第9話。伝播する狂気
他人への興味を失ったのは、いつからだっただろう。
誰かに何かを求めることを諦めた時からだろうか。
私だって努力しているのに。自分だけじゃなくて、町の人たち全員を助けようと頑張っているのに。
(嘘をつけ、お前が原因に違いない。魔女め)
どれだけの人にわかってもらおうとしても、結局は誰もがそう言って私をあらゆる方法で殺そうとした。
その繰り返された失望の中で、私は他人への興味や関心を失っていったんだと思う。
灰になって、肉片になって、時には胃袋の中で、苦痛と共に残り続ける意識の中で裏切りを呪い続けたこともあったけれど、それもそのうち馬鹿らしくなった。
私を傷つけた人たちも、勝手に殺しあって化け物になって食べたり食べられたりして終わり。そして7日目が終われば私の記憶以外全部元に戻って再スタート。誰も何も覚えていない。全部が無かったことになっている。
生きて苦しんで終わって、また始まって苦しんで。
このサイクルを繰り返すことに、何の意味があるのだろう。クローカスという魔術師はこの現象を引き起こして何かを手に入れたのだろうか。あるいはこれは想定外の事故で、本人はとっくの昔に逃げ出しているのだろうか。
もう何でもいいから、早く終わってほしい。
喜びもなく、希望もなく、得られるものは失望と無力感ばかりで、ただ耐え続けるだけの人生なんて。
町は3日目の朝を迎え、あちこちで暴動が起こっていた。不安や怒りを抑えきれなくなった住民たちが、その本性を剥き出しにして暴れ始めたからだ。
家々の窓は内から外から叩き割られ、赤の他人どころか家族や友人といった親しい間柄の者たちでさえ見境なく罵り合い殴り合う。
その事態の収束に、騎士たちは朝から走り回ることになっていた。
そして私もまた、今回狙うことにした若い騎士に同行して、漁港に併設された食堂に来ている。
寂れた漁港の小さな食堂だ。壁に貼ってあるメニューの書かれた紙は黄色く変色して剥がれかかり、狭い店内にはハエが飛び回っている。その代わりに椅子やテーブルは古いながらも頑丈そうだった。
この店は愛想の良い中年の女性店主が一人で回しているが、4日目になるといつも暴徒に火をつけられていた。店にも、店主にもだ。
死なない魚を客に食べさせた魔女とか、そんな大義名分で焼かれていた気がする。
「女連れで説教たぁイイ身分だなぁ! 騎士さまのボンボンちゃんがよぉー!」
椅子が蹴り飛ばされた。思わず身が竦んでしまう。
私と彼がこの店を訪れた時には店内に無精髭の漁師が6人いて、店主の髪の毛を掴んで怒鳴り声を撒き散らしていた。
それを止めようとした若い騎士が、今度は狙われる番になったというわけだ。
「ユカリさん、下がっていてください」
彼の助言に従い、後ろへ数歩退がる。その代わりに彼は苛立つ荒くれ者たちの真っ只中へ無警戒に歩み寄っていく。
そして案の定、すぐ囲まれてしまった。いくら騎士とはいえ、6対1で大丈夫なのだろうか。
「ははは、説教だなんてとんでもない。ただ私は少しだけ皆さんに……おっと」
「イッー!?」
背後から無言で振り下ろされた椅子を、彼は身を捻って避けた。空振りした椅子が勢いあまって持ち主の足に当たった。男が痛そうに悶える。
凄い。今のは絶対見えない位置のはずなのに。
「まあまあ、落ち着いてください。暴力はいけませんよ、危ないじゃないですか」
「ヴァッ!」
彼は口ではそう言いつつも、襲撃者のお腹にしっかりと反撃の拳をめり込ませた。腹を殴られた男は背中を曲げ、うずくまって動かなくなった。
「やりやがったなテメェー!」
「ほら、危ないですよね。やめた方がいいですよ」
「ザッケンナコラァ!」
そして、彼の周囲を取り囲む男たちが一斉に殴りかかったかと思うと……。
「ふぅ、危ないところでした」
一瞬で男たちは全員が床にうずくまっていた。え、凄い。
「痛っ、てぇ、よぉ」
「鎧とか卑怯すぎるだろ、コラァ……」
「背中に目でもついてんのお前……?」
「ははは、大したことはありませんよ。少しばかり殺気や敵意に敏感なだけです。皆さんも訓練すればすぐできますよ。目や耳に頼らずとも戦えるようになれます」
…無理だと思う。前後左右から同時に飛んでくる拳を的確に避け、一人一発で仕留めるなんて。騎士とは皆こんなに強いのだろうか。
「それと、甲冑を着た相手を狙う時は、頭を狙って殴りかかっても読まれやすくて効果が薄いですよ。隙間を狙える有効な武器がないのなら、人数差を活かして取り押さえる方がよかったですね」
さらにダメ出しまで。
「怪我はなかったですか、マドモアゼル」
「え、あ、やだよぉ、こんなオバちゃんにマドモアゼルなんて。ふふふっ、ありがとねぇ」
「いえいえ、まだまだお若いですよ。怪我はないようで何よりです。この狼藉者たちには再び暴れないようによく言い聞かせておきますので、ご安心ください」
「やだ、本当ぉー? ああそうだ、せっかく助けてくれたんだから、何か食べてかないかい? こんなに強くてハンサムな騎士さまがうちの店来るなんてねぇー」
「ははは、それではお言葉に甘えるとしましょうか」
「……」
……あれ。なんで私、ちょっとイラッとしてるんだろう。おかしいな、私は何もされてないのに。
その後もこんな感じでパトロールは続いた。
けれど、順調だったのは本当に最初だけの話だった。午後になると暴徒の数が急激に増してくるからだ。
