間も空間も確かなものなどなに一つなく、覚えているのは断片的な場面ばかりだ。それに、あのビステル卿が自害するなど……」
「彼は、誰よりも正義感が強く、勇敢で慈愛の精神に満ち溢れた理想の騎士でした……」
あの獣じみた騎士に関してはヒステリックに怒っている姿しか見かけていないが、彼が言うのならきっと本当なんだろう。
「そんな方でなければ、貴族としての生活を捨ててまで聖骸騎士に入ったりなどしません。バリス卿に厳しく当たっていたのは、きっと自分と重ねていた部分があったからなのでしょう……私は彼を尊敬していました」
「う、うむ。それで、ど、どうなのだ……? 何か脱出の手がかりなどは……?」
大柄な騎士が若い騎士の感傷を遮ったので、私は少しだけ不快な気分になった。
「……そうですね。たしかに今は故人を偲ぶよりも、解決を優先させるべきかもしれません。このまま立てこもっていても、事態は悪化するばかりでしょう」
「や、やはりあの触手を破壊するしかないのではないか?」
「それは難しいですね。報告書にも書いてありますが、ウルグン卿が焼き払ったはずのあの触手がまたもや再び復活していました。それもさらに大きく成長し、若葉まで生い茂っていたとか」
「わ、若葉? あれは木なのか?」
「わかりません。あれが原因だとしても、この死の無い町では殺し切ることはできないでしょう」
「な、ならば逃げるしかないではないか?」
「ええ、その手段を探さなくてはなりませんね……あの霧の切れ目がどこかにあればいいのですが」
「き、救援は来ないのか?」
「あまり期待はできませんね。救援を呼ぶ手立てもありませんし、万が一来たとしてもこの状況では犠牲者が増えるだけでしょう。せめて私たちが集めた情報を外部に伝える手段さえあれば、対策を立てた精鋭部隊が派遣されたかもしれませんが……現状ではそれも望み薄ですね」
「も、もしかして、手詰まり、なのか?」
大柄な騎士は頭を抱えた。
「犯人はわかった。原因も見つけた。だが打つ手がないとは、こんなことがあってよいものなのか……? 逃げることもできず助けも来ないまま、このまま狂い死にを待つしかないのか……?」
「バリス卿」
「い、嫌だ。私はこんなところで死にたくない。私の人生は何のためにあったのだ……? 父に見捨てられ、弟に笑われ、挙句の果てに、こんな狂気の辺境で虫のように命を落とすのか……? ううう、帰りたい……母にもう一度会いたい……! ううっ、ううううっ! うぶぁああああ〜っ!」
大柄な騎士は十字架を握り締めてとうとう泣き始めてしまった。涙と鼻水が滝のような勢いで流れ落ちる。
「バリス卿、そう悲観することはありません。まだ諦めるには早いです」
若い騎士は泣き崩れる仲間の隣に移動し、肩を優しく叩いた。
「ほ、本当か? ま、まだ何か手立ては残っているのか?」
「もちろんです。ビステル卿は残念でしたが、この程度の危機は私も今まで何度も経験してきました。かつての仲間が皆殉職し、私一人しか生き延びることができなかったこともあります。絶望し、泥水を啜って生き延びるよりも華々しい討ち死にを選ぼうと考えたことも、一度や二度ではありません。しかし、その度に私は思い直し学んできました」
「ま、学んだとは?」
「どんな不可能な物事にも必ず法則があり、それを見つけ出すことが勝利への第一歩なのです」
「そ、それはどういう意味なのだ?」
「どれほど荒唐無稽で理解が遠く及ばない出来事でも、そこには必ず何らかの法則性やルールが存在します。それはこの町においても例外ではありません。町から出られない。人も動物も死なない。人々が正気を失う。一見何の繋がりもない事象でも、それらを繋ぐ見えない糸が必ずあるのです」
「だ、だがそれがわかったところで何になる?」
「真実が見えます」
「真実?」
「その昔、あらゆる病気は悪魔の仕業でした。目に見えぬ悪魔が人の命を吸って呪い殺していると信じられていたのです。医者という職業はなく、悪魔を退ける儀式を行うまじない師が重宝されていました。そしてもちろんそれらの儀式に効果はなく、悪魔に多くの人々が呪い殺されていったことでしょう」
「う、うむ?」
「ですが医学が進歩した現代では違います。病を運ぶのは悪魔ではなく、水や食物や空気やネズミや小さな虫であることが証明されています。そして多くの病の治療法も確立されました。これが真実を見るということなのです」
「つ、つまり?」
「これまでの調査は決して無駄な労力ではありません。真実を見抜くために必要な情報は集まりつつあります」
「ほ、本当か? 本当に手がかりはあるのか?」
