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たとえ神に選ばれなくても  作者: ナカマクン
【生まれてくるべきではなかった誰かの話】
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第11話。猟奇祭典

 私は子供の頃、自分を特別な存在だと信じていた。


 私が名はバリス・グランバッハ。有象無象の平民とは流れている血が違う。私は世界中に祝福されて生まれた唯一無二の存在で、誰にもできない偉業を成し遂げ歴史に名を刻むのだ。そう思い込んでいた。


 だが現実は違った。年月を重ねる度に次々と現れる課題が私の根拠のない妄想を打ち砕いた。

 政治学や経済学に始まり、各国の王族や有力貴族の顔と名前を覚えることは当然として、歴史の暗記に他国の文化や常識やマナーの取得、武道は剣も弓も馬も使いこなせればならない上に戦略や陣形や兵の動かし方や鍛え方も必須。絵画や音楽などの芸術部門への教養も必要で、各種式典や儀式行事に礼儀作法に至るまで、とにかく覚えなくてはならないことはあまりにも多すぎた。


 そして私はあっさりと落ちこぼれた。最初は期待してくれた父も、私の技量が明らかになるにつれて失望を隠そうともしなくなった。

 毎日毎日叱責されて自信もプライドも失い、周囲の冷たい目線に晒されて、できていたことも次々とできなくなっていった。


 ある日、母は私を置いて家を出て行った。人づてに聞いたところによると、正妻の立場であるにも関わらず、出来損ないの私を産んだことを父から責められたらしい。


 生まれてこない方がよかった。


 自他共に私への評価はこの一言に尽きる。祝福されていたのは幼子の頃のほんの短い間だけで、それ以降の私の人生は劣等感と無力感に耐えるためだけにあるようなものであった。


 だから父は私を聖骸騎士団に入隊させたのであろう。不慮の事故の一つでも起これば私が家督を継がなくても済むからだ。望まれて産み落とされ失望されて捨てられるとは、何とも世知辛い話であろうか。


 しかし誰も私を表立って私を責めてはくれない。それもまた仕方のないことである。

 私は最初から誰にも期待されていないのだから。




 ところで、私はなぜ港にいるのだろう。




 椅子に座らされた男たちが波止場に並べられている。彼らは椅子に縛り付けられていただけでなく、その◾️◾️と◾️◾️には長釘が打たれ、念入りに椅子に括り付けられていた。

 私は資材の影に隠れてその様子を盗み見ている。


「ひゃああああああ、ひゃあああああああ」


 悲鳴を上げているのは男たちではなく、漁港にあった食堂の女将だった。抑揚のない間延びした声でありながら、その声量は耳を塞ぎたくなるほどであった。初めて耳にする狂人の声が私の背筋を凍てつかせる。


 女将の◾️には三本の◾️◾️が深々と突き刺さっていた。◾️◾️に二本と、引っ張り出された◾️を◾️に縫い止める一本だ。他の誰でもなく、彼女が今しがた自分の◾️に突き立てたのだ。

 彼女が左端の男を椅子ごと持ち上げた。担ぎ上げられた男の顔が恐怖に歪む。


 私はその先を見る勇気がなかった。もちろん惨劇を止める勇気もだ。背を向けてその場を逃げ出した。背後から絶叫と水音が私を咎めるように追いかけてくる。

 死を許されぬこの地で海に投げ込まれた彼らは、終わりのない窒息を味わい続けるに違いない。




 惨劇から逃げても、また別の惨劇が待っていた。


 主婦が何かを軒先に干している。それは◾️を滴らせた◾️だった。原形を留めないほど叩き潰され、薄く引き伸ばされた◾️◾️◾️には◾️◾️と◾️が混ざっている。それでも◾️◾️はまだ動いていて、ナメクジのように這って主婦から逃げようとしていた。


 ◾️◾️合う一家がいた。父親は自分の息子の◾️を家の壁に擦り付けて削ぎ落としている。◾️を大きく切り裂かれた母親がその父親の◾️◾️を耕すようにクワで◾️◾️◾️◾️◾️しており、一振りごとに◾️◾️を◾️から撒き散らしていた。飛び散る家族の◾️を憎悪の形相で拾い集めて◾️◾️◾️いるのは娘だろうか。皮一枚で繋がった◾️と◾️だけの少女は、◾️◾️した◾️の塊を喉から◾️◾️◾️◾️と◾️していた。そしてそれをまた◾️り◾️◾️◾️る。

 私も嘔吐する寸前だった。


 子供が◾️◾️◾️を両手に持ち、他の子供を追い回している。逃げる子供は誰のものかも知れぬ◾️◾️を引きずり回しており、満面の笑みを浮かべていた。追いかける側の子供が口から何かを吐き捨てた。それは噛み切られた◾️だった。それは地面に落ちて、打ち上げられた魚のようにビチビチと跳ねていた。