特に中央通りは酷い有様だった。近隣の家々から住民たちが飛び出してきては、老若男女の区別なく暴動に加わっていく。
加害者を止めれば、今度は被害者が酒瓶で加害者の頭を殴る。両者を縛って転がせば、無関係な第三者がやってきて彼らを踏みつける。
右から左から物が飛び交い、ぶつかり合い入り乱れる人々で通りは大混雑の大渋滞だ。暴れる側と抵抗する側が入り混じったり入れ替わったりして、もう誰を止めればいいのかわからない状況になってきた。
「これは流石に手に負えませんね。はは……」
通りを遠目に眺めて若い騎士が呟いた。
いくら騎士たちが強くても、こんな有様ではどうしようもない。暴徒を逮捕すべき立場の地域憲兵まで暴動に加わって、無秩序状態だ。
「おっと、失礼します」
急に手を引かれて体を引き寄せられた。
「うあああああっ!?」
何か、もとい誰かが私の後ろ髪を掠めて倒れる音がした。
「フンッ! おや、お二人ともご無事でしたか」
「……ええ、キュリオ卿も怪我はないようですね」
背後から姿を現した者は、口髭の騎士だった。穏やかな微笑みとは対照的に血塗れの剣が気になる。
「はっはっは、騎士たる者が素人に負けるわけにはいきませんからな」
「助けてっ、助けてええええええ!!」
「ええと、その、キュリオ卿……」
「痛い痛い痛い痛いよおおおおお!」
「うむ。何か?」
さっきから足元で絶叫が響いていた。
口髭の騎士がにこやかに談笑をしながら、倒れ伏す男性の◾️を何度も執拗に突き刺しているせいだ。
口髭の騎士の顔は紅潮し、興奮状態にあることが伺える。
「少しばかり、やり過ぎではないですか?」
「はっはっは、何を言いますか。まだまだ物足りないくらいです。ビステル卿など、あの暴力の渦の中へ勇敢に吶喊して行かれましたぞ。うむうむ、騎士たる者としてこのような暴動は見過ごせませんからな! フンッ! フンッ! 特にこの者は、騒ぎに乗じて幼児を◾️◾️しておりました!」
「ごめんなざいっ! ごめんなざいっ! ごめんなざい!」
男の◾️に乱暴に剣が突き立てられては引き抜かれて、また突き刺される。その繰り返しで男の◾️は血塗れのズタズタになっていた。◾️がちぎれて転がり、◾️が大きく削げ落ちて◾️が見えている。
可哀想だとは思うけれども、まあ別にどうでもいい。明日には町の住民の大半がもっと酷い目に合うからだ。もちろん私も含めて。
「おお、そういえば報告がありました! 我々が昨日焼き払った例のアレですが! 復活しておりましたぞ!」
「え?」
「地下室から伸びた触手がツタのようにあの家に絡みついておりましたな! もう少し詳しく調べたかったのですが! ご覧の通りあの家の付近で大規模な暴動が発生しましてな! これは私も危ないと察し! 理性を保てるうちにこうして逃げてきたというわけです! フハハハッ!」
……理性、保ててるんだろうか。
「ところでお二人はいつの間にやら抱き合う関係になられたご様子! 若さとは羨ましいですなぁ!」
言われてようやく、若い騎士に彼に身体を預けていることに気がついた。さっき引き寄せられたからだ。
「おっとすみません、失礼しました」
と思えば、彼はあっさり私を離してしまった。
「この通り、私たちは何でもありません。彼女の力になりたいとは思っていますが、騎士たる者として下心を抱いてはいけませんからね」
そうなんだ……。
「それとキュリオ卿、今のあなたは冷静さを失っているように感じられます。その方はもう十分に罰を受けたでしょう。彼を解放して、一度私たちと宿に戻り今後の対策を練りましょう」
「ウフッ、そうですな! ウフフッ! 自分でも異常な状態にあることを理解しておるのです!おるのですが、中々どうして興奮が収まらぬのです! フフッ!」
「ひとまず剣を納めてください。どうしても興奮が収まらないようなら、私が相手になりましょう」
「ほほう、それはそれ、は……」
若い騎士と口髭の騎士は睨み合った。
口髭の騎士は口元を押さえ、何かを考えるように忙しなく視線をさ迷わせた後……素直に剣を納めた。
「失礼。どうやらソル卿の指摘の通り、冷静さを欠いていたようです。一度休ませて頂きたい」
「いえいえ、こちらこそ脅すような物言いをして申し訳ありませんでした。私たちも共に宿に戻ります。話は落ち着いてからでどうですか」
「おお、ビステル卿は上手くやったようですな!」
話の流れを無視して口髭の騎士が嬉しそうな声を出した。その視線を追うと空に黒い煙が昇っている。あれはあの家の方角だ。
「上手くやった、とは?」
「別れ際にビステル卿が言ったのですよ! まだ種が残っていたのなら次はあの家ごと焼き払うと! ウフフッ、見学に行かれるならお気をつけて!」
「気になりますね。キュリオ卿は先に宿へと戻り、バリス卿と交代で休んでいてください。ウルグン卿、ここからあの家まで比較的安全なルートの案内をお願いします。ユカリさんも私たちと一緒に来てもらった方が安全でしょう」
頷いた私のすぐ隣を、羽帽子の騎士が後ろから通り過ぎた。すぐ後ろにいたのだろうか? 全く気配を感じなかった。
羽帽子の騎士は無言で先導するように歩き始めた。甲冑を着ているのに、どうやって音の一つも立てずに動けるんだろう。
それと、あの家ごと燃やすとは言っていたけれど、その行為が全くの無駄であることは私が誰よりも知っている。
だってそれはもう私が何十回も試しているのだから。