「ええ、今からそれを証明してみせます。しかし問題はその真実の先にあるのです。この試練を乗り越えるためにどうか力を貸してください、バリス卿。私たちにはあなたの力が必要なのです」
「わ、私の力と申されても、私は、ただ貴族の長男に生まれただけの凡骨だ。図体ばかり大きいくせに、虫のように気が小さく、頭の回転だって鈍い。こ、こんな私が何かの役に立つとは到底思えぬ」
「いいえ、そんなことはありません。仮にそれが事実であったとしても、あなたにはあなたにしかできない役目があります」
「そ、その役目とは?」
「それは他人に推し量れるものではありません。誰しもその時が来て初めて、自分の人生の意義がわかるものなのです。自分の人生は今日この時のためにあったのだと」
「ソル卿……」
「ははは、少しばかり先輩風を吹かせすぎましたね。お恥ずかしい」
人生の意義、か。
残念だけれど、その言葉は私と縁がありそうにない。この閉じた世界の中で殺され続けることに何の意義があるというのか。神なんてものがこの世界にいるとしたら、とんでもない嗜虐嗜好の持ち主に違いない。
「さて、ユカリさん」
「え? あ……はい」
「よかった。喉は治ったようですね。その節は乱暴してしまい、申し訳ありませんでした」
いきなり話しかけられて、ついうっかり返事をしてしまった。どうして声が出るようになったことを隠していたのかと問い詰められたらどうしよう。特に悪気はなかったのだけれど……。
「聞かせてください。あなたはこの町に起こる異変のことを知っていました。それは予知能力ですか? それとも、実体験ですか?」
「……実体験です」
「やはり、そうでしたか」
彼は私に向き直ると、こちらを見つめてきた。その真っ直ぐな瞳に、私も真摯に応えなくてはいけないという気にさせられる。これから何もかも無駄になるとしても。
「じ、実体験とは?」
「思い返してください、この町の惨状を。港町ジェルジェの噂が流れてから私たちが訪れるまでの数年の間、この町はどんな状態にあったと思いますか」
「それは……ううむ、それは……?」
「この町はずっとこうだった」
私は息を飲んだ。
「そうでしょう、ユカリさん」
「……ええ、はい。そのとおりです」
驚いた。私が何百回も色んな人に訴えかけて信じてもらえなかった事実に、この人は自分の力だけでたどり着こうとしている。こんな人がいるなんて。
「そ、そんなはずがなかろう? 我々が来た時には平和そのものであったではないか、それがたった数日の間でこんな、こんな、地獄のごとき様相に変化したではないか」
「その通りです。この町は変化を続けて、変化し続けて……最後にはきっと全て元に戻るのでしょう。それこそあの木のように」
「えっ」
「最後には全てが元に戻る? ば、バカな……」
「不老不死や死者蘇生の研究を追求する魔術師は少なくありません。おそらくクローカス氏もその一人であり、本来の目的はあの木による妻と娘の蘇生だったのでしょう。ですが事態は彼の想定を大きく超えてしまい、際限なく人々を蘇生させ続ける結果となってしまった。これが私に見えてきた真実です」
「ふ、不老不死? し、死者を蘇らせる木? それではまるで、神話に語られる世界樹ではないか?」
「なるほど、世界樹ですか。言い得て妙ですね。伝承によれば世界樹の枝は、死者を蘇らせ老いも病も癒す実をつけたという逸話があります。永遠と再生の象徴、世界を支える柱、それがこの地獄絵図を生み出している原因なのかもしれません」
「永遠と再生の象徴? だ、だから何度焼いても元に戻るのか? そ、それならあの木を枯らす方法などないではないか? ふ、不死身の相手と戦って、か、勝てる者がいるものか!」
「ははは。私も不死身のソルと呼ばれていますが、本物の不死身に挑むのは初めてですね。想像していた不死性とは異なりましたが、世界樹は最終的には町ごと自分を元に戻すのでしょう。そして記憶も記録も全て最初の状態に戻ってしまうために、ユカリさん以外は誰もそのことを覚えていない。……そうですね?」
「はい、はい……! そうです、その通りです……! 7日目が終わると全て元に戻るんです! どんなに刻まれても焼かれても食べられても、戻るんです! わた、しの、記憶、以外はっ…、、!」
声が震える。溢れる期待と不安で胸が早鐘のように鳴る。もしかして! もしかして! もしかして! でも! 頭の中に浮かぶ言葉はそればかり。
もしかして私を助けてくれるかもしれない。
でも、いつものように私を犯人扱いして陵辱するかもしれない。
期待してはいけない。裏切られた時に辛くなるから。ああ、でも、でも! こんなに感情が昂ぶるのはいつ以来だろう! どうしても、どうしても信じてみたくなる。信じたいッ!