 家具を作っている老人がいた。残飯を流し込むための◾️が備え付けられたテーブルや、励まし合う◾️◾️三人で作られたソファーなど様々な作品があるが、彼が今まさに手がけているのは◾️◾️で作るランプシェードのようだ。◾️から下の◾️を削ぎ落とされた◾️◾️の◾️が、垂直に立つ◾️の上に乗せられている。閉じないように針金で固定された◾️の隙間から炎の灯りが漏れていた。無傷な◾️◾️の目と流れる涙が苦痛を訴えている。

 老人が彼女に夢中になっている間に、すね毛の濃ゆい四本足の椅子が走り出して逃げ出していた。


 なんだ。何なんだこれは。住民の暴動が始まったかと思えば殺戮が…殺戮よりも遥かに冒瀆的な何かが始まっていた。これは本当に現実の世界なのか。私は一体どこの世界に迷い込んでしまったのだ。


 そもそも、他の騎士たちも何処へ行ったのだ。私は気分が優れないから部屋に、部屋に…。

 …部屋にいたはずなのに、なぜ私は外にいるのだ? 部屋を出て、海辺まで歩いた記憶が全く無い。気がつけば一人で息を潜めて惨劇を眺めていた。しかも日が沈もうとしているこんな時間まで。


「ぴいいいいいいいいい」


 奇声と共に青年の暴徒が襲ってきた。しかしその◾️は左半分しか残っていない。左手を突っ込んでは◾️の中身を執拗に掻き出している。武器らしきものは右手に持つレンガだけだったが……。


「うう、うううう……!」


 私は情けない声を出しながら逃げ出した。目には涙も浮いていることだろう。勝てる勝てないの問題ではなく、私の心はとっくの昔に折れていた。


 もう何もかもが嫌で、ひたすらに怖かった。

 私は神への祈りを繰り返し口にし、血が出るほどに十字架を握り締めながら、町中に溢れかえる亡者たちを避けて無我夢中で宿を目指して走った。


「ハァーッ! ハァァー! フウウウーッ……!」


 気がつけばすでに日は落ち、世界には宵闇が訪れていた。それでも明かりに困ることはない。至る所で家々に放たれた炎が、闇夜において狂乱に耽る人々の歪な影を浮かび上がらせている。


 火事場の馬鹿力というものであろうか。普段ならばとっくの昔に息が切れていてもおかしくはないはずだが、私は甲冑を着たまま全速力で走り続けた。

 私を追う亡者たちもいたが、幸運にも全て振り切ることができた。どうやら亡者たちは死ななくても疲れはするらしい。


 ひたすら逃げて走り続けてようやく民宿が見えてきた。民宿の周囲は夥しい数の死骸が散らばっている。2.30名はいるやも知れぬ。死んではいないから死骸と表現するのは不適当かもしれないが、細かいことを気にしている余裕はない。


 切り落とされた◾️◾️や誰のものとも知れぬ◾️や◾️を踏みつけて民宿へと足を進める。呻き声と共に何本かの手が私の足を掴んだが無視した。


 民宿は厳重に封鎖されていた。正面扉や窓には血痕の付着した木板が釘で打ち付けられている。明かりは灯っている部屋は一つもなく、宵闇の中で民宿の黒いシルエットが浮かんでいた。


 その周囲を動き回る影があった。近寄る亡者を次々と斬り伏せ、◾️◾️を刻んで動けないようにしている。

 あの流麗な剣筋の持ち主は一人しかいない。押し寄せる亡者たちから宿を守り、この生きた亡骸の海を作ったのもきっと彼だろう。

 私は大きく手を振り、声を張り上げた。


「ソッ、ソル卿! ソル卿ォー! わっ、わた、私だ! バリスだぁーっ!」


「バリス卿!? ご無事でしたか!」


 この狂った町において、仲間は唯一無二の灯火であった。他に頼れるものなどない。彼ら騎士だけが確固たる現実、正気の楔、日常への道なのだ。


「生きていてくれて安心しました! 怪我はありませんか! 気分が悪くはありませんか!」


「け、怪我はないが! き、気分は最悪である……! お、恐ろしい! ただひたすらに恐ろしく、気持ちが悪い!」


「それは重畳! まだ正常である証です!」


 ソル卿は相手をしていた亡者の手足を切り落とすと、私に駆け寄り笑顔を見せてくれた。笑顔と対極的な容赦のなさが今は何よりも頼もしい。


「ひとまず中へお入りください! 正面は封鎖していますので裏口からどうぞ! こちらです!」


 私の背に添えられたその手の力強さに、暗がりの中でも失われぬその笑顔の輝きに、安心のあまりに私は声を殺して咽び泣いた。


 この先に何が起こってもソル卿に着いていけば大丈夫だ。彼は聖骸騎士団でも数えるほどの精鋭で、どんな修羅場からも生還した不死身の騎士なのだ。


 そう信じさせてくれるだけの輝きが彼にはあった。


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