「今までお辛かったでしょう」
「えっ?」
なぜか視界がぼやけるせいで、自分が抱き締められていることに気づくのが遅れた。
「この悪夢のような町で、あなたは一人抗い続けていたのですね。それは想像を絶する苦痛と絶望の日々であったでしょう。それでも諦めなかったあなたに敬意と感謝を示します」
「あっ、ああ、あ……」
声、声が上手くでない。何か言わないといけないのに。誰かに信じてもらえることが、こんなに嬉しいなんて!
「約束します。私があなたを必ずこの町から出してみせると。もし今回失敗したとしても、私は何度でもあなたの味方であり続けると」
私は泣いていた。視界がぼやけるのも、声が上手く出せないのも泣いていたからだった。
やっと、やっと、やっと来てくれた! 私の味方、私の希望、私の、私の……!
「だ、だが! 肝心の方法がないではないか!? そ、それに彼女だけが例外というのは!?」
大柄な騎士のがなり声に、私は少しだけ水を差された気分になって眉をひそめた。
「光明はあります」
「そ、それは?」
「ユカリさんの記憶が保ち続けられてる理由は、他の人々と違い完全な不老不死であるからでしょう。影響を受けただけの住民たちと違い、クローカス氏によって世界樹の実を与えられたのではないでしょうか」
「そ、そうだとしたら?」
「ユカリさんにもまた、環境を変化させる世界樹の能力が備わっていると推測できます。例えばですが、ユカリさんの体が治癒不可能な傷を負ってしまうと周囲の環境ごと巻き戻して治してしまう、とか。ユカリさん、7日目を無傷で迎えたことは?」
「ありません! 3日目には痛めつけられ、4日目には酷い、それはもう本当に酷いことをされます! もう、もう嫌なんです! 何度も何度もあんな痛みを! 痛みを! そして、やっぱり、やっぱり私が原因なんですか? 私が、私が原因というなら、いっそのこと……!」
「ユカリさん、どうか落ち着いてください」
私を抱きしめる彼の力が少し強くなった。
でもちっとも痛くない。
「な、ならば彼女を守りきればよいということか? 彼女が致命傷を負わずに7日間を生き延びることができれば……できれば、どうなるのだ? 赤い霧が消えたり世界樹が枯れたりするのか?」
「ははは、流石にそう都合よくはいかないでしょう。ですがきっと次の一歩に繋がるはずです。ユカリさん、7日目の様子を教えていただけますか。できれば5日目と6日目もお願いします」
「もちろんです! 私ができることなら何でも協力します! でも、でも、それは、もう、今からでは無理なんです……!」
「そうですか、無理は言えませんね……」
「違います! 私が知っていることなら何でも教えます! だけど、だけど……!」
彼の笑顔と信頼に応えたい。そして私も信頼されたい。私の初めての味方。この素晴らしい騎士様に。だけど!
「だけど5日目を生き延びるのは無理なんです! 朝になれば町が怪物で埋め尽くされて、人間なんて一人残らず食べ尽くされるんです! だから、だから! 何も期待しないようにしようって……!」
ゴォオオン、ゴォオオン。
柱時計が鳴った。私は首を真横に向けて、今の時刻を確認する。
時計の針は朝の6時を告げていた。ああ、ああ、もうこんな時間になってしまった。
狂える怪物たちの咆哮が、町中に響き渡